(4)親子対面は、三者懇談も含めて碌なことがない
馬車から降りて見上げた建物は、重厚な石で造られ、白味を帯びた灰色の威容をその冬空の下に広げていた。屋根は、少し薄い空色で、いくつもの屋根が灰色の空に突き刺さるように並んでいる。
その三階建ての建物は 俺が見ても歴史を感じさせる造りで、正面にはいくつもの大窓が弧を描いて長く並んでいる。更にその左には、同じアーチを並べた建物が今度は下を回廊にして続き、広い庭をぐるりと取り巻いていた。
華やかな花だらけの庭園ではない。四角く区切った花壇に、常緑樹でいくつもの植え込みが作られて明るいが、むしろ質実剛健といった印象で華美は感じさせない造りだ。
「ここが僕の家だ」
そう告げると、俺と一緒に馬車を降りたサリフォンは、もう正面にある玄関へと歩き出していた。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
「お帰りなさいませ、サリフォン様」
出迎えてきた使用人達が、何人も頭を下げる階段を上り、玄関の開けられた扉を通ると、中にはその倍の人数が出迎えている。
「お帰りなさいませ」
さすがに、俺と同じ年で、これだけ多数の相手に頭を下げられている光景は見たことがない。
「すごいな、お前……」
「なにが? これぐらいは貴族なら当たり前だ」
「いや、これだけの人数に常時監視されて平気なその精神が。俺なら確実にまいる」
それに、サリフォンが瞬きをして振り返った。おお、初めて見たが、お前そんなに大きく目を開けられたんだな? 正直、嫌味な顔以外はほとんど見たことがなかったから驚きだぞ?
「馬鹿か。彼らは仕事で仕えているだけだ。監視なわけがないだろう?」
「だけど朝から夜まで側にいるんだろう? 控えめに言っても、一挙手一投足見られているわけだし、歩いているだけで壁にずらりと並んでじっと見られていたら、人形の列に見つめられているのより怖いぞ?」
「馬鹿な! ただ見て平伏しているだけだ! それに歩いている姿を、集団で観察して並んで日誌につけられていたらそっちの方が怖いだろうが!?」
「それはそうかもしれんが――」
今まさに、後ろでサリフォンの言葉をメモ書きしているおつきのウルックはどうなのだろう?
――あれはあれで変な気がするのだが……
「まあいい! お前に貴族のことを話してもわからん!」
「うん、俺も普通の感覚さようならには、なりたくないからかまわないんだが」
「それよりも!」
と、ばっとサリフォンは、近くにいた執事のような身なりの男性を振り返った。
「父上はどこにいる?」
それに、老齢を感じさせる相手は恭しく身を屈めた。
「はい。旦那様はお部屋でご到着をお待ちにございます」
その言葉で、俺に一気に緊張が戻ってきた。
「そうか、行こう」
頷くとサリフォンは、幾何学模様の白と黒の玄関から赤い絨毯が敷かれた大階段へと向かい、植物の蔦をモチーフにした手すりを持ってのぼっていく。
その後ろについて俺も一緒に階段を上がる。
だけど、のぼるにつれてこの屋敷の天井を覆う戦いを描いた絵や、柱に掘り込まれた鳥の精緻な彫刻が目に入り、場違いな思いに駆られていく。
壁や柱の色彩が黄土色に統一されているから華美な印象はないが、柱という柱には細かな細工が掘り込まれ、よく見るとそれが天井近くの壁にまで続いているではないか。
今握っている手すりにも繊細な植物の模様が掘り込まれ、天井近くの梁には花をデザインした模様が、渦を巻くように並べて掘り込まれている。
どう考えても、ただの木を張っただけの家で暮らして来た俺には、場違いな空間だ。
だが、その階段をのぼると、三階の赤い絨毯が敷かれた通路を、サリフォンについて歩いていく。
俺の前を行くその白金の髪が、やがて一つの重厚な扉の前に立つと、磨きこまれて輝くその木を叩いた。
「父上。リトムを連れてきました」
「入りなさい」
その声に、サリフォンが扉を開けると、中は外と同じ黄土色の天井と壁で統一されていた。
