(4)やる気か、あいつ!?
「なんとアーシャル選手、観客席の女性を守り警告を取られてしまった! これは騎士道精神的には問題ではないと思うのですが、ほかの観客をドミノ倒しにしてしまったのがまずかったようですね!」
そう解説席で、セルドが声を張り上げている。
「アーシャル……」
――なんで、お前がユリカを……
だけどアーシャルは、ユリカが駆けつけてきたナディリオンの手に守られた様子を、横目だけで確かめると、もう興味もないようにその顔を対戦相手に戻している。
「ああ。悪い。待たせたね」
「ふ、ふざけるな!」
相手のウルドールが顔を真っ赤に染めて叫んだ。
――そりゃあそうだろう。
試合のここぞという必殺技の最中に、完全にスルーされて切れるなという方が無理だ。
「よくも馬鹿にして――!」
そう言うと、空中に振り上げていた手を、そのままざんとアーシャルに向かって振り下ろしてきた。
その手の動きと共に、高い空中で激しく渦を巻いていた水柱が下へと落ちてくる。
凄まじい勢いだ。
それがアーシャルの頭上に迫り、次の瞬間、ごうとまるで滝の中に飛び込んだような音がした。
こちらの観客席は、ナディリオンがさっき作り出した風の壁のおかげで、どうにか観客が叫ぶ程度の細かな水しぶきですんでいるが、直撃を受けたアーシャルが無事な筈がない。
「アーシャル!」
――そうでなくても、水が嫌いなのに!
くそっ! 対戦相手は人間な分、俺たち竜のような魔力の属性がないから、何でも得意技なら使い放題か!
けれど、顔にかかる生臭い水しぶきを腕で避けながら、必死に目を凝らしている先では、夥しい白い霧が上がっていく。
水煙? いや、違う! 一瞬で水が凄まじい勢いで蒸発していっているんだ!
その証拠に、風の壁に遮られた俺のところまで、まるで風呂場で感じるような凄まじい蒸し暑さが伝わってきた。むわっとした白い煙。一気に気化された水滴たちだ。
――あいつ! 自分の周囲の温度をいったい何度まで上げた!?
だが、白い煙となった水蒸気がゆっくりと俺の目の前で晴れていくと、その奥でアーシャルは笑っていた。
薄く。冷酷に。
「ああ――まどろっこしい」
その言葉と共に、白い煙の中に巨大な三つの青白い玉が、放電するようにばちばちと火花をはじけさせながら浮かび上がっている。
それに魔術校生の間から悲鳴が漏れた。
「兄さんが、怪我をさせるなというから手加減をしていたのに」
「あいつ!」
――あれ、昇焔球じゃないか!
その一つ一つが、軽く人の背丈ほどの大きさで、アーシャルの背後に三つ浮かんでいる。
「なっ――!」
さすがにそれを見た相手が息を飲んだ。
「へえ、さすがよく訓練されている。これが何か一目見ただけでわかるんだ?」
「やめろ! お前、それが何の術になるかわかってやっているのか!?」
それにアーシャルは酷薄に笑った。
「知っているさ。この昇焔球を三つ混ぜれば、業火大昇流になる。この王都ぐらいは軽く吹き飛ばせるね」
「よせ!」
さすがに相手が、全身を蒼白にした。
だけど、その技名に魔術学校関係者から、次々に恐怖の叫びが洩れた。さすがに父兄にも魔術に詳しい者が多いのだろう。幾人かが、顔色を変えて、急いで観客席から逃げ出そうとしている。
「アーシャル!」
――まずい!
まずい!!
「アーシャル、よせ!」
――俺はお前を大陸中のお尋ね者になんてしたくないんだ!
普通に雌の竜と付き合って、普通に暮らしてほしいなんて望まない。ただ、できるなら穏やかな幸せに満ちて、その生を送ってほしいんだ。
――それなのに、ここでそんな力を使ったら!
きっといつか小さな生き物の命の重さに気がついた時に、救いようのない悔恨に襲われ続けることになる!
「アーシャル、やめろ!」
それなのに、アーシャルは俺の方を振り返りもせずに、その青白い火花を激しく上げる昇焔球を、自分の頭上高くに投げ上げる。
ふわっと浮いたそれが、少し曇った空を映す視界の中で、ひどくゆっくりと近づいていく。
「やめろ―――っ!」
それに俺と相手の魔術校生の声が重なった瞬間だった。
凄まじい鼓膜を貫くような音が弾けた。
目を開けていることさえできない。
眩い閃光が、その昇焔球があったところから広がり、それが瞼で覆った視界を真っ白に染めていく。それと同時に、凄まじい白い奔流が起こった。
ナディリオンの風の壁でも防げない。
明らかにそれを突き破って、居並ぶ観客を椅子へと打ちつけていく。誰かの飛ばされた帽子が俺の腕に当たるのを皮膚で感じた。
観客の誰かが身につけていた高価なスカーフや、鞄が次々と風に押し流されて、周りにぶつかる音が聞こえる。
そして、暫くなんの音も聞こえなくなった。
やっと、視界に色が戻り、俺が怖々闘技場を見下ろしてみると、アーシャルは前と変わらない姿勢のまま、そこに立っていた。
周りの観客も無事だ。
さっきの突風で、みんな髪はぼさぼさになり、人によってはドレスがあられもない姿になっていたりもするが、誰も怪我をしている様子はない。
――相手の選手は。
いない。
闘技場のアーシャルの前の誰もいない空間を見つめて、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
――どこかの壁に打ちつけられた? それとも、さっきの爆発でやられたのか?
見回したその時、俺の意識を奪うように審判の鋭い笛が鳴った。
「試合終了ー!ウルドール選手、場外反則でアーシャル選手の勝利!」
その声に、審判の指す方向を見れば、観客席の二階まで飛ばされた相手の選手が、痛そうに打ちつけられた頭をさすっているではないか。
「汚いそ! 大技を使うと見せかけて、場外に吹き飛ばすなんて!」
けれど、それにアーシャルは笑いながらその相手を見つめている。
「ふん。僕が兄さんのいるところで業火大昇流を使うはずがないだろう? そんなありえない心配をするなんて――」
言外に、馬鹿と鮮やかに笑っている。
――こいつ。
「そうか、俺がいなければするのか……ははは」
つまり――最悪、こいつがやりそうになれば、俺に残された選択肢は二つ。全力で王都に座りこみを続けるか、サリフォンに抱きついて離れないってことしかないのか。
――絶対に後者は遠慮したい……
というか、完全に術が完成しているじゃないか。もう行使させない――それしか弟を殺人鬼にしない選択肢がないって、一体どういう状況だよ……
そう思わず俺は自分の腕に額をこすりつけて呻いてしまった。