(3)本気で浄化の炎か!
ざわめくクラスの中で、アーシャルは長机から立ち上がると、まっすぐに壇上にいるナディリオンを見つめている。
「僕に浄化の炎を教えてください」
再び紡がれたその炎系の最高ランクの技にクラスの中で、戸惑う声が囁かれる。
だけど、それを意に介さず、更にアーシャルは口を開いた。
「それと、あと大焦熱と業火大昇華流を」
その技名に回り中から、驚嘆の叫びが起こる。
「アーシャル!?」
それ全部炎の最高魔術じゃないか!? いくら、俺が学んでいるのが騎士科でも、そんな危険度ランク最上位の技は知っているぞ!?
それにさすがに、周りも息を飲んでアーシャルを見つめている。
「お前、なにそんな一瞬で都市ごと燃やしつくせるような術を言っているんだよ!」
それなのに、アーシャルの瞳は大きく開いたままだ。
「僕から兄さんを取ろうなんて許さない――たとえ、相手が何者であっても」
「いや、だからって……!」
まずい! 目の奥で、赤い光がちらちらとしているじゃないか!
学校だからぎりぎり押さえているが、こいつ実はさっきのでかなり切れていたな!?
「兄さんが僕の為に、僕が兄さんを守ることを止めるのなら、一瞬でこの王都ごと燃やせる力を手に入れてやる」
「いや、でもな。お前の気持ちはありがたいが、それだとお前の身が危なくなるから……!」
困った。どう言えばいいのだろう。だけど、迂闊に止めると、逆に火に油を注ぐことになりそうで、座ったまま見上げると、アーシャルはやっと俺の方をゆっくりと振り返った。その瞳は、赤いが、すごく優しく俺を見つめている。
「それに、それらの力を手に入れたら、兄さんももう僕が危ないからなんて心配しないだろう? 何しろ――ほかの何よりも僕が、世界中で一番危ない存在になるんだから」
――こいつ! 発想がとことんまずい方向に!
どうしよう。過激派な思考なのは知っていたが、まさかここまで来るとは思わなかった。
だけど、今迂闊に宥めようとすれば、間違いなく火竜の本性を出してくる。
――それだけはまずい。
どうしよう。
俺の額を嫌な汗が、だらだらと流れた時だった。
教壇でぱんぱんと手を打つ音がする。それに俺もアーシャルと一緒に視線を吸い寄せられると、教壇ではナディリオンが僅かに引き攣った笑顔を浮かべながら、俺達の方を見つめていた。
「あーわかった。じゃあ折角の希望だし、今日は高等魔法の授業にしよう。騎士科の皆も実物は滅多に見れないと思うから、もし戦闘で敵がこれで攻撃してくる時の参考にしてくれたまえ」
そう言うと、生徒を全員立たせて、並んでいる机の後ろの広く開いた場所へと行かせた。
その壁際に騎士科の生徒が見学のために並び、魔法騎士科の生徒が中央に集められる。魔法騎士科の生徒は少ない。多分、一年から三年まで全員を集めても、四十人程だろう。
その中には、さっき俺に火炎球を当てたジイナンとアーシャルの友達の二人もいる。
その前を、ナディリオンは、長いゆったりとした衣装の裾を床に引きながら、生徒の前に立った。
「では、希望があったので今日の講義を変更して、高等魔法の実践にするけれど、この中で浄化の炎を作ったことがある者は?」
当然だが、誰の手もあがらない。
当たり前だ。火竜でも、雛の内は難しいのに。ただの人間に簡単に習得できる技ではない。
「リトム、アーシャル君の魔法はそんなに強いのか?」
こそっと横からラセレトが尋ねて来る。それに俺は腕を組みながら答えた。
「まあ――昔から妙に魔力が高かったけれど……正直どこまでできるのかは知らん」
「だが、自信はあるみたいだなー」
そうコルギーも俺の側で、興味津々に覗き込んでいる。
まあ、雛の頃から、中級魔法を意識せずにばんばん使っていた奴だからな……お蔭で、俺の肝が冷えることも多かった。
