(3)悲喜こもごも送別会!
十二月になると、学校は一気に卒業間近の空気を纏い出した。
十一月に行われた試験結果の発表も終わり、追試の悲喜こもごもを生徒に叫ばせながら、いよいよ最上級生の卒業への最後のイベントに学校中が盛り上がるようになっていく。
その中で、コルギーは学校のホールに集まったたくさんの生徒の中で、顔を埋めて泣いていた。
壁には、学校にまだ残る寮生たちがみんなで飾り付けした『先輩卒業おめでとう』の言葉が常盤木の柊と赤い木の実に縁どられている。寮生総出で飾りつけたテーブルの花や室内の飾りは、やはり男だらけだから、多少無骨な雰囲気はするが、それでも学校のホールを借りて行われるだけに、いつもの寮よりは改まった雰囲気になっている。
「うっうっうっ……何で俺が」
その中で、手に持った花束に顔を埋めている姿に、俺は後ろから声をかけた。
「諦めろ。公正な選挙の結果だ」
「お前が全体の五分の二いっていたのに、何で最後の最後で俺になるんだよ!? 」
そう立ち上がって叫ぶコルギーの姿は、美しい白レースの花嫁衣裳に包まれている。肩から足首まですらりと見える人魚のラインのドレスで、背の高い男性が着ても美しく見えるように、いくつものフリルでその体の骨ばった線は見事に隠されている。
こいつ、これを俺に着せるつもりで注文していたのか。ざまあみろ、完全な自業自得だ。
俺のその心の悪態が聞こえたわけでもないだろうに、コルギーはその長い裾をからげ持って近づくと俺の顔に指をつきつけてくる。
「絶対にお前、何か後輩に工作しただろう!?」
「選挙は公明正大に行われておりますー。ただ投票する前に、推薦人が見せたのが、俺の昔の絵姿か剣かだけの差ですー」
「堂々と脅迫を白状するな!? しかもやっぱり推薦人はお前か!?」
「当たり前だ! 先輩方の灰色の青春を最後の最後で暗黒に変えるのは時期寮長のお前しかいない!」
「おお。お前だと思っていた先輩方も期待を裏切られて、真っ暗な絶望の顔をしているよ! お前、最後ぐらいその顔を有効活用して恩返ししようと思わないのか!?」
「顔の代わりに、頭できっちり絶望に叩き落してやった。自分より背の高い女装した相手からもらう花束! まさに黒歴史! これで先輩達の未来も明るいだろう!」
「黒すぎて立ち直れるか怪しいわ! お前、先輩方が騎士としての自信を喪失したらどうする!?」
「俺が男としての自信をなくすぐらいなら、先輩を立ち直らせる方を選ぶ!」
「容赦なく叩き落し宣言を選ぶな!」
けれど、その時ざわざわとホールの入り口が騒がしくなった。
なんだ? 寮生はもうみんな、ホールに集まって後輩はコルギーの花嫁姿に同情の涙を流しているし、先輩は見たくないものを見てしまったように、俯いて卒業を待ち望む言葉を呪いの呪文のように呟いているのに。
誰か寮生に用でもあるのだろうかと振り返ると、 ホールの入り口には貴族寮の生徒達がたくさん押しかけていた。それが扉の開いた狭い隙間から、押し合うようにしてこちらを眺めているではないか。
「何だ、リトムが女装すると聞いてからかってやろうと思ったのに、違うのか?」
「ヒロイン役はコルギーじゃないか」
面白くなさそうに舌打ちをしているのが聞こえる。
「今回は、コルギーがリトムを花束贈呈のヒロイン役に推挙したと聞いていたから、見物だと思っていたのに。やはり奴の人生終了伝説は親友にも容赦なかったか」
「ちぇっ、折角嘲ってやろうと思っていたのに。親友さえ容赦なく嵌めるとは恐ろしい奴」
「さすが生きた復讐の権化」
おい、お前ら。なんで親友に嵌められて、被害者になりそうだった俺の方の評判が悪くなっているんだよ?
