(4)激突! それが本音か!?
――ナディリオン。
目の前に現われたその銀色の竜の化身に、俺の全身が粟立つように感じる。
けれど、そんなことには全く気づいていないように、銀色の長い髪を流したナディリオンは、その圧倒的な存在感に驚いている周囲の声に迎えられながら、アーシャルの元へと歩いて来た。
「きゃあ! ナディリオン先生! どうしてここに!?」
さっきまでアーシャルと話していた魔法騎士科の女生徒が、真っ赤になった頬を両手で押さえてその琥珀色の瞳の持ち主に叫んだ。
「アーシャル君にお招きを受けてね。今日は卒業生の送別会なのかい?」
「はい! 寮の恒例行事で、毎年少し早めのこの時期に行われるんです!」
「そうなのかい? まあ、卒業生は寮を出る準備とかも忙しいからね」
そうにこやかに話している。その姿を見て、騎士科の生徒がざわついた。
「おい、あれか? 魔法騎士科に新しく来た大魔導師の先生というのは……」
「意外と若いんだな。大魔導師っていうぐらいだから、もっと白髭の年寄りかと思っていた」
――みんな若作りに騙されている!
実態はそこらのじじいより年寄りで、遺跡やそこの発掘品の骨片と同レベルですとばらしてやりたい。
――いくら竜でも若作りしすぎだろう……
そう思うのに、アーシャルときたら俺の目の前でそいつの髪を掴むと、嬉しそうに引っ張って自分の方へと顔を下げさせている。
おい、なんだ。その笑顔! なんで、お前はそいつにはすぐに心を許すんだよ!?
「待っていたんだよー。遅かったんだね?」
「すまないね。どうしても攻撃呪文が苦手という生徒を教えていたら、魔力の扱いがうまくいかなくて、具合が悪くなってしまったから診ていたんだ」
――おい、教師が患者を作ってどうする!?
「へえーさすがナディリオン! それで、その人はよくなったの?」
「ああ。もちろん、私の触診は確かだからね。きちんと原因を探って対処したよ」
――おい、まさか、こいつ自分の生贄を自給自足しているのか?
あの触診を思い出せば、どう考えても変質者としか思えない行動だが、周りで聞いている生徒は素直に感嘆している。
「アーシャル!」
これ以上、アーシャルに近づけられるか。いつこいつが無邪気に、あの毒牙にかかるか知れたもんじゃないと、俺は足を速めて近づいた。それに、やっと気がついたアーシャルがそいつに向けた笑顔のまま振り返る。
「あ、兄さん」
腹が立つほどの笑顔だな。さっきまで、俺を見てもひたすら不機嫌だったくせに!
「あのね、ナディリオンもこの送別会に呼んでおいたんだー。やっぱり、兄さんの体を、一度きちんと診てもらった方がいいと思って」
「なっ……!?」
その瞬間、俺の足が絶句に止まった。前で、にこにことアーシャルは邪気なく笑っている。
「大丈夫、ナディリオンは地の力も持っているからゾンビ関係の魔物にも詳しいし!」
――余計なお世話だ!
それなのに、俺の内心の叫びなど気づかないように、アーシャルはそいつの側で花が咲くように笑っている。
それに、俺は歯噛みしたい気持ちで、軽く頭を下げた。
「気持ちはありがたいが、もう完治しました! ですからお手を煩わせるほどじゃありません」
けれどそれにアーシャルが目を剥く。
「完治って! あんな対処療法で、本当にもう体が大丈夫かもわからないのに!?」
「お前――なんで、そんなにこいつに俺を診せたいんだよ!?」
「そんなの兄さんが心配だからに決まっているだろう!?」
そう言われると、一瞬黙ってしまった。
その隙にナディリオンが前に出ると、銀色の髪を揺らしながらずいっと俺に近づく。
「そうだよ、リトム君――だったね。安心したまえ、私はこれでも腕は確かだから。君の死導屍にやられたという怪我も、気になる記憶の障害も、きちんと体の内側まで探って診てあげるから」
「いえ、結構です!」
なんで、こいつは言うことがいちいちセクハラ臭いんだ!
