(11)種族の違う兄弟
凄まじい轟音が轟いて、頭上の白い土に亀裂が入った。
どれだけの熱で溶かしたんだ。縦に一筋、凄まじい熱風と溶けた土が赤い色で流れ落ちてくる。そして空からのひんやりとした風が吹き込んだと感じた瞬間、ルビー色の翼が闇の中から舞い降りてきた。
「兄さん!?」
下に下りるのと同時に、人間の姿になって俺の側に駆け寄ってくる。
「心配したよ! 突然いなくなったから!」
「アーシャル」
けれど、俺は駆け寄ってくるアーシャルを横目で見ながら、剣は正面のナディリオンに構え続けた。
それに、アーシャルも気がついたのだろう。不審そうに俺の剣の先を見つめる赤い瞳に、ナディリオンが美しく微笑んだ。
「兄さん? これは一体――」
「アーシャル! こいつが俺の心臓を盗んだ犯人だったんだ!」
目をナディリオンの笑みから逸らせない。一瞬でも視線を外せば、その隙を狙って俺とアーシャルを攻撃してくるだろう。
だから一気に言い切ったが、アーシャルにはそれで通じたらしい。
「へえー」
赤い瞳が、爛と金色に輝いた。
「そうか、貴方だったんだ。まあ、僕が兄さんが見つかったと周りに知らせれば、昔兄さんを狙った奴もきっとひっかかると思っていたけれど」
――うん?
思わず、それに俺は全力で横を振り向いた。
「アーシャル!? お前、またなにをさりげなく俺の命を危険に晒しているんだよ!?」
今なんと言った!?
それなのに、この過激な弟ときたら、ナディリオンの方を見たまま、しれっとした表情をしている。
「だって兄さんに何かがあって行方不明になったのなら、その後犯人は、絶対僕にコンタクトを取ってきていると思ったからね。行方を知るために」
「だからって――!」
――本当に、俺にとっての一番の危険人物はお前なんじゃないだろうな!?
けれども、アーシャルの視線はナディリオンを見たまま動かない。
「でも、貴方だったとはね。僕は、ナディリオン。貴方だけは信じていたのに――」
「アーシャル……」
それに一瞬、胸が痛くなった。だけど、アーシャルはくすくすと面白そうに笑っている。
「でも、当たり前か。そこに僕がずっと探していた大好きな兄さんの心臓の音があったんだから――安心して当然だったんだよ!」
叫ぶと同時に、ばっとアーシャルが魔力を発動させようと手を掲げた。
「私と戦おうと言うのかね? まだ子竜の分際で」
「ふん! 僕は兄さんを僕から奪う奴は誰であろうと許さないよ! それがナディリオン、貴方であってもね!」
「奪うなどと――君も兄さん同様、私の体内で一緒に暮らそうと思っているのに。私の火竜の魔力の心臓になって、ね?」
けれど、アーシャルの振り上げた手からは白い火花を散らす玉が膨れ上がっていく。
「いくら兄さんと一緒でも、嬉しくない提案だね! 兄さんを生涯僕以外の誰かと過ごさせるなんて、何があってもお断りだよ!」
叫ぶのと同時に、膨れ上がった昇焔球がアーシャルの手から放たれる。軽く俺の背丈は越える大きさだ。それが優雅な笑みを浮かべているナディリオン目がけて襲いかかった。
軽く都市の三分の一は吹き飛ばせる威力だ。それをもう一つ出すと、アーシャルは連続で浴びせた。凄まじい爆撃の音が閃光と共に轟く。
正面からそれの直撃を受けてもナディリオンは平然としている。
いくら時間差で、融合していなかったとはいえ、一撃で都市を吹き飛ばす業火大昇流の原型だぞ?
「なっ……!」
驚く俺達の前で、ナディリオンはゆっくりと笑った。
「生憎とね、私は君のお兄さんの心臓を持っているんだ。だから君の魔力がどれだけ強くても、ある程度は中和できるんだよ」
「くそっ!」
――だから、さっきアーシャルの鱗を入れた剣でもあまり切れなかったのか!
