(7)絆の居場所
卒業生対抗戦まで数日に迫ったその日、俺は練習場でサリフォンと剣を交わしていた。
がきんと鋭い音が剣の先で絡み合う。音と同時に足元で砂埃が舞い上がった。
「ふん! やっと前の調子に戻ってきたか!」
「あいにくいつまでも腑抜けていられるほど、気楽な環境じゃないと気づいたんだよ!」
話している間にも、俺の剣にはサリフォンから鋭い猛攻が繰り広げられている。
「いい心がけだ! そうでないと、僕の兄など認められんからな!」
「それは、お前の親父の思い込みだって言っただろうが!」
叫ぶが、その刹那、サリフォンの突きが俺の脇腹を素早く狙って来た。慌てて防いだが、剣から伝わってくる重さはこれまでの比じゃない。
――こいつ、本気だな!
「ふん、そんなことを言えるのも今のうちだけだ。今度の卒業生対抗戦、必ず僕が勝って、お前の逃げ場所をなくしてやる」
「だから! お前たちは親子揃って人の話を聞けよ!」
どうして、そんないらんところは似ているんだ! 絶対にお前のほうが、あの将軍の跡取りに相応しいぞ!?
思わず睨んだが、その時、練習場の端の壁にもたれて、俺達の戦いを見ていたアーシャルの瞳の色が変わった。静かに持ち上げていく手には、ナディリオンから課題に出されていた昇焔球の作りかけが、赤い渦を巻いている。
まだ不安定なせいで、手の中にある焔の球は、赤と橙色をいったり来たりしていたが、アーシャルの眼差しが鋭くなるのと同時に、いきなりぽんと青みを帯びた。
「うわああああ!」
――まずい!
あれから、俺が一人になった時に、誰かから狙われたりしないように、教養礼儀と教養常識の授業以外では、ずっとアーシャルが一緒にいてくれる。だけど、理由はどうもそれだけではないような気がする!
実際、今も俺と稽古しながら話しているサリフォンを見ただけで、瞳の色が変わりそうになっているし!
「アーシャル! お前、ここは寒いだろう!」
振り返って、急いで駆け寄ると、手の中で今にも増大させていきそうな昇焔球の膨らみを抑えるために、慌ててその腕を握った。
「平気だよ、寒ければこの手の中の焔をもっと大きくするし」
「うわあああ、それはやめとけ、な!」
頼むから、ここでサリフォンの命を狙って学校ごと全焼させないでくれ!
そりゃあ嫌な奴もいるけれど。大半は俺が正々堂々と報復をすれば、黙り込むような害のない奴らなんだから!
「そんなに心配しなくても。まだ昇焔球一個だって不安定で、せいぜい王都のこの区画一帯を焦土にする程度の威力しかないのに」
「うん、その程度の威力だよな! うん!」
学校じゃなくて、この区画かよ! まずい! 完全に大量殺人鬼が誕生しようとしている!
思わず唇を噛んで、急いで笑顔を作った。
「俺を守るために、地上最強の凶悪生物になってくれるんだよな!? だったら一日も早くそれを達成するために、先にナディリオンのところへ行っていてくれ!」
――あれ? なんで、俺こんな応援するみたいな言葉を言っているんだ……?
さすがにまずかったと思ったが、俺が言った言葉に、アーシャルはサリフォンを睨みつけていた目を戻して、首を少し傾けている。
「兄さんも、僕が強くなるのを楽しみにしてくれているの?」
「あ、ああ! もちろん!」
――強くなってほしいのは嘘じゃない。できれば最凶生物でない方がいいけれど……
引きつりながらも頷くと、どうにかアーシャルの機嫌は少し直ったらしい。
「うん。でも、兄さんが一人きりになると――」
「大丈夫だって! あいつだって、自分から言い出した賭けな以上、卒業生対抗戦の結果が出るまでは何もしないさ」
「うーん」
だけど、まだ考え込んでいる。その瞬間、後ろからサリフォンの声が響いた。
「その通りだ、リトム! やっと覚悟を決めたな!」
「え!?」
――あれ? ひょっとして、俺何かまずいことを言った?