ただ、その壁には幾つもの大きな絵が飾られ、広い室内には、そこを明るく照らすためのシャンデリアが四つも硝子のきらめきを放ちながら輝いている。きらきらと室内に輝きを放つその上を見上げると、黄土色一色と思われた天井は深い緑と金で細かな模様を描かれていた。
けれど、それ以上に俺はその下に立ち、こちらを見つめている白金の髪の男性に目を向けた。
鋭い鷲を思わせる眼差しが印象的だ。それはサリフォンと同じ緑色だが、体つきは圧倒的に違う。長年、この国の最前線で他国や魔物と戦ってきたというだけあって、筋骨隆々と称するのに相応しい体躯を誇っている。
その目が俺を鋭く捕えたと思った瞬間、ふっと和んだ。
「君がリトムだね」
そう言うと、手を差し出して近づいてくる。
「初めましても変だな。私が、オースティン・エドルナ・パブルックだ。今はこの国の鎮国将軍を任じられている」
鎮国将軍――国に何人かいる将軍の中でも最上位じゃないか。
サリフォンの家系にはたいして興味がなかったから、こいつの家が代々有名な将軍家だということは聞いていても、それ以上は知ろうとも思わなかった。
「あ、初めまして」
出された手に躊躇いながら握り返した瞬間、思い切り引っ張られた。
――い!?
「うむ、本当にマリムと同じ髪の色だ! もっと早くに会いたかったな」
俺の体を自分のすぐ前まで強引に引っ張って、広い手で髪を撫でながらそう言われるのに、俺の頭が追いつかない。額に乱暴に当たる手が痛い。
心までざらざらとしていく。
だけど、俺が拒否の言葉をあげるよりも早くに、サリフォンの冷静な声が後ろから飛んできた。
「父上」
その声に髪をぼさぼさにしていた手が止まる。
「お話があるから呼ばれたのでは?」
「う、うむ」
そう頷くと、やっと解放された。今回ばかりはサリフォンの冷たい眼差しに感謝だ。
こほんと咳払いがされた。
「そうだな。二人きりで話をしたいから、お前は少し席を外していてくれ」
「くれぐれも将軍として羽目を外されませぬように」
そうとても親に対するとは思えない忠告を残していくと、サリフォンは背を翻して部屋を出て行く。
「まったく――あいつは妻に似て、妙に説教臭い」
いや、仕方ないだろう。どう考えても、目の前で自分の父親が、自分と同い年の男の子を抱きよせかねない勢いで頭を撫でていたら、嫌なのに決まっている。
――いくら、親子かもしれなくても――
その俺の内心の迷いが、表情に出ていたのかもしれない。
オースティン将軍は俺の顔を見ると、こほんと咳払いをして、少しその目を和らげた。
「とにかく座りたまえ。名前はリトム、だったね?」
「リトム・ガゼットです」
そうさりげなく息子ではないと主張する。
「うむ、ではリトム」
しかし相手は、俺の主張をあっさりと無視すると、俺に椅子を勧めた向かいに腰を下ろした。そして、手を伸ばすと、側に用意させていたポットから自分でお茶をカップに注ぎだす。
海のように青いカップから、白い湯気がゆっくりと、二人の間にあがっていく。
「君はマリルからどこまで聞いていたんだ?」
「どこも何も――さっきサリフォンにも言ったけれど、全く身に覚えがないことばかりで」
俺は相手の顔ではなく、その湯気を見つめて言葉を返した。どこを見たらいいのかわからなかったからだ。
けれど、相手は、二人分のお茶に、別の陶器からゆっくりとミルクを注いでいく。
「そうか。私も驚いたよ。最初、入学試験でサリフォンを負かした相手がいると聞いて調べたら、君のお母さんにマリルの名前が出てきたからね。もう同年代ではあの子に敵う剣の使い手はいなかったのに、さすが私の血筋というべきか」
「それなんですが」
俺は話を区切るように、急いで言葉を唇から出した。
「母さんのマリルなんて名前の持ち主は、それこそ掃いて捨てるほどいます! 奴隷出身のマリルも! ただ逃亡した奴隷でマリルという名前の持ち主だというだけでは、別人かもしれないじゃないですか!?」
俺が息子の筈がない! こんな大きな家の、会ったことさえなかった人間の!
