(8)十倍返しが俺の基本!
「なんだ? もう、逃げるのはやめたのか?」
遠くから、俺の体の向きに気がついたジョルデが腕を組みながら、こちらに余裕の笑みを向けている。それに、俺は大きく剣を横に振った。
「ああ! やっぱり逃げるのは性に合わん!」
「そう来ないと、面白くない!」
そう叫ぶのと同時に、ジョルデが俺に向かって杖を振り下ろした。それと同時に、ゴーレムが俺に向かって、その腕を横なぎに振り下ろしてくる。
それを敢えて前に進むことで、その腕の動きをかわしていく。
――どこだ!? 紋章は!?
あれさえ消せば、ゴーレムは無力化できる! そうすれば、蹴り倒すなり、なんなりして、あのジョルデを殴りに行く橋にしてやるのに!
「お前――?」
明らかに、俺の動きが変わったことに気がついたのだろう。ジョルデが眉を顰めているその間にも、ゴーレムの足の側まで急いで走っていく。
そして素早くゴーレムを見上げた。近くで見上げると、日差しとその影で、尚更小さな紋章は見つけにくい。
だけど、どこかにあるはずだ――
そう剣を持ち直した瞬間、ゴーレムの足が俺を蹴りつけて来た。まるで石の人形が、目の前に転がってきたボールを蹴ろうとするように、外側から俺の側面に向かって、その巨大な石の足を叩きつけてくる。
――痛い!
さすがに体を吹き飛ばされてしまう。
「お兄ちゃん!」
転がった先で、観客席からユリカの叫んでいる声が聞こえた。飛んでしまった体は、背中と頭をゴーレムのもう片足にしたたかにうちつけられて、さすがに痛まないはずはない。だけど、たいしたことはないはず――と痛みを堪えて、目を細く開いた。
それよりも――
丁度俺の体がゴーレムの足の間に入っている今がチャンスだ。ここからなら、一番ゴーレムを間近で見られる。
――今なら、紋章もきっと探せるはず。
そう、俺は痛む背中を我慢しながら、必死で冬の陽射しを遮る巨大な影に目を開いた。
そして、その巨体に目を凝らす。
うん。よく見える。ここからなら、ゴーレムの細かい部分まで丸見えだから――
次の刹那、俺の瞳が大きな丸になり、すぐにすうっと細くなった。
「――おい」
自分ながら、なんてぶっきら棒な声だ。
「なんだ?」
それに、ジョルデが不満そうな声で返してくる。けれど、文句を言いたいのはこちらだ!
「なんで、あんなところに紋章を描いた!? あれじゃあ、どう見ても虫歯だろうが!?」
俺は、丁度見上げたゴーレムの紋章で黒くなった前歯に手を伸ばして叫んだ。
その口から覗く二本の前歯が、片方だけ真っ黒で、どう見ても虫歯で黒ずんでいるように見える! 間抜けだ! あまりにも、巨大な姿できらめく虫歯が間抜けすぎる!
「ふん! 見つけたのか!?」
「見つけたのかじゃねえ!? なんで、よりによってあそこなんだ!?」
――どう見ても、あれじゃあ前歯に穴が開いているようにしか見えない!
今まで深刻に戦っていたゴーレムの前歯が、まさかの虫歯状態なのだから、こちらにしたら視覚的に大惨事だ。
それなのに、ジョルデときたら得意そうに高笑いをしている。
「ふん、さすがのお前もあの虫歯の痛みを知っていれば、ここは抉れまい?」
「舐めるなよ! 俺はたとえそれが本物の虫歯でも、躊躇せん男だ! むしろ、俺と敵対するのなら、遠慮なく更に広げてやる!」
「虫歯を更に広げて――なんて、恐ろしい……」
ふらりと、ジョルデの姿が恐ろしげに揺らめいた。
――あれ?
