(6)俺の番だ!
闘技場の一番下に下りると、俺はそのまま審判の先生が立つ中央にまで進み出た。
ここで戦うのも久しぶりだ。この前戦ったのは、確かサリフォンとの決闘で――
その前になると、それこそ春の恒例学校対抗戦、そして去年のこの卒業生対抗戦だったような気がする。
周りを取り囲む観客の熱気をその声援に感じながら、俺はゆっくりと息を吸い込んだ。そして吐くと、足を止めて、その前に立っている魔術校生に向かい合う。
相手は魔術師特有の長い黒のローブを身に纏い、大きな背丈ほどもある杖を持っている。おそらく、サリフォンと同じくらいの上級魔術師なのだろう。
だけど、恐れることはない。去年だって、辛うじてとはいえ勝ったんだ! 今年は勝てないなんてことはないだろう?
そう俺は剣を抜くと、それを冬の日差しに輝かせながらゆっくりと構えた。
相手は、俺と同じ黒髪に青い瞳の青年だ。違うとすれば、俺より少しだけ背が低くて髪が波うっているということだろう。だが、あまり差はない。つまり、体格的には互角だ。
「さあ、いよいよ騎士戦も三戦目に入りました!」
セルドの声が、周りの観客の声よりも大きく俺の鼓膜に響いてくる。
「相手は、魔術校三年生、ジョルテ・カッフェル! 三年生の中では、多彩な魔力でほかを凌ぐと噂されています!」
なんかひどく早口だ。よほど、あのミルッヒに相手校生徒の紹介させたくないんだろうか?
――うん? ジョルテ・カッフェル? そのコーヒーみたいな名前はどこかで聞いたような気がするが。
俺が記憶の底を辿るより早くに、セルドの息継ぎの間に割り込んだミルッヒの声が場内に響いた。
「対するは、我が校騎士科三年のリトム・ガゼット! 顔面偏差値は85!」
やっぱりそう来るのか!? そして、どうしてそっくりのアーシャルより低いんだ!? いや、そりゃあ竜と人間の差はあるけれど……
「さて、このリトム選手! 昔は女の子のような顔だったとの情報があります!」
――おい。それを今言うのか?
「その為、周りで勝手に誤解して、密かに胸をときめかせた生徒も多いとか! ある日髭が生えてきたのを見て、それ以来性別詐欺師の名を欲しいままにしたそうです! 騙された方、哀れですね。ご自分の初恋が男という黒歴史、まさに人生終了伝説の異名を持つにふさわしい逸話と言えましょう!」
「やかましい! その情報源、後で絶対に吐かせてやるからな!?」
――なんだ、その逸話!? そんなこと寝耳に水だぞ?
それなのに、ミルッヒはしらっとこちらを見つめている。
「吐くまでもなく、学校の女生徒の間では既に有名な話です。詐欺師リトム。女の尊厳を傷つけた男――全女生徒の恋人になりたくない男圧巻の一位です!」
「!? なんでだ!?」
俺は女生徒に何かをした覚えはないぞ?
それなのに、ミルッヒは半眼で俺を見つめている。
「何で自分より女顔の男の側にたたねばなりません? しかも、彼氏が彼女に見られる、そんな百合趣味はございません」
「じゃあ、アーシャルは!? あいつだって同じ顔の筈だ!」
むしろ今の俺よりずっと女顔なのに! それなのに、ミルッヒときたら、うっとりと陶酔するような笑みを浮かべている。
「アーシャル君は、既に魔法騎士科で着替えを言われた時に、その場で裸になったという男らしい伝説がございます。その肉体美――まごうことなく男性でした」
ほうと熱い溜息を漏らしている。
「アーシャル!?」
だけど、俺にしたら大ショックだ。
――お前、本当に何をしているんだ!?
いや、落ち着け。竜なんて、よく考えたら、いつも全裸なんだから、あいつにとっては服を脱ぐことに羞恥心があるはずがなかったんだ。うん。竜にしたら普通のこと――
――って、そう達観できるほど俺は人生を極めていないよ!
本当に何をやってくれているんだ!? いくら常識がないからって、このままじゃあ俺がソンニ教授と同じように禿げてしまう。
――うん。泳ぐ時と風呂に入る時以外は、服を脱がないように教えておこう。
まさかのここから!
本当に自分の弟ながら、あいつの非常識さには意識が飛びそうになってしまう。
――うん。仕方ない。小さい頃、目が見えなくて自分のしたいことを自分でわかるようにすることしかできなかったんだから!
