(1)兄弟三重奏開始?
手紙に書かれていた卒業生対抗戦の前日。俺は数日前に届いたその手紙を握りしめながら、辻馬車の乗り場まで来ていた。
寮からは目と鼻の先とはいえ、ユリカは王都には来たことがない筈だ。
――それなのに、一人で来させるなんて……
俺は爪を噛みながら、手の中の封筒をぎゅっと握った。
「兄さん……」
一緒についてきてくれたアーシャルが、そっと俺の肩に手を置いている。
「ああ、大丈夫だ」
そんなに心配そうな顔をさせるほど、俺は動揺しているか?
――仕方がない。だって、まだどんな顔をしてユリカに会えばいいのかわからないのだから。
俺の出自のことなど何も知らないだろう妹。母さんとサリフォンの親父のことも、俺とサリフォンのことも。何も知らないはずなのに、よりによってこの卒業生対抗戦にやって来るなんて。
だが、そう思う間にも乗り合い馬車は俺達の前に近づいて来る。ごくりと息を呑んで、その大きくなってくる車輪の音を、立ち並ぶ煉瓦作りの建物の間に見つめた。
それなのに、乗り合い馬車はその馬を止めることなく、俺達の前を走りすぎていく。
「え?」
――時間を間違えただろうか?
慌てて手紙を確認するが、中に綴られている予定は、間違いなく12月の今日になっている。
「おかしいな。午後に着くカルムからの乗合馬車は、この時間しかない筈なんだが」
――まさか――! 道中で何かあったのか!?
いくらしっかりしていも十一歳の女の子だ! それを王都まで一人で来させるなんて!
血の気が引いていく気がして、急いで顔をあげた。
けれど、その目の前で石畳の道を馬に引かれた荷車がからからと近づいてくると、その御者台から、手を振っている茶髪の少女が見える。
「お兄ちゃん!」
「ユリカ!」
笑顔で、臙脂の外套に包まれた右手を青空に大きく振っている。
それにほっとした。
息を着く間にも、馬車は俺達の前に近づくと、ぎっという音共にその車輪を止めた。
それと同時に、ユリカがぴょんと御者台から飛び降りる。
そして俺に駆け寄って来た。
――前と同じ姿だ。
どこも怪我などしていない。昔と同じ屈託のない笑顔で俺に抱きついて来る。
それに、俺も前と同じように目を細めて、その茶色の髪を撫でてやることができた。少し巻き毛のそれが、手の下でふわふわとして気持ちがいい。
嬉しそうにユリカが俺の手のひらを味わっている。
「心配したんだぞ? 一人で王都まで来るって言うから――」
「だってお兄ちゃんが帰ってこないって言うんだもん! 冬休みと夏休みぐらいしか、ゆっくり会えないのに!」
「あ、ああ――それは悪かったと思っているが――だからって、女の子一人で」
少しまごつきながらそう言うと、ユリカは俺に抱きついたまま胸から顔をあげた。
「それに一人じゃないわ。私がお兄ちゃんに会いたいと言ったら、いつも来ている服屋の女将さんが、行商のついでに連れて来てくれたのよ!」
「え?」
その言葉にぎょっとしてさっきユリカが降りた御者台を見つめると、豪華なブロンドを揺らした女将がそこに座り手綱を握っている。
その姿に一瞬固まった。
「はあい、リトム。元気?」
けれどいつもと同じ明るい挨拶に少し肩の力を抜いた。
「アーシャルも! 私の作った服を着てくれているのね、嬉しいわ!」
「女将――ユリカが世話になって――」
緊張は完全には解けないけれど、その幼い頃からよく知った口調に礼を言おうと口を開く。
「あら、かまわないのよ。ただちょっとカルムに寄った時に、その子が貴方からの手紙を見て、玄関に座って泣いていたから。それなら行商に行くついでに、都まで乗せて行ってあげましょうかって言っただけなのよ」
「俺からの手紙で泣いていた?」
その言葉に、思わず瞬きしてしまう。すると腕の中からユリカががばっと顔をあげた。
「当たり前でしょう!? やっとお兄ちゃんに会えると思ったのに! お金を送っても冬休みに帰ってこないなんてとお父さんとお母さんも心配していたわよ!」
「父さんと母さんが――?」
「はい、これ。父さんから預かってきたの」
そうユリカが鞄から取り出した手紙は、いつもと同じ白い簡素なものだった。
封を切ると、そこによく知った文字が並んでいる。
『リトム。
学校が大変みたいだね。一緒に新年を過ごせないと知らせが来て、父さんも母さんも残念に思っているよ』
「父さん……」
その文字を追いながら、俺は日の暮れた作業机でそれを書いている父さんの姿を思い浮かべた。
『学校が忙しいそうだから仕方がないね。今年も卒業生対抗戦に出れると聞いて、父さんも母さんも嬉しくて仕方がないんだ。さすがリトムだ』
――それはどういう意味で?
俺を自慢の息子と思ってくれているのか。それとも、やっぱりあの将軍の息子だと思っているからなんだろうか。
『本当は父さんと母さんも見に行きたいんだ。もうこの際だから、店を抵当に入れて金を作るかと話していたんだけど、それをすると、お前の来年の学費が払えなくなるから仕方なく断念したよ』
「父さん――」
――わからない。この手紙では、本当に父さんが俺に会いたいと思っていてくれているのかがわからない!