それなのに、オースティンは、ポットを横に置くと、俺にお茶を差し出した。
「信じられないというのかね? じゃあ、証拠を見せようか」
「証拠?」
その言葉に、促されるまま立ち上がって、隣の部屋に行く。その部屋は、小さな個人の書斎らしく、たくさんの古い文献が本棚に整然と並べられていた。棚には軍で使うのか、この国や隣国キルリードやフランデンのたくさんの地図が丸めて置いてあり、作戦用の馬や兵士の駒が机の上に散らばっている。
だが、俺の瞳をひいたのは、その奥の壁にかけられた絵だった。
側には、サリフォンの幼い頃の絵がある。だが、その隣りにひっそりと飾られている宴の絵には、美しい舞姫が足元が透ける異国の衣装で舞い、その黒髪を艶やかに夜の酒宴の中に振りまいているではないか。
「母さん――」
信じられない思いで、俺はその描かれた絵を凝視した。
絵の中は、夏なのだろうか。外に通じる大きなアーチの柱が幾つも描かれた石造りの広間で、膝に絃楽器を抱えた男を後ろに、母さんにそっくりの若い女性が、腕に幾つもの鈴をつけて、手に持った薄い布を翻している。その薄桃色の布が夜の闇の中に流れるのを、酒席に居並んだ貴族達が楽しそうに見つめている。
「これがマリルだ」
絵から目が離せない。後ろから聞こえる声さえ、遠いどこかからのようだ。
「君のお母さんに間違いないだろう?」
――間違いない。
確かに、今よりずっと若くて身なりも美しいが、その顔は、この十六年母と慕ってきた優しい面影そのものだ。
「マリルは、私が十七の時に、この屋敷に舞い手として買われてきた」
その声に、ようやく俺は振り返った。
けれどオースティンは、その絵を見つめたまま続ける。
「可憐で愛らしくて、十五になったばかりの彼女に、私はすっかり心を奪われた」
そして、やっと振り返った俺を見つめる。
「それから私はずっと彼女に夢中だったよ。騎士になっても、戦で地方に行っても、いつも彼女の待つ側に帰りたくてたまらなかった。初恋で、本当に彼女しか見えていなかった」
「じゃあ、なぜ――」
足を痛めた母さんを売ることに同意したんだ?
いや、そもそもなぜ母さんを妻に迎えなかったのか――
「だけど、私が彼女に惚れるほど周りが反対し始めた。名家のパブルック家の跡継ぎが奴隷となんてと反対されて、終いには家の為に王家に連なる断れない縁談を用意された」
「それが、サリフォンの――」
「そうだ。あれの母親は、今のアルスト二アス王のはとこに当たる。遠縁とはいえ、王の不興を考えれば、我が家に断るという選択肢はなかった」
だから!
「だから母さんを捨てたのか!? 足を痛めて踊れなくなったことを口実にして――!?」
「違う!」
激高した俺に対して、オースティンは急いで否定した。
「私は、たとえ政略結婚をしてもマリルを手放すつもりはなかった。それこそ、結婚する前と同じように、毎日愛を囁いたし、一緒にいれる時間が短くなった分だけ、こっそり連れて行った戦場でも家でも僅かな時間だろうと彼女といたかった!」
だから、側から離さないようにしていたのに、とオースティンは苦悩した顔を覆った。
「妻のイルッドが、それを良く思わなくて――私がいない間に、マリルに色々と嫌がらせをしていたようだ……」
そこは簡単に想像できる。
「ふん。親子してどれだけ似ているんだ! どうせあいつの母親なら、俺が連日受けたような嫌がらせを母さんに繰り返していたんだろう!」
「どんなことをしていたのか、具体的には知らない。ただ、マリルは小さな怪我をよくしていた。そして、階段から落ちて、いや多分突き落とされて――足の腱を痛めてしまって――その時に、イルッドが踊れない舞い手など、よそに売ってしまいなさいと激しく迫ってきたんだ」
「それで頷いたのか!?」
だとしたら、この男! たとえ国の重鎮でも最低だ!
