(4)つまり俺が最弱で最強!?
まずい。
直感的にそう悟って、俺はナディリオンの部屋へと大股で歩いていた。
今の状態は、まずいなんて言葉じゃあ足りないぐらいだ。このままでは、間違いなくアーシャルはサリフォンごと王都を滅ぼして、大陸全土のおたずね竜になってしまう。
それを食い止める方法はただ一つ。
おたずね竜になる前に、俺がアーシャルの暴走を止める力を手に入れる!
そうすれば、自分の身も守れるし、一石二鳥というよりは、状況的にもうこれしかない追いつめられた状態だ。
そう悟ると、俺はアーシャルの手を後ろに引きながら、魔法騎士科の棟にあるナディリオンの教授室へと急いだ。
だけど、その後ろでアーシャルは俺に手を引かれているのに、まだ少し不満そうだ。ぷくっと膨らました頬に、俺は宥めるように笑いかけた。
「ほら、やっぱり俺も竜の力を使えるようになりたいからさ。お前だって、俺が風竜の力を手に入れたら、もうそんな物騒な力を手に入れなくても安心だろう?」
「そりゃあそうだけど。僕としては、邪魔者を駆除するために、世界最高級の力が欲しいだけなんだけど」
「頼むから、俺を守るためだけにしておいてくれ!」
「もちろん、いいよ! 二度と兄さんをとられない為に、世界一立派な危険生物になってみせる! だから安心して兄さんは僕を頼って!」
――ダメだ……
言い出したら、てこでも聞かない性格だった。
俺は内心頭を抱えながら、階段を上ると、突き当たりにあると聞いたナディリオンの教授室の扉を一度叩いて開いた。
「ナディリオン――先生」
うっかり先生をつけ忘れるところだった。俺もアーシャルのことを言えたもんじゃないな。
だけど急いで開けた扉にも、ナディリオンは中で優雅に銀の髪を揺らしながら微笑んでいる。
「やあ、待っていたよ」
その手前にある白大理石のテーブルに置かれたポットからは、この間俺に出してくれたのと同じ爽やかなミントの香りが立ち上っていた。
――待っていてくれたんだ。
そう思うと、少し心がくすぐったい。
「アーシャル君は甘いのが好きだったね? ホットミルクを用意したけれど、砂糖は八杯くらいでいいかい?」
「気分的には今はカップの半分でもいいんですが……大丈夫、八杯でもおいしいですから」
――いや、ちょっと待て。半分って、絶対に砂糖が溶けないだろう?
「あはは、それなら別に遠慮しなくてもいいよ。砂糖はたっぷり用意しておいたから」
笑うと、ナディリオンは、白い陶器からミルクを注ぐ前のカップに砂糖を入れている。
――それもう砂糖漬けのミルクだろう!?
そう思うのに、座って平然とそれを飲み出したアーシャルに、さすがの俺も胸やけがこみ上げてきた。
「はい。君の好きだったふぐを全身すり身にして、パウンドケーキにしてみたよ?」
「今はちょっと……」
というか、それ死ぬからな? 今断りたい理由の十割は胸焼けだが、それを置いておいても確実に食べたくはないから!
「うーん、おいしく焼けたと思ったのになあ」
そう言って平気で長い指でつまんでいる。
さすがアーシャルと波長の合う感性! やっぱり色々と変だ!
これは早く本題に入るに限ると、俺は飲みかけのお茶をテーブルに置いて身を乗り出した。
「あの! この間お願いした風竜の力を使えるようになりたいんですが!」
「それと僕は大焦熱と業火大昇華流と、爆裂惨劇を」
「アーシャル!?」
なんでまた破滅系高等魔法が増えているんだよ!?
「世界的危険生物で、名前を聞いただけで家から出歩けないほどの恐怖の大王になるためには、やっぱりこれぐらいは必要かなーと思って」
「ああ、そう。将来の夢が恐怖の大王ね……」
どうしてユリカといい、アーシャルといい、俺の回りの将来の夢は物騒なものばかりなんだ。どう聞いても、悪の道に進もうとしているようにしか聞こえないんだが。
つい引きつったが、それにナディリオンは俺達の前に座ると、長い銀の髪をゆっくりと揺らした。
「そのことなんだけど、リトム君。あの死導屍に襲われたのは何回目?」
「あの前に二回――最初は王都の郊外でだったんですけど、次はこの学校の演習場でです」
「ふうん。外のみならず、校内でまでねえ。それだとまるで誰かに狙われているようだねえ」
「やっぱりそう思いますか!?」
思わず俺はがたんと席を立っていた。
あれからばたばたとサリフォンの兄疑惑とかが出てきていたものだから、それを深く考える時間がなかった!
