(4)本当のことを言え!
俺は、雨の中その灰色のマントから現われたよく知っている顔を呆然と眺めた。
――なんで、セニシェが……
そのこぼれそうなほど大きな紫水晶の瞳は、今も俺の顔をじっと見上げている。何も言わないその白い頬に、空から泣くように降り出した雨がぽつりぽつりとかかる。
「セニシェ……」
俺を静かに見つめるその顔に、次の言葉がうまく出てこない。
「なぜ……」
――どうして、お前が――
信じられない思いに、やっと絞り出した言葉さえ、その後に続いてこない。
俺が人間になる前から知っている魔女だった。俺の魂を預けるほど、信頼していたのに――
――それなのに、どうして俺の命を……
「だって……」
小さな声で、やっとセニシェの赤い唇がためらうように動く。
「へえ。お前が、兄さんを狙っていた犯人だったのか」
しかし、その瞬間、横からばちばちという凄まじい音がした。激しい音に振り向くと、アーシャルが俺のすぐ横で白い火花を散らす昇焔球を右手の上に浮かべているではないか。
「いやーーーーーーーっ!」
さすが、魔女。それが何か一目でわかったらしい。
「アーシャル」
「言え! なんで兄さんの命を狙った?」
「え?」
「とぼけるな! 僕の兄さんの命を狙ったんだ! 覚悟はできているんだろうが!?」
けれど、アーシャルの瞳は真紅に燃え上がっている。それにセニシェが怯えた顔で座ったまま必死に後ずさった。
「やめて! ち、違うの! 私は水竜の命なんて狙っていないから!」
「嘘をつけ! じゃあ、なんで死導屍を操っていた!?」
どんとアーシャルの足がセニシェがまだ纏ったままの灰色のマントを地面に踏みつけた。それで後ろへの退路を断たれてしまう。
「ひっ」
セニシェの顔が迫った恐怖にはっきりと引き攣った。
「やめて、お願い!」
叫ぶのと同時に握り締めた両手で頭を庇う姿を見つめ、俺はやっと我に返った。
「待て、アーシャル」
手を伸ばして、今にも攻撃しようとするアーシャルを制すると、二人の間に割り込む。
そして、今もまだマントの中で必死に体を小さくして震えているセニシェを見つめた。
「セニシェ、お前がなぜ、ここに――」
今でもまだ信じられない。
どうして、彼女が俺の命を狙ったのか――いや、信じたくないというのが本当なのか。
きっと何かわけがある!
それが単なる俺の願いだとしても、一筋の期待に縋りつきたくて、気がついたら俺は彼女の両肩を掴んでいた。
けれど、セニシェは雨の中でもわかるほど涙を浮かべると俯いている。その唇が俺が肩を縋るように揺らす中で、か細いほど小さく動いた。
「……だって……水竜が……」
「俺が?」
その続きを聞きたい!
たとえ恨み言でもいいから――
「――あんなことになって、死にかけていたから――」
「あんなこと?」
――いや、待て。死にかけていたっていつだ?
「それはいつ――」
あの死導屍に襲われた傷の時だろうか? だけどセニシェはそのことは知らないはずだし、俺の手と足は腐りかけたが死にかけたとまでは言わないのじゃないか?
けれど、か細いセニシェの声に俺の側でアーシャルが眉を寄せた。
「お前――さては、何か知っているな?」
「ひっ」
アーシャルの声に、はっきりと紫色の瞳が怯える。けれど、そのセニシェの反応に、アーシャルはますます赤い瞳の光を強くしている。
そして、赤に金の光がちらちらと見える瞳で、更に威圧するように見下ろした。
「言え。兄さんの魂を隠した以外にも、本当はなにか隠しているだろう?」
酷薄な笑みを浮かべる手には、昇焔球がまだばちばちと殺気に満ちた音を繰り返している。
その薄く笑った笑みは、いつでもこの空間ごとセニシェを焼くつもりだ。
「言うわ!」
アーシャルの笑みに見える殺気に、セニシェの顔が蒼白になった。
「言うからやめて!」
「ふん。最初からおとなしくそう吐けばいいものを――」
けれど、俺はまだどうしたらいいのかわからない。ただ泣きたいような気持ちで、セニシェの雨に濡れた細い肩を抱きしめるように掴む。
「セニシェ――言ってくれ…… 頼む。何があったんだ……」
――俺が魂を預けたあの時に――
「私も……よくは知らないのよ……」
戸惑いながら口を開くと、俺から瞳を逸らした。だけど、縋りつくように肩を掴む俺の手の中で、俯きながらぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「ただ――水竜が、魂だけになって、しかも弱っているなんて異常事態だと思って……」
こぼれてくる言葉に、じっと耳を傾ける。
「だから、何かあったんだと思って……水竜の魂を人間の体に入れた後、探しに行ったのよ。水竜の魂が辿ってきた跡を探って、その体に何があったのか……」
「俺の竜の体を?」
「ええ。ひどい雨で気配が消されて、探しにくくなっていたけれど。さっきまで腕の中に抱えていた気配だったから――」
けれど、そこでセニシェは俯いた。その顔は明らかに迷っている。
「そこで、何があったんだ?」
――いや。
「――そもそも俺の竜の体は見つかったのか?」
それに、セニシェは雨を檸檬色の髪に受けながら、俺の手の中で頷いた。
「ええ――血だらけで倒れていたわ」
そして、小さく呟いた。
「今にも絶命するというむごたらしく胸を抉られた姿で」