「もっとも、その前に君らはまだ子竜だけどね」
くすっとナディリオンは笑っている。
「ほら、じゃあ今度は私から行くよ?」
その言葉と共に、俺達の立っている地面が割れて、暗い土の中に俺とアーシャルを吸い込もうとしてくる!
「この野郎……」
――そう何度も落とし穴に嵌るかよ!?
どんと、俺が魔力を手から下に放った。それと同時に、地下から水が湧き上がり、底の見えない穴に吸い込まれそうだった俺達を水しぶきで上へと押し上げていく。
そのまま、俺は乗る水の流れの向きをナディリオンに変えて、剣を構えた。
水は早い。俺の足より!
だから、手から発動した魔力をそのまま剣に宿らせて、水の勢いのままナディリオンに駆け寄ると、その切っ先を向ける。
「ならば、これならどうだ!?」
――俺の魔力ならお前にも有効なはずだ!
だけど、その俺達の前で突然天井が崩れてくると、俺達を生きたまま埋めようとしてきた。白い土が崩れて頭の上から容赦なく襲いかかってくる!
「アーシャル!」
「わかっている!」
落ちてくる土砂を、アーシャルが上に掲げた手で全て高温の泥流に変えた。そのまま俺を庇い、床へと流していく。
「いけっ!」
そして、その泥流の流れをナディリオンに向けた。いくらアーシャルの魔力といっても、これなら土の性質も混じっている。さすがに、無傷で防ぐということもできないだろう。
それなのに、床を流れた赤い泥流がナディリオンに届く前に、俺の周囲の地面が急に盛り上がった。
「なんだ!?」
盛り上がった土が赤い泥流を止めると、それどころか、そのまま白い床を破って巨大な壁が出現してきたではないか!
それが高く伸びて俺達をぐるりと囲むと、突然壁と地面の境から水が湧き出してくる。
「なっ――!」
壁にせき止められた泥流はそのまま急速に水に冷やされていく。それに、俺の後ろでアーシャルも目を見開いた。
それどころか、あいつの出した水がこちらに向かって牙を向いてくるではないか!
アーシャルの泥流よりも少し後ろで、水流に乗って壁を目がけていた俺はそれに目を疑った。
「私の生まれ持った属性は土。たとえ属性としての力が火竜には及ばないとしても、私は成竜だからね。所詮子竜の君達よりは魔力も強い。それに私は、リシャール君。もう君の魔力をほかの魔力と連携して使うこともできるんだよ?」
「この野郎……」
その言葉に怒りが増していく。
――俺の魔力を自由に使うんじゃない!
だったら、と俺は手を伸ばした。そこに魂の魔力を集めて、今俺の下に広がる水と俺に従う水、全てを土の壁にぶつける。
――俺の魔力の属性に従ったのなら、俺自身の魔力にも従うはずだ!
とんど凄まじい音が上がり、土の壁に波が押し寄せた。
もちろん壊すことはできない。
だけど、自分と連携している魔力が操っていた水の攻撃ということで、多少は効いたのだろう。何しろ、本来は他人の魔力だ。完璧に自分と同一ではない。ほんの僅かだが土の壁に亀裂が入った。
「あそこだ! いけっ、アーシャル!」
俺の言葉と共に、凄まじい熱量を宿す火矢が、水流にのったアーシャルの振り上げた腕から土壁の亀裂に向かって放たれた。
案の定だ。微かな亀裂ができれば、アーシャルの火力なら壁にひびを入れることができる!
土といっても、正体は粉々になった岩石だ。火竜の容赦ない高温を加えれば溶かすこともできるはず!
俺の予想通り、アーシャルの手から放たれた真白い火矢は土砂さえも溶かしながら、壁を貫いていく。
その穴に俺は急いで水に乗って近づいた。
そして、火矢が壁を貫ききるのと同時に、壁に飛び込むと、まだ溶けて赤く輝くその中を駆け抜ける。
少し熱さが肌に痛いが、それだけだ。アーシャルの魔力が俺に致命傷を与えたりはしない!
