(2)知っている! これは
俺は、ミルッヒに連れられてユリカとはぐれたという場所へ急いだ。
「ここよ! そこにある店から出て、横の公園に向かう道で襲われたの!」
ミルッヒの馬車から飛び降りると、俺は急いで言われた店の前へと駆け出した。
大通りから少しだけ入った昔からの専門店街だ。貴族や金持ち御用達の高級店が並び、重厚な石造りの店が並んでいる。
だが、それだけに人通りは少ない。夜になったとはいえ、道を歩く人はほとんどおらず、ただ店の扉についたお洒落な小窓からこぼれる光だけが、暗い石畳を彩っている。
「ユリカ!?」
叫んだけれど、どこからも返事はない。
「襲われた道は、こっちか!?」
「そうよ! その横の公園に続く道の側で、突然白い骸骨に囲まれていたの!」
ミルッヒの話によると、サリフォンが二人の買い物をしている店に突然現われて俺のことを訊いたらしい。
「お兄ちゃんのこと?」
それで気をきかせたミルッヒが、話しやすいようにと、ユリカが気に入ったリボンを店で包んでもらっている間に襲われていたのだ。店を出たときには、既にサリフォンが死導屍からユリカを守るように戦い、そのまま戦闘の混乱の中ではぐれてしまったらしい。
「なんで、あいつが――」
――あいつ! 一体、ユリカに何を言うつもりだったんだ!
まだ諦めていなかったのか!?
いや、だが今大事なのはそれじゃない。
「リトム! 取りあえず分かれて捜そうぜ! 相手の目的がわからない上に女の子だ! 急いだ方がいい!」
コルギーの声に、俺は顔をあげた。
「あ、ああ。助かる!」
寮でユリカが行方不明になったことを聞いて、一緒に駆けつけてくれた。その友人の槍を持った姿を振り返る。
「兄さん! 僕もこっちを探してみるよ!」
「わかった! じゃあ、俺は公園の方を捜してみる!」
「見つかったら、すぐに声をあげろよ!」
「なにかに襲われてもね!」
「ああ! 了解だ!」
お互いに一瞬目を見交わした。
「ミルッヒは、なにかあったときの連絡用にそこで待機をしていてくれ!」
「わかったわ!」
振り返って叫ぶと、先の戦闘でぼろぼろになった服を着ている彼女は、泣いた顔で強がりながら声をあげた。
服の裾や手を死導屍の爪でやられたようだ。
今は口に出していないが、きっと本当は傷口がひどく疼いているのだろう。
ユリカが見つかったら、すぐに竜の父さんに頼んで、清めの水を作ってもらわないと。
ちらりと見た彼女の手足に俺はそう頭に刻むと、急いで走り出した。
――ユリカ!
だけど、今はユリカを探すほうが先だ。
――なんで、あいつらがユリカを……!
目当ては俺じゃなかったのか!?
「ユリカ!」
暗くなった道に向かって、俺は大きく声を張り上げた。だが、返事は返ってこない。見上げる先にあるのは、高い石造りの立派な店たちと、その横に広がる暗い公園だけだ。
「ユリカ!?」
もう一度、声を張り上げた。けれど、返るのは公園を渡る風の音だけだ。
遠くで、アーシャルとコルギーが同じようにユリカを呼ぶ声がこだまのように聞こえた。
「くそっ!」
あいつら、なんでユリカを狙ったんだ!
俺は、苛立ちを隠さずに走り出すと、そのまま暗い公園の中へと入った。
「ユリカ! 頼む、いたら返事をしてくれ!」
昼間ならば冬でも美しい花をつける公園は、今は深い闇の中に落ちている。
風が吹くのと同時に、闇の中から微かに花の香りが流れてくるが、それがどこに咲いているのかさえ、この夜の中では見分けることができない。
「ユリカ!」
なんでなんだ! どうして、ユリカが狙われなければならなかった。
こんなことになるのなら、ずっと側についていてやればよかった。王都に来ると言った時点で、何があっても反対していれば、こんなことにはならなかったのに――
「ユリカ……」
走る梢の奥に目をさ迷わせて探す。けれど、あの愛らしい姿を見つけることができない。
――ずっと、俺を愛してくれていたのに……
生まれて抱いた幼い頃からずっと。あの小さな存在に救われていた。
今から思えば、どこかで前世のアーシャルを重ねていたのだろう。魂の中で、ぽっかりと空いてしまった孤独を、あの小さな手がいつも側で握って、俺を癒し続けてくれていた。
「ユリカ……」
無理にでも故郷に帰せば、よかった。いや、悩みを吹っ切るためにも俺が帰ればよかったんだ。
「どうしよう……」
いくら探しても見つからない小さな姿に、俺は、木の幹に顔を埋めるようにして立ち止まってしまう。
――もしも、ユリカが奴らに殺されていたら……
それはないと思いたい。だけど、相手の狙いがわからない以上、絶対に大丈夫とは言い切れない。
こうなってしまっては、一緒にいるというサリフォンだけが頼みの綱だ。
嫌なやつだが、剣の腕だけは俺と互角だ。死導屍の急所も知っている以上、簡単に遅れをとるとは思えない。
頼む。ユリカを守ってやってくれ!
そして、ユリカ!
「どうか、無事でいてくれ……」
俺が凭れた木の幹に囁くように願ったときだった。
俺の足を掴む感触がする。それにはっと目を開けた。
そして、地面から現われた白い骸骨のような手に、急いで剣を抜こうとする。
見れば、三体の死導屍が、俺の足に取りすがり、体を土の中に引きずり込もうとしているではないか。
「くっ!」
こいつらを捕まえて、ユリカの居所を白状させるしかないか!
言葉を話せるのかは知らないが、もうそれしか方法がない!
だから、俺の手が腰の剣を握った時だった。
『妹を助けたくないのか』
まるで、地の底から湧きあがってくるような声だ。
それが一体の死導屍の口から、歯も顎も動かさずに響いてくる。
『妹の命が惜しければ、逆らうな』
それに俺は目を見開いた。
腰で握った剣は抜かない。だが、離すこともできない。
そのまま、俺の足が死導屍によって土の中へと埋められていく。
白い骸骨のような手が、俺の足から腹を抱え、ぐいっと泥の中へと引きずり込んでいく。背を白い手が縋り、俺の肩にまで逃げられないように掴んだ。
そのまま体は白い骨のような手によって土の中へと吸い込まれていく。頭の上に残った僅かな空を見上げた。
その間にも、容赦なく土は首まで迫り、もがこうと開いた俺の口の中にまで押し寄せてくる。
――知っている。この感覚!
逃げられない。凄まじい勢いで吸い込まれていく。
――あれは、いつだった!?
空を渡る風を見上げながら、俺は必死に空気へ手を伸ばそうとした。けれど、体は自由にならず、ずぶずぶと土の中へ入っていくのを逃げられない!
――あれは……確か!
俺の視界にまで土が押し寄せてくる。瞼に土が迫り、隙間なく埋めて空の月も見えなくなっていく。最後の空の星明りが視界から消えるのと、土に囚われた俺の意識の奥で、凄まじい光が弾けたのは同時だった。