――だけど、大丈夫なのか。
さすがに成竜でないと難しい技に挑むアーシャルの後姿を、俺は心配しながら見つめた。
その前で、魔法騎士科の生徒は一列に並ぶと、ナディリオンの指示に耳を傾けている。
「はい。では、一年生もいることだし、先ず初級の火炎球を出してみよう」
さっき練習場で、攻撃を喰らった技だ。さすがに、これは全員がすぐに、その両手の中に赤い火の玉を浮かべることができた。
それを見回して、ナディリオンは一つ頷く。
「はい、いいね。では、これを大きくして、紅蓮炎を作ってくれたまえ」
それに、一年生の間で、少し困った声がもれている。アーシャルの知り合いの女の子も頑張っているが、炎を大きくしようとすると、すぐに小さくなり維持できていない。
隣りの男の子は、どうにか作り、アーシャルと並んで立っている。二年生以上は、みんなさすがだ。落ち着いた面持ちで、その手の平に大きく揺らめかせた赤い炎を作り出している。
それをナディリオンは、ぐるりと見回した。
「はい。では苦手な人には今度教えてあげるから、今できた人だけ次に、その炎の襞に風を送り込むのを意識してみて」
ここまでは、残った者全員できた。
「はい。じゃあそれを約二千度にあげて。これは鉄も溶かす温度だからね。絶えず酸素を送り込んで炎を増大させながら、中で炎同士を摩擦させて破裂を繰り返し、更に高温を生み出すイメージで」
「何を言っているかわかるか?」
「さあ」
コルギーの疑問にも、炎に縁のない俺にはそれしか答えられない。
だが、それだけに、さすがに難易度が高かったらしい。
「うわあ!」
手の中の炎が大きくなった瞬間破裂した三年生が、目をしかめて叫んでいる。
「ひっ!」
「わっ!」
そこら中で、炎の小爆発が起こっている。その爆発した生徒の側にナディリオンが急いで行くと、焼け爛れた両手をぱっと握って冷やしていっている。
――おそらく、冷却系の魔法だな。
噂通り本当に水の力も使えるようだ。
「アーシャルは……?」
大丈夫かと、その爆発の煙の奥を見つめると、そこで全身に白い靄を纏わせながら、白い炎を持っている姿を見つけた。その手の中にある炎は、今は白に近い輝きで、まるで放電でもしているようにばちばちと、火炎の中で音を立てながら燃え上がっている。
薄く笑っているその壮絶な姿に、俺もさすがに息を呑んだ。
そして急いで周りを見回すと、この術をできているのは二人。アーシャルとあのジイナンだけだ。
「アーシャル」
自分の爆発した玉から意識を戻して、手を冷やされた生徒もそれに気がついたらしい。まるで息を詰めるようにして、難しい技を使いこなしているアーシャルとジイナンを見つめている。
「はい。できたのは二人だね。これが高等魔法入門の天火だ」
そう確かめるとナディリオンは、屈託なく笑った。
「はい、じゃあ今度は、これを二つ両手に作り出して、それを炎単位であわせて摩擦を起こさせて。純粋な炎同士が摩擦によって生み出す最高に清浄で太陽の炎にも等しい熱を持つ炎、それが全ての不浄を一瞬で焼き尽くす浄化の炎だ」
聞いていたジイナンが、さすがに顔を歪めている。
それでも、残った片手に、もう一つ同じ炎を作り出した。
だが、それを慎重に合わせようとした瞬間、凄まじい白い光が飛び散り、体ごと吹き飛ばされる。
「ジイナン!」
その姿に、三年の魔法騎士科の女子が駆け寄っていく。
――そうか、そういう関係か。
その姿になんかもう同情する気もなくなって、俺はそれより気になるアーシャルの方に視線を移した。
さすがにアーシャルも手をこまねいているのかもしれない。
両手に、さっきの白い弾けながら燃える炎を作り出したが、そこから身動きをしていない。
「アーシャル……」
――無理は、するな。危険だと思ったら、やめたらいいから!