――いや、そりゃあきっちりやり返したが。親友だから手加減して同等にしてやったのに、どうしてそこら辺は評価してくれない?
それなのに、盛大に舌打ちをつかれている。
「折角、滅多にない笑い者にしてやれる機会と思って、過去にあいつにやられた奴らもみんな連れてきたのに」
「後々までのネタにしてやろうとわざわざ絵のうまい奴も連れてきたのに」
「目の保養だと思っていたのに」
おい、最後おかしい。
けれど、よく見るとその中にサリフォンもいて、俺を見下すような瞳でこちらを見つめている。
ふんと鼻で笑うと、花嫁ドレスを着ているコルギーの姿を見て、背中を翻した。よく身につけている黒いマントが、もう興味がなさそうに扉の影から消えていく。
危ない。
あいつに女装なんて見られた日には、卒業するまでからかわれるのが確定じゃないか。
うん。
「コルギーお前の犠牲に感謝する」
「感謝するぐらいなら変わってくれ!」
「わかった。花束は、必要になるまで持っていてやるから、安心して飲み食いして来い」
「そこじゃねえとわかって言っているだろう!?」
結局泣かれたので、花束を持つ代わりを諦めて、テーブルに置かれたおいしそうな香りのする寮にしては豪華な食べ物を皿に集めて持っていってやる。
「ほら」
肉の入った皿を差し出すと、コルギーは花束を腕に抱えてうっうっと泣きながら、受け取っている。
――アーシャルは?
会場をぐるりと見回すと、会場にはたくさんの人がいるが、少し離れたところのテーブルで魔法騎士科の生徒と話している姿を発見した。
その話している表情が部屋で見るのより少しだけ和んでいるのに、ほっとする。
あれから、ほとんど話していない。
――だけど、やっぱりこのままじゃいけないよな。
うーんと伸びをすると、俺は壁際に並べられている金で縁取られた椅子の一つにドレスの裾が動きにくそうなコルギーを座らせながら、その隣りに腰掛けた。
ふと白く塗られた窓枠の外を見ると、美しかった赤や黄色の葉はもうすっかり散り、空は灰色の鈍い冬の雲に覆われていた。
まるで今にも雨の降り出しそうな天気だ。
――俺が、手の怪我で寝込んでいる間に、こんなに季節が進んでいたんだな……
ベッドと部屋から出してもらえなかったから、実感がなかったけれど、いつの間にか時間が進んでいる。
――そりゃあ、あいつにだって仲の良い友人ができるわけだ。
もう魔法騎士科に編入して、一週間ぐらいたっているだろう。
――まあ、当たり前のことなんだけど……
「アーシャル君って、すごく魔術上手だけれど、今までどこで習っていたの?」
そうアーシャルに尋ねている二人の生徒の片方は、肩より長い髪をピンクの紐で軽く結わえたかわいい女の子だ。
そういえば、魔法騎士科は数少ない女子のいる学科だったな。
後は、弓科に少し。余程のことがない限り、ほとんど縁のない騎士科から見れば、羨ましい話だと、俺はアーシャルの側にいる女の子と、もう一人の同じ位の背の男の子の様子を、肘置きで頬杖をつきながら眺めた。
頼むから変なことは言うなよ。まあ、そこまで間抜けじゃないと思うが、基本馬鹿だからなと、俺は身も蓋もないことを呟いてしまう。
「魔術は、そうだねえー小さい頃から意識しなくても自然と使っていたけれど、きちんと習ったのは、知り合った詳しい人からかな」
「あーじゃあ、誰かに弟子入りとか?」
「いや、親が反対したからそこまではしなかったんだ。でも、小さい頃目が見えなかったから、それで周りを探るのに無意識に色々使っていたせいだと思うよ」
「目が見えなかった? ああ、それで弟子入りを反対」
そう男の子の方が納得したように頷いている。二人とも、ここにいるということは、町民出身なんだろうな。なにしろ、貴族で優秀な生徒はほとんどが魔術学校の方にとられると魔法騎士科の教授が嘆いていたし。
もっとも、多分女子の方は違う寮だろうが。
「あ、だから、学校も通ったことなかったのねー。最初アーシャル君ったら、教科書の使い方も知らないから驚いたのよ!」
「俺もページ数の意味を訊かれたのは初めてで、さすがに一瞬目が点になった」
「そうそう! ペンも羽根の方がインク壷に入らないと格闘しているし!」
そう二人は楽しそうに笑い転げている。
聞きながら、俺は部屋の端で盛大に椅子の上から滑り落ちそうになってしまっていた。
――そこからかー!
