(9)あれ? そんなはずないのに
「ふう」
息をする暇もないほどの間一髪で、転がっていった大量の骨の塊を後ろの通路に見やり、俺は飛び込んだ勢いで、思い切り地面に押し付けていた、腕の下の竜へと目をやった。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
まあ、あるとしたら間違いなく俺のせいだが。
竜の姿ならば、数千の剣も跳ね返す鱗で覆われているが、さすがに人間の今の姿では少々強度が違うらしい。
「だいほほふ」
鼻を押さえながら言っているせいではっきりとはしないが、どうやらたいしたことはないみたいだ。
「うん、だけど少し赤くなっているぞ? 痛くはないか」
「うん」
そう答えると、竜は鼻を押さえながら、俺のほうをじっと見つめて、急ににこっと笑った。
「なんだよ、なにか変なことを言ったか?」
「ううん。たださっきからの兄さんの言葉が、初めてここに来た時とほとんど一緒だなあと思っただけ」
――俺の言葉が、こいつの兄と一緒?
まさか――そんなのは偶然だと思うのに、なぜか口では違うことを訊いている。
「竜。お前の兄が行方不明になったのはいつだ?」
「うーんと、もうすぐ十七年になるかなあ。だから十六年と十一カ月前かな」
俺が十六になったばかり。
父と逃げた母が一緒になったのが、たしかそれぐらいだ。
――なんだ、この奇妙な符合。
そんなはずはないのに。
俺は生まれた時から人間で、母と父の子供のはずなのに、なにか心にざらつくものを感じてしまう。
「それがどうかした?」
「いや――」
けれど俺は、それを心の奥に閉じ込めて、横に座る竜のほうを見つめた。
「ここから出たあと、探してやる手がかりになるかなと思っただけだ」
「ひどい! まだ僕の言うことを信じていないんだ!」
ぷうっと子供のように頬を膨らませてしまったが、そんなはずはないと笑って、先ほどの考えを心の奥にしまう。
「さっ、急ごう。そうでないとサリフォンに追いつかれる」
膝についた砂と一緒に今心に引っかかったことも笑って払いながら、俺は後ろからやってくる現在の学年一位の嫌味な顔を思い出した。
――そういえば、サリフォンはこの罠をどうするんだろう。
ここから見ても、あの壁の剣は竜の圧倒的な熱にやられて、まだ復活する様子がない。
――これなら、矢の雨ぐらいはすぐに突破されてしまう。
「急ごう!」
そう竜の手を握ると、俺はそのまま山肌に造られた暗い廊下を竜と一緒に駆け上った。
急いで上った階段の上は、ほの暗かった一階よりもさらに暗い。
「竜! ここにある罠はどんなのだ?」
こいつには先に訊いておかないといけない。そうでないと、また生死をかけたら思い出すかもしれないと企まれてしまう。
そう学習した俺は、後ろにいる竜を振り返ったが、竜はあれと瞳を瞬かせている。
「んー知らない」
「は? お前このダンジョン何度も攻略したんじゃなかったのかよ!?」
「だって前に兄さんと攻略した時は、こんなに暗くなかったし。普通に下で炎が燃えているところを、鉄の棒の道から落ちないようにして迷路攻略するだけだったし」
「ちょっと待て。それをどうやって人間の俺に攻略させる気だった!?」
「んー飛ぶにはちょっと狭かったし、僕が抱っこしてあげようかなと思っていたんだけど」
「絶対に断る!」
そんな、この竜の胸で、すりすり攻撃される恐怖の図式しか思い浮かばない体験はしたくはない。しかも予想だけでも、竜がこのうえなく嬉しそうなのが嫌だ。
すると、急に俺の前で、竜の表情が固まった。
目をこれ以上ないほど恐怖に大きく見開き、俺の後ろを見つめて体が固まっている。
それを不審に思い、俺が左右から後ろに広がる暗闇を振り返ったときだった。
その先が見えないほどの闇の中から、鎧を身に纏った腐りかけの手が伸びてくると、不気味な呻き声が聞こえてくるではないか。
それも一本や二本じゃない。
「ひいっ!」
斜めから竜のほうへと伸びたその白骨を覗かせた腕を、剣を抜いて叩き切った。しかしは、同時に、あーとか、ううーとか言葉にもならない苦痛を呻く声が周囲を囲むと、眼窩の落ち窪んだゾンビの群れが俺たちを包みだす。
「へっ! これが二階の罠というわけか」
――面白いじゃないか。
剣士試験。こうでないとと、俺は手の中の剣を音を立てて構え、そのゾンビたちの群れを見つめた。