(2)お前ふっきり方を間違えてないか!?
俺の剣と銀色に光る刃をかわす向こうから、サリフォンが全力で俺を睨みつけている。その明るい緑色の瞳には俺の姿が捉えられて、大きく映し出されていた。
「サリフォン!?」
叫んだ次の瞬間、俺の剣は押し返された。
反動で、一歩後ろに下がったところを剣で素早く突かれる。それを斜め上に払うことでかわしたが、サリフォンの剣はそのまま中空に上がった角度から、俺の首めがけて切りかかってきた。
息を継ぐ暇もない!
急いでそれを受け止めたが、その瞬間、相手の剣が後ろに引かれた。
――来る!
そのまま俺の胸を突こうとした剣先を、斜めにした刀身で受け止める。僅かに方向を逸らされたことで、俺の肩口すれすれに走った剣が、俺の顔の前で鈍く輝いた。
その向こうで、サリフォンがじっと俺を見つめている。
「ふん。ショックでまだ腑抜けているかと思ったが、そこまで情けなくもなかったか」
そう睨むと、剣を引いた。
「サリフォン、お前」
だけど、その顔に浮かべたどこか怒っているような表情は、そのままだ。
「いいか、リトム。今度の魔術学校との対抗試合、もしお前が負けたらお前は素直に僕の家に入れ。その腑抜けを叩き直してやる! だが、もし僕が勝ったその時には、お前は僕を弟と認めろ!」
――なっ……!
「その賭けのどこにお前に得があるんだよ!? だいたい、別々に戦う個人戦でなんだその賭け!?」
「うるさい! 僕はこんなへなちょこを兄かもしれないと悩むのに飽きたんだ!」
「飽きたって――……!」
そんな問題か!?
だが、サリフォンは剣を持ったまま緑の瞳で睨みつけてくる。
「お前はともかく! 僕はもう三年もこの問題で悩まされ続けたんだ! それなら、お前を家に迎え入れて、父の元で正々堂々と跡継ぎ争いをした方がマシだ!」
「ちょっと待て! だからって、俺の拒否権はなしか!?」
だいたいお前負ける気なんかないだろう!? だとしたら、もし俺が勝っても負けても、お前的には結果は同じじゃないのか!? 家に入るかどうかはともかくとして!
「ふん。いつまでも悩んでいるぐらいなら、この方が余程早い」
「いや、だから早いとかじゃなくて!」
「まあ、待て」
だけど、混乱した俺が反論に困っているのを感じたのか、横からコルギーが真面目な顔で割って入ってくれた。
事情は、寮の門限に帰るのに遅れた時に話したとはいえ、やはり困っている時に助けてくれるとは、親友だ。
「サリフォン。お前だって跡取りとして育てられてきたんだろう? それなのに、今更リトムを兄と認めて、これからどうするつもりだ?」
「確かに僕は長子で兄はいないからよくわからない。――でも」
そう言うと、少し緑の瞳を開いて俺の後ろを見た。
「要するに、自称お前の弟がやっているような感じをすればいいんだろう?」
「こいつをお手本にするのか!?」
よりによってアーシャルの行動を! それは色んな意味でごめん蒙りたいのだが!
けれど、その瞬間、真面目な顔で尋ねていたコルギーは噴き出して笑っている。
――おい。お前、俺の味方じゃなかったのか。
だけど、振り返った先で、アーシャルは凄まじい瞳で、サリフォンを見つめていた。
――まずい!
頼むから、火竜の本性は出すなよ?
「うむ。一応、色々観察してメモを取ってみた。要するに、弟というのは、毎日兄と寝起きをして、一緒に朝食を食べて、一緒に出かけたり、隙があれば腕にしがみつけばいいという認識で間違いがないと思うのだが」
「それのどこが兄だ!? 世間一般では、そういうのは恋人同士か、新婚さん以外ありえないぞ!」
「そうなのか? しかし、ケイラとオリエンに訊いても、まあそんなものと笑っていたぞ?」
「あいつら!」
俺は思わず、サリフォンの取り巻きの貴族の二人を思いだした。最近顔を見ないと思ったら、そんな嘘をサリフォンに吹き込んだから、報復が怖くて隠れていやがったのか!
「まあ、あいつらの兄弟は、二人ともまだ十歳にならない妹達だが」
「そいつらが不純で少しだけ俺の同類成分があるのはわかった!」
――くそっ! 嫌な奴らなのに、俺と同じ兄馬鹿じゃないか!
「だけど、それでお前がそういう行動をとるのは断る!」
――だいたい、それは世間一般では弟じゃないし! アーシャル以外は!