「頷くはずがないだろう!」
だが、返事は俺が予想していたのとは違うものだった。
「だけどこのままではマリルの命が危なくなると思った! だから執拗に言い続けるイルッドをかわす為に、とりあえず同意したふりをして、友人の館に匿ってもらえないかと相談に言っていたんだ!」
だけどと、オースティンは苦悩に満ちたように、額の皺を深くした。
「私が賛成のふりをしたことで、イルッドがその間に奴隷の仲買人を屋敷に呼んだらしい。そしてマリルを場末の酒場に売る契約を結んでしまったんだ。マリルが姿を消したのは、私がどうにか地方の友人に約束を取り付けて帰ってきた前日のことだった」
――多分。
俺は強く唇を噛んだ。
――母さんは、絶望したんだ! 自分を愛していると言いながら、結婚どころか愛人としてさえ周りに認めさせないこの男に!
いくら世間体が悪いからって、奴隷にだって心はある! 人より、ましてや恋人にほかの女性よりも軽く扱われて傷つかないはずがない!
「よく、わかった」
俺は怒りを抑えながら、低く声を漏らした。
「お前がなぜ俺を息子なんて誤解しているのか。そして、まだ執着するのか。だけど!」
それこそ怒りの全てで刺し殺すように見つめる。
「俺はお前の息子じゃない! たとえお前がその時母さんの恋人だったとしても、俺の親父とは限らない!」
「お前は私の息子だ!」
それに鋭い瞳を大きく開いて叫ばれた。
「あの時期のマリルが私の子供以外を身ごもる筈がない! それは――確かにマリルは私に失望したのかもしれん! だが私は彼女を心から愛していた! 彼女だってあの時は、間違いなく私だけを」
「それはお前がそう思いたいだけじゃないか!」
確かに、母さんの性格からして、この男の恋人だった当時から父と通じていたとは思えない! 一度に二人に尽くせるほど、器用な性格じゃないこともこの十六年で嫌というほど知っている!
きっと、心から尽くして心底から絶望したのだろう!
だからこそ、その時に救いの手を差し伸べた父の手を取ったんだ!
「とにかく俺はお前を父親だなんて認めないから!」
もう話す必要もないと、俺は外套を手に持つと、急いで部屋を飛び出そうとした。それなのに、まだオースティンの声が響いてくる。
「待て! 私は、お前をこの家に引き取って育てたいと思っている!」
――な……!
「息子ならサリフォンがいるだろうが!?」
「だがお前の方が剣の腕は上だ! それなら将軍家のためにも、跡取りはお前の方が相応しい!」
それについに俺の堪忍袋の緒が切れた。
「将軍家、家の為って――!」
どうしようもない怒りがこみ上げてくる。
「そんなものの為に母さんを捨てたんじゃないか! この上俺までそんなつまらないものに巻き込むな!」
そう叫ぶと、部屋を飛び出していた。
そしてさっきの大階段を駆け下りると、居並ぶ召使達の視線も気にせずに、そのまま玄関へと向かう。
とにかく一刻もここを離れたかった。
この重たい屋敷の空気そのものが、俺を捕えに来るようで嫌で嫌でたまらない。
息が苦しいほど、深い絨毯に沈む足を動かして、玄関の扉を開けた時だった。
階段の下の暗闇の中に、一人の明るい光のような姿が立っている。
「アーシャル……」
その静かに佇む竜の弟に、俺は呆然と言葉を紡いだ。