(3)アーシャル戦開始!
円形の闘技場は、もう観客でいっぱいになっていた。
立派な身なりの者が殆どだが、所々明らかに町人とわかる人が一張羅を着込んで、卒業する我が子の晴れ姿を観戦している。
「もう始まったのか?」
闘技場の観客席に近い一階の通路を走って、俺はそこから見ていたコルギーに声をかけた。
「おおー、今卒業生同士がやっているぞ」
その言葉に、広い闘技場を見ると、七人一組で組んだ卒業生が魔術学校生相手に集団戦を展開している。
「さて、今年も盛り上がってきましたアルスト二アス王国大学附属騎士養成剣術学校対魔術師養成学校卒業生対抗戦! 今年の解説は私、魔法騎士科一年生のセルド・ウィードと」
「同じく魔法騎士科一年生ミルッヒ・パーディーでお送りいたしております」
その聞き覚えのある声に思わず解説席を振り返った。
――あれ? あの二人、アーシャルの同級生じゃないか。
魔法で音声を拡大しているが、道理で、どこかで聞いた声だと思った。
「さて、セルドさん。卒業生対抗戦は毎年集団戦ですが、今年の傾向はいかがでしょうか」
「そうですね、さすがに毎年のこととあって、両チームともよく作戦を練ってきています。特に今年は、魔術学校の魔法攻撃を抑えるために、剣術学校はこれまでと違い剣術、槍術、戦術の得意な生徒、それに弓科、魔法騎士科の生徒をバランスよく組み合わせてきましたねー。さすがに、魔法攻撃では魔術学校の方が上回っていますが、それを弓で集中力を乱し、波状に攻撃をかけることで巧みに戦っています」
その通りだ。俺が見た闘技場の試合の様子も、まさにそれで互角の戦いを展開している。
さすがに魔術師相手では、よほどの技量がなければ、個人戦は厳しい。
けれど、それが色んな得意技を組み合わせることによって、剣術学校より体術で劣る魔術師達に迫る戦いを展開させている。
「よっしゃー! これで今年は肉体馬鹿の禿げなんて、あのもさもさ野郎に言わさんぞ!」
「学長! 今年こそ我が校の勝利ですな!」
そうがははと大きな声で笑っているのは、学長と魔法学のエレヴィ教授だ。
――どれだけあの二人、魔術学校に恨みがあったんだ……
貴賓席を間に挟んだその反対側の魔術学校関係者席では、去年も見た頭全体を見事な白髪に包んだ鷲鼻の男性が、背を逸らしながら試合経過を見つめている。
「試合終了ー! 一回戦は我が剣術学校の勝利です!」
それに、わっと観客席が沸いた。続いて二回戦が始まるが、今度は逆に魔術学校の方が有利に展開している。
「相手さんもこっちの戦力は分析しているということか」
そう腕を組んで呟くコルギーの声に、俺も頷いた。
「ああ。僅かに防御の弱いところを狙われている」
やはり集団戦で、全員を同じレベルにするのは難しい。それだけに魔術師からの防御を担っている弓科、魔法騎士科の生徒達の戦力にばらつきがあると、明らかにそこを狙われている。
それを、指揮をとっている生徒が、本来攻撃に長けている剣や槍を持った生徒でできるだけ防ごうと努めているが、やはり戦略の差がはっきりと出る。全員で防御に回ると、今度は勝利を決めることができなくなってしまう。
暫く激闘が続いたが、相手の魔術がこちらの七人の内、四人を打ち伏せて、ピーと鋭い笛の音が鳴った。試合終了の合図だ。
「残念だが、仕方がないな。次、在校生枠の試合だろう?」
「ああ。確か、アーシャルの出番の筈だが」
そう俺は、少し窪んだ形になっている闘技場を見下ろした。すると、剣を持って騎士の礼装を整えたアーシャルの元に、ソンニ教授が急いで駆け寄って行っている。
教養礼儀学の教授だ。いつも嫌味ばかりなのに、なぜか今日はひどく焦ってアーシャルに話しかけている。
「頼むから! 敵を相手にして、突然両手を挙げて踊り出すとか、名乗りを上げるのに即興で自己紹介の歌を歌ったりしないでくれ!」
それに俺は思わずこけた。
「えー? でも、敵なんだし、やるなら開始合図前の一撃が最高じゃない?」
「頼むから! 相手に礼儀を尽くして!」
「ああーつまり鳥みたいに軽く戦闘のダンスを踊って準備体操を行いながら、相手を讃える詩を作って敬意を払えと。なんだ、僕それなら得意ですよ?」
