(3)お前だったのか!?
ぼこり。ぼこりと地面の土から、乾いた白い指が飛び出してくる。
以前に何度も見たことがある光景だ。
その指についで白い干からびた腕が出てくる。そして、その肩に続いて土を纏わせながら現われた骨に薄い皮膚を纏っただけの姿を見つめ、俺は笑った。
――出たな!
これを待っていたぜ!
それを口元の笑みに刻むと、抜いた剣をおもむろに構えた。
これだけで、上空から豆粒ほどの大きさの俺を見つめているアーシャルには伝わったはず。だが、まだもう少し待って欲しい。あの灰色のマントの奴は現われていない。
「来たな、死導屍!」
そう俺を見つめる虚ろな瞳に笑いかける。
「かかってこい! 俺の命がほしいんだろうが!?」
――アーシャル、少し待て。
小声で、剣にそう囁いた。それだけで通じたはず。なにしろ、この剣にはあいつの体の一部が埋め込まれているんだ。
十分に敵をひきつけて、逃げられないようにしないと。
そう判断すると、俺はアーシャルの剣を構えた。その前で、死導屍は、大きな牙を見せると、その開いた口の奥から墓場の腐臭を漂わせながら、俺の姿めがけて襲ってくる。
それを横に振り上げた剣の一閃で切り裂く。
だけど、前より固い。
「こいつら――!」
この間より、更に強度をあげてきやがった! この固さ、まるで石じゃないか!?
それでも、剣の表面にアーシャルの熱があるお蔭で、どうにかその心臓を切断できた。けれど、かなり重い。
「くそっ! 相手も研究してきているってことか!?」
さすが、俺の命を狙おうなんて身の程知らず! 全くの馬鹿ではない自信家らしい。
――だけど、ってことは、やっぱり側で俺を見ているということだ!
少なくとも、昨日のあの卒業生対抗戦は見ていたということだろう。
そう考えながら、俺は襲ってきた死導屍の次の体を左脇腹から切り上げた。
重い。けれど、どうにか一閃で心臓まで切り上げる。
だが、まだわらわらと地面から這い出てくる。いくらアーシャルの魔力を纏わせているとはいえ、さすがにこの固さでは不利だ。
だが、そう考えている間にも、更に次の死導屍が、俺の頭を食いちぎろうと後ろから襲ってきた。その開いた口の中に剣を突き立てる。けれど、既に死んでいる体では関係がないらしい。そのまま俺の肩を引き裂こうと伸ばしてくる腕を切り落とし、返す刃で心臓に剣先を突き立てた。
熱が触れた表面を焼いて、固いそこに穴を開けてくれるのを感じる。そして、剣先が心臓に届いた。
だが、この固さでは、長時間は不利だ!
ふうと、一瞬だけ息をついた。
その間にも相手は三体が同時に牙を向いて、俺の両手と右足をめがけて襲ってくる。
――くそっ! あのマントの奴さえ出てくれば、アーシャルの浄化の炎で一瞬で倒せるのに!
それなのに、まだ見える限りの視界の中には、その姿は現われない。広がっているのは、枯れた冬の山野の光景だけだ。ただ、その手前で死導屍達だけが、巨大な蟻の群れのように次々と地面から体を持ち上げて、俺へと襲いかかってくるが!
襲いかかってきた三体の右の死導屍の一番細い首を切り落として、攻撃力をそのまま剣にのせ、左にいる一体の肩口に埋め込んだ。
石を切り裂く感触がして、その奥にある心臓までもを一刀で引き裂く。
だけど、普段よりかなり力を使う。アーシャルの熱を纏っていても、手が痺れそうだ。その間に、足首に噛み付こうとしていた一体を蹴り飛ばして、仰向けにしたその死導屍の胸に剣を突き立てた。
――だけど、きりがない。
まだ目の前には、見える限りの死導屍が白い骸骨で空ろな眼窩をこちらに向けている。しかしあの灰色のマントの相手は見つからない。
――ひょっとして、警戒されているのか?
俺が使えるはずの、アーシャルの力を使わないことで!
「それなら、これならどうだ!?」
俺は、剣を引きながら一気にアーシャルの鱗を発動させた。それだけで、剣ははっきりと真紅に染まり、今までとは全く違う炎を纏い出す。
ざんと横殴りに振り切った剣で、目の前で口を開いた死導屍を肩から薙ぎ払った。さすがアーシャルの炎だ。どれだけ固い岩だろうと、剣先が触れたところから溶かして切断していく。
それに、手の中でアーシャルの気がぴくっと動いたのがわかった。
「待っていろ。もう少しだ」
安心させるように、少しだけ微笑んで話しかけてやる。
でも、剣からは明らかに今までと違うアーシャルの殺気がはっきりと伝わってくる。
――俺に何かあるたびに、こんなに怒っていたのか。
悪いな。今までお前の竜の気に繋がれなくて。ずっと剣の中で眠らせていたから、お前がいつも俺を傷つける相手にこんなに怒っていたなんて気がつかなかったよ。
――悪い! 心配させて怖がらせているとばかり思っていたんだ!
本当は、お前は、俺よりずっと男らしくて切れやすい性格だったのにな!
