(5)神様、魔神様
「試合終了ー! アーシャル選手顔面偏差値の通り、圧倒的な勝利です! やはり美形は強い!」
解説席からその声が轟くのと同時に、貴賓席の隣りで学長とエレヴィ教授が手を取り合って小躍りしている。
「やった、やったー! 遂にあのもさもさ学長の自慢の鼻っ柱を負ってやったぞ!」
「学長! これで毎年、在校生枠の一対一だった引き分けを覆せますな!」
「うむ! 今年は騎士科だけでなく、魔法騎士科も勝てそうじゃのう!」
――さすがに、あれだけ大喜びされると、悪い気はしないのだが……
しかし、いいのだろうか。隣の貴賓席にいる王族らしき人が、学長の様子に目を点にしているが。
――まあ、ああいう性格と知ってここの学長に任命されたんだろうし。きっと今更なのだろう。
少し引き攣りながら目を動かすと、試合を終えて階段を上ってくるアーシャルの方へと俺は体を向けた。
うん。取り敢えずは祝おう。だって折角こいつが勝ったんだから。
だから俺は、俺を見つけて急いで階段を上って来るアーシャルに、笑いながら手を差し出した。
「よくやったな、アーシャル」
「兄さん」
それにアーシャルが俺の手を取り、嬉しそうに笑っている。
その肩を引き寄せて、俺は軽く叩いてやった。
「うん。本当に立派になった」
――いつの間にか、あんな分別がつくようになったんだなあ……
昔なら、間違いなくあそこで魔法を暴発させて、俺に叱られるまでが規定路線だったのに。
それなのに、知らないうちに駆け引きを使いこなせるまでになっていた。
「そう?」
だけど、俺の前での顔は、まだ幼い頃と同じ花が咲いたような笑顔だ。
それが俺の叩いた肩の上で、嬉しくて仕方がないように俺を見つめている。
その顔を俺は感慨深く眺めた。
「ああ。それにユリカも助けてくれた」
「ああ――」
けれど、その瞬間、アーシャルは斜め横を見上げて腕を組んだ。
「まあ――兄さんの大切な人間だからね」
青空を見上げるその声は、ひどく複雑そうだ。でも、だからこそ俺は、素直にアーシャルに感謝の言葉を伝えた。
「ありがとう。実は、ユリカには、お前が本当は俺の竜の弟だって伝えたんだ」
「え?」
それにアーシャルが驚いて俺の顔を見つめている。真ん丸に開かれた赤い瞳に、俺は笑いながら頬を掻いた。
「――まあ。お前は俺の弟だもんな。いつかは紹介できたらと思っていたし」
「兄さん」
すごく嬉しそうに俺を見ている。
――ああ。やっぱり、ずっと黙って我慢していたんだなあ……
まるで心の重石がとれたみたいに、その青空の下で赤い瞳を大きく開いて輝やかせている。
「あ、ほら。次のジイナンの試合が始まったな」
そう俺は照れくさいのを隠すように、急いで下の闘技場を指差した。
その下では、魔法騎士科三年生のジイナンが、圧倒的な防御力で敵の攻撃を自分の身の回りに寄せつけずに戦っている。
元々、アーシャルの対戦相手だった魔術学校在校生で一・二を争う奴に噂される程の魔力の持ち主だ。それが更に魔法騎士科で体術剣術を身につけたのだから、持ち前の防御魔法と合わせれば完全に敵なしだろう。騎士科の生徒なら、攻撃されても剣術で互角に戦えるだろうが、魔術校の体術では相手に完全に防御されてしまっては為す術がない。
――まあ、五分持つかな。
そう薄い眼差しで見つめていると、それよりも早くに笛が鳴った。
「試合終了――! 勝者ジイナン・ドミトーリア!」
その宣言に観客席からどっと歓声と拍手が沸いた。
それに貴賓席の隣りで魔術校の学長が苦虫を噛み潰した顔をしている。
だが、さすがに連勝はここまでだった。
続く魔法騎士科のもう一人は、向こうの魔術師に負け、その後の騎士科の生徒も善戦したが、後一歩というところで負けてしまった。
これで魔法騎士科戦は二対一でこちらの勝ち。だが、騎士科戦は、零対一だ。
「さあ、在校生枠も盛り上がってまいりましたー! 次は、我が校の騎士科が誇るエリート! サリフォン・グリフィン・パブルックです!」
――うん、負けろ!
俺は今だけ普段信じてさえいない神に、全身全霊で祈った。
――あいつを負けさせて、この窮地を救ってくれるのなら、後々神の奇跡としてこのアルスト二アス王国の語り草にしてやろう。それでも足りないというのなら、仕方がないから、一年に一度ぐらいは教会に足を運んでやる!
それなのに、空がにわかに曇ってその頭上に雷が落ちることもなく、サリフォンは青い空の下に、白い騎士服を纏った姿で凛と背を伸ばしている。白金の髪が風に揺れて、悔しいぐらい神の祝福を感じる姿だ。
「さあっ! 登場です、我が校自慢の星、女生徒の憧れの男子生徒、堂々の一位を誇るサリフォン・グリフィン・パブルックです! その称号の通り、顔よし、成績良し、生まれ良しのまさに三拍子! これで女性に好かれないわけがありません!」
――この野郎、絶対に負けやがれ!
なんか今、神が頼りにならないのなら、魔神と取引をしてもいいぐらいの殺意が沸いた。
――うん。王都のためだ。ここで負けて、その無様な姿を晒しやがれ!
それなのに、観客席からは黄色い女性の声援が轟いている。へえ、そうか。家族や女生徒のみならず、貴族の令嬢にも人気なのかよ!?