そう仕方ないんだ。なんか、これで色々俺が必死に逃げているような気もするけれど……
だが、そうぐらりと傾きかけた俺の頭を持ち直してくれたのは、審判をしているリード先生の強い言葉だった。
「リトム・ガゼット! 早く所定の位置について!」
「あ、ああ。はい――」
やっとそう返事をすると、軽く頭を振る。
今はそんなことに気を取られている場合じゃなかった! そう意識を戻すと、目の前で俺を見つめている魔術校の生徒に向かって剣を構える。
審判が手を挙げた。
「では、決闘の諸式に則りリトム・ガゼットとジョルテ・カッフェルの試合を行う! 両者武器・術の使用は自由! これを了承するか!?」
「了承だ!」
俺はすぐに叫んだ。
「もちろん」
そう相手が薄く笑って頷いている。
「久しぶりだな、リトム・ガゼット」
「え?」
飛び出そうとした足を止めて、俺はその言葉に相手の顔を見つめた。
やはり、どこかで見たような気がする――なんとなくだが。
そう眉を寄せて、やっと久しぶりという言葉で思い出した。
「ああ――そう言えば、去年俺と同じ二年生から出た奴か?」
「お前、去年戦った相手の名前ぐらい覚えていろよ!?」
まさか忘れているとは思わなかったのだろう。相手が口を大きく開けて叫んでいるが、そんなのは知ったことではない。
「基本、勝利を収めた相手の名前は頭の報復リストから消すことにしているんだ。相手がいつまでも俺を恨むのは勝手だが、こっちは覚えていてやるつもりさえないし」
「相変わらずひとい奴だな!」
「よく覚えているじゃないか」
――うん、その記憶力は賞賛に値する。いや、それともこいつにとっては、まだ俺への報復が未達成だから消せないだけなのかもしれないが。
だが、その俺の目の前でジョルテは、薄い笑みを浮かべると、その杖にかかった紐をほどいた。
「ふん。そんな余裕を言っていられるのも今のうちだけだ」
そう紐の端にかかっていた小さな指人形のような石を持つと、それを俺の前に投げ上げる。
そして杖を横に一振りした。
――なっ……!
思わず言葉を失った。
俺の前に投げられた石の指人形は、その杖の動きと共にどんどんと大きくなってくる。
指の大きさから、手の平のサイズへ。そして、更に伸びて、それは腕から俺の胴体ほどの大きさにもなると、更に膨らみ続け、青い空の下に陽射しを遮るほど大きくその背丈を伸ばしたのだ。
俺に降り注いでいた日光がそいつの肩に遮られて、巨大な影が俺に落ちてくる。
その巨大化した石の人形を見つめ、俺はやっとそれの名前を絞り出した。
「ゴーレム……!」
「そうだ。去年、お前と戦った時に地面を剣で巻き上げられて、砂の目潰しで出遅れてから、ずっとお前を石の魔術で葬ってやろうと研鑽を重ねてきたんだ」
――さっきセルドが言っていた多彩な魔力ってこれのことか!
「ふん。驚いたか。武器・術は何でもありという規則だからな!」
「一つ訊きたいが――」
「うん?」
「お前、フェア精神というものはないのか?」
「それを去年目潰しを喰らわせたお前がいうのか!? そんなものはない!」
「ありがとうよ、俺も同感だ!」
そう答えた瞬間、相手が杖を振り上げた。それと同時に、石の鎧を身につけたゴーレムがその手を持上げ、俺の前に降ろしてくる。
すずんと重たい地面を抉る音がする。
間一髪でそれをよけたが、危ない。あの下にいれば、完全に馬車に引かれた蛙だ。
――いや。
俺は振り返って、そのゴーレムの手の下になった地面に見入った。そこから地面が横に割れ、深い亀裂を俺とあいつの間に作り出しているではないか。
深い。そして、幅も俺の背より広い。あれでは、走って飛び越えることはできない。
――つまり、操っているあいつを直接攻撃することはできないということか。
俺はそう剣を持ち直して体勢を整えた。けれど、そんな俺の目の前で、ゴーレムの巨体は楽々とその深い溝を越えてくる。
足が闘技場にめり込む鈍い響きが伝わる。
――どうする!?
マームのダンジョンの時とは違う。今の俺には、アーシャルがいない。
――いくらなんでも、こんなのを相手に一人でどうしろって言うんだ!
俺は、ゴーレムの後ろで笑いながらこちらを見つめているジョルテの顔を視界に納めながら、じっとそのゴーレムを見つめた。