なんか、気がつけば周りの観客が俺を見て、ひどくざわざわと言っている気がするぞ? 気のせいか? ひどく恐ろしげに俺のことを見ている気がするんだが……
「お前――それを堂々と宣言するとは――正直、人の思いやりとしてどうなんだ?」
「やかましい! そんな所に虫歯のゴーレムを作る奴にとやかく言われたくないわ!」
「おおっと! さすが、リトム選手! まさかの虫歯攻撃宣言! あの痛みを更に人に与えるとは、さすが血も涙もない人生終了伝説を持つ男だ!」
「なっ――!」
――あいつ! 絶対にアーシャルに友達を一度考え直せと言ってやる!
「まあ、見つかったのなら仕方がない。どちらにせよ、消される前にお前を倒せばすむことだからな」
そうジョルデが薄く笑った。
そして、大きく杖を横に振る。
同時に、俺の上からゴーレムがその足を持ち上げて来る。
――駄目だ! 逃げ場がない!
俺は、頭上から落ちてくる巨大な石を剣を横に持つことで、がんと辛うじて受け止めた。
けれど、質量が違う。
どれだけ全身の力をこめても、剣一本でこんな俺の体より大きな足の巨石を支え続けられるわけがない。
「ぐっ……」
持上げた剣が段々と、石の質量に耐えられなくなって、俺の側まで下りてくる。そして、俺の額のすぐ上にそれが近づいて来た。
――苦しい……
砂がぱらぱらと、剣で支えた石から顔にこぼれてくる。
正直言って、剣で支えるのはこれが限界だ。とても受け止め切れる大きさではない。
「兄さん!」
遠くで、アーシャルが叫んでいる声がはっきりと聞こえた。
――だめだ……ここで、俺が踏み潰されたら、今度こそアーシャルが悪鬼になる……
それなのに、剣はかたかたと俺の頭と、ゴーレムの足の間で細かく揺れている。
このままじゃあ、間もなく剣が折れるだろう。
――ダメだ! まずい!
しなっていく剣の音に、俺は瞳を寄せる。
――まずい! 今折れたら、間違いなく死ぬ!
その予感に必死に渾身の力で押し返そうとした時だった。
突然、俺の額の先で掲げた剣が熱を帯びると、その刀身を真紅にしたのは!
それと同時に、俺を踏み潰そうとしていたゴーレムの足の一部が溶けていく。まるで火山の溶岩のように赤くどろりとなると、その剣に触れているところから下へと流れ落ちていくではないか。
「え?」
――なんだ、これ!?
だけど、下にいる俺にかかったその溶けた石は、肌を焼くどころか少しも熱くない。
――ということは、アーシャルの力?
なんで。そう俺は、軽くなった剣を持ち直しながら、その紅い刀身を見つめた。
それは、まるでアーシャルの本来の鱗のように深い赤に澄んで輝いている。それを暫く見つめ、はっとした。
――そうか! これは元々は俺に合わない鉄の剣だったから!
だから、あのダンジョンで、アーシャルの竜の鱗を埋め込んで融合させている。
――だとしたら、俺が竜の力を取戻したことで、アーシャルの魔力が反応したのか!?
この危機に! 俺を助ける為に!
――だとしたら。
俺は、そっとその紅い刀身を唇に当てた。そして、決して誰にも、風にさえ聞こえないようにアーシャルの本名を呟く。
「アーシャル――」
――ファルシャーイオス・フレイル――
これは、俺以外、竜の父と母しか知らない名前。そして、いつかアーシャルが許した誰かだけが知ることになる名前だ。それを俺は剣にのみ伝わるように、唇だけの動きで囁く。
