(2)真実の告白
次の日、冬の空は澄み切り、王都の上に青い天蓋を広げていた。
普段は男の姿ばかり目立つ武骨な校内の風景も、さすがに今日ばかりは訪れた父兄たちの衣で華やかに彩られている。
さすが貴族や富裕層の多い学校だ。
あちこちで黄色やピンクのドレスの裾が翻り、それが立派な身なりの男性に腕をとられて歩いている。そうかと思うと、薔薇の花を挿した帽子を被った女性が、自分の弟らしき卒業生に怪我をしないようにと話しかけている。
「すごいわねーお兄ちゃん」
おそらく貴族を間近で見るのも初めてなのだろう。ユリカが興奮した頬を隠しもせずに、卒業式間際のお祭りの空気を楽しんでいる。
「王族も見にくる一大行事だからな。ここからたくさんの騎士が巣立っていくし」
だからいわばその実力の見極めもあるのだろう。アルスト二アス王国の騎士団関係者や将軍もたくさん来ている。
それに俺は周りを見回した。
――大丈夫、サリフォンとその親父はいないな……
それにちょっとだけほっとする。
「だから貴族のうるさいのもたくさん来ている。変に絡まれたりしないように、気をつけろよ」
「うん――だけど本当に賑やかね」
その姿は、初めて見るこの学校のお祭りを心から楽しんでいるようだ。
かわいらしく頷いていたのに、急にその視線が俺の隣にきっと振り仰がれる。
「それなのに、なんであんたまでいるのよ!」
けれどもそれにアーシャルは腕を組みながら、自分より少し低い位置にあるユリカの頭を見下ろした。
「僕も一緒に出るんだ。当たり前だろう?」
「もう! 折角お兄ちゃんと二人きりで過ごせると思ったのに!」
そう思い切り舌を出すと、そのまま俺の首に抱きついてくる。
それにアーシャルがぴくりと眉を寄せた。
「ユリカ!」
――困った。どうしよう。
けれどそれにアーシャルは少し唇を噛んだが、ふんと斜め横を見ている。
「アーシャル……」
――どう言えば、いいのか。
困ってアーシャルを見つめたまま、俺は取りあえずユリカの手を首から外させた。
「お兄ちゃん?」
「ああ、いや――」
だけどショックだったのか、ユリカがその空色の瞳を大きく見開いている。
「いや――」
迷って、誤魔化すようにユリカの髪を撫でた。
――どうしたらいいのか、わからない。
ユリカに話しても、混乱させるだけだろう。でも、アーシャルをこのままにしておくわけにもいかないし……
――それに、もしユリカが俺の出生の疑惑に気がついたらどうするのだろう……
俺の手の下で、ユリカはまるで猫が額をこすりつけるように、俺の手のひらを気持ちよさそうに味わっている。
その笑顔に俺の口から思わず言葉が零れ落ちていた。
「ユリカ――もし、お前と俺の親が違っていたらどうする?」
――しまった! 言葉に出すつもりはなかったのに!
「え?」
だけどもう取り返しがつかない。その言葉に、ユリカは大きく瞳を見開いている。
「お兄ちゃんが? 私と?」
けれど、次の瞬間ユリカの顔には笑みが花のように咲き乱れていく。その表情は紅潮して、周りの空気までぽわわんとピンク色に染まっていくかのようだ。
「だったら私、お兄ちゃんのお嫁さんになる!」
「いや、ごめん。片方だけ親が違った場合だった」
――なんでこんなに嬉しそうな反応が返ってくるんだ?
