(13)これで決着!
竜の喉を切り裂いて降りながら、俺は落ちていく先に現われた赤い塊に目を見開いた。
間違いない! あの日抉られて、俺の目の前に見せられたものと同じだ。
――俺の心臓!
それは、今も横にあるナディリオンの心臓に繋がれたまま、どくんと大きく脈打っている。
だから俺は、そのまま飛び降りると、一閃で、俺の心臓とナディリオンを繋いでいる血管を切り落とした。
それに、今俺の入っている竜の体が、はっきりと大きく震えたのを感じる。
「俺の心臓だ! 返してもらうぞ!」
叫ぶのと同時に、ためらいもなく竜の心臓を包んでいる薄膜を切り裂いた。
それと同時に、血管から切り離された心臓は、膜の外へごろんと転がり出てくる。俺が切断したところからは、ナディリオンの心臓と繋がって水竜の魔力を供給していた赤い血を流している。
俺の竜の体から切り離されても、ずっとナディリオンの魔力で動かされていたのか。俺の体を殺して手に入れたとは思えないほど、静かに安定した動きを繰り返している。
――俺の心臓だ。
不思議なほど強い生命の響きを今も聞かせるそれに、俺はそっと手を伸ばした。
「やっと――――十七年ぶりに……」
竜の体を本当に取り戻した……
俺が見つめる先で、竜の心臓は中にともしている命の灯りのように、暖かい色で脈打ち続けている。
それに、そっと触れた。
「お帰り……俺の心臓……」
だけど、その時突然立っているところが大きく揺れた。
「なんだ!?」
立っていることさえきつい。思わず、赤い肉に片膝をついてしまったが、上を見上げると、今俺が切り裂いてきた喉の上から暗い空が見えているではないか。
「まさか!」
――ナディリオンの奴、こんな体で飛び上がったのか!?
だけど、体内からも竜の翼が羽ばたく巨大な音が聞こえてくる。
「なっ! まさかこれだけの傷を内部に与えても、まだ倒れないなんて!」
だが、焦っている俺の様子が伝わったのか。外から、楽しそうにナディリオンの声が響いてくる。
「心臓を奪われた君でさえ、あれだけ飛んだんだ。いくら深手でも倒れるはずがないだろう?」
「くそっ!」
「大丈夫。もう一度、君の心臓を繋ぎ直して、君の魂も私の中で可愛がってあげるから」
「絶対に御免だ!」
「兄さん!」
後ろからアーシャルの声が聞こえる。
きっと必死の形相で追いかけてきたのだろう。
だけど、追いついては来ない。後ろから攻撃をしているような火炎の音は聞こえるが、それが俺がいるこの体に当たった気配はない。それは、それだけ距離が開いているということだろう。
――くそっ! いくらアーシャルが頑張っても、ナディリオンの方がやはり大人だ。
成竜な分、やはり翼の大きさが違う。同じ羽ばたきなら、やはり成竜の方が一度に高く遠くまで飛べる。
――だけどどうする!?
このままじゃあ、いくら心臓を取り戻してもどうしようもない!
「くそっ!」
「そんなに心配しなくても。私は君は気に入っているんだから――一生一緒に暮らそうと言っているだけなのに」
――なんで、アーシャルと同じことを言われているのに、こいつのはこんなに怖気が走るのだろう。
「絶対にごめんだ!」
叫びながら、剣を握った時だった。
「待ちなさい!」
けれど、その聞き覚えのある声と共に、鋭い牙の一撃が、俺の目の前で喉の鱗を砕いて入ってきた。
血に染まる白い牙の向こうに見える鱗は、赤銅色――――竜の母さんだ!
「よくも私の子供を殺そうとしたわね!?」
――まだ近くにいてくれたのか!?
さっき俺を王都に送って来てくれて、そのまま、まだ上空にいてくれたんだ!
さすが、アーシャルと同じ発想! そうそう思い切りよく別れたりするタイプじゃなかった!
