(1)反撃は悪だくみと共に!
次の日、寮は朝早くから賑やかだった。
今日は卒業式ということもあり、朝から昨日とは別の喧騒に包まれている。身なりを整えて、最後の登校をする卒業生とお祝いを述べる寮生が、慌しく寮の廊下と玄関を行き来している。
階段をひっきりなしに上り下りする音を聞きながら、俺は服を着替えた。
――とにかく、いつまでもこの状況にしておくわけにはいかない。
昨日は、俺のこの部屋で、ラセレトやコルギー、ユリカと俺の祝勝会を食べ物を持ち寄ってやったから、そのままになったが、さすがにユリカが俺のすぐ側にいる状況で、いつまでも命を狙われたままでいるわけにもいかない。
――竜の力は取り戻したし、剣もアーシャルの魔力が加わって強くなった。
何も恐れることはないはずなのに――
それなのに、俺はまだどこか踏み出せない迷った気持ちを抱えたまま、後ろで眠そうにあくびをしているアーシャルを振り返った。
――まあ、アーシャルもユリカを守ると言っていたから、大丈夫だとは思うが……
だけど、それについても、まだしっくりとこない。
だから、俺はやっと昨日訊きそびれたそれをおずおずと切り出した。
「なあ、お前昨日のユリカとのあの誓い――」
それに、アーシャルがあくびをやめて、きょとんと赤黒い目を見開いている。
「ああ。訊いていたの?」
こいつ。俺の人間の体の義理の弟の座を狙ったくせに、実にいけしゃあしゃあとしている。最早、開き直りなんてレベルですらない。
だから、俺は早口で口を開いた。
「本気か!? いや、そりゃあ、お前が俺の弟じゃないかもって悩んでいたのは知っているが、だからってユリカは人間で、しかもまだ十一歳だぞ!?」
「うん――まあ、年でいうのなら、僕の方が本当はずっと上だけど。でも、竜の年齢で考えれば大差ないし。それなら、意外とお似合いじゃない?」
「だからって!」
そんな理由で、一生を左右するようなことを決めるな! ましてや、アーシャルのみならず、ユリカまでもだ。
やっばり普通に相手を好きになって、温かい恋を育んで欲しいんだ。
それなのに、そう焦る俺の前で、アーシャルは少しはにかむように笑っている。
「うん。だけどね、それだけじゃなくて――なんとなくだけど、ほかにいないと思うんだよ。これから先、どれだけ生きても彼女以上に考えが合う存在って」
それに一瞬きょとんとした。
「いや、それはそうかもしれないけれど、でも――」
――いいのか、そんなので?
「それに兄さんの大切な妹だし。それなら、兄さんが苦しんだり彼女が困ったりしないように、一生側で守ってあげてもいいかなって」
そう呟くアーシャルの顔は、これまでに見たことがないぐらい真面目なものだ。
少し空を見上げているが、ひどく真剣に考え込んでいる。
「だから番の誓いをしたんだ。兄さんの大切なあの子を僕も守ってもいいだろう?」
「う、うん――」
――そうなんだろうか? 昨日のあの求婚の言葉を見てしまった以上、何かこうもやもやと割り切れないものが残るんだが……
あれ? 恋愛ってそういうものだっけ?
何か、微妙に違う気がする。
――でも。
そのアーシャルの微笑んで話す横顔を見ながら、俺は少しだけ目を見開いた。
――よく考えたら、初めてなんじゃないか? こいつに俺以外の特別枠ができたのって。
それ以外の相手は、全部俺に近づいたことで「死刑枠」に入れられるか、「どうでもいい枠」だった。あのナディリオンでさえ、俺に近づいたら容赦なく「死刑枠」だったのに、初めてそれに嵌らない相手ができた。
――それがユリカっていうのが、すごく気になるけれど。実は、こいつにしたら物凄い進歩なのかもしれない。
やっと、自分の中の大切な相手を広げられた。小さい頃、尻尾を握らせて飛んでいた頃から、ずっとアーシャルの心の世界は変わらなかったのに――
――それに、その相手が俺の妹なら、きっとこいつは命をかけてユリカを生涯守ってくれるだろう。
だから、俺もやっと少し笑うことができた。
「うん――俺も、お前なら安心だ」
きっと、こいつならユリカを泣かせることはないだろう。一度、心に入れたら、誰よりも深く守ってくれるのは間違いないから。
――それたけは、身をもって実感しているから。
「まあ、まだ今は同志からだけどね」
そうにっこりと穏やかにアーシャルは笑っているが、その言葉には残念ながら戦慄しか感じない。
――ってことは、やっばり俺の幸せは祈ってくれないのかー!