「教科書通り! 詩も歌もダンスもいらないから、ただ礼をして普通に戦えばいいから、な!? 頼むから!」
すごいなあいつ、あのソンニ教授をここまで動揺させるなんて。
「あいつ、教養礼儀の授業で一体何をしたんだ」
「いやあ、実に楽しみな武勇伝が多そうだー。お前の弟、ソンニ教授を動揺させたってだけで、伝説を一個生み出したな」
そうコルギーはけらけらと笑っているが、俺はさすがにソンニ教授の後頭部にできた円形の丸い穴に同情してしまう。
――あいつに常識的な礼儀を理解させるなんて、絶対に不死の薬を開発するのと同じ難易度だろうに……
なんで、そんな絶対不可能領域に挑まなければならないのか。どれだけ普段嫌味な教授でも、さすがにかわいそうになってしまう。
「はあい、リトム!」
「え? 女将!?」
突然響いた明るい声に上の観客席を驚いて見上げると、豪華なオレンジ色のブロンドを揺らした女将が、そこで明るく手を振っているではないか。
「約束通り見に来たわよー。なに、今年はアーシャルも出るの?」
「え、ええ……魔法騎士戦用に学校からスカウトされて」
そう言いながら、素早く観客席にいるユリカを確認した。大丈夫。三つ程離れた区画の一番前の席にナディリオンと一緒に座っている。それに思わずほっとした。
「もう。アーシャルが出るのなら、言ってくれたら、喜んで服を作ったのにー」
「すみません。さすがにお金が覚束なかったので、寮生のお下がりを借りたんです」
そう謝ったが、女将はまだ唇を尖らせている。
――本当は、嘘だ。
金がないのは本当だが、頼まなかったのはそれが原因じゃない。だけど、まさかと頭を振る。
――気にしすぎだ。ユリカだって、無事に連れて来てくれたのに……
それなのに、絶妙なこのタイミングでの、その好意が、逆にいきすぎな気さえしてくる。
――俺に近づくため? だとしたら、何のために?
ダメだと首を振った。考えすぎだ。
「ああ、ほらもう始まるぞ?」
そのコルギーの声に指された闘技場の方を向くと、そこには既に入っていたアーシャルが白い騎士のマントを翻して魔術学校の生徒と対峙している。形通り、腰に剣を一応下げてはいるが、それを抜く気配はない。
「さあ! では、卒業生対抗戦も二試合を終わり、ここで在校生枠の戦いに移ります。卒業生の皆さんは、今のうちに戦略の練り直し、そして休憩を取っておいてください」
そう闘技場に響く声でセルドが解説をしている。
「ミルッヒさん、在校生枠は卒業生と違い毎年個人戦なんですねー」
「はい、セルドさん。何しろ両校の次を担う期待の選手の集まりですからね。ですから、反則以外はどんな得意技で戦ってもいいということになっております」
「ちなみに、反則とはどのような行為が入りますか?」
「はい。反則についてですが、基本的に人が見て目を背けるようなことと、場外に逃げることが禁止とされています。ですから、かなり何でもありですねー」
――ふうん。去年と同じままだな。
そう腕を組んだ俺の耳に、まだ解説のセルドの声が響いてくる。
「そうなんですね、ミルッヒさん。騎士道精神、または魔術師協会の規定に背かなければよしということですね」
「はい。つまり、攻撃で金玉を狙うのは人として微妙ですが、ズボンの紐を切るのはよしということでしょう。ここは各選手の知恵のひねり合いが見物ですね」
思わず体が壁にそって崩れた。
それに遠くで、セルドが隣りの同級生を怖そうに見つめている。
「見たいんですか、ミルッヒさん?」
「個人的には。ですが、むさ苦しい方のは御遠慮いたします。淑女ですから」
「僕はズボンの紐を切れと言う淑女など初めて見ましたよ」
「全くだ!」
思わず俺は全力で叫んでいた。それに、観客席の全員が目を点にして、解説席の方を見つめている。
だが、すぐにそのミルッヒの眼差しは闘技場のアーシャルの方へと向いた。
「おおっと、両者礼を終え、無事名乗りを終えた模様です」
それにセルドがほっとしている。
「ここら辺は、決闘の時の儀礼に則っていますね。アーシャル選手、今日はどうにか歌いださなかったようです」
――おい。お前の普段の所業、友人に盛大に暴露されているぞ?
