(6)ほっとする場所
それから毎日俺達はナディリオンの部屋に通って、竜の力を引き出すための修行をしてもらった。
今も俺の手に手をナディリオンが重ねて、そこから体内に眠る魂の魔力を外へ導こうとしてくれている。
だけど、どうしても体が竦んでしまう。
――大丈夫だ。
しっかりしろ、俺!
そう自分を叱咤するのに、どうしてもほかの存在が体に入ってくる感触が、気持ち悪くて仕方ない。
――アーシャルを守れるようになるんだろ!?
それなのに、心は明らかに異質な力に竦んでいる。
「だいじょうぶ、私の本来の力は土属性だからね。まあ、もぐらに穴を掘られて体にもぐられているとでも思って」
それは冗談のつもりなのだろうか?
――全然面白くないんですけど!?
それどころか、体の肉をもぐらが掻き分けている光景を想像してしまって、もっと気持ち悪くなってしまった。
――我慢しろ!
それなのに、ナディリオンの手が俺の芯近くに来ると、硬直してしまう。
「あ……」
凄まじい恐怖感。
心へと侵入してくる異物感がものすごくて、全身が痙攣するのではないかというほどだ。
――駄目だ! 拒否するな!
水竜の力を取戻して、アーシャルを破滅から守るんだろう!?
それなのに、本能的に逃げようとしてしまう。
体が暴れ出さないように意識を集中させるのだけで精一杯だ。本音を言えば、今すぐにでも、この握ってる手を切り落として、ここから走り出したい。
――耐えろ!
それなのに、それに意識が集中しすぎて、ナディリオンの後ろから襲ってくる石つぶてへの反応に遅れてしまった。
「うわっ!」
気がついた時には、顔にたくさんの細かい石が襲いかかり、その先端のあまりの鋭さに前髪が一筋切れていく。
気がつけば俺の体は、小石の流れに押されるように、また蔦模様の絨毯の上を転がっていた。
「うーん、どうにもだめだなあ」
今日も不調に終わったそれに、ナディリオンが床に転がった俺を見つめながら、小さく息をついている。
「すみません」
体を起こしながら、俺は小さく肩を落とした。
目を落とせば、俺の体は連日の石礫であちこち絆創膏だらけだ。服の下だけでなく、連日増えていく痣とそれに、教室でコルギーやラセレトが心配して尋ねてくるが、さすがに竜の力のことを話すわけにも行かない。
――信頼、していないわけじゃない……
と思う。でも、正直今俺を狙っているのが誰なのかわからない以上、話していいのかもわからないのだ。
結局、今日も更に体の傷を増やしただけになってしまった。それに、俺は小さく溜息をついた。
――いつまでも、こんなことをしているわけにはいかないのに……
誰が敵で味方なのかわからないのが、まさかこんなに堪えるとは思わなかった。
――違うはずなのに……
それなのに、今は前と同じようにコルギーやラセレトを信じていいのかさえ悩んでしまう。
――早く死導屍にけりをつけないと。
それにもう一つ頭を悩ませているのは、もうじきある魔術学校との附属校卒業生対抗戦だ。辛勝だった去年を思い出せば、今年も油断できない。
――それに勝たないと!
決して負けるわけにはいかないと拳を握る。
きっと俺が負けた瞬間、アーシャルは大陸全土のおたずね竜になってしまう!
――サリフォンの奴も、言い出したら聞かないからな……
そう息をつくと、俺は、転がった時にぼさぼさになった前髪をかきあげた。
先ず、負けたら有無を言わさずあの家に連行だろう。どんなに俺が、母さんを物同然に扱ったあの男の所へ行くのを嫌がっても、サリフォンも大概人の話を聞かない。ほとんど人攫いに近い形で連れて行かれてしまうのは覚悟しなければならない。
そうなった時点で、怒り狂ったアーシャルがこの王都を焼き払うのなんて、完全に予想の範疇だ。
――そうさせないためにも、なんとしてもアーシャルの暴走を止められる水竜の力を取戻さないと!
俺の肩に王都の住民の命がかかっている!
――って、いつの間にそんなに壮大な話になったんだよ!?