その瞬間、目の前で剣が真紅に変化した。その表面に、はっきりと竜の鱗紋が浮き上がり、まるで研ぎ澄まされたルビーのように輝く。
「なっ――!」
ジョルデが突然変化した剣に驚いているが、本音を言えば俺も驚いている。
だけど、それは今までのにも増して、俺の手にしっくりと馴染んだ。まるで小さい頃一緒に飛ぶ時に握った竜の手のように――
だから、俺をそれを大きく一度横に振った。間違いない。この手に馴染む感触。アーシャルの魔力だ。
よく知ったその感覚に、俺はそのまま剣を大きく持上げる。そして、足先が溶けたことで不安定になっているゴーレムのすねを、俺の頭の高さで思い切り下から上へと切りつけた。
「これでどうだ!」
俺の動きと同時に、剣から凄まじい熱量が出ていくのがわかる。それが薄い火炎の姿で、剣に触れたゴーレムの表面を溶かし、俺がその剣を払う勢いのまま、その剣先に触れた岩を上へと溶かして行くではないか。
まるで火箸をあてられた氷細工だ。
その剣がめり込んでいく先から、炎に触れた岩の側面がどろりと溶けていき、俺の前に広がっていた岩から先の空間が見えてくる。
それが少しずつ縦に広がっていく。その向こうで、ジョルデが、驚愕に目を見開いていた。
最初右腕しか見えなかったその姿が、やがて右目が見え、ついで黒い髪の毛が裂け目に見えた後、そのまま炎は、ゴーレムの体を駆け上った。
それと同時に、その炎の熱は二つにゴーレムの体を裂いていく。そのまま、俺の振り上げた剣の炎は、ゴーレムの胴体を分断し、その紋章の刻まれた前歯を砕くと、その頭頂部の岩まで完全に二つに割った。中心で割れたゴーレムの体が、俺の前で、ゆっくりと後ろに倒れていく。
ずずずずずずずんとという地面に沈む重い音と共に、俺の立っている大地が揺れた。
そして、俺の前を覆っていた巨大な影がなくなった。残ったのは、ここから闘技場の向こう端まで伸びて、観客席に頭をもたれるようにして倒れている割れたゴーレムの姿と、それを急いで避けたジョルデの驚いている姿だ。
「貴様! それは魔剣か!?」
俺の手の中で、まだ薄い炎を纏っている真紅の剣を見つめ、驚愕に目を見開いたジョルデが叫んだ。
「魔剣――まあ、そんなおどろおどろしいものではないが」
だけど、竜の鱗を持つということを考えれば、それ以上かもしれない。
俺は、まだ薄い炎を纏っている剣を見つめながら、薄く笑った。
アーシャルの色だ。まるでルビーのように澄んだ濃い赤。それが剣の根元から立ち上り、紅い刀身を白熱させて輝かせている。
「さあ! 今度はお前の番だ! よくも散々いたぶってくれたな!」
それに、相手が顔を引き攣らせている。
「舐めるな! 俺の魔法がゴーレムだけだと思うな!」
そう言うと、杖を高く空中に向かって掲げた。
「お前が火を使うのなら俺だって――」
その杖の先に、空中の水蒸気が集まっていく。白い水滴が無数に集まり、杖の先端に集まると、幾つもの丸い水球を作り出していくではないか。それが更に空中で大きく集まり、平たい巨大な水の鎌をジョルデの背後に幾つも浮かび上がらせる。
「これなら炎でもたちうちできまい!」
それに俺は、咄嗟に手を下から空へと大きく持ち上げた。
「馬鹿か! 水の力っていうのはなあ、本来こういうふうに使うんだ!」
それと共に、今ジョルデのゴーレムが壊した地面が大きく揺れる。そのひび割れた大地の幾つもの裂け目から、凄まじい音と共に水が競りあがってくる。
――地下水脈に眠る水を導く!