だけど、冷や汗を流して見つめる俺の前で、白い炎の渦をじっと見つめていたアーシャルはふっと笑う。
「そうか。つまりこういうことね」
そういうと、手に炎を巻きつかせたまま、ゆっくりと流すように動かす。上から左へ。
その右手の動きに左手の炎が、まるで巻き込まれるように流れ、そのまま炎の一房ごとに絡まりあっていく。まるで糸が縒り合わさっていくようだ。白い炎と炎が混ざり合い、絡み合って結合したと思った途端、地上に太陽の日差しが下りた如く眩しい白い矢が輝いていく。
アーシャルの手の中で、凄まじい白い火矢があがった。
それが全ての生徒の目を射て、俺もそのまま開け続ける事ができない。
「アーシャル……!」
息を呑んで見続けていた全ての生徒が同じだった。
――すごいな、お前。なんで誰にもできないような高等魔法を、感覚だけで一瞬で扱えるようになるんだ!
だが、その光の矢はすぐに収まった。
おそるおそる目を開いてみると、その部屋の中央近くで、まだそこに立ったままのアーシャルはあれっという顔で、自分の両手を見つめている。そこには、もうあの眩しい炎はない。
そこにナディリオンが、ゆっくりと笑いかけながら歩いて行った。
「まだ初めてだから、長くはもたないみたいだね。でも大丈夫、鍛える内に長く出せるようになるから」
「えー」
そうアーシャルがひどく不満そうだが、その方が俺には信じられない。
――おい! 誰も使えない高等魔法を初めて試して、成功させるところまでいったのに、何が不満なんだ!?
だが、すぐにアーシャルは手を握りこんでナディリオンを見上げた。
「じゃあ、後は大焦熱と業火大昇華流で」
――ちょっと待て! まさかあんな大技のすぐ後に続け様にするつもりなのか!?
さすがにこの発言には、魔法騎士科の誰もが目を見開いている。
だけど、ナディリオンだけは少し引き攣りながら笑った。
「いや、それはさすがにここではね」
――当たり前だ! そんな大技、失敗だけでもこの教室を破壊してしまう! 成功したら王都ごと壊滅だ!
「ええー」
前より、甚だしく不満そうだ。
でも、少し唇を尖らせただけで、後ろを振り向いた。
「じゃあ取りあえず、これだけでいいか」
そして見た相手は俺じゃない。俺の五人先でこの光景を同じように壁に凭れて見つめていたサリフォンだ。
「僕から兄さんを取り上げようなんて許せない」
そう言うアーシャルの手には、先ほど教えてもらった白い弾ける火炎が、ばちばちと音を立てながら激しい渦を巻いている。
――まずい!
アーシャルのサリフォンを見つめる瞳の殺意に、周りの生徒が悲鳴をあげた。それに急いで俺は壁から走り出すと、その姿に駆け寄る。
そしてアーシャルのその白焔を持つ手と反対側の腕を掴んだ。
「やめろ! アーシャル!」
「嫌だね、僕から兄さんを取る奴は全員敵だ」
――いや、そんなわかりやすい判断基準!
セニシェが感じた通り、本当に死刑枠かどうでもいい枠しか持っていない奴だな!
周りでは、見ていた生徒達全員が、アーシャルの本気を感じたのか急いで後ずさっている。
「やめろって! ナディリオンだって後で教えてくれるって言っていただろう!? この世で一番危険な存在になって俺を守るっていう野望はどうしたんだよ!?」
それにやっとアーシャルが俺を見た。
その顔は、ちょっと悩んでいるようだ。
その間に、視界の隅で無理矢理ラセレトとコルギーがこの場から渋るサリフォンを連れ出していってくれている。ありがたい。あいつのあの負けず嫌いの性格じゃあ、間違いなくここでアーシャルと全面対決だ。
「それに俺もナディリオンに教わりたいことがあるし! な、俺と一緒に習いに通うチャンスじゃないか!?」
「兄さんと一緒に習い事――」
お、どうやらこの言葉は効いたらしい。
少し考え込んでいたが、顔がにこっと笑うと、いそいそと炎を手の中に吸い込ませていく。
「うん! そうだね。よく考えたら、兄さんと二人っきりで勉強って久しぶりだし。どうせなら、後腐れがないように一族ごと大焦熱で一瞬で片付けたほうが早いしね」
「お、おお――……」
やる気は全くなくなっていないのか。
アーシャルのこの花の咲いたような笑顔が怖い。
――とうしよう、アーシャルが本気だ。
だけど、それよりも。
――俺は、この弟のおかげで、おちおち腑抜けてもいられないのか。
そう痛感した一時間だった。