(7)ありがたみって大事だな
マームの迷宮。
それが俺が見上げるこのダンジョンの通称だ。マームは、この山の名前ではないのに、なぜそう呼ばれているのかは知らない。一説には過去に攻略したSクラスの冒険者や剣士たちによって、迷宮の奥深くにいるという主の名前が冠されて伝わっているというが、ここ十年ほどは攻略できた人間がいないという話だから、それさえもがもう伝説だ。
正面の入り口の前に立って見上げたそのダンジョンは、自然の奇岩を組み合わせた造りで、人を圧倒するような威容を誇っている。
太陽の日差しに照らされてその巨石の先端を白く輝かせているダンジョンを見上げ、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
この三段の階段を上って、正面の蔦を描いた岩の扉を開けて入れば、そこはもうダンジョンだ。
なにを緊張しているんだ。今さらだろう。
――あー……でも、ここにチャレンジするのなら、とりあえず実家にはいざというとき用に手紙を書いておくべきだったかな?
いや、俺が負けることはないと思うが、万が一のこともある。小さい頃に喧嘩を売ってきたので報復した相手については、なにがあっても俺のことは話さないように頼んでおくべきだったかもしれない。
――クリアできなくても死ぬつもりはないが……。
しかしほんの昨日まで、俺に竜の弟ができるなんて一瞬でも考えたことなんてなかった。人生なにが起こるかわからないとつくづく痛感した一日を経験したあとでは、なんでも最悪を考えておくべきだという心境になってきつつある。
「なにしてるの? 兄さん、早く入ろうよ」
「あ、ああ」
我に返って前を見ると、もう竜が入り口にまで行って、そこの扉を押し開いているではないか。
――まあ、そこまで心配しなくても大丈夫だろう。
なにしろいくらSクラスのダンジョンとはいえ、今回は過去に何度もここを攻略したという竜と一緒なのだ。
「竜、お前ここ何度もクリアしたんだよな?」
「うん。兄さんと一緒にね」
――なんだろう、今一瞬嫌な予感が走ったんだが。
しかし竜が開けた入り口を一緒にくぐったその瞬間、後ろでは重い石の扉が風に煽られたようにダアンと鈍い音をあげて閉まった。
扉が閉まるなんてかわいい音じゃない。ほとんど崖崩れの石が落ちてきた音だ。そしてそれと同時に、大きな石が天井から落ちてきて、出口を塞いでしまう。
「え?」
突然薄暗くなったダンジョン内で驚いて振り返った俺に、竜はああと納得したように首を縦に振る。
「ここ、入るのは簡単なんだけど、ゴールにたどり着かない限り出れない仕様になっているんだよ。次の人は入り口を開けて入ってこられるけれど、入った途端あの天井の石がああやって落ちてきて戻れなくするんだ」
「それを先に言え!」
「別に入ってからでも同じじゃない? どうせゴールしてから出るんだし」
「それはそうかもしれないが!」
今わかった。さっき感じた嫌な予感。それはこいつに常識が欠如しているという問題点だったのだ。
――しまった。常識なしと二人きりという基本的な危険度を考えていなかった!
それなのに、心でそう叫んでいる俺の横から鋭い剣がひゅんと壁から出てくる。
「わっと!」
急いで飛びのいてかわしたが、目の前では迷宮の奥へと続いていく通路の壁という壁から剣が生えてきて、まるで梢のようにびっしりと白い刀身でその通路を塞いでいる。
「へえーこれを踏破しろって?」
――今確信した! このダンジョンを作った奴は、絶対に底意地の性格だ。
「全身切り刻んでミンチにしたいなんて、たいした趣味じゃねえか!」
「うん。僕もそう思う。さすが兄さん、前回と感想が揺るがないね!」
「っていうか、ほかに感想の抱きようもないだろう!? で、竜! これはどうやってクリアしたんだ!?」
まさかこのびっしりと両側から生えた剣の草の中を一本ずつ叩き折りながら進むわけにもいかない。それにさっきの剣同様、こちらの動きを伺い仕留めるチャンスを狙うかのように剣先がゆらりゆらりと蠢いている。
「んー簡単なんだけど。僕がしてしまってもいいの?」
「知っているんだな! じゃあ任せる!」
そう叫ぶ間に、天井から降りかかってきた三本の剣を一振りで薙ぎ払って叫ぶと、竜の顔がぴょんと笑顔に輝いた。
「任せてよ!」
そう叫ぶと、巨大な竜の翼をそこで大きくばさりと広げる。
だからってまさかそんな方法だとは思いもしなかった。
ルビー色のそれを通路いっぱいに広げると、竜は俺の目の前で鼻歌を歌いながら、両腕の外側を壁にあててそのままずんずんと通路を歩き出したではないか。
「兄さんに任せるなんて言われるなんてねーこんな簡単なことでも嬉しいよ」
その横で、剣は竜の鋼鉄より固い鱗に当たり、見事に折れていく。広げた腕の先で、ばきっぼきっと音がすると、それが下に落ちてずしんと踏みつけられた竜の全体重で砂にまで粉砕された。
――おい。こんな方法のクリアでいいのかよ?