ここは一つ、定番の兄さんも早くいい人を見つけなよと冗談にでもいいから言ってほしい。それなのに、それが夜空の星より遠い。
――むしろ、ユリカとの同盟で、鉄格子の檻に入れられた気分だ。
しかもなぜかその檻の表面には、女人禁制の札が貼られている。
「頼むから、ユリカと共に俺の幸せを祈ってくれよ……」
「もちろん! 僕達で最高に幸せにしてあげるから!」
――違う。無邪気な顔で言い切っているが、絶対に何かが違う。
頼むから、誰かこいつにまともな恋愛を教えてやってくれ。
そう思っているのに、アーシャルときたら、俯いている俺の顔を覗きこんできた。
「で? 兄さんが、朝からずっと悩み顔をしているのは、それが原因なの?」
「あ、ああ――いや」
気がついていたのか。相変わらず、勘のいい奴。
いつもなから、こいつの俺への観察眼は感服してしまう。
俺が迷って、まだ決めかねていたことさえ、あっさりと見抜くんだから――
でも。
――やっぱり迷ってしまう。
「なに? 僕には相談できないこと?」
一瞬だけ声に混ざったその寂しそうな響きに、俺は慌てて言葉を絞り出した。
「違う。いや、むしろお前の力を借りたいんだ――」
それなのに、声に出して言葉を進める内に、語尾が震えてしまう。
大丈夫――そう、心の中で何度も繰り返すのに、脳裏には、アーシャルがもし傷ついたらという光景が恐怖のように流れ続ける。
もし、あの時の俺のように、死導屍に傷つけられて、体が腐り落ちたら――
そんな筈はない!
「だから――」
そう思って、言葉を続けようとするのに、喉がひりついて、目がちかちかとして来る。
――嫌だ! 安全にところにいてほしい!
万が一にでも、苦しんだり、死ぬかもしれないような目にはあってほしくないのだ。
絶対に安全なところで幸せに暮らしていて欲しいのに――
ましてや、火竜のアーシャルにあの治療法が通じるかもわからないのに!
――やっぱりやめよう!
そう思ったけれど。
「兄さんが僕に?」
それを思いとどまらせたのは、アーシャルの大きく開いた赤い目だった。
それが喜びにくしゃっとなって、見たこともないほど嬉しそうに輝いている。
「ああ、――うん」
それにやっと掠れるように返事をすると、途端にアーシャルの顔がこれ以上ないほど破顔する。
「嬉しい! 兄さんが僕を頼ってくれるなんて!」
「でも危ないし、やっぱり――」
「何言っているの! 僕、浄化の炎だって使えるようになったんだよ? どんな化け物だって一瞬で殲滅できるから!」
その言葉に、俺はアーシャルの成長した笑顔を見る。
――ああ、そうだ。
アーシャルは、もう昔と同じじゃない。強くなった――きっと俺よりも。
脳裏に、夕焼けの校舎で言われた学長の言葉が甦ってくる。その光景を思い出しながら、俺は大きく頷いた。
『頼ってやりなさい』
それが彼の居場所を作る。
――そうだ。だから、俺が信じてやらないと。
それに、卒業生対抗戦の時アーシャルの力を宿した剣で勝ったのに、今更兄貴面で頼れないもないだろう?
――俺は、兄貴だけど、アーシャルと同じ双子なんだから。
だから、俺がアーシャルの力を信じてやらないと。
そして、変な不安で大量虐殺を犯さないよう、お前が必要だとはっきりと示してやらないといけない。
だから、俺は一度微笑むと、その嬉しそうに笑っている顔を見つめた。
「うん。お前の力を借りたいんだ。これはお前の助けがないとやれないから」
「任せておいてよ! なに? 遂にあの死導屍に反撃に出るの?」
――本当にこの弟は勘がいい。
それに、思わず苦笑を浮かべてしまう。そして、アーシャルの肩に右手を置いた。
「そうだ。いつまでもやられっぱなしなのは性に合わない。相手も、卒業生対抗戦で、俺が竜の力を取り戻したことと、お前の力の一部を扱えることに気がついて焦っているはずだからな」
「これ以上、強くなられたら困るものね。それにいつ不都合なことを思い出されるかわからないし」
それに、にっとアーシャルも人が悪く笑っている。
「そう。だから、先手を打って、こちらから相手をおびき出す」
――そして、今度こそあの灰色のマントをかぶっていた奴を捕まえてやる!
俺に死導屍を向かわせて、殺そうとしたこの恨み! 俺の主義に則り、十倍返しで返してやる!
「いいね!」
そう笑う、アーシャルに俺は笑い返すと、具体的な相談を始めた。