それなのに、俺が引き攣りながら訂正すると、明らかにユリカが舌打ちをしている。
「それなら――いっそ、両方違っていてくれた方が、お兄ちゃんを生涯独占できるのに……」
「――悪かった、変なことを訊いて」
――どうして、こんなにアーシャルと似ているんだ……
ユリカとアーシャルにはまったく血の繋がりがないはずなのに、何故二人ともここまで発想が同じになるのか。俺の方が戸惑ってしまう。
「でも、お兄ちゃん? なんでそんなことを?」
愛らしくこくんと首をかしげたユリカを見つめて、俺は口を手で抑えながら慌てて誤魔化した。
「いや――学校の友達に相談されて……父親の違う妹とどう接したらいいのかって――」
「お兄ちゃんの友達なら、取りあえず殴って撫でたら解決じゃないの?」
「ユリカ、お前は俺をどう思っている?」
「え? だって、お兄ちゃん、そこにいる変なお兄ちゃんのくっつき虫には、この間家でそうしていたじゃない?」
「ああ、まあそうだったな――」
――我が妹ながらよく見ている。
だけど、その時後ろからよく知った声がした。
「へえーあれがリトムの妹か?」
確かクラスでよく聞いた貴族の奴のものだ。それが数人で固まり、人ごみの間からこちらを見つめている。それに俺は咄嗟にユリカに手を伸ばして警戒した。だが近づいてくる気配はない。
「へえ。割とかわいいな。兄とは少しタイプが違うが、将来美人になりそうだ」
「ああ、兄と性格が違えばな」
「うん。兄と違えば美人になる」
「いや、似た方がたまらん美人になるだろうが」
――おい。最後に呟いたのは誰だ?
俺が全速力で振り向いたのに気がついたのだろう。その途端、人ごみの中に蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまった。
――まったく……
それなのに、その一瞬回りに注意を払うのを忘れていた。
「リトム」
聞きたくなかったその声に、はっと反対側を振り返ると、いつの間にかそこにサリフォンが礼装に近い姿で立っているではないか。
いつもとは違い、白金の髪に白い騎士の衣装を身につけ、緑色の帯で腰を留めている。纏っているマントも普段の黒ではなく、騎士の礼装用の白だ。
「ふん。そんな格好をすれば、まるでもう騎士様だな」
悔しいが、俺には似合わない格好だ。どんなに同じ服を着ても、こいつみたいに、気品に満ちた着こなしなんてできるはずがない。だから、去年と同じ上下黒の騎士服だ。
けれど、さすがにその言葉だけでは誤魔化されてはくれなかったみたいだ。
「はぐらかすな。約束は覚えているんだろうな」
「それを今話すな!」
眼差しに全ての殺気を込めた。
その視界に、サリフォンの顔と、その遥か後ろにあの館で見たオースティン将軍が立っているのが見えた。側に立っている紫色のドレスを纏った婦人が、サリフォンの母だろうか。将軍も俺のことに気がついているようだが、側にいる女性が夫を凄まじい瞳で睨みつけているために、こちらに来るのを必死に我慢しているように見える。
俺の眼差しの強さで気がついたのだろう。やっとサリフォンの目が、俺の手が守るように伸ばしているユリカへと落とされた。
「その娘は?」
「妹だ」
端的に答えた。それで理解したらしい。すぐに頷いているところは、さすが伊達に二回も無断で人の身辺調査をしていない。
「ああ――そっちが本物の妹か」
「って、私の偽者って誰!?」
さすがユリカ。そのツッコミの鋭さは間違いなく俺の妹だ。だが、それだけでは終わらなかった。
「まさかこの女顔のお兄ちゃんの追っかけじゃあないでしょうね!?」
――おい、ユリカ。お前のアーシャルへの認識はどうなっているんだ?
それなのに、サリフォンは僅かに眉を寄せて俺を見つめている。
「追っかけ? 貴族の変な奴にもてるとは思っていたが、そうなのか?」
「頼むからどこからつっこめばいいのかわからんのは、勘弁してくれ!」
――なんだユリカ、その追っかけって!? そしてサリフォン! お前はさらっと何を知っているんだ!?
さすがに堪らなくなって大声で叫ぶと、それにサリフォンは満足したようにふんと鼻で笑っている。
「まあ、いい。約束は守れよ」
――って、お前絶対に守らせる気だろう?
というか、どうやったらこの賭けをなかったことにできるんだよ。
俺が勝って、サリフォンが負ける。できたら、呪詛でも何でも駆使してサリフォンの相手を応援したいところだが、絶対に呪いぐらい跳ね返す奴だからな……
――むしろ、俺に兄弟と認めない選択肢を、敢えて与えないようにしているとしか思えない……
なんでだ。お前、俺を嫌っていたはずだろう? 頼むから初志貫徹してくれよ!
「ああ、もう!」
人目も意識せずに黒い髪を掻き毟る。
――とにかく! 今はユリカをあいつらに会わせないようにするしかない!
