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人間の俺、だが双子の弟は竜!?  作者: 明夜明琉
第六話 三角家族! ただいま複雑中!
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(6)窓の向こう

 

 外では、暗い空にたちこめた雲から白い雪が降り始めていた。 


 それがカルムの街の家々に降り注ぎ、窓からこぼれる明かりに白く光っている。道で歌う日雇いの男たちがそれに更にはしゃいで、寒さを紛らわすために、肩を組んだ男と酒瓶を仰いでいる。


 目の前には、いくつもの白い雪が景色を覆っていき、よく知っているカルムの街の筈なのに、まるで知らない場所のようだ。


「お母さん、雪ー!」


 どこかの窓から、幼い声がはしゃいでいるのが聞こえる。


 その道を、俺はただ歩いていた。


 ――どっちなんだ……


 俺が今まで信じてきたことが真実なのか。それとも、突然今日告げられたことが真実なのか。


 まるで、この雪に染まった世界のように、俺の前の風景が突然変わってしまったかのようだ。


「兄さん」


 アーシャルが後ろから呼びかけているのがわかる。


 それなのに、なぜか振り返ることも、呼びかけに答えることもできなかった。


 頭の中には、ただ知りたくなかったことだけが渦巻いている。


 ――俺の人間の父さんは、本当はどっちなんだよ!


 わからない。考えても、考えても、答えなんて出てこない。


 十六年間信じてきた全ての土台に(ひび)が入ったような気分だ。


「兄さん」


 またアーシャルが後ろで呼びかけている声が聞こえた。それに振り向けなくて、心で謝る。


 ――ごめんな。今振り向くのが怖いんだ。


 だって気がついてしまった。


 だけど、今はアーシャルとのその事実を認めたくはない。


 ――怖すぎて――


 どうすればいいのかもわからないまま、俺の足は自然と通い慣れた道を通っていた。


 昔、怪我をするたびに、ニッシェおばばの店から母に連れられて帰った道だ。この先には毎日水を汲みに通った井戸がある。その先には、よく知った小麦屋が。そして鍋などの金物屋を真っ直ぐ行った先に、俺の家が――


 ずっとよく知っていたその玄関は、今日も靴の絵を描いた看板が、雪の中に揺れていた。


 父さんが、まだ店で仕事をしているのだろう。


 通りに面した店の部屋には明かりが灯り、雪の降る街の暗い道へと明るい光を投げかけている。


 しばらくそこに立って、雪の中から見つめていたが、どうしても扉を開ける気にはなれない。


 ただ窓の外から眺めると、中では机に座った父さんが、切った皮を前に広げていた。きっと急ぎの注文を、今から仕上げるのだろう。


 奥のある扉を、ユリカが開けて、父さんに何かを持ってきているのが見える。


「はい。奥から予備の糸を持って来たわよー」


「ああ、悪いな。店に置いておいたのを使い切ってしまったんだよ」


 いつもと変わらない声が聞こえる。


 その窓から見える笑顔はいつもの通りだ。


 ――父さんは、この十六年、俺のことをどう見つめていたんだろう?


 今になってとはいえ、俺が自分の出生にもった疑問を消せないほどだ。きっと父さんだって、昔から、俺が自分の子供ではないと思っていたのかもしれない。


 ――そうだ。


 そう考えれば、貴族や金持ちが行くような騎士の学校に俺が行きたいと言い出した時も、なぜ賛成してくれたのかがわかる。


『リトムの生きる道は、リトムが決めるのだから――』


 少し寂しそうに笑って、渋る母さんを説得してくれた。


 ――あれは幼い頃からの夢の、ドラゴンスレイヤーを目指すのを認めてくれたのだと思っていた! だけど今考えれば、俺があの将軍の子かもしれないと思っていたからじゃないのか?


 貴族の血を引いているから、だから、もし俺や将軍が生まれを知った時には、そこに返せるように考えていた?


 高い学費をひねり出してまで。


 ――だとしたら、父さんは俺が自分の子じゃないと確信していたことになる!


「あなた、あまり御無理はされないで」


 思わず手で抱えた頭を持上げると、窓の奥では母さんが小さなカップを持ってくるのが見えた。


「夕食も後回しにされたでしょう? あまり根をつめられると、体に悪いわ」


 言いながら机の上に、ことんとお茶を置いている。その窓の奥の風景を、俺は雪の中から無言で見上げ続けた。


 ――母さんはどう思っていたのだろう……?


 心の底まで絶望した相手の子供を宿したと知った時の想いは。考えながらぼんやりと、その光景を見つめる。


 奴隷時代の、それもいくら愛されていたとはいえ、自分を物のように扱った相手の子供だ。それがまるで離れない鎖のように、今度こそ幸せになろうと逃げた自分の腹に絡み付いていると知った時の絶望は。


 やっと幸せになろうとした矢先に、足元に打ち込まれた楔のような自分。


 ――わからない。


 わからない、知りたくない!