丁重にお断りしたが、サリフォンには面白くなかったようだ。少しだけ、緑の瞳が細くなった。
「ふん。じゃあ、そんな行動を許しているそいつは何者だ? お前にカルムの街にそんな弟はいない筈だが?」
「こいつは俺の弟だ! わけあって、少し離れて暮らしていただけだ!」
咄嗟にアーシャルが浮かべた辛そうな表情に気がついて、俺は急いで叫んだ。それなのに、サリフォンは薄く笑っている。
「ふん。二回に渡る身上調査書に一回も出てこない弟? 胡散臭いことこのうえないな」
それにアーシャルの瞳が、はっきりと怒りの色を表してサリフォンを見つめた。
「まあいい。そのうち化けの皮を剥がしてやる。そしてリトム、お前はさっさと覚悟を決めろ」
「誰が!」
叫んだが、その後姿は、黒いマントを羽織ると、練習場の出口へと歩いていく。
「アーシャル……」
俺は、その姿から急いで俯いた弟に目をやると、その肩に手を置いた。
「気にするな。俺にとって、お前は誰よりかけがえのないたった一人の弟だ」
「そうだ、そうだ。あんな奴の言うことなんて気にするなって!」
「うむ。それだけそっくりな顔が、間違いなくリトムの弟だと告げているぞ。正直、最初は背の違う双子かと思った程だ」
そうコルギーとラセレトも必死に慰めている。
だけど、顔を上げたアーシャルは、予想に反してその瞳を強く輝かせていた。
「安心してよ、兄さん。僕、兄さんの弟の座を譲るつもりは、誰であれ絶対にないから」
そう話す瞳は、爛々と輝いている。
「お、おお……そうか。それはよかった」
――のか……?
わからない。
だけど、取りあえず、気を取り直すと、俺達はそのまま魔術教室へと移動した。さすがに魔術学校との対抗戦が近いだけあって、一緒に出場する魔法騎士科との合同授業が増えている。
「ほら、次はお前の好きなナディリオンの授業だろう?」
「うん……」
振り返っても、まだアーシャルの表情は固い。
――困ったな。せめて、あいつを見て、いつもの笑顔に戻ってくれたらいいんだが……
そりゃあ、兄の俺でもできないことを、あいつに軽々とやられたら癪だよ?
でもやっぱり、俺の側にいることでアーシャルをこれ以上傷つけたくない。
――それぐらいなら、あいつとも仲良くしてやるからさ。
そう思って、入った魔術教室は、講堂のように広い教室の前方に机を並べた作りだった。
そこに騎士科の三年生と、魔法騎士科の全員が入る。元々、魔法騎士科の特別授業に、騎士科の三年生が、特別に参加させてもらう形なのだから、落ち着かないのは仕方ない。
半分近くが見知らぬ顔ばかりの中で、俺はアーシャルと並んで座り、その隣りにコルギーとラセレトが同じ四人掛けの椅子に座った。
二つ前の席から、送別会で見たアーシャルの同級生が、アーシャルの顔を見つけて、手を振っている。
それに一瞬だけ笑んで、アーシャルは手を振り返した。だけど、まだ表情は固いままだ。
「あ、ほら。ナディリオンが入ってきたぞ?」
必死に気を紛らわせようと、俺が示すと、相手もそれに気がついたのか、銀の髪の中の壮麗な美貌でこちらに笑いかけてくる。
それに、笑顔で手を振り返すことができた。
――うん。もう大丈夫。
あの嫌悪感も小さな嫉妬と共に、心から片付けられた気がする。
「ふうん、あれが話題の大魔導師か」
「若いな。私の姉が聞いたら、美容法の極意を訊きにここまで押しかけてきそうだ」
――やめてくれ。といえか、ラセレトの姉ちゃんって、そんなに躍動的なの? 伯爵令嬢なのに?
だけど、その時、俺の横で椅子を立つ音がした。
「ナディリオン――先生」
おお、切れかけでも最後の理性で先生は思い出したらしい。
いや、っていうか、アーシャル! なんでそんな固い表情をして、突然授業が始まる前に立ち上がっているんだよ。
「なにかね? アーシャル君、今日は魔法戦の技の弱点についての講義を頼まれたんだが」
その声に美しい銀の髪をなびかせて振り向いたナディリオンを、アーシャルは真っ直ぐに見つめた。
「僕に浄化の炎を教えてください」
――え?
周りも大きくざわめいている。当たり前だ、炎系の魔術では上位に位置する最高クラスの魔術だ。
「アーシャル?」
だけど、アーシャルの瞳は、有無を言わさないように、そのままナディリオンの金の瞳を見つめ続けた。