(9)まさかの展開!
俺が勝利を決めて観客席の階段を上っていくと、そこにアーシャルとコルギーが急いで近づいてくる。
「やったな、リトム!」
「兄さん!」
お前、さっきからそればっかりだな? でも、同じ言葉なのに、今のアーシャルの顔は輝いて、明るい冬の日差しの中で晴れ晴れと赤い髪を流している。
「コルギー、アーシャル!」
「ひやひやしたぞ! お前、いつの間にあんな魔術を使えるようになったんだよ!?」
そうコルギーが俺の頭をわさわさとかき回してくる。普段なら、子供扱いで怒るところだが、今日だけは満面の笑顔で喜んでくれているから大目にみてやろう。
「アーシャルが大魔導師の先生に指導を受ける付き添いをしていたからな。それで少しだけ教えてもらったんだ」
「ああ、なるほどな! お前にも潜在的に魔力があったっていうことか!」
「まあな」
そう軽く流しておく。
「兄さん、怪我はない?」
「それを言うなら、やったなかおめでとうだろう?」
「あ、うん! すごい、さすが兄さんだ!」
――こいつ、本心から心配していたな。
そうわかるぐらい、顔が嬉しそうに輝いている。ほっとした――そう、その笑みが告げている。
「まかせておけと言っただろう? 俺がお前の前で負けるかよ?」
弟の前でそんな無様な姿だけは見せられない。
「うん――」
だけど、それにアーシャルは嬉しそうにはにかんだ。
だからその頭を乱暴に撫でてやる。本当に、この弟は心配性だなあ?
その赤い髪の向こうでは、遠くの観客席で、ラセレトが俺に指を立てて目配せをしているのが見えた。それにもう片手で同じように指を立てて、返してやる。
「お兄ちゃん」
その声に反対側を振り返ると、ナディリオンに送られたユリカが観客席の間の細い通路をこちらへと走ってくる。愛らしい茶色の巻き毛を振り乱し、そのまま俺へと飛びついてきた。
「もう! すごくドキドキしたんだから! でも、やっぱりお兄ちゃんだわ!」
叫びながら、俺の腕の中へと抱きついてくる。
「いつの間にあんな術が使えるようになっていたの? それに、あの剣も!」
「ああ、それは――」
そう答えようとしたところで、俺は反対側から急いで近づいて来る人影にそれをやめた。
「リトム」
――まずい! サリフォンじゃないか!?
「勝ったんだな」
「ああ。アーシャル、頼む。ユリカを先に連れて行ってくれ」
「あ、ああ――」
返事をしながらも、俺を見つめるアーシャルの顔は、ここを離れるのをすごく嫌がっているが、今はそんな場合じゃない。
「早く!」
「うん」
焦る俺の声に、聞かせたくないのが伝わったのだろう。一度唇を噛むと、急いでユリカの手をとって、無理矢理通路の奥へと引っ張っていく。
「お兄ちゃん?」
「すぐに行く! 先に行っていてくれ!」
俺の緊張した声に何かを感じ取ったらしい。
ここら辺は、さすがに小さい頃から母さんの奴隷問題で鍛えられた危機管理能力だ。
急いで、俺の言葉に従うと、嫌っているはずのアーシャルに手を引かれるまま、駆け足で闘技場の出口へとスカートを翻していく。
その姿を確かめると、俺を見つめるサリフォンへと向き直った。その緑の瞳は、笑いながらまっすぐに俺を睨み据えている。
「リトム、賭けは覚えているだろうな?」
「そんなのは、勝手にお前が言っているだけだ! 俺は一度も認めたことはないし、そもそも兄弟というのもお前の親父の勘違いだ!」
「なっ――」
それに、サリフォンが絶句して、こちらを見つめた。そして詰め寄ってくる。
「この間、この試合の結果次第のような発言をしたじゃないか!?」
「あれは言葉の綾だ!」
―-俺は最初から、こいつを兄弟と認める気はないし、そもそもあいつを父親と思うつもりすらない!