「ナディリオン!」
見えた壁の出口に、俺は飛び出すと、そのまま水竜の力を剣に纏わせて切りかかった。
「よくも俺を騙したな!」
けれど、笑って腕で受け止められた。
しかし、今度は、さっきより確かに腕に赤い傷口が見えた。
――いけるか!? 俺の魔力なら!?
だが、赤く裂けた傷を見ても、まだナディリオンは余裕を失っていない。
「ふん。少々面倒になったね。しかし忘れていないかい? 水竜の魔力は、土竜には決して及ばないことを――」
――くそっ!
切りつけるところまではできても、俺の水では岩の性質をもつ成竜の体を砕くことはできない。その証拠にナディリオンの腕から流れた血は、少し溢れてもう止まっているではないか。
――俺の魔力では、かすり傷がせいぜい! 決定力はない!
だけど、ほかの方法を思いつかない。
せめてもう一撃!
少しでも、体の中心近く浴びせることができれば違うかもしれない。だから、俺がもう一度心臓目がけて剣を構えたときだった。
「しぶといね」
けれど本来固い鱗を持っている体に弾かれる。
「くっ!」
それと同時に、俺の襟を掴みあげられた。
そのまま持ち上げられ、下から見つめ上げられる。
「兄さん!」
けれど、ナディリオンはもがいている俺の顔をただじっと見つめた。
「私にも――――属性の違う双子の兄がいたんだよ」
「えっ!?」
初めて聞く事実に、俺は思わず離させようともがいていた体の動きを止めた。
そして、下にあるナディリオンの静かな顔を見つめる。その瞳は、いつもは琥珀色なのに、今はまるで蛇のように金色に輝いて俺を見つめている。
「だけど、先に死んでしまった」
それに俺の息が止まるかと思った。
思わず呼吸をすることさえ忘れてしまう。
「双子の兄弟……?」
「そう。風竜だった。見ただろう? 私のねぐらにあった私にそっくりな竜の像を」
――あれか!
はっきりと脳裏に、マームに連れられていった神殿で、まるで祀るように置かれていた像を思い出す。てっきり単なるナルシストだと思っていたから思い出しさえしなかった!
だから、ナディリオンを見る俺の声が震えた。
「あれが、お前の兄……?」
「そう。だけど、生まれつきの病気で、翼が弱かった。ずっと、色々治す方法を探していたけれど……」
俺を見たまま、くっと笑う。
「それなのに暴れ者の竜に襲われた。わかるだろう!? 目の前で双子の兄が飛べずに死んでいく絶望が! だから食ったのさ! 泣きなからね!」
それに衝撃を受けてしまう。
「なんで――!」
「それが願いだったからに決まっているだろう! 自分の魔力を取り込んで、誰よりも強い竜になって欲しいと言われた! 襲った竜にそこで私まで一緒に殺されるぐらいならと! それにこのまま永久に離れ離れになるぐらいなら、私も永遠に自分の体内で大切にしてやりたかったからだ!」
「そんなこと――」
本当の愛情とは思えない。
そう思うのに――
――本当に?
もし、俺が一匹でアーシャルをこの世に残していかなければならなかったら――――どうする?
既に自分の体と魔力は、こいつに差し出した。
その上で、敵がすぐ側に迫った状態で、どうしても離れたくないと、こいつとよく似た考えを持つアーシャルにぼろぼろと泣かれたら?
「兄さん!」
だけど俺の目が迷いで強く歪んだ瞬間、目の前に業火が火焔となって巻き起こる。
圧倒的な焔にナディリオンは、僅かに目を嫌そうに眇めただけだったが、運がいいとはこのことだ。俺の襟がアーシャルの焔で燃えて、奴の手から逃げることができた。
「兄さん、大丈夫!?」
「あ、ああ。なんとか……」
落ちるのと同時に、思い切り後ろに飛びずさった。咳き込んではいるが、この辺の反射は、さすがに学校で毎日鍛えられた甲斐がある。
だけど、まださっき聞いた話に体が冷えてしまっている俺に、ナディリオンは楽しそうに笑った。
「ああ――だから、誰でもいいってわけじゃないんだよ。やっぱり私と兄の家族になるんだからね」
「貴様……」
遺言だか、なんだか知らないが、今こいつが敵なのは間違いない。
惑わされるな!