持っている両手が震え出しそうになる。
「兄さん……」
それなのに、それを止めたのは次の一文だった。
『本当は今すぐにお前に会いに行きたいんだ。この間帰って来た時、何か様子がおかしかったし。それに今回の手紙もやっぱりいつもと違うような気がするから』
それに目を見張った。
『だからユリカをやることにしたよ。この子は、お前が帰って来ないと知った時から、ずっと泣いていてね。この手紙をあの子に託すことにした。
ひょっとしたら、学校で何かあったのかい? でも、いつでもここに帰っておいで。
――何があっても、ここがお前の家なのだから。
ディグノール・ガゼット』
――まさか。
静かに俺はその文面を見つめた。
――父さんは、気がついているのか? 俺がこの体の出生に疑問を抱いていることを。
それで間違いなく俺と血が繋がっている何も知らないユリカにこの手紙を託した? 実の一人娘を、遠い地まで一人で旅をさせるという危険を冒してまで。
――だとしても!
ぎゅっとそれを握る手が震えてくる。
そのまま、その手紙を額に押し当てる。
――わからない! 父さんがこの手紙に書いたことは本心なのか!?
本当に心から俺を息子と思っているのだろうか!? そんなこと訊けるはずもないのに!
「お兄ちゃん?」
しかし、俺のその様子に、臙脂の帽子を被ったユリカは不思議そうに眉を寄せた。
それに俺は握り締めていた手紙から顔をあげた。けれどまだ消えない歯噛みするような思いのままユリカを見つめる。
「ユリカ――父さん達は、何か俺について言っていたか?」
それに緩く茶色の頭が振られる。
「ううん。ただ今年も卒業生対抗戦に出られると喜んでいたわよ。お金さえ何とかなれば見に行きたいと言っていたわ」
「そうか――」
去年も同じ理由で来てくれなかっのに。
――いや、理性的に考えろ。
そこまで考えて、俺は首を振った。
父さんと母さんが来ないのはお金のせいだけじゃない。口に出さないが、ここがあの将軍の家がある王都で、奴隷時代の知り合いに出会うかも知れないからだ!
――それなら、そうと言ってくれたらいいのに。
そう書けないのは、やはり知らせたくない事情が俺にあるからなのだろうか。
――わからない。
父さん達の気持ちが。
「兄さん……」
ぽんとアーシャルが俺を落ち着けるように、肩に手を置いてくれた。
――ああ。お前には、俺の動揺が伝わっているんだな……
だが、その瞬間鋭い声が俺の腕の側から飛んだ。
「何で貴方がお兄ちゃんと一緒にいるのよ!?」
え――と顔をあげると、ユリカが凄まじい瞳で、俺の側にいるアーシャルを睨みつけている。
「ユリカ。こいつは――」
――どう言えばいいんだ?
弟じゃないとは、もう言いたくない。だけど、ユリカは何も事情を知らないし――
すると、アーシャルがふんと鼻で笑った。
「寮で同室だ。一緒にいて当たり前だろう?」
「何ですって!?」
そう叫ぶと、急にがくっと両手を石畳についた。
「なんてこと――! お兄ちゃん、遂に同性の魔の手に!」
「だからそっちじゃないって言っているだろう!? お前、そんなに自分の義姉に男が欲しいのか!?」
それなのに、ユリカの顔色は暗い。
「義姉――お兄ちゃんをとる女なんて、全員抹殺してやると思って、昔からささやかな予行練習をしていたけれど……」
「え?」
「どうしよう。相手がまさかお兄ちゃんと同じ顔って、何これ? 愛する人を殺す喜びを覚えろという新手の苦行?」
「ちょっと待て! その前にお前さっき、さらっと何を言った!?」
――俺に彼女ができなかったのは、まさかお前達二人の仕業か!?
「でも困ったわ。お兄ちゃんの部屋に、朝から晩までずっとつききっきりで泊めてもらおうと思っていたのに――」
「いや。その表現もどうかとは思うが。それをおいておいても、一応男子寮だからな? 最低限それは意識してくれ」
「でも、そんなにお金を持って来ていないし――意図的に忘れて」
だから最後の本音は隠しておけって!
――だけど、困った。
まさか、ユリカをこの冬の王都に放り出すわけにもいかないし。
すると、後ろの寮の玄関から見ていたコルギーがひょいっと顔を覗かせた。
「この近くに寮生の家族用に格安で貸している宿があるぞ? そこに一晩だけ世話になったらどうだ? その間に、寮の余り部屋の鍵を付け替えておいてやるから」
「コルギー」
「どうせ卒業生対抗戦が終われば卒業式だ。人の少ない冬休みぐらいなんとかなるだろう?」
折角来たんだから、都見物をさせてやれと俺の肩を軽く叩いてくれる。
「なんだったら、私の店で預かってあげるけれど? 私も寮生達の対抗戦を見たくて王都に戻ってきたんだから」
「いや――さすがにそれは――」
正体がわからない以上、これ以上女将にユリカを預けることはできない。
「だったら、いいじゃん。寮だって人がいないんだし」
そう後ろから肩を叩くコルギーの笑みに気がついて、俺はやっと理解した。
「そうだな。じゃあ、やっぱり寮を使わせてもらうことにするよ。コルギーすまん」
「いいとも」
――俺の事情を知っているからこそ、俺が家族と遠くならないように気遣ってくれている。
気がついたその思いやりが、じんわりと心を暖めていく。
「なんの。お前に礼を言われるのも悪くないさ」
「コルギー」
「じゃあお礼品は夕食の肉特大一切れな!」
「さりげなく俺からのお礼を上積みしているんじゃねえ!」
そう笑いながら、俺はその宿へと、ユリカを送っていくために歩き出した。
申し訳ありません。今週更新不定期になります。
来週からまたいつもと同じ更新ペースに戻せる予定です。