「僕は卒業生対抗戦で勝って、お前がどう言い逃れしようがこの問題に決着をつける! もうこれ以上迷い続けるのは御免だ! だからお前もそれまでに、そいつとの兄弟ごっこにけりをつけろ!」
「ちょっと――何を勝手に――」
咄嗟に叫ぼうとした瞬間、後ろから俺の肩が掴まれた。アーシャルだ。薄く笑ったまま、サリフォンを見つめている。
「わかったよ。じゃあ僕も、卒業生対抗戦までに、絶対に兄さんを守る力を手に入れてみせる。この世の何者もからね」
「アーシャル!?」
その目には、赤金の光がちらちらと見え隠れしているではないか。
一瞬息を呑んだが、アーシャルはぽんと俺の肩に両手をおくと、いつもの笑みに戻った。
「うん。じゃあ、ここは人が多いから、僕は安心して先にナディリオンのところへ行っているよ。絶対に地上最悪の危険生物になって、兄さんを守ってみせるから。安心していてね?」
「お、おお――」
あれ? これって安心できる展開なんだろうか?
どうにも嫌な予感しかしないのだが。冷たい汗が俺の額を伝った時、後ろからはまたサリフォンの声が聞こえてきた。
「リトム! いつまで油を売っている! 再開するぞ!」
「お、おお――!」
取りあえず、俺が卒業生対抗戦に勝つしかない!
――サリフォンに諦めさせる方法は、あとで考えよう。
出口がみつからない問題に、俺はアーシャルの遠ざかっていく後姿を気にしながら剣を持ち直すと、サリフォンと向かい合うために元の場所へと戻っていった。
暮れ始めた夕空に、ふうと息をつく。
連日の激しい剣の練習と、ナディリオンの修行で俺の体は生傷だらけだ。
「いたた……本当にあいつも手加減をしない奴だから……」
サリフォンとの稽古でついた腕の擦り傷に顔をしかめながら、俺は校舎の中をナディリオンの部屋へと向かっていく。
廊下の白い壁に大きく開かれた窓からは、西に沈んでいく太陽が見える。
その陽射しを冬の空気の中で温かく頬に感じながら、俺はどうしようもなくこみあげて来る溜息をついていた。
――今から行くナディリオンの所では、アーシャルが大量虐殺を招く魔法の練習をしているのだろう。
本当に、どうしたらいいんだ?
アーシャルの気持ちはわかるが、このままでは間違いなく史上最悪の竜を誕生させてしまう。
――アーシャルを、そんなおたずね竜にはしたくはないのに……
もし、そんなことになれば、アーシャルは生きている限り、大陸全土のドラゴンスレイヤーの標的になってしまう。
それは、絶えず命を狙われ続ける生活になるということだ。
――アーシャルをそんな境遇にはさせたくはないのに。
解決策の見つからない悩みに、重い溜息をついて、窓から暮れていく陽射しの中を歩いた。目の前にある白い床石が、翳っていく太陽の光に赤く染めあげられていく。
だけど、サリフォンも引かない以上、このままではアーシャルの未来は確定だろう。
――どうしよう……
誰かに相談できるはずもない。ナディリオンは知っているだろうが、今のアーシャルを止めるのは、逆に暴走の危険すら生み出しかねない。それがわかっているからこそ、教えることで暴発を止めているんだろうけど――。重たいため息が、また俺の唇からこぼれ落ちた。
「おや、どうしたね。リトム・ガゼット」
その声に、ふと顔を持上げると、歩く廊下の先では、白くなりかけた髭を夕日に赤く染めあげた学長が立っている。白い頭髪の中にある額は少し広いが、それさえもが落日にひどく温かい色で輝いていた。
窓から夕焼けを見ていたのだろう。立ったままの姿勢で首だけを俺の方に向けると、後ろに回した両手をゆったりと組んでいる。
「学長先生……」
「何か悩みごとかね? 対抗戦前だというのに、最近浮かない顔が多いが」
見つめてくる先生の瞳は、いつもと変わらない。見ていると、ぽつりと俺は口を開いていた。
「どうしたらいいのか――」
話すつもりはなかったのに、気がついたら言葉が滑り落ちてしまっていた。本当は、もう一人で抱えるのに限界が来ていたのかもしれない。
「うん?」
言ってもいいのか悩んだが、躊躇う俺に学長は穏やかに首を傾けている。
いつも生徒の相談に乗るときの仕草に、俺の中で、心に閉じ込めていたはずの閂が外れかけた。
「アーシャルが……このままじゃあ、本当に危ない方向に進みそうで――」
いや、すでに走ってはいるんだが。さすがにそれだけは、最後の理性で押しとどめる。いくら何でも、この学校で学んでいる特待生が、大量殺人鬼になりそうだなんて相談としても不穏すぎる。
焦ったが、それに学長は体の向きを変えると、予想もしない言葉を俺に投げかけてきた。
「ふむ。アーシャル君は本当に君の弟かね?」
「もちろんです! でもなんでそんなことを?」
急いで顔をあげる。
「いや、サリフォン・グリフィン・パブルックからそんな申し立てがあってね」
「あいつ――」
いつの間に学長にそんな話を!