「俺の家族は俺が認めた奴だけだ! 俺の弟を傷つける奴は、どんな理由があっても許さない!」
「兄さん……」
けれど、剣を改めて構えた俺をナディリオンはくすくすと楽しそうに笑っている。
その顔がどうしてだろう? 不思議なほど、もしアーシャルが狂ったらこうなるのかと思う姿に似ている。
「なかなか往生際が悪い」
それに、俺の背中を冷や汗が流れた。
――間違うな! こいつはアーシャルじゃない!
双子の兄弟を失ったことで狂ってしまい、俺を食った竜だ!
「私は、本当に君達をかわいいと思っているんだよ。もし私に家族がいたら、こんな風に過ごしたいと思っていた姿そのままだ」
――惑わされるな! この笑みで、こいつはずっと俺の命を狙っていたんだ!
剣を構えたまま目を逸らさない俺を見つめ、ナディリオンは薄く笑った。隣では、アーシャルが攻撃が来れば、すぐに反撃に移れるように、手に魔力を溜めて臨戦態勢をとっている。
「ああ――でも、それでこそ君達だといいたいが……。過去に一度逃げられたことを考えると、さすがに少々厄介だね」
そう言うと、銀の髪を翻して白い床をこつこつと歩きだした。
どこに行く気だ?
そして、離れたところで横たわっていたユリカの側に行くと、幼い体を一緒に倒れていたサリフォンから離してぐいっと持ち上げた。
ここに連れて来られた時に着いたのだろう。泥に汚れた顔が、掴み上げられる髪に苦しそうに歪んでいる。
「なにをする!?」
「だったら、ひとつ、君達のその深い兄弟愛を頼ってみようかと思って。妹の命が惜しくないのかというオーソドックスな手は、リトム君、君には有効だろう?」
「ユリカ!」
それなのに、ナディリオンは放課後俺達を教えていた時と同じように慈悲深い笑みを浮かべている。まるで、教室で笑いかけられていた時のような笑みだ。あまりに綺麗な優しさで、そこに残酷な牙があることさえ忘れてしまいそうになる。だけど、その笑みと裏腹に瞳は酷薄に輝いた。
「さあ。この娘の命が惜しかったら、諦めて私のものになりなさい」
「ユリカ!」
隣りでアーシャルの顔色も変わった。
「その子に触るな!」
「へえ。アーシャル君にとっては、お兄さんを巡ってのライバルとばかり思っていたんだけど……これは、意外な拾いものかな?」
そして、ぐいっとユリカの髪を上に引き上げた。
「じゃあ、昔話した通り、三人で家族になろう。そしてこの世で唯一の四竜の魔力を持つ竜として、絶対的な存在になろうじゃないか」
髪を掴まれたユリカの細い体は、完全に足が宙に浮かんでしまっている。
「う……」
髪の引っ張られる痛みが、苦しいのだろう。ユリカが、目を閉じたまま苦悶の表情を浮かべた。
だが、微かに意識が戻ったのか。僅かに目を開こうとしている。
「よせ! ユリカに触るな!」
「君らが、頷かないのなら、本当にこのまま食べてしまうよ?」
その言葉の通り、ナディリオンの口から覗く牙が、ユリカの白い喉に触れそうになった時だった。
「ユリカ!」
自分が食べられた過去。あのおぞましい感覚の全てを思い出して、必死にユリカに向かって手を伸ばす。
けれど、駆け出した瞬間、俺の目の前でユリカの茶色の巻き毛がばっさりと切れたのだ。
「なっ……」
自分の手に残された茶色の巻き毛の先端に、ナディリオンが目を見開いている。
その下では、剣を握ったサリフォンが、ユリカの握られていた長い髪を切り落とし、落ちた細い体をもう片方の手で受け止めているではないか。
「サリフォン!?」
突然現われた三人目の生徒の姿に、ナディリオンの瞳にはっきりと驚きが浮かんだ。