思いっきり眉を顰めてそう言ったのに、サリフォンは更に俺に近寄ってくる。もう掴みかねない勢いだ。
「ふざけるな! この試合で勝てば、僕を弟と認めると言っただろう!? それをこの期に及んで反故にしようなんて――!」
「俺は勝った。だから、俺はお前の家には行かない。これだけは守ってやる! だから互いの賭けの半分ずつで折れろ!」
「ちょっと待て!」
完全に俺にとってのいい所取りだ。それに怒気と共に伸ばされたサリフォンの手が、俺の腕を掴もうとした。
けれど、それが俺の黒い騎士服にかかる前に、コルギーの体がその間に滑り込んでくれる。
「おーっと」
両手を広げて、サリフォンが俺を掴もうとしたのを邪魔してくれた。
「サリフォン、お前の気持ちもわかるが、ここはちょっと落ち着けって」
「どけ! コミルーズギーレックス!」
だけど、通路は狭くて、とてもコルギーを押しのけるだけの幅もない。
「ほら、リトム。今のうちに行け!」
「すまん!」
頷きだけで返すと、コルギーは少し笑った。
「待て!」
そして、追いかけようとしてくるサリフォンの体を、その高い背で遮ってくれる。
「卑怯だぞ、リトム!」
「今に始まったことじゃないだろうが!?」
それはあっさりと認めてやると、俺は急いで闘技場の通路を出口へと走った。
正直、これ以上ここにいて、あの将軍に捕まるのもごめんだ!
そのまま、下に通じる壁に囲まれた通路に飛び込むと、急いでそこを駆け下りていく。
そして、闘技場での熱狂を伝えてくる声を階段の上に聞くと、俺はそのまま一階の広い石造りのホールから外に飛び出した。
幸い、人はほとんど卒業生対抗戦で、まだ闘技場の中にいるようだ。
さっきまでとは違い、ひどく閑散とした校内を走りながら、俺は後ろからサリフォンが追いかけて来ないのを確認して、やっと足を止めた。
いつの間にか、闘技場は校庭の奥に遠く離れ、西校舎の前まで来ていた。
「ここまで来れば、さすがに追いかけてこないだろう」
――でも、これで諦めたりはしないよな……?
何しろ、一年の時にライバル認定されてから、執念のような粘着力を見せた奴だ。それもこれも、俺が兄弟という疑念からだったのかと思うと、その複雑な気持ちもわからないではないが、だからといって、おとなしく言いなりになってやる気はない。
――できたら、すっぱり諦めてほしいんだが。
しかし、俺は勝ってあいつの家に行くのはなし。あいつも勝ったのに、兄弟認定は反故。どう考えても、このままおとなしく引き下がるとは思えない。
――いっそ、切りあって、生き残ったほうの言い分をきくとかにしてくれないかな……
そうしたら、全力で抹殺してやるのに。
そう腕を組みながら、思わず考えこんでしまった。
――さて、アーシャルはどこに行ったんだろう?
そう、気持ちを切り替えて顔をあげる。
あいつのことだから、俺が探しにくくて、ユリカに何かあるようなところを選ぶとは思えない。
――だとしたら。
うんと、頭に幾つか浮かんだ候補地に頷いて、俺は足をそちらに向けようとした。
その時、後ろで小さな音がした。
人けがないのに、俺の地面に触れた足首を掴むように何かが触れてくる。
その感触に、びくっとした。
――また、死導屍か!?
いくら、今周りに人がいないとはいえ、こんな卒業生対抗戦で来客の多い日に――
けれど、焦って下を見下ろすと、そこにはブローチをつけたスカーフが風に飛ばされて、俺の足首に巻きついていた。
「大丈夫だ――」
それに大きく息をつくと、屈みこんでそれを足から取る。
そして、側の白いベンチに置いた。
「大丈夫――」
自分に言い聞かせるように呟いて、跳ねた心臓を沈める。
――ここ最近は、一人で校内を歩くことなんてほとんどなかったから。
いつまた死導師が襲ってくるかわからない以上、誰かが側にいる時や人の多い場所以外では、いつもアーシャルが俺を守るように付き添ってくれていた。
――大丈夫。
本当に?