けれど、そののけぞった俺の様子にどうやら勘違いしたらしい。ああと、思いついたように拳で手の平を叩いている。
「ひょっとして、手で触る触診が嫌なのかい?」
「まあ、そうですが――……」
ふうん。一応。人から嫌がられる触診という自覚はあったらしい。
それにさっきの魔法騎士科の女生徒が信じられないように叫び声をあげている。
「えー!? 私、ナディリオン先生になら絶対に触って欲しいのにー!!」
にこやかにナディリオンは微笑んで振り返っている。
「それなら今度怪我をした時は、じっくり触って診てあげよう」
「きゃあー!」
よかったな。立候補者が真っ赤になって喜んでいるぞ。その時点で、自分の言葉がおかしいことに気づけよ! そう思うのに、その変態医者はまた俺の方を振り返ると、少し困った顔で微笑みながら話しかけてくる。
「それならリトム君。手が嫌なのなら、ほかでゆっくりと触診をするが――」
「触診から離れる気はないんですか!?」
――というか、こいつどこで触る気だ!? 足ならともかく、それ以外なら、ますます変態確定だからな!?
「とにかく俺はもう完全に元気です! お気遣いは結構です!」
そう叩きつけるように叫んだ。けれど、それに、ナディリオンの隣りに立っていたアーシャルの表情がむっと変化する。
そして赤黒い瞳が釣りあがると、俺を恨むように睨んでくる。
「何で――兄さんは僕を信用してくれないのさ?」
「別に信用していないわけじゃない」
ただ、こいつが嫌いなだけで。
だけど、その俺の態度が納得出来なかったのか、突然アーシャルが大きな声で叫んだ。
「信用していないじゃないか!? この間、兄さんが死導屍に襲われた時だって、近くにいたのに呼んでもくれなかった! それどころか、最初はそんなのに襲われたことさえ教えてくれなかったし!」
「それは――お前がお化けを嫌いだから」
僅かに言い淀む俺を、信じられないようにアーシャルが見つめてくる。
「嫌い!? それぐらいで僕が兄さんを助けないと思っているの!?」
「違う! お前が危ないから!」
「ほら、やっぱり僕を信用していない! 僕が危ないってなんだよ!? 僕が兄さんより弱いと思っているからだろう!?」
「アーシャル!?」
何を言い出すんだ!?
けれど激高したアーシャルは拳を握り締めて、必死に我慢してきたことがこぼれるように顔を俯かせている。
「いつもいつも――僕に隠して――僕に黙って何かに巻き込まれて! 挙句に家を飛び出してこんなところで暮らす破目になって――どうして、いつも僕をもっと信用して相談してくれないの!?」
「違う! アーシャル!」
そうじゃないんだ!
「それなのに、僕が兄さんを心配しても信用さえしてくれないなんて! 兄さんこそ本当は僕のことをどう思っているのさ!?」
「アーシャル!」
違う。違うんだ! それなのに、どうこの感情を言えばいいのか、すぐには言葉になって出てきてくれない。
けれど、叫び終わったアーシャルの喉は震えていた。
「それとも――……やっぱり今の体じゃあ、僕なんか弟じゃないの? あのユリカって血の繋がった妹の方が大切で……」
その先は言いたくなかったのだろう。くしゃっと泣きそうな顔になると、俯いてしまう。
「違う! 俺はお前も大事な弟だと思っている!」
「だったら!」
今まで泣きそうだった顔を、アーシャルはきっと上げた。
「一度ぐらい僕を信じてくれたっていいじゃない! ナディリオンは兄さんがいない間、ずっと僕を支えてくれた恩人なんだから!」
ぎりっと俺は唇を噛んだ。
――まさか、アーシャルがこんな不安を抱えていたなんて……
今まで側にいて、気がつきさえしなかった。
ずっと守っているつもりでいたのに、不安の塊で見つめられていたなんて、それこそ滑稽じゃないか!