 ひょっとしたら、生まれてきたこと自体を憎悪されていたかもしれないなんて――


 ――どうして……


 どうして、この間まで中に入れたあの窓の中の光景が、こんなにも遠いのだろう。


 明らかに父の血を継いだ、父と同じ茶色の髪を持つユリカ。


 ――どこも、父に似ていない自分。


 あんなに、すぐ手の届く距離にあった温かいものが、今では全て窓の奥に遠い。


「そうだなあー。いくら明日の朝に要ると言われたとはいえ、さすがに頑張りすぎたなあ」


 笑いながら父さんが凝った首をこきこきと動かしている。そして、椅子を立った。


「うん、取りあえず夕飯にするか」


「そうよ! 今日は私が作ったんだからね?」


「お、いつ作れるようになったんだ?」


「ふふん。半分でも、主張すれば作ったなのよ?」


「それは手伝ったじゃないかなー」


「ふふっ」


 母の微かな笑い声に、部屋を灯していたランプを持って、三人が部屋を出て行く。


 その姿に、無意識に俺の手が伸びていた。


 だが、その明かりが、奥に続く扉をくぐった途端、ふっと俺の目の前で消えて行く。伸ばした俺の手の先の窓の中には、誰もいない闇だけが広がっていた。


 それに絶叫して、扉を叩きたくなってしまう。


 だけど、それができるほど幼くもない。ただ、目の前の冷えた壁を拳で一つ大きく叩いた。


「あれ? 今何か音がしたか?」


「まさか」


 しかし、次の瞬間、壁の奥から聞こえてきた声に、心の中でびくっとする。


「お客かな? ちょっと表を見てくるよ」


 その声を耳にした途端、俺の足はそこから翻っていた。


「兄さん!?」


 ――会いたくない。


 会えば、叫び出しそうな気がしてしまう。


 ――俺は、一体誰の子供なんだって!?


 それで、もしも俺が抱いている疑いを肯定されたら? その瞬間から、あの人は俺の父さんじゃなくなってしまう!


 思った恐怖が、俺の足を雪の降る夜道をがむしゃらに走らせた。


 父さんだけじゃない! ユリカだって、俺が半分血の繋がらない、ましてや母の最も忌む奴隷時代のその奴隷主の子供なんて知ったら、俺をどう見るか!


 きっと、今まで俺が信じてきたものは、その瞬間に足元からひび割れて粉々の氷になってしまうだろう。


 二度と直せない!


 二度とあの家には帰れない!


 あの優しい時間は、きっとこの雪のように手の中で溶けて、かつての姿を取戻せなくなってしまう!


「兄さん! 待って!」


 必死に走る俺の体を、後ろから走って来たアーシャルの手が捕まえると、暴れているのに、無理矢理自分の方を振り向かせた。


 ――なんで、お前馬鹿力なんだよ!?


 わかっているさ、竜だからだ。


 ――お前が、竜だからだ!


 とっくの昔に、俺は竜ではなくなったのに――人間になって、お前の兄でさえなくなってしまっていたのに!


 頭ではわかっていても理解をしたくはなかった! だから今まで目を逸らし続けていたのに、今度のことでアーシャルとも、本当はとうの昔に血の繋がりなどないんだって気づかされてしまった!


 わかっているさ! 人間に生まれ変わった俺は、本当はもうお前の兄なんかじゃないって!


 ――それでも!


 それでも!


「兄さん……」


 俺は、振り返った先にいたアーシャルに縋りつくように叫んだ。


「頼む、アーシャル! お前は俺の弟だよな!?」


「兄さん?」


 訝しそうに、アーシャルがその赤い瞳を細める。それに俺は両手で縋りついた。


「お前は、俺を兄だと思っていてくれるよな!?  わかっているんだ! 本当はもうお前と血が繋がっていないことなんて!」


「兄さん!?」


「でも、それでも――……俺は、お前の兄でいたいんだ……」


 人間になってしまった。


 それなのに、どうしてもアーシャルの兄でいたいと思ってしまう。


 強がって――昔と同じように、守ってやりたくなる。だって、もうこの心しかお前の兄だといえるものはないから――


 両肩に縋りついて、小刻みに震える俺の言外の言葉が聞こえたように、アーシャルは柔らかく微笑んだ。そして、そっと俺の黒髪を撫でる。その仕草は、俺がアーシャルを慰める為に、ごく稀にするのと同じ優しい手つきだ。


「もちろんだよ。たとえどんな姿に変わったって、僕の兄さんの魂だもん。生まれ変わるたびに、何度でも追いかけるよ」


「うん――……」


 こいつのストーカー宣言がこんなにも嬉しかったことはない。


 わかっている。俺は、本当はもう竜の父さんと母さんの息子じゃない。お前の兄の体じゃない。


 ――それでも、俺が愛する存在の家族でありたいと思うのは、我が侭なのだろうか……


 空から降る雪はなにも答えてはくれない。


 ただ、その肌を切るように冷たい大気の中でも、アーシャルの抱きしめてくれる腕だけは、昔と変わらずに優しく、俺を守るように温かい。


「どんな姿になっても、僕はずっと兄さんの弟だよ。絶対に離れないから――」


 ただその言葉に、縋りつくように、俺はアーシャルの赤い髪が揺れる肩で何度も頷いた。暗闇の中でその髪の色だけが、俺の目に明かりのように映りながら。




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