だけど、闘技場で冬の陽射しを浴びながら白いマントを翻しているアーシャルの姿を見て、俺は少しほっとした。
――大丈夫、もう落ち着いているな。
髪は太陽の光に紅く輝いているが、その背は凛と伸びて、目の前にいる魔術師のローブを纏った相手を落ち着いて見つめている。
「さて、ではミルッヒさん。この勝負の分析をしてみましょうか」
「はい。私が見ましたところ、アーシャル選手、顔面偏差値九十八。圧倒的です。ただ成長途中で少し渋みが足りないのだけが難でしょうか?」
――おい。
なんでさっきから悉く人の緊張感を奪ってくれるんだ!
だが、まだミルッヒの声は続いている。
「対する魔術校選手。ああーっと、これは惜しい! 世間ならば初々しい好青年! 女の子に騒がれそうな容姿ですが、人ならざる美貌に近いアーシャルの選手の前では月とすっぽん! 残念ながらこの勝負、戦う前から決まったー!!」
「何が決まったんですか! というか、ミルッヒ! さっきから君は男の何を見ている!?」
「んー顔?」
「ほかにもあるだろう!? 仮にも試合なんだから!」
それに生徒みんなが首を縦に振った。これは剣術学校も魔術学校もない。実に歴史的に珍しい瞬間だ。
けれど、叫ばれたミルッヒは落ち着いている。
「ああ。胸板とか尻とか? でも、それを今解説するのはセクハラですよ?」
「絶対にそこじゃない!」
けれど、その間にも下では魔術学校生の凄まじい風の一撃が繰り出された。
「おおっーと! 強烈な一閃! これはさすがに魔術校生徒ウルドール怒ったか!?」
むしろ怒らないなんて展開がありえるのか!?
――あの女生徒、実は何かアーシャルに恨みがあるんじゃないだろうな!?
そう思ったが、その瞬間アーシャルも手を体の前で一閃した。それだけで、凄まじい熱風が起こり、風と風がぶつかり合う。
「きゃああ!」
二つの風のぶつかり合いで突然生み出された強烈なつむじ風に、観客席の人々が頭の帽子を抑えたり、腕で目をかばったりしている。
それに遠くでナディリオンが立ち上がった。
そして、急いで客席から更にせり出した一番前に走り出ると、両手を空中に広げて、ざんとその風を遮る。
おそらく魔術で何か薄い空気の壁のようなものを作ったのだろう。それまで激しく吹きつけていた風が急に収まった。
「いっけーアーシャル!」
けれど、俺の頭の上で、その風をものともせず叫んでいた女将の様子に俺の目が丸くなった。
「やられたらやり返すのよ! 男の子でしょう!」
あ、女の子もねと慌てて付け加えているが、なんだ、その目には目をの理論。
その声が聞こえたわけではないだろう。すぐにアーシャルが体勢を整えると、細かい炎のつぶてを手のひらから素早く投げるように繰り出した。
けれど、それに相手は地面の砂を巻き上げて、その石つぶてで悉くその炎を打ち落としていく。
「アーシャル!?」
――おかしい。なんか、いつもと戦い方が違う。
ちっとその顔が、落とされた炎の粒に忌々しそうに舌打ちをした。
しかし、すぐにアーシャルは自分の体の回りに無数の鬼火を浮かべると、それを闘技場全体に広げていく。
ぽうと赤い炎が、ゆらゆらと空中に浮かび上がる。何十、いや何百という数だ。そして目の前にいる魔術校の生徒をじっと見つめた。
それに相手が冷笑を浮かべた。
「ふん。教授が要注意の編入生だというからどれだけのものかと思えば――」
そう、はっきりと嘲りの眼差しで見つめる。
「僕は、魔術校の三年生で常に一番と言われてきたんだ。だから、幼い頃から優秀だといわれたジイナンと競える日を楽しみにしていたのに――! あいつ、よりによって、魔術校の入学試験当日に風邪で熱を出して休みやがって!」
――あいつ、そんな可哀想な経歴だったのか。
道理で異常に魔力が高いのに、魔術学校でなく魔法騎士科に入ったわけだ。というか、うちの魔法騎士科って向こうの滑り止め扱いなの?