そういつも自分の側にいた片割れの姿を思い出しながら、目の前の死導屍の体を縦に二つに引き裂いた。
さすがに、これなら相手がどれだけ固い体でも普通に戦うのと何も変わらない。いや、熱で一気に引き裂いていくだけ、まるで紙を相手にしているように簡単に切れる。
それどころか、たとえ心臓から逸れても、そのまま相手の傷口から体に広がった炎が、確実にその心臓を焼いていく。
「かかって来い! 俺の命がほしいんだろうが!」
だから、俺はにっと笑いながら剣を構えた。ちゃきっと乾いた音が手に馴染む。
大丈夫。これなら、一度に何体で来られようと戦い続けることができる。
けれど、俺が一閃で仲間を燃やし裂いていくことに気がついたのかもしれない。
それまで、無秩序に襲いかかっていた死導屍が、急に一斉に周りを包むように襲い掛かってきた。
「それはもう通じないってわかっただろうが!」
それなのに、その瞬間、足元の地面から俺の足首を握られた。
――なっ……!
慌てて、俺の動きを封じようとするその手を切り払う。
その一瞬で目の前に迫る死導屍への対応が遅れた。
俺の肩を齧りとろうと開けられたその頭を一緒に襲ってくる腕ごとまとめて、切り払う。それなのに、足元の地面からは、土を掻き分けて更に白い手が這い上ってくる。
「なっ……!」
今度は一体じゃない。何体もの死導屍が、土の中からその髑髏と指の骨を白い皮に包まれて現すと、それで俺の体を土の中へ引きずり込もうとするではないか!
「くそっ!」
急いでその腕を薙ぎ払ったが、次から次へと土の中から湧いてくる。
しまった! ここは、水辺だから!
水は、俺にとって味方だからこっちに来たが、よく考えれば乾いた土の下にはぬかるんだ泥が多い。
その土を掻き分けて、幾つもの白い手が、俺をその下の泥へと引きずり込もうとしているではないか!
まずい! 俺の性質は水だから――!
どうしても、魔力で土の中へ導こうとされるとそれに抗うことができない! 俺の水の性質が逆にこいつらの泥に引っ張るように囚われていく!
冗談じゃない!
俺は必死に剣を振り回した。それなのに、ずぶずぶと、足を土の中へと引きずりこまれていく。
土の中に隠れた幾本もの白い骨の手が、俺を生きたまま泥の中へ沈めようとしている。
「くそっ!」
膝まで埋まった状態で、俺は瞳を歪めた。けれど、まだ地上に残っている死導屍達が、俺の剣で土の中を攻撃できないように、その牙をむいて隙があれば噛み付こうと襲いかかってくる。
――上も下も絶対絶命か!
どうする、俺。
さすがにこれ以上体が埋まってしまったら、身動くこともできなくなる!
どうする――と、目の前に更に襲いかかってくる死導屍の爪を切り落として、肩口から剣の炎で一閃した時だった。
一瞬、死導屍達の動きが止まった。
その後ろに――いた。
雨が降りそうな曇天の中、灰色のマントを頭から被った姿が、冬枯れの木立の奥に立っているではないか。その両手は、まるで呪文を詠唱するように持ち上げられて、空中で糸を操るような動きを見せている!
「アーシャル!」
大声で俺は叫んだ。
それに空中から、凄まじい白い火矢が落ちてきた。辺りの空間一体を飲み込む、真っ白で目を開けていられないほど清浄な白い火柱だ。
それが俺に襲いかかっていた死導屍達の頭上にどんと降り注ぎ、不浄なものすべてを白い炎で焼き払っていく。
火柱の中で粉々の砂に還っていく死導屍の声にならない叫びがその黒い影と共に見えた。
「大丈夫、兄さん?」
ふわりと降り注ぐその声に、俺は笑顔で上を見上げた。
「おおっ! お前がいるとわかっていたからな!」
だからどんなに危なくなっても、最後の落ち着きは失わずにすんだ。
それに笑い返すアーシャルの手には、まだ真っ白な炎が凄まじい勢いで渦巻いている。これを発動させれば、さっきの浄化の炎になるというわけか。
「浄化といっても、炎だから、火傷はしなくても俺もてっきり少しは熱いのかと思っていたが」
「炎といっても、清浄すぎて生きているものには太陽の陽射しのようなものなんだよ。ただ、不浄の存在にだけ猛火になる」
「なるほどな。でかした!」
空中にまだ浮かんでいるアーシャルにそう誉め言葉を残すと、そのまま俺は走り出した。
今の様子に、木立の奥では、慌てて灰色のマントを被った姿が逃げ出そうとしている。
「逃がすか!」
急いで走りだそうとするその姿の前に剣を投げた。
それが相手が駆け出そうとした前の土にざくりと刺さり、一瞬足が怯む。
立ち止まって振り返るその一瞬に、急いでその後ろに駆け寄っていく。
――よくも今までやってくれたな! あの西校舎で出会って翻弄されてから、死導屍をけしかけたり、池に突き落としてくれたり!
その憎い相手をやっと捕えることができる。
だが、相手は、後ろを見て俺が走ってきたのに気がついたのだろう。急いで方向を変えると、そのまま逃げ出そうとしている。
「させるか!」
その声と共に、俺は灰色のマントを掴んだ。
その瞬間、マントを引っ張られた相手が、泥のぬかるみで足を滑らせた。
一瞬を見逃さず、ばっとその体を包んでいるマントを剥ぎ取った。
けれど、その瞬間、俺の動きが止まった。
マントの向こうから出てきた姿に、信じられないように息を詰める。
まるで、その俺の気持ちが天に通じたように、空からは冷たい雨がぽつぽつと降り出した。
その雫を頬に受け止めて、俺を見上げるその紫水晶の大きな瞳に、俺はただ呆然と呟いた。
「――――セニシェ……」