それぐらい、水の魔力を司る水竜なら朝飯前だ。
「うわああああ!」
けれど、まさか下から凄まじい水が津波となって押し寄せてくるとは思わなかったのだろう。
一瞬で、闘技場の戦いの場は、水に埋まり、最も深い亀裂の奥に立っていたジョルデごと、その水流に押し流していく。
――あ。最初から、この手を使えばよかったんだ。
あんまり長いこと水竜の力を使っていなかったから、自分が水の魔力を取り戻したことを挑発されるまで忘れていた。
自分ながら呆れて、正面を見つめた。今俺が立っているところ以外は、闘技場は観客席を残して、全て水没してしまっている。その中央で、俺は自分を囲んでいる水の壁をぐるりと見回した。
突然のことで見ている誰もが息を飲んでいるのか。不思議なくらい静かだ。
その中を俺は歩いた。俺が動いているところは、水が押し寄せた気配さえない乾いた砂だ。
それを踏みしめて、俺は水の牢に掴まった形になっているジョルデの前に立った。
そして、その壁にもたれる。たわむが、まるで薄い膜で包まれているように、水はその形を崩してそこから流れ出すこともない。
「よう」
俺は、苦しそうに水の中で、髪を浮かせながら喉を押さえているジョルデの前に、剣の先端を突き出した。
「随分仕返しをしてくれたな。生憎俺はやられたら十倍返しが基本なんだ」
―――だから。
俺は薄く笑って、その剣の先端で、ジョルデの首をつつく。その剣の先には、はっきりとジョルデの太い青い血管が浮き上がっている。
「今、俺にここを切られるのと、溺れ死ぬのとどっちがいい?」
ひっと言葉にならず水の中で叫んだのが伝わってきた。
「だけど、さすがに目覚めが悪いな。かわいい弟と無邪気な妹の前では。だから、お前が負けを認めて、さっきのゴーレムの代わりにこの剣でその前歯を抉ったら、特別に許してやろう。ただし、それはいつか俺の前で三遍回ってわんという誓いだ。さあ、どうする?」
「なっ」
そう叫んだのが、水の感触でわかった。
けれど、それが最後の空気を口から出してしまうことになったらしい。
目の前でジョルデは泡を吐くと、急に喉を押さえて大きく唇を震わせている。俺の目の前で、がばっと水の中を大きな空気の泡が浮き上がっていった。
多分、涙を流しているのだろう。瞼をせわしなく苦しげに動かしていたが、それさえ水の中で引き攣ったように大きく開くと、悔しそうに俺の剣の前に口を差し出してくる。
「ふん」
その唇が開こうとしているのだけ確認する。
苦しいのだろう。きっと、肺はもうない空気に、強烈な死の警鐘を鳴らしている。
そこで俺は、ジョルデの前からその剣を引き抜いた。そして代わりに、前にあった腕を引っ張って、叫ぶように喉を押さえているその姿を、水の牢から引きずり出してやる。
「御免だ。弟が作ってくれた大事な剣をお前の歯で汚すつもりなんてない」
――ただ、そのまま喉を貫かれるかもしれないという恐怖以上の屈辱を与えてやれれば、それでよかったんだから。
俺の本音としては、大事な品に男の唇がつくなんてむしろ絶対にごめんだ。
後ろで、大きな咳をしているジョルデにもう興味をなくすと、俺は、そのまま前へと向き直った。
そして、両手を広げて掲げると、そのまま下に下ろす。
それと同時に、水がざんとその膜を壊し、急速に地面の割れ目へと戻っていく。
「ありがとう、水たち」
地下水脈に戻っていく懐かしい存在に、俺は心からの感謝をこめて挨拶をした。
そして、青い空を見上げる。
その下では観客席から、アーシャルやコルギー。そして、離れた席でナディリオンとユリカ。別なところでラセレトがほかのクラスメートと一緒に息をつめて見つめている。
それに俺は笑いかけた。
「勝利、リトム・ガゼット!」
素早く水から避難していた審判が階段から下りて来るのと同時に、その声が響く。
「やった! 兄さん!」
「お兄ちゃん!」
「リトム!」
それに俺は大きく手を振った。そして歩き出そうとする。
「待て!」
けれど、後ろでやっと咳を収めたジョルデが、その俺の背中を引きとめるように必死に声を絞り出している。
「お前、あんな水の魔術……どこで、使えるようになった……」
「――ああ」
それにゆっくりと振り返った。そして余裕をもって笑う。
「魔法騎士科の弟が、最近赴任してきた大魔導師の先生の指導を受けているんだ。その縁で、俺も魔力を持っているとかで、少しだけ教えてもらったんだよ」
「少し――?」
ひどく、不審げな顔だ。
だけど、これ以上答えてやる義理もないだろう。
「じゃあな。また来年」
そう俺が片手を挙げると、ジョルデが後ろで顔を上げた。
「貴様! 来年こそ覚えていろよ!」
「いや、多分忘れているわ」
――だって、名前が覚えにくいし。
多分、来年までに俺の報復リストは次々と塗り替えられていく。
実際、俺の命を狙っている奴という大物がまだ残っているし。
――だけど。
今だけは、この勝利を喜んでもいいよな?
そう俺は、近づいてくる弟妹と仲間を見ながら、大きく手を振った。