だけど、俺が喜んだのも束の間、喉の砕かれた隙間からは、絡み合った二匹の竜の姿が見え、新たに鋭い牙が肩の付け根を噛み裂いてくる。
ばりんと鉄よりも固い竜の鱗が砕ける音がした。
その向こうでは、母さんの背中も同じようにナディリオンの牙に砕かれている。
「母さん!?」
「心配いらないわ、リシャール! だから、そこから出てきなさい!」
けれど、母さんは胴体から血を流しながら、金色に輝く赤い鱗を翻している。夜空の群青色の中に、眩しいほどの姿が煌いた。
きっと王都の住民からも、この竜の戦いは見えているだろう。
横には、更にもう一匹。今の間にと追いついて来たアーシャルが必死にナディリオンの牙をかわしながら、噛みつこうとしているではないか。
「アーシャル!」
だけど、アーシャルを守るようにして、母さんがその胴体を噛まれた。がっと焔を体に纏わせて撃退しているが、雌竜より、雄竜の方が体が大きい。なにより、ナディリオンは古竜だ! その大きさは、普通の竜を軽く凌ぐ。
――だめだ! このままじゃあ、母さんとアーシャルも殺される!
何とかしないと!
だから、俺は後ろを振り返った。
後ろには、俺の心臓が横たわっている。その隣りには石化した火竜の心臓と、おそらくさっき話していたナディリオンの兄の心臓がある。
そして、その奥に、ほかのどれよりも巨大なナディリオンの心臓があった。
ほかの三つの心臓とつながって、魔力と血を全身に送っていたのだろう。
俺は、その心臓の側に近づくと、一度風竜の心臓を振り返った。
「ごめん」
一度だけ、きっとそこに今も魂があるだろうナディリオンの兄に謝る。
――きっと俺がお前だったら、どんな理由があっても、目の前で弟が殺されるのなんて許せない。
「だけど……」
ぽろりと瞳から涙が一粒溢れた。
「信じていたんだ――」
だから、俺に近づいたのも、励ましてくれたのも、その全てが俺を殺すための偽りだったというのが許せない。
――ごめん。
俺がおまえだったら、きっと俺は世界最高の憎悪の対象だよな?
目の前で弟を殺されていく。
「だけど――」
――俺は許すことができない。
俺を騙し続けたこと。そしてアーシャルさえも騙して食べようとしたことを。
その騙された日々が優しくて輝いていたからこそ、どうしても全てを忘れてなかったことにはできない。
それになにより、俺だけではなく、俺の家族。弟や母に、そして人間の妹にまでその狂気を振り上げた。
「大好きだったんだよ――――」
だから――と、俺はアーシャルの剣を発動すると、凄まじい灼熱を宿してナディリオンの心臓に振り下ろした。
「――これで終わりだ!」
――あの日々も! 今の悲しみも!
そしてお前の狂気も!
――大好きだったからこそ、許すことができない!
アーシャルの鱗を纏った剣は、凄まじい熱で振り下ろした心臓の肉を焼ききっていく。いくら強靭な大人の竜といえど、体内はそんなにほかの生物と変わらない。肉を焦がす凄まじい匂いがあがり、俺の前で心臓は、赤い断面を晒しながら二つに割れていく。
それに、俺の立っているところが、激しく揺れた。
「貴様!」
その言葉と共に、凄まじい魔力の爆発が、目の前の心臓から起こった。
切れ目からナディリオンの持つ白い魔力が光になって迸ると、立っていた俺の体を空中へと吹き飛ばしていく。
思わず、側にあった自分の心臓にしがみついた。だけど、俺の背丈の半分ほどもある俺の竜の心臓までも一緒に、爆発で空中に吹き飛ばされる。
もうナディリオンから切り離されていたからだ!
――くそっ!
「兄さん!」
夜空に放り出された俺の体は、間一髪で、駆け寄ったアーシャルの背中に受け止められた。
体を起こせば、俺の心臓も母さんに受け止められている。
そして、その向こうでナディリオンの体は眩しい銀の光に包まれているではないか。
小さな爆発が、まるで迸っていく血のように鱗の割れた胸で起こっている。
「おのれ……リシャール」
はっきりと凄まじい怒りを湛えて俺の姿を見つめられた。だけど、もう終わりだ。
心臓から迸った魔力は、止めようがない爆発となってナディリオンの銀の体を包んでいく。
齢数千年分の魔力だ。それが溜めていた心臓から溢れたら、いくら竜の体でも耐えられるものではない。
まるで全身を血に染めるように、ナディリオンの姿が群青色の空の中で、夥しい銀色に染まっていく。
そして、最後に凄まじい銀色の爆発が起こった。眩しい。
目を開け続けていることもできない。
それなのに、何故だろう。
激しい銀の光に目を閉じる寸前、ナディリオンが昔と同じように俺に笑いかけた姿が瞼の裏に焼きついた。
そして、銀の姿は強烈な閃光と共に、更に銀色に膨れ上がり、目を閉じた俺の瞼の向こうで弾けた。