いろいろダンジョン主から苦情の出そうな攻略の仕方だ。
――まあ、地上最強生物仕様ではないんだろうが。
しかし、それだけにその強度は考えていないらしい。竜が壁の剣を根こそぎ砕いて地響きを轟かせながら歩くごとに、組み合わされた巨岩が揺れてぱらぱらと砂をこぼしている。舞い上がる砂粒が巨岩の間からこぼれる光に金色に輝く。
その量が、竜の一歩ごとに多くなっていくのに気がついて、俺は大急ぎで竜の背中を追いかけた。
「馬鹿か! そんな方法をとったらダンジョンが壊れるだろうが!?」
いや、それ以上に。
「第一、お前の上に岩が落ちてきたらどうする! いくら竜の鱗が固くても、怪我をしないとは限らないんだぞ!?」
「大丈夫だよ、だって前もこうやって攻略したし」
「お前が砕いて突破したのか!?」
「ううん、兄さんが。僕が怪我をしたら危ないからって」
だから前は任せてもらえなかったんだーと暢気に竜は笑っているが、俺は頭が痛い。
――俺はそいつと同じ発想か。っていうか、その兄、実は絶対に兄馬鹿だろう?
「とにかくやめろ! 本当に岩の下敷きになるぞ!」
ぱらぱらと天井から落ちる岩のかけらに必死になって叫ぶと、やっと竜がそのダンジョン中を揺るがせていた歩みを止めた。
「じゃあ、仕方ないね」
その言葉と一緒に、広げていた翼を小さく折りたたむ。そして、それと同時に、竜の指が体の前を一撫でし、その動きとともに赤く光る髪の人間の姿となっていく。
縮んでいく竜の姿にほっとしながら見ていると、しかし人型をとった瞬間、竜は横に腕を構えて手の中に明らかに眩いまでの火の玉を作り出した。
「それならこれしかないか」
そう言うと、その手の中の火球の温度をどんどんと上昇させていく。最初は赤かったそれが白色になり、今はもう直視もできないような眩さだ。
「ちょっと待て! それをどうする気だ!」
「どうって、兄さん。ここをクリアしたいんでしょう?」
「そうだが!」
「じゃあこれしかないじゃん」
その一言と同時に、手の中の火球が竜の手から放たれた。それは竜の顔を輝かせてから、ダンジョンの迷宮を照らして、暗い通路の奥を火炎に呑み込みながら転がっていく。
学校で習った程度の魔術の知識しかない俺でもわかる。間違いなく破壊力抜群の上級魔法だ。
人間ならば、余程魔術師の資質のあるごく一握りの人間しか使えない。それほどの魔法が、ボーリングさながらにダンジョンの通路を転がり、剣の梢を根こそぎ倒して溶かしていく。
「いっけええええ」
それなのに竜の顔はあくまでも無邪気だ。まるでゲームを楽しんでいるかのように、ありがたみのかけらもありはしない。
「ストライク!」
どこの呪文かはしらないが、通路の奥まで到達した凄まじい火炎にそんな言葉を大きく叫んでガッツポーズを決めている。
「あー竜……」
お前、罠を攻略してくれたのは嬉しいが、そんな無茶な魔法の使い方はするな。というか、難しい魔法はありがたみがあるように使ってくれ。じゃないと素直に感嘆の念がわいてこない。
――いや。竜だから、ないのか?
だとしたら、たまには素直に礼を言うべきか。
しかし頭に手を当てて考えこんでしまった俺のもう一本の手が竜に急に取られると、そのまま今剣を溶かした道を走り始めた。
「急いで! この剣が消えても、すぐに次の罠が出てくるから!」
「あ、ああ」
竜に手を引かれるまま、急いでダンジョンの奥へと走っていく。
「ダンジョンの主にはどこに行ったら会えるんだ!?」
「そこの階段を上がって山の斜面に作られた三階だよ! そこに行かないと会えないんだ!」
「よし!」
大慌てでまだ熱の残る通路を走るが、溶けた剣の鉄が靴の後ろにくっついて、じゅっと嫌な音と煙をあげる。
「おい、竜。そのどろどろを踏むなよ、火傷をするぞ」
「兄さんったら! 昔と同じこと言っているよ? 僕火竜だよ?」
――そういえば、そうだった。
よく見ると、竜はどろどろになった金属を踏んでも平然としている。まるで水溜りで遊んでいるかのようだ。
だけど、俺は明らかに足に痛みが走る。
――ま、そうだよな。
人間だから。
当たり前か。当たり前なんだが――と俺は、前を走る竜の背中を見つめた。