(12)俺の心臓!
剣を握ったサリフォンは、ユリカの体を抱え、そのままナディリオンの下から走り出している。突然の落下の衝撃に、ユリカも目が覚めたのだろう。抱えられたまま、ぱちぱちと驚いた瞬きを繰り返している。
「でかした! サリフォン!」
思わず、俺はこちらに走ってくる姿に大声で叫んでいた。
――初めてお前に感謝する!
だが、サリフォンは後ろを振り返りながら、まだ状況が掴めていないようだ。
「これはどういうことだ、リトム!?」
「今は説明している暇がない! あの竜を倒さないと――」
「竜!?」
俺の言葉に驚いたサリフォンの緑の瞳を見たのだろう。くすっとナディリオンが笑うと、その輪郭がぼやけ始めた。
そして、すぐにそこに巨大な銀色の竜が出現する。
鱗も銀。爪も銀。
――間違いない。俺を食ったあの姿だ!
見ただけで、背中に悪寒が走ってくる。どうしようもない怒りと、嫌悪感が心の奥から迸った。
しかし、走るサリフォンは、小さく頷いた。
「なるほど。伝説の大魔導師様の正体は、竜か」
「サリフォン、俺の代わりにユリカを守っていてくれ!」
――今は、とてもユリカを守っている力がない。
頼れるものなら、大嫌いな奴の手だって借りる! なにしろ、剣の腕に関してだけは、俺と互角と認めた奴だ。性格以外には何も問題はない!
「仕方ない。今だけ聞いてやる!」
サリフォンは後ろに引いたユリカの驚いた空色の瞳を見つめながら叫んだ。
だけど、同時にユリカをできるだけ安全な場所へと連れて走りながら、もう一度俺を振り返る。
「いいか、リトム! 竜の鱗は固い! だが、無敵じゃない。それはこれまでの何人ものドラゴンスレイヤーが証明している!」
「わかっている!」
――そうだ、無敵じゃない!
無敵だったら、今までに竜が人間に殺されている筈がない!
――だけどどうしたらいい!?
ここには竜を倒せる特殊な武器など何もないのに!
焦る俺の前で、ナディリオンの長く伸びた銀色の首が大きく振られた。
「さあ、そろそろ諦めて私の中に入るがいい」
それと同時に、巨大な白銀の首が俺の全身を呑み込もうと襲いかかってくる。
「大丈夫。生涯大切にしてあげるから」
「くっ――!」
――こんな時まで、鳥肌のたつ台詞を!
けれど、武器は剣しかない。俺は頭上から口を開けて襲いかかってくる銀の竜に剣を構えて、睨み据えた。
「兄さん!」
けれど、その瞬間、アーシャルの輪郭が歪んだ。そして竜の姿に戻ると、巨大な赤い体で、俺とナディリオンの間に入り込む。
「なっ――!」
突然のことに、サリフォンが俺の視界の端で目を見開いている。その後ろにいるユリカも知っていたとはいえ、初めて見るアーシャルの正体に息を呑んでいるようだ。
「どういうことだ!? あいつはリトムの追っかけじゃなかったのか!?」
「アーシャルは竜なのよ……。私も初めて見たけれど……」
「なにっ!? なんでそれがリトムの弟なんて名乗っているんだ!?」
その声が聞こえてくるが、今はサリフォンに説明している暇もない。
――もっとも、どんな言い訳もきかない状態だがな!
ここまで正体を明らかにして、今更誤魔化しても通じはしないだろう!
けれど、ぎゅっと手を握ったままユリカは、じっと変化したアーシャルを見つめている。
その瞳は、恐ろしいものを見ている姿ではない。ただ惹き込まれるように目を真紅のルビーの姿に奪われている。
「アーシャルはお兄ちゃんが前世竜だった時の弟なの。だから生まれ変わっても追いかけてきたって聞いたけれど――」
「つまりやっぱり追っかけなんだな!?」
――おい! ここで、なんでそれで決着をつける!?
だげど、つっこんでいる暇はない。
アーシャルは真紅の体で、俺に襲い掛かろうとしたナディリオンの体を受け止めると、全身でなんとか食い止めようとしている。けれど、やはり子竜の体より、成竜の方が何倍も大きい。子竜でも首を持ち上げれば屋根ぐらいの高さはあるが、大人の竜は最早小さな丘だ。
この地下の部屋の天井まで届く首を持ち上げると、部屋の半分を埋めるほどの体で俺に向かってきた。
見上げるほどの高さから襲いかかる銀の首を、アーシャルが必死に自分の体で止めようとしている。だが、やはり大きさが違う。俺の前に立ちはだかったアーシャルの体の遥か上から、銀の首が降ってくると俺へと牙を剥いた。
「兄さん!」
間一髪床を蹴って逃げられた。
だけど、すぐに長い首が俺の後ろに迫ってくる。
「よこしなさい。約束しただろう? 私に魔力をくれると――」
「冗談じゃない!」
――俺が約束したのは、竜の魔力と体だけだ!
「魂までくれてやる約束をした覚えはない!」
「私は、約束通りアーシャル君の目を治療した! それなのに、今更治療費を踏み倒そうというのは、話が違わないかね?」
「お生憎! 卑怯と騙しが俺の身上なんでね!」
――そんな正々堂々という精神なんて、昔から持ち合わせてはいない!
けれど、今のナディリオンの言葉に、アーシャルの方が驚いたらしい。
「兄さんが、僕の治療代のために――?」
――あ、ばかっ!