そうユリカを観客席に連れて行こうと反対側に足を踏み出そうとした時だった。
「兄さん、僕もそろそろ時間だから行くよ」
その声に振り返ると、アーシャルが遠ざかっていくサリフォンの背中を見つめている。その瞳が大きく開き、まるで全身から闘気が立ち上っているかのようだ。
「あ、ああ――」
それに一瞬で頭に水をかけられた。
「がんばれよ。お前のことだから心配ないと思うが、あまり相手にけがをさせないように――」
「うん」
「俺もユリカをナディリオンに預けたら、すぐに行くから」
「わかった。兄さんも安心して」
けれど、そう笑うその瞳の殺気はまだ消えていない。
――確実に怒っている。
だけど、その横でユリカが臙脂の外套の腰に両手を当てながら叫んだ。
「行ってらっしゃい! そのまま二度と帰ってこなくていいのよ? 私のお兄ちゃんなんだから、勝手に近づかないでよね?」
「ユリカ!」
だが、止めるよりも早くに、アーシャルの瞳が見開いた。
それがユリカを見下ろすと叫びそうになり、だが唇を噛み締めている。握り締めた拳が何も言えない辛さをはっきりと現して、そして俺に背を向けた。
その姿を見送り、ユリカがふんと背を逸らした。
「ユリカ!」
俺はたまらずに叫んでいた。
けれど、ユリカはその背を逸らしたまま、俺が叫んでいる姿をきょとんと見上げている。
「お兄ちゃん?」
その反対側で、アーシャルは無言で俺から遠ざかっていく。
その背中が何も言えない辛さをただ我慢しているように見えて、堪らない。
――ずっとこんな辛さを我慢させていた。
家族なのに、人前で家族と名乗れない辛さ。兄の俺に兄弟でないとされる悲しさ。
――それがどれだけ悲しくて堪らないものなのか。今の俺は十分すぎるほど知っているのに!
「お兄ちゃん?」
けれど、一緒に歩き出したユリカは、俺の顔を見て、こくんと首を傾げている。
その顔は、ただ純粋に、俺を慕ってくれているからのものだ。血の繋がった俺の妹。
血の繋がらない俺の家族。もう血の繋がらない弟。
――嫌というほどその辛さを味わった筈なのに!
俺はユリカに繋いだのと反対の拳をぎゅっと握り締めた。
――だめだ。いつまでもアーシャルにこんな我慢をさせていては!
「お兄ちゃん?」
だけど、その時、前から歩いてくるナディリオンが見えた。
「やあ、リトム。その子が頼まれていた妹さんかい?」
「ああ、はい。申し訳ないんですが、試合の間お願いしたいんです。まだ幼いので――」
「任せてくれたまえ。君の妹さんなら大歓迎だよ。ふうん、やっぱり顔は少し似ているね」
そう覗き込むナディリオンに、ユリカは目をぱちぱちとさせている。
「お兄ちゃん! この学校の先生ってすごく綺麗なのねー何、騎士の条件って美形もあるの?」
そうユリカは頬に両手を当てて驚いている。
けれど、俺はそうはしゃぐユリカの両肩を掴んだ。
「ユリカ!」
「お兄ちゃん?」
それに、ユリカが空色の瞳を瞬いている。
その肩にぐっと力をこめた。一瞬の迷いを振り切る。
「ユリカ――アーシャルは本当に俺の弟なんだ!」
「え――?」
けれども突然の俺の告白に、わけがわからないといったように、その両手の先でぱちぱちと瞬きを繰り返している。その肩を握り締め、俺は懇願するように言葉を絞り出した。
「信じられなくても仕方がない! だけど、俺が前世竜だった時の弟なんだ――!」
「え? お兄ちゃんが竜?」
――わかっている。無理なことを言っていることは! でも、言わなければいけない!
「だから突然いなくなった俺を探してここに来たんだ。突然こんなことを言われても、お前が混乱することもわかっている! でも――」
――どうか、アーシャルをこれ以上傷つけることだけは言わないでやってくれ……!
そう囁くように懇願すると、ユリカはただわけがわからないという表情をしている。
「え? え、え?」
けれど、そのまだ混乱して呟きを繰り返している姿をナディリオンに一礼をして預けると、闘技場へと歩き出した。
「お兄ちゃん……」
ただ、その呟きだけが小さく背後に聞こえた。
更新をお休みしていて申し訳ありません。だいぶ体調が回復してきましたので、今週から二・三日に一度の更新ペースに戻せるように頑張ります!