――だけど、やっぱりおかしい!
誰かが俺の命を狙っている? だとしたら何のために!?
「だいたいこの時期に演習場なんて、ほとんど行く用事もないだろう? それなのに、なんでわざわざあんな人けのないところに行ったんだい?」
「それはコルギーがあそこなら、人が少なくて練習しやすいと言ったから……」
あれ? 俺の背中を嫌な汗が流れた。
そう言えば、コルギーは今日俺になんて言っていた?
『何を言っているんだ。いつも殺そうと思っても死なないお前が、溜息をつくなんて。天変地異の前触れかと心配させるのが悪いんだ』
あれはいつもの軽口だと思っていたのに。
いや、そんな筈はない!
嫌な妄想に強く頭を振る。
――だいたい剣の練習をしなければ、あそこに行くこともなかったんだ! あの時は、確か追試の対策を頼まれて、同じ奴が多かったから場所がなかっただけで!
それなのに、その相手のラセレトが、何故かいつまでたっても現われなくて――
えっ――頭の中心に冷えた棒を差し込まれたような気がした。
今まで信じてきたものが、足元でひび割れていくような感覚。
――まさか。
それなのに、頭の中で立つ俺の足元では黒々と絶望の淵が広がっていく。そこに落ちそうな感覚から救ってくれたのは、アーシャルの隣りから響く緊張感に欠けた声だった。
「ねえ。じゃあ、兄さんって、赤ん坊の頃から死導屍とか化け物によく襲われていたの? 同じクラスの子の話によると、人間って鬼ごっことかで化け物によく追いかけられると聞くんだけど――」
「なんでだ! どうして、そんないたいけな頃からそんなサバイバルゲームをしなけりゃならん!? どう考えても、本物の化け物の筈がないだろう!?」
「あ、じゃあやっぱり変なんだ」
「変なのはお前の発想だ!」
まったくこの弟は! いつも人の緊張感をぶち壊してくれる!
だけど少し助かった。
そう小さく息をこぼしたのに、振り返ったアーシャルの瞳は真面目そのものだ。
「そうじゃなくて――兄さんが死導屍に最近狙われ始めたこと。つまり、僕が兄さんを見つけてからってことだろう?」
「え?」
それに俺の鼓動が大きく跳ねる。
「おかしいと思わない? 側で兄さんを狙っていたのなら、兄さんが竜のことを思い出すより前にいくらでもチャンスがあったのに。それが今頃明らかに大慌てで」
それに俺の喉が大きな音をたてた。ごくりと唾を飲み込む。
「それは――俺に、竜時代のことを思い出されては困る奴がいるということなのか? それとも、アーシャルと接触されては困るとか――」
「さあね?」
けれど、アーシャルはそれにただ意味ありげに笑う。
ゆっくりとホットミルクの甘い香りが鼻をくすぐる。その匂いを嗅ぎながら、俺は考え込んでしまった。
俺に竜時代のことを、思い出してほしくない奴がいる。
だとしたら――何故?
「ひょっとしたら、兄さんが人間になってしまったことと何か関係があるのかもね?」
俺が人間になった――
そうだ。何かがあった。だから、俺は急いでセニシェに頼んで、魂を人間の体に入れてもらったんだ。
アーシャルにさえ話す時間がないほど――
「つまり、俺が竜の体の時にあったことで、誰かが俺を狙っているということか?」
「断言はできないけれどね、魔力さえあれば人間に化けるのなんて簡単だし」
そのアーシャルの言葉に俺は手で顎を押さえた。
わからない――だけど、そう考えれば、最近、突然死導屍に襲われ出したことの辻褄も合う。
だけどその犯人は誰なのか。暗闇の中に隠れて見えない影に、俺は必死で思い出せない記憶の底を探った。
「まあ、今わからないことは仕方がない。とりあえずリトム君の命を守るためにも、竜の力を取り戻すことに全力を尽くそう」
そうナディリオンは振り返ると、立ち上がっていた俺に座るようにゆっくりと促した。
「君は元が竜だから、竜の力についてはある程度知っていると思うけれど、各竜の力のバランスについてはどれくらい知っているんだい?」
「いえ――正直、俺の水竜とアーシャルの火竜が正反対ということぐらいしか……」
恥ずかしい話だが、竜の時の記憶はまだ子竜のものだ。雛からちょっと成長した程度では、竜の術についても力についても、詳しいことは何一つ知らない。
「なるほど。それなら、竜の力の強さから説明しようか」