「アーシャル!」
一瞬瞳を見開いて、動きの止まったアーシャルの上に銀の首が襲いかかってきた。
そのまま、真紅の体を銀の首に思い切り払われる。
部屋の端まで飛んだ体を見て、俺は全身の血が引くような思いがした。
「アーシャル!!」
けれど、必死に立ち上がろうとしているアーシャルに、駆け寄ろうとした俺に向かって、ナディリオンの尻尾が襲いかかってくる。それが凄まじい勢いで、俺にしなると、正面から打ちつけられた。
「ぐっ!」
尻尾の太さだけで、俺の腹ぐらいまでの大きさがある。容赦のない一撃に俺の息が止まった。
「兄さん!」
そのまま尻尾で体を囲まれた上から、ナディリオンの牙が襲いかかってくる。
「兄さん!」
ごうっと、アーシャルの翼から火炎が噴き出した。その場で大きくはばたいて、俺に襲い掛かろうとしているナディリオンに向かって業火を吹きつける。
だけど、効かない!
成長すれば最強クラスになるといわれるほどの魔力なのに!
「忘れたのかね? 私の中にはリシャール君の心臓の魔力がある。だから君の攻撃は効かないんだよ」
――くそっ、俺の心臓があるせいでアーシャルの魔力が効かない!
「だから、諦めてアーシャル君も私に魂をお寄こし。大丈夫、君の兄さんも君も生涯大切に扱ってあげるから!」
「誰が! なんで僕以外に兄さんを渡さないといけないんだ!」
叫びながら、アーシャルは羽ばたくと、再度巨大な昇焔球を浮かべた。
――だけど、駄目だ!
それはさっき効かなかった!
「無駄だと言っただろう!」
アーシャルが背後に三つ浮かべた一つ目を余裕で受け止めると、ナディリオンは逆に作り出した巨大な水の玉をアーシャルにぶつけた。
――俺の魔力だ!
アーシャルを沈静化して中和する効果をもつ水竜の!
「アーシャル!」
その一瞬に、アーシャルの晒した背に、水球に包まれていたいくつもの岩の破裂弾が襲いかかっていく。
「私の鱗と同じ固さの岩だ。子竜といえども、無事ではいられない」
どんと音がするのと同時に、アーシャルの紅玉色の体に赤い血が流れていく。
「でも、君を食べるのは後だ。心臓に私の魔力を馴染ませる時間がかかるからね」
だから――と、ナディリオンが俺を振り返る。
「そろそろおとなしく私と一緒になろう」
「断る!」
そう叫んだのに、銀の竜の首が迫ってくる。
「兄さん!」
アーシャルが残っていた昇焔球をナディリオンの体に投げつけようとしているが、多分効かない。
――なにか、ないのか。なにか!
あいつを打ち負かす方法が!
――このままじゃあ、俺が食われてアーシャルも奴に取り込まれる!
竜の弱点――思い出せ! 俺も昔は竜だっただろう!?
何か――アーシャルを危険から遠ざけるために!
あいつが利用しているのは、俺の魔力だろう!?
その瞬間、はっと頭に浮かんだ。
――そうだ! あいつが利用しているのは、俺の魔力じゃないか!
俺の魔力があいつに取り込まれているのなら!
そして、それをほかの魔力と連携して使われているのなら!
だから足を止めて、今もアーシャルの攻撃を薄い笑みでかわそうとしているナディリオンに振り返った。そして指をつきたてる。
「俺の心臓に命じる! リシャール・ウォーレイス・アクアルの名に基づき、アーシャルを攻撃するな!」
「なっ――!」
その瞬間、はっきりとナディリオンの表情が変わった。
それと同時に、今まで出ていた水の玉が本名を宿す俺の魔力に従ったように、一斉に動きを止めた。一緒に連携してあいつの中で動いていたほかの魔力もだ!
「今だ! アーシャル!」
俺の言葉と同時に、残っていたもう一つの昇焔球を投げる。それが先に投げられていた球と一緒に、ナディリオンの体に炸裂した。
さすが王都を火の海に沈められるだけの魔術だ。防御もなく喰らえば、さすがのナディリオンも苦悶の表情を浮かべている。
「よし、今だ!」
そのまま俺は、下から水流を持ち上げると、ナディリオンの前に高く浮かび上がった。
「え? 兄さん!?」
そして、そのまま噴きあがった水から飛び降りると、正面に開いたナディリオンの巨大な口へと飛び込んでいく。剣には既にアーシャルの魔力を発動させてある。
それを俺は大きく振りかざすと、思い切り赤い口の中へと振り下ろした。
――そうだ! 口の中は弱点だった!
鱗がない! だから栗のイガでも突き刺さるほど、柔らかく脆い!
だから、俺は剣にアーシャルの熱を乗せたまま、一直線に柔らかい口から喉へと内側から振り下ろしていく。
凄まじい竜の咆哮が聞こえる。
だけど、俺の剣の先から伝わって来る感触は、ぶちぶちと肉を切断していくものだけだ。
そのまま喉を落ちていくのに従い、容赦なく赤い肉を切り裂いていく。
俺の周りで真紅の竜の血が散った。それが頬に手にかかって生温かい。
体中に鉄のような血の匂いがまとわりつく。
そのまま赤い肉を裂いて落ちていくと、俺は、その奥に埋め込まれるようにある三つの心臓を見つけた。
一つは、微かに翡翠の色を帯びた赤で大きい。そして一つは完全に石のように灰色になってしまっている。だけど、その横に、まだ少し小さい心臓が、はっきりと脈打っていた。
――あった! 俺の心臓だ!