「だからずっと今日はジイナンと戦えると楽しみにしてきたのに! 突然君が対我が校戦用として編入してきたからって、急に対戦相手を変えられた僕の無念さがわかるか!?」
「うん、大丈夫。わかるよ」
それにアーシャルは大きく頷いている。
「僕も兄さんと一緒にいる時間以外に、時間を取られるのはとても残念だ。だから今、君の無念さはよくわかる」
「なっ――……!」
――おい、アーシャル。それ今そいつと戦っている時間が、実はとてもつまらないと超失礼なことを言っているぞ?
「ふざけるな!」
――うん、当然そうなるよな。
だが、相手は手を空に向かって大きく伸ばした。その先から、ごうごうと音が巻き上がり、巨大な水柱が空中をうねって近づいて来る。
「この匂い」
俺はくんと鼻を動かした。
「学校の中庭の池の水だな」
「え? お前、匂いでそんなのがわかるの?」
「だって生臭いだろうが」
そうかあとコルギーは疑わしそうに空中に渦を描いている水の柱を見つめているが、水竜の勘でわかる。
だが、さすがに、これはまずい。
――いくら元がただの池の水でも、こんな量を一度にかけられたら! アーシャルが作り出したこの何百という鬼火でも一度に消されてしまう!
それなのに、アーシャルは、じっとそれを見たまま動かない。
「アーシャル?」
――どうしたんだよ、お前? いつもなら、相手にそんな攻撃を与えさせる暇もなく、一撃で倒せる相手だろう?
見つめる前で、ただじっとそれを眺めている。
「バカッ! 身を守れ!」
――いくらただの池の水でも、魔力で凝縮されている。当たれば、柱の形を保つのに巻いている激流で、全身に傷を負うのは避けられないのに!
やっぱりさっきユリカに言われたことで、落ち込んでいるのだろうか。
だけど、こんな激流がこちらに向かったら――はっと気がついて、俺は観客席にいるユリカを振り返った。
そして、目を見開いた。
「いやっ、やめて」
丁度ナディリオンが二人の戦いから観客を防御するために、席を外したのをよいことに、さっき俺達をこそこそと人ごみから見ていた貴族の奴らが、一人で座っているユリカに絡んでいるではないか。
「ユリカ!」
俺のその声に、アーシャルの視線が一瞬でその方向を向いた。
「いいじゃないか。君の兄さんの学友だぜ? な、名前を教えてくれたら後でこっそり手紙を書くから」
「いりません! 私は、今もこれからもお兄ちゃん一筋です!」
「そう言わずにさ。君みたいな可愛い子は貴族でも稀なんだ。貴族の俺らと仲良くしておいたら、リトムにだってこれからのためになるしさ」
「あいつら――!」
俺は急いで駆け出そうとした。しかしその前で、相手はユリカの手を掴むと、無理矢理立たせてどこかに連れ出そうとしている。
「なあ、本当。成長したら、ちゃんと俺の恋人にしてやるからさ。だから」
ぐいっと強く腕をとられている。
「いやっ!」
咄嗟にばしっとユリカの手のひらが相手の頬を叩いた。
「お前――」
それに相手が、明らかに顔に怒気を湛えて、まだ小さいユリカに拳を振り上る。
その時だった。
「ユリカ!」
俺が叫ぶのより早く、その貴族の男の左頬にどんと炎の玉が直撃した。そして、そのまま頬の肉を焼きながら、観客席の奥へと吹き飛ばしていく。
あれは魔法騎士科の授業で見たことがある。紅蓮炎だ。
――え?
急いで、今炎が飛んできた方向を見つめると、アーシャルが自分の前にいる対戦相手を放り出して、今炎で吹き飛ばした相手を冷たく睨みつけているではないか。
「アーシャル」
それと同時に、鋭く審判の笛が鳴らされた。
「反則! アーシャル選手、警告一です!」
「おおっと、なんとアーシャル選手。反則を取られてしまいました。警告一ということは、後一回で失格ですね」
そう解説席のミルッヒが語気荒く叫んでいる。
だが、まだ突然自分を助けてくれたアーシャルの顔を、ユリカは観客席に立ちすくんだまま、きょとんと瞳を見開いて見つめている。その側へ、大急ぎで、ナディリオンが戻って来た。
「大丈夫かい?」
「え、ええ――」
そう頷いている。その間もユリカの青い瞳は、まだ競技場に立ったままこらちを見ているアーシャルの姿をじっと映し続けていた。