本当に、この弟だけは、いつも俺の予想を超える事態を招いてくれる。
「兄さん、どうだった?」
それに奥で青い昇焔球を作る練習をしていたアーシャルは、俺が終わったのに目を輝かせてこちらを振り向いた。
「うーん、まだだな」
どうしてもうまくいかない。魂の魔力を導くためだとわかっているのに、ナディリオンの魔力が入ってくると、どうしても全身が竦んで逃げたくなるのだ。
こんなこと言える筈がないけれど。
「そっかあ……うーん。ほかにも何か竜の力を表面まで導く方法があればいいんだけど」
「そうは言っても、ナディリオン以外に詳しい竜もいないだろう?」
多分、竜族を探しても。
「そうだけどさあ……」
あ、とアーシャルは手に作りかけの炎の玉を浮かべたまま振り返った。
「じゃあさ、この三階の窓から兄さんを突き落としてみるっていうのはどう!? そうしたら飛ぶ感覚を思い出すかもしれないし!」
「その前に羽がないからな? 確実に俺の体が下の地面に激突すると気づけ!」
「そっかあ――」
うーんとまたアーシャルは小首を傾げた。
「じゃあほかの方法というと……あ、そうだ! 兄さんは水竜だから深海に錘をつけて放り込むというのは? そうしたら、昔みたいに深く泳げるようになるかも!」
「その前に体の構造が違うのを思いだせ!確実に息ができなくて、その時点で水葬決定だ!」
――こいつ! 相変わらず俺を殺したいんじゃないだろうな!
正直、俺の命を狙っているのがこいつだったとしても、なんか納得しそうな言動だぞ!?
「うーん、だめかあ」
そう残念そうに呟くアーシャルに、俺は一つ溜息を落とした。
「そういうお前の調子はどうなんだよ? 昇焔球を作り出せるようになったのか?」
今、アーシャルが挑んでいるのは、業火大昇華流だ。名前の通り、凄まじい炎が火柱となって吹き上がり、術者の存在する周囲一面を広範囲に火の海に沈める。火竜の中でもほんの一握りしか扱えないような炎系魔法の頂点に位置する技だ。
「それなんだけどね、昇焔球を三つ同時に作らないといけないんだけど、どうしてもこれが作り出せなくて」
そう溜息をつきながらアーシャルが手の中で回している炎は、本来高温で青く透き通っていなければならない筈なのに、ずっと橙色と赤をいったりきたりしている。
「昇焔球は、絶えず空気を送り込んで、中で炎同士の融合爆発を連鎖的に誘発させて作るんだよ。それ自体がもう攻撃の高等魔法だからね。いくらアーシャル君が優秀でも会得するのが難しいのは仕方ないよ」
そうナディリオンは笑うと、白大理石のテーブルに休憩用のお茶を準備してくれている。
そのお茶は、俺が好きなミントの香りと、アーシャル用には今日はホットチョコレートだ。
まめな竜だな。
この部屋でこの香りを嗅ぐ度に、ここに来ていいんだよと無言で居場所を与えてくれているようで嬉しくなってしまう。
どこにいたらいいのか、自分でもよくわからなくなる今の俺に。
「うん、おいしい」
座って、淹れられたそのお茶を一口飲んで、俺はナディリオンに笑いかけた。それに銀の竜は暖かい暖炉の火を背にしながら、にっこりと笑い返す。
「どういたしまして。今日はプリンに挑戦したんだけと食べてくれるかな?」
「ちなみに材料は?」
「普通の鶏の卵だよ? おいしくなるように、つなぎに蜘蛛の粉末も混ぜたけれどね」
――うん。それがいらない。
「わーい、僕食べる!」
アーシャルは嬉々として食べているが、やっぱり竜の食生活は今の俺には無理だ。
でも、と俺は今日も食べようとしない俺を残念そうに見つめるナディリオンを見上げた。
「すみません、竜の食事が合わなくなってしまって……」
「そうだったのかい?」
すごく意外そうだ。そりゃあ、人間になっていなければわからないだろう。
「でもお気持ちは嬉しいんです。無理に押しかけて教えてもらっている俺の為に――ありがとうございます」
なんだか照れくさい。
それなのに、ナディリオンはそんな俺の頭を優しく撫でてくれた。
「かまわないよ。番も子供いない私にとっては、君らはまるで自分の家族みたいな存在だ。いや、いっそこのまま家族にならないか?」
「だからそのプロポーズみたいな紛らわしい表現はやめてくださいって!」
本当にどこまでアーシャルと波長が同じなんだ、この竜!