まだ、俺の命を狙っている奴のことは何も解決していないのに。
それに、急に不安がわいてきた。相手が狙うのが、俺だけならかまわないが――ふと、離れているとはいえ、同じ校内にいるユリカとアーシャルのことが気になって仕方がなくなる。
だから、俺は急いで校内で心当たりのある幾つかへと走った。
一番可能性があるのは、俺達の校舎と西校舎の間にある広い中庭だ。冬の今もよく手入れがされていて、可憐な小さな花が幾つか咲いている。
俺も知っているアーシャルのお気に入りの休憩場所だ。よく授業の合間に、あそこの椅子に座って日差しに体を伸ばしていた。
それにあそこなら、見通しがよいから誰かが近寄ってきてもすぐに戦いの姿勢に入りやすい。
そう判断して、俺は走る足を急いでその方向に向けた。
着いた中庭は、今日も冬の日差しに、暖かい光に満ちていた。周りを囲む山茶花の花が、柔らかなピンク色の花を咲かせ、白い椿と咲き競っている。その木の根元では、剣術学校には不似合いなほど可憐なパンジーが白や紫の顔を愛らしく青い空に向けている。
その奥のベンチで、赤い髪を肩で切りそろえた姿が、深刻そうに俯いていた。
――ああ、いた。やっぱり、ここだ。
「アーシャ……」
と声を張り上げようとして、俺はその横で今まで屈みこんでパンジーを見ていたユリカが、その体を持ち上げるのに気がついた。そして、ゆっくりとアーシャルに近づいていく。それに、ふと伸ばしかけた手を下げた。
「さっきは、助けてくれてありがとう」
ゆっくりと帽子に結んだ臙脂のリボンを風に流しながら、ユリカは後ろ手に指を組んだままアーシャルに向かい合っている。
それに、俯いていたアーシャルの顔が上がった。
「別に――君が、兄さんの大切な妹だからだ」
だけど、ユリカの顔は見えない。
「お兄ちゃんから聞いたわ。あなたが本当はお兄ちゃんの昔の弟なんだって」
「信じるのかい?」
その言葉にアーシャルが戸惑ったように、薄く笑っている。
「君の大切なお兄ちゃんなんだろう?」
すると、ユリカは庭に置かれたベンチに腰掛けているアーシャルに並ぶように座った。お蔭でやっと見えた横顔は、少しだけ複雑そうに笑っている。
「だって、あなたの顔、お兄ちゃんにそっくりだし――それに、戦っている姿はかっこよかったもの」
そう言って、微笑んだまま膝に頬杖をついた。
「こんなこと、お兄ちゃん以外に思ったのは初めてよ。だからお兄ちゃんの弟というのも、そうなのかなと思えるの」
そう語るユリカの頬は少しだけ赤く染まっている。
その微笑みを見つめて、アーシャルの赤い瞳が優しく笑った。
「そうか。僕から見ても、君は今の兄さんにどことなく似ているよ。悔しいけれど――妹なんだってわかるよ」
「そう? だったら嬉しいわ。本当はね、小さい頃から、あまり似ていないと言われて少し悲しかったの」
私のお兄ちゃんなのにね、とユリカは風に靡く茶色の髪を押さえながら、微笑んでいる。それに、アーシャルがその赤い瞳を細めた。
「いや、よく似ている。それに、何より、この世で兄さんを一番大切にしている。その姿勢が気に入った」
「私もよ。私も特別に貴方だけは、お兄ちゃんの側にいるのを認めてあげる」
そう笑うユリカにアーシャルも笑い返す。そして、おもむろに手を差し出した。
「僕は、アーシャルだ。アーシャル・ファルシャーイオス・フレイル。この名を呼べは、世界中のどこからでも僕に名前が届く。僕は兄さんについで、世界で二番目に君を守ると誓うよ」
「ありがとう。私は、ユリカ・ガゼットよ。私もあなたをお兄ちゃんを守る同志と認めてあげるわ」
そういうと、アーシャルの手を握り返した。がしっとその手は固く、まるで同志と確認するように二人の間で握り締められている。
――え? ちょっと待て!
だけど、それを見ていた俺の背中をすごい汗が流れ落ちていく。
――アーシャル! お前、それ竜の番の誓いだろう!?
え? ちょっと待て! なんだ、この展開!?
それなのに、アーシャルときたら、まだユリカと手を握ったまま、その青い瞳を覗きこんでいる。
「将来、僕と一緒にならないか? そうすれば、君は兄さんの前世の妹にもなれるよ」
「そして、あなたは、現世のお兄ちゃんの義弟というわけね? いいわ、その考え。大賛成よ!」
そう言うと、そのまま強く手を握り締めあっている。
――って、アーシャル! お前、まさかそれが狙いかー!
それなのに、同意して目を輝かせている妹に最早どうしたらいいのかわからない。
「いいわ。そして私達で、お兄ちゃんを決してほかの女の魔の手に渡さないように守りましょう!」
「もちろん、女に限らないけどね!」
「それは、もちろんだわ!」
――ちょっと待てー!
え? なに、これ?
――まさかの展開! とんでもない同盟で、弟妹に先を越されたー!
まさか兄の目の前で、堂々と婚約の誓いをされてしまうとは思わなかった。しかも、俺の恋人妨害宣言と共に。
もう、一番上のはずの俺が一番取り残されたことを悲しめばいいのか、弟妹の愛が重いことを嘆けばいいのか、わからない。
――頼む。お願いだから、まさかの弟妹の婚約に、俺にもう少し兄らしい感慨をもたせてくれよ……