――俺は、一度も女性にもてたことがないのに……
絶対に血の繋がりなどある筈がない。改めて、そう拳を握り締めた。
けれど、俺が苦悶している間に両者は名乗りを終えて、大きく開始の笛が鳴らされる。
「さあ、試合開始です! って、その瞬間、サリフォン選手危ない!」
ミルッヒの声に、俺がやっと闘技場を見下ろすと、相手の魔術校の生徒は、さっきアーシャルが対峙した生徒とは違い、手に杖を握っている。
それを持ち上げて、横に一振りすると同時に、サリフォンの周りを火の輪が包んだ。
「兄さん、あれ」
「ああ。あいつら。魔法騎士科のお前達に校内最高クラスを当ててきてたんだな」
人間の魔術師は魔法を発動するのに、魔力で体の回りに魔法を構成しなければならない。その発動条件は色々あって、魔法騎士科では腰につけた剣を媒介にするが、魔術師は高位の者になるほど、何の媒体もいらないことはよく知られている。
逆にそれ以下の者になると、杖でそのランクがはっきりと分かれるそうだが、俺が見たところ、サリフォンの相手は杖を使う中ではおそらく最高ランクだろう。
一番大きな長い杖で、大量に魔力を媒介できるものを使っている。
それだけに、サリフォンの周りを取り囲んだ炎は、そのまま背丈ほどの壁になって燃え上がり、決してそこから逃げ出すことを許さない。
「どうする気だ、あいつ」
思わず、今まで負けろと念じていたことも忘れて、俺はその試合に見入った。
けれど、サリフォンは落ち着いたまま、じっと相手の魔術校生を見つめている。
その前で、魔術校生がまた杖を斜め上から大きく振った。
それと同時に、大量の火の玉が、頭上からサリフォンへと降り注いでくる。
「俺の救い主は、神じゃなくてあの敵だったのか!?」
「はあ? 何、兄さんたらいもしない神に祈っているんだよ」
アーシャルが呆れたように俺を横から見つめているが、今はそっちに目をやる隙もない。
凄まじい量の火炎弾だ。まるで逃げ場のない弾幕のように、それがサリフォンの頭上から降り注ぎ、そのまま全身ごと燃やし尽くそうとしている。
それなのに、サリフォンの奴と来たら、突進しやがった。
右に、左に。華麗に飛来してくる火炎をかわすと、それをぎりぎりで避けて自分の側の地面に着弾させていく。
それと同時に、土が弾けて、抉られた砂が空中に舞い上がっていく。
けれど、それにさえ怯まないように、サリフォンは前へと進み続けた。
火炎陣の向こうにいる魔術師に向かって。
その緑の瞳がいつも以上の闘志に輝いて、真っ直ぐに魔術校生を見つめている。
それに一瞬、魔術師の方が息を飲んだ。
そして、次の呪文を組み立てようとした一瞬だった。呼吸が乱れたことで僅かに揺らいだ火炎陣の一部を見つけると、そこから剣をくぐらせたのだ。それについで、それを持ったサリフォンの腕と胴体が魔術師の前へと出てくる。
輝く太陽に眩しい刀身が下から振り上げられ、その杖を一閃で両断した。
ゆっくりと落ちていく杖の向こうで、魔術校生が驚愕に大きく目を見開いている。その目の前では、銀色に光る切っ先が、いつでも喉笛を狙える位置で煌いていた。
「馬鹿な――なんで、こんな一瞬で……」
「生憎、火炎の攻撃には一度痛い目に合わされたからな。今度は負けないようにと、家で雇っている魔術師に頼んで徹底的に火炎魔法戦の訓練を積んだんだ」
「おい!」
ぎらりと剣を輝かせながら凄んでいるサリフォンの言葉に、俺は思わず観客席から叫んでいた。
「なんだ、その今度って!」
――それって、絶対にアーシャルのことだよな!?
「ふうん。面白い。いざとなれば僕とやり合おうっていう気か」
「いや、やりあわないでくれ! 頼むから!」
それなのに、アーシャルの瞳は爛々と砥ぎ澄まされて、下にいるサリフォンを見つめている。
「勝者! サリフォン・グリフィン・パブルック!」
その勝者宣言と同時に、サリフォンがゆっくりとこちらを見上げた。
――おい、どうするんだよ!? これ!
それなのに、一瞬サリフォンと視線が合った。
その視線の意味に気がついて、額から汗が噴出してくる。
「兄さん」
アーシャルが横から俺を見つめている。
「冗談じゃない!」
――誰がおとなしくあいつの思い通りになどなってやるものか!
「大丈夫だ。少なくとも、俺が勝てば、あいつは俺を勝手には連れて行けない」
安心させるように、俺はアーシャルの肩に手を置いた。
――俺の結果次第では、最悪この王都が大炎上だが、それだけは避けたい。
「たから安心しろ。俺は二度とお前を置いていなくならない」
そう笑いかけると、俺のその手をぎゅっとアーシャルは握ってくる。
「兄さん……」
――もし、どうしようもなくなれば、最高に卑怯な手を使っても諦めさせてやる!
いざとなれば、あいつの手を切り落として、兄弟じゃない宣言書に拇印を押させるなりなんなりしてやる!
もっとも首が元気なら、しつこいくらい喰らいついてきそうだが!
――とにかく、サリフォンに諦めさせる方法は後だ!
今はとにかく、自分が勝って最悪を回避するしかない。
「じゃあ、行ってくる」
「うん、がんばって」
アーシャルの祈るような言葉に、少しだけ笑顔を返して、俺は歩き出した。
下にある得点表には、騎士科一対一という、勝敗を決する三戦目の表示がされていた。