「それより、アーシャルが困っているみたいなんで!」
だけど叫んだ理由は、そればかりじゃない。今はどっちの家に帰ったらいいのかもわからない俺に、そう言ってくれるのがくすぐったいからだ。
甘えすぎたら駄目だからな。自分の緩みそうな心にそう戒めをかける。
「うーん。だけどアーシャル君に教えてあげたくても、今の私には火竜の力が使えないし」
「使えない?」
初耳のそれに、俺は瞬きをした。
「ああ、ちょっと不調なんだ。だから人界に来たんだけど――生憎、水竜の力も普段の半分しか使えなくてね。君の魔力の誘導がうまくできないのは、そのせいかもしれない」
「そうだったんですか……」
じゃあ、ナディリオンの力を取戻したら、俺の力もうまくいくのか?
そう僅かに目を細めた時だった。
今まで甘い香りをさせるホットチョコレートに振り向きもせずに、一心に昇焔球を作り続けていたアーシャルの肩が震えだしたのは。
「アーシャル?」
――なんで、そんなに両肩を震わせているんだ?
「おい、そんなに我慢をしなくてもホットチョコレートを飲みたいのなら、ちょっと休んで」
そう言いかけた時、突然アーシャルの手の中で明滅していた炎の玉が弾け飛んだ。
「ああ、イライラする!」
「え!?」
突然なんだ!?
その叫びに、俺が目をぱちぱちとしていると、アーシャルが物凄い形相で振り向く。
どうした、なんでここでそんなに切れる寸前のような顔をしているんだ!?
そうかと思うと、その目が俺を見て泣きそうに歪んだ。
――本当になんなんだ!?
「兄さんとナディリオンが仲良くしているのが嬉しいし、そこで僕と一緒にいるのも幸せなんだけど! でもなんだか兄さんをとられそうで、もやもやするんだ!」
「は?」
――なんだ、それは!
けれど、更にアーシャルは涙顔になっていく。
「兄さんが 僕の前で、僕以外の誰かを見て笑っているのが心臓に痛い……」
それにきょとんとした。
「何だお前、もしかして妬いているのか?」
この前までは俺が妬いていたのに。
それなのに、アーシャルは、がばっと体を起こすと、そのまま俺の前に顔を寄せた。
「当たり前だろう!? なんで兄さんがほかの誰かに笑いかけているのに、黙って見ていなきゃならないのさ!」
「つまり簡単に言えば、アーシャル君は、今私を丸焼きにしようかどうしようと、悩んでいるということだね?」
「うん! 超簡単に言えば、そんな気分!」
「ちょっと待て! 気分で恩人を丸焼きにするな!」
こいつ! 俺に近づく相手は、ナディリオンでさえ死刑枠か!?
「というわけで、リトム君。アーシャル君に目一杯愛を囁いてくれたまえ」
「は?」
いや、何でそうなる!
「そうでないと私の命が危ない。だから、俺には一生お前だけだとアーシャル君を安心させるために言ってあげてくれないだろうか?」
「なんでそんな結婚式の誓いみたいな文句なんですか! たとえそう思っていても、絶対に嫌です!」
何が悲しゅうて、男が男に愛の誓いをせねばならん!
「アーシャル君が大切だろう?」
「そりゃあそうですけれど、それは弟としてですし――」
「私への感謝を、言葉を変えて囁くと思ってくれないだろうか?」
「いや、そりゃあ感謝していますが――」
近い! 相変わらす近すぎるって! それにいくら家族のように思ってくれていても、自分への気持ちの言葉で、アーシャルに愛を囁けってかなり変な台詞だろう!?
そう頭の中でどれからつっこむべきかという言葉を並べて悩んでしまう。けれどその間にも、後ろでアーシャルが自分の額に爪をたてるがりっという音が響いた。
「ああ――いらいらする」
――おい。いくら竜でも、そんなに強く引っかいたら、血が出るじゃないか!
「アーシャル!」
俺が急いで振り返った時だった。
ぱん!
突然の凄まじい破裂音と共に、アーシャルの振り開いた手から青い破裂を繰り返す炎の球が飛び出してきたのは。それは空中に浮かび、小さな水晶玉ほどの大きさで青白い火花を散らしている。
「あれ? 昇焔球ができた」
え? ちょっと待った。
「ふうん――なるほど、こうしたらできるわけね」
そうアーシャルは手の中で、小さな爆発を繰り返している青い焔を薄く笑いながら見つめている。
「こうしたらって――」
――それはつまり、凄まじくいらいらしたら出るということなのか!?
まずい! ますますアーシャルの殺傷能力が上がってきているじゃないか!
俺は近くなってくる地獄絵図に、思わず唾を飲み込んだ。