いや、学長の耳に入れているぐらいだ! ほかにもそんな話を広めているのかもしれない!
ひょっとしたら、アーシャルの耳にも既に入っていたのかもしれないほど!
「アーシャルは俺の本当の弟です! 確かにわけがあって、ずっと離れて暮らしてきましたが――!」
いや、と俺は拳を握り締めた。
「本当は――双子の弟なんです。背も見た目も離れているので、信じてはもらえないかもしれませんが……話せない事情があって……!」
本当のことを吐露してしまったのは、肉親の筈の相手に、家族でないと言われるのがどれだけ辛いかを知ってしまったからだ。それをあいつは、俺が口にするたびに、必死に我慢してくれていた!
思わず叫んだが、学長は俺の様子に一度大きく頷く。
「いや、信じるよ。特に見た目が、君達は本当にそっくりだ。一見違う年齢も魔術系の呪いではよくある話だしね」
「え――……」
むしろ、あまりにもあっさりと信じてもらえたので、俺の方が驚いてしまう。
「アーシャル君の危険思想についても、魔法学の教授の話で知っている。だからこそ、優秀な生徒が間違った道に進まないように指導してやるのも、教師の大切な役割なのだ」
ゆっくりと頷き、俺を見つめる。
「それで君は、アーシャル君をどうしたいのかね?」
「アーシャルを――」
そんなことは考えたことがなかった。だけど、気持ちはすぐに心から飛び出してくる。
「アーシャルを守りたい――ただ、それだけなんです」
「ふむ?」
「だけど、あいつはずっと不安に思っている! 一度俺と生きたまま離れ離れになったことで、もう一度引き離されるんじゃないかって! ――すごくそのことに怯えている!」
自分でもずっと感じていた。
「だから守ってやりたいのに――! それなのに、俺が守ろうとすればするほど、どんどん危ない道に行ってしまって。もう、一体どうしたらいいのか――!」
守りたいと思えば思うほど、アーシャルは、俺が望むのとは正反対の危険な道へと飛び込んでいってしまう。もうこのままでは、いつか本当の悪鬼になってしまいかねないほど――
不安が俺の唇から耐え切れない奔流となって飛び出してくる。一息で叫び終わっても、まだ俺の喉を振るわせ続けた。
そのまま俯いて荒い息をつぐ俺の肩を、学長はじっと見つめていたが、一度静かに瞼を閉じた。そして開くと、静かに近づいてくる。
「なるほど。では、君はアーシャル君を頼ることだ」
「え?」
それに俺は夕暮れの廊下に立つ学長を見つめた。目をあげれば、いつも指導してくれる姿は、円熟した日差しの中で橙色に染め上げられて、穏やかに微笑んでいる。
「弟とはいえ、男。しかも同じ時に生まれた。それで守られてばかりいては、不安になるのも当然じゃ。兄に自分は本当に必要なのか――とね」
「学長」
そんなことは考えたこともなかった。
「本当に君がアーシャル君を安心させたいのなら、守るのよりも自分には彼が必要だと行動で示してやることだ。頼って、自分の傍らに彼の居場所を与えてやる。それこそが彼に、自分が兄に必要とされていると、安心させてやれることになるんじゃないかね?」
「アーシャルを、頼る――」
守るじゃなくて? それは、今までに考えたことのないものだった。
「信頼できる仲間というのは、いいものだよ。特に命をかける場面で背中を預けられる相手というのは、時に血の繋がりよりも強い絆になる」
頑張りなさい。そう語るようにぽんと肩に手を置かれると、そのまま学長は廊下を歩いていった。
長い陽射しの中を歩く背中は、戦い抜いた歴戦の勇者のもので、俺はただ無言で見つめ続けた。