――わかっている。
こいつの言葉を聞いて、ここでこの変態医者の診察を受ければ、取りあえずアーシャルの不安を否定してやることはできるのだろう。
「アーシャル君……」
だけど、宥めるようにその頭を撫でているナディリオンを、縋るように見つめているアーシャルの仕草が心の底から面白くない!
言葉も返せずに、睨みつける俺の様子に、困ったようにナディリオンがアーシャルから離れて俺の前へと歩み寄ってきた。
「まあまあ、リトム君。ここはアーシャル君の顔をたてて、念のため私の診察を受けてみるということでどうだい? それなら、アーシャル君も安心するだろうし――」
安心?
それは、俺の言葉よりこいつの言葉の方が信じられるっていうことじゃないか!
そう頭に血が上ると、差し出されたナディリオンの手をはたいていた。
「結構です! 俺を信じられないのなら勝手にしろ!」
そう叫ぶと、そのまま呆気にとられているホールの寮生を掻き分けて、扉へと走り出す。
そのまま扉の入り口にいた貴族を突き飛ばして、ホールから飛び出した。
「おい、リトム!?」
「兄さん!?」
後ろからコルギーとアーシャルの声が響いてくるが、足は止まらない。
そのままホールを駆け出して、玄関の短い階段から建物の外へと飛び出すと、寒い冬の空気の中を走っていく。
自分の口元からあがる息が白い。
それが視界を奪うよりも早くに、自分の視界が歪んできそうになってしまう。視界の端が僅かに水に滲んだようにぼやけてくる。
それでも、鈍色の雲がたちこめる空の下を、雨が降り出しそうな空気を振り切るようにして走った。横切った校庭はとうに花が少なくなっていて、駆け込んだ木立は、もうほとんどの葉が茶色くなって地面に落ちている。
「違う!」
違うんだ!
そこを走りながら、俺は叫んだ。足の下で落ち葉ががさがさと音をたてる。
それなのに、どうアーシャルに伝えたらいいのかわからない。
――勝手にいなくなって傷つけてしまった分、二度と不安になんてさせたくなかったのに。
それなのに、それが完全に逆に作用してしまった。
――わかっているさ! どんな理由があったとしても、勝手に竜の体を捨てたのは俺なんだ!
同時に切り落とされたアーシャルに対して何かを言う資格なんてない。
それなのに、思い出してしまった記憶が、まだ見苦しいくらい昔と同じ兄という存在でいたがっている。
――こんなこと、言えるわけがないのに!
はあと、俺は冷たい空気の中を、白い息を吐きながら走り続けた。
――わからない。これからどうしたらいいのか。
アーシャルに、今までと同じように兄として接すればいいのか。それとも、竜か人間かどちらかを選んで、もう一つは完全に忘れてしまうべきなのか――
「そんなことできるはずがないじゃないか!」
それで、竜の体を捨てたつけが今だ。
それなのに、自分の魂は、苦しいぐらい竜の家族も人間の肉親のどちらも大事だと叫んでいるのに!
「くそっ!」
罵りながら、人が見ていないところに行きたくて、俺はひたすら人けのない弓の練習場の方へと走り続けた。
広い場所を必要とする弓の練習場は、追試も終わった今は人影もなく、ここなら多分赤くなっているこの瞳を誰かに見られてしまうこともない。
――情けないな……
こんな自分と、俺は人がいないことに安心して、黒い袖で眦を拭った。
その時、突然足を掴まれる感触に驚いて振り向いた。
俺の足元では、練習場の本来は平坦な地面がぼこっと盛り上がり、その湿った土の中から俺の足首を掴む骨の浮き出た白い手が見えるではないか。
――死導屍!
見覚えのあるその白い手に、俺は血の引いていく感覚と同時に土を飛び散らしながら現われてくる生きた死者の髑髏の鳴る音を聞いた。