頷くと、ナディリオンは後ろにあった黒板に立ち上がり、そこに白墨で大きく四つの竜の名前を書き込んだ。水竜、火竜、それに風竜、地竜と菱形になるように並べて書いていく。
「先ず、水竜。これは君の属する種類だから、説明も不要だと思うけれど、水の魔力を使う竜だね。活動や住まいも水を好む性質がある」
説明に俺は大きく頷いた。確かに、水竜の性で、水があると泳ぎたくなってしまう。
「それと正反対の力を持つのが、アーシャル君の火竜。こちらは竜族の中でも最も凶暴といわれるだけあって、火の様な気性と炎熱系の激しい魔力を持つ」
アーシャルがきょとんと自分の顔を指差している。
――自覚ないのか、こいつ。まさにその通りの性格なのに……
「それに対して、地竜は大地に属するものに関する魔力を持つ。土や鉱石、草木に属する魔力をもつから、それは水竜の魔力に対しては強く、逆に火竜の魔力に対しては脆い」
かっという音で黒板の竜の名前の間に、白墨で力の強弱を示す記号がつけられていく。その不等記号を見つめ、俺は大きく頷いた。
「だから、俺が鉄の気に弱くて、アーシャルはそれを変化させることができるんですね?」
「そういうこと。土は水をせき止め吸い込むが、火は土性の物を変質させるからね。つまり力の関係としては、水竜<地竜<火竜ということだね」
「うっ……」
さりげなく最弱といわれたようで、思わず唸ってしまう。
「あの、風竜は!?」
せめてここにぐらいは強くありたいのに、ナディリオンの返事はにべもない。カッと白墨で風竜には大きな丸をつけた。
「風竜は、そういう意味では別格だ。風竜の力は火竜の力を増大させるが、地竜にはほとんど影響を与えない。逆に水竜とは相性がよく、互いに影響を与え合うが、全く同格で相手を打ち負かす力にはならない」
「そうですか――」
――まさかの最弱決定!
というか、アーシャル! お前まさかの敵なしか!
知った事実に思わず沈みそうになってしまう。けれどもナディリオンの白墨は、水竜のところへ行くと、火竜との間に大きな音でそれまでと逆の印を入れた。
「だけど唯一水竜だけが、最強の火竜を押さえ込む魔力を持つ」
「え?」
「火竜は火だからね。水竜の同格以上の魔力が近づくと、それこそまるで鎮火されるように、その魔力を抑えられてしまうんだよ」
「それは、つまり――」
――俺の力だけが、アーシャルの暴走を止められる?
その可能性に、俺の頬に赤みが戻ってきた。
――うん。そうだ!
「じゃあ、俺がきちんと水竜の魔力を使えるようになったら、アーシャルがいくら強くなってもその暴走を止められるんですね?」
「そうだね。それに君たちは兄弟で、互いの魔力への親和性も高い。きちんと扱えるようになれば、アーシャル君を傷つけずに、その暴走を止めることができるだろうね」
――やった!
その言葉に、俺は小さく拳を握り締めた。
水竜の力を取り戻せば、アーシャルが暴走しても傷つけずに止めることができる。それに、風竜の力を手に入れれば、もう誰が俺を狙っていても、それに怯える必要もない!
「頼む! 教えてください! 水竜の力を取り戻す方法と、風竜の力を手に入れる方法を!」
それにナディリオンは美しく笑った。
「それじゃあ、先ずは水竜の力を取り戻すほうから始めようか。今魂に眠っている竜の魔力を目覚めさせてからのほうが、風竜の力も手に入れやすくなるし」
「はい!」
喜んで俺は大きな声で返事をした。
「じゃあ、手を出して」
差し出された手を急いで取る。
だが、ナディリオンの指が、俺の手のひらをなぞった瞬間背筋がざわりとした。
必死にその感覚を誤魔化して見上げると、ナディリオンは俺の片手を持ったまま美しく微笑んでいる。
「じゃあ、私の魔力がリトム君の中に潜って、魂に眠っている竜の力を表面に導くからね。そして、それと同時に攻撃をするから」
「あの? その攻撃には何の意味があるんでしょうか?」
「もちろん、命の危険を感じて、魔力の表出を誘発させるためさ。そのため少々手荒になるかもしれないが、そこは容赦してくれたまえ」
「ええ――……なんか、既に死にそうな程の岩の球が背後に見えているんですが」
「死ぬかもしれないと思えば必死になって魔力も出てきやすいからね?」
さすがアーシャルと同じ感性! 命の危険をものともしないこの考え方はなんとかしてくれ!
それに思わず俺は、苦虫を噛み潰したような顔をしてしまった。