確かに、一度も人間の道具を使ったことなんてなかっただろう! 特に火竜は火文字を使う分、手紙さえ必要ないし、竜の間に使っていたのは多分手書きの古書ばかりだ!
――だけどもう少し知っていると思っていた!
さようなら。あいつの常識的な学校生活。
入って一週間で、これだけ友人の間で、伝説を作れるのならきっとこれからも新たな常識よ羽ばたけ伝説を生み出していくのは想像に難くない。
俺は、右手で頭を抱えながら、笑っている魔法騎士科の生徒達をその指の間から見つめた。
――まあ、だけど笑い話ですんでいるくらいなら……
それに、アーシャルにも友達ができつつあるようなら、安心だ。そう頭を抱えながら、見つめていた俺は、アーシャルの表情にふと眉を寄せた。
――うん?
いや、笑っているよな?
友達に囲まれて、いつもと同じようににこやかに明るい表情を湛えている。それは小さい頃から、ほかの人と話す時のあいつで見慣れた物だったし、特におかしいところはない。
それなのに、今同じ科の友達に囲まれて笑っているあいつの顔には、花が咲くような笑みがないのだ。
「ううん?」
小さく俺が声を出したことで、俯いて泣いていたコルギーが隣りで顔をあげた。
「なあ、コルギー。あいつの笑顔ってあんなんだっけ?」
「ああ? お前がいない時は、いつもあんな感じだぜ!?」
――俺がいない?
半分やけになったように叫ぶコルギーの言葉に、俺は眉を寄せた。
それはやっぱり、俺がいないと緊張しているってことなのか?
それに、俺は椅子に座りなおして両手を膝の上で組み直した。
じっと見ていると、アーシャルは笑っているのに、どこか打ち解けていない。
打ち解けたような様子なのに、あの無邪気な笑みは見せていない。
――やっばり、慣れない人間の中で、正体を隠しているから緊張しているのかな?
俺の側にいるために――
それに、俺は膝に置いた両手に目を落とした。
すうと息を吸う。そして大きく吐き出すと、自然と顔が綻んだ。
――そうだよな。あいつは俺といるために、自分の全部を犠牲にしてくれているんだよな。
十七年も前に勝手にいなくなって、連絡さえしなかった身勝手な兄のために――
「うん」
俺は一つ大きく頷いた。そして体を伸ばした。
――今回は、アーシャルを優先してやろう。竜にとって、新年というのはたいした意味はないけれど、それでもお祝い好きだった竜の母さんに会いに行って、一緒に過ごすことにしよう。
竜の家族に勝手に行方不明になったことをきちんと詫びて、そしてアーシャルに今も昔も大事な弟なんだと伝えてやれば、あの心配性も少しは落ち着くかもしれない。
ユリカには、今回は普段の倍ぐらい長い手紙を書いて、また落ち着いた頃に会いに行ってやろう。
――本当は、あいつが俺の弟だと、いつか本当のことが言えたらいいんだが……
それはもう少し先に待つしかない。
――でも、きっといつか。
どちらも自分の家族なんだと、せめて大事な二人には胸を張って言えるようになりたいから。
俺はその時を想像して、浮かんでくる笑みを殺しながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
「アーシャル」
そう呼びかけながら、号泣している先輩達と取りあえず食い物に走っている後輩達の間を通り抜けていく。あちこちに点在しているテーブルのせいで真っ直ぐに歩けないが、その先でアーシャルは呼ばれたことに気がついたように後ろを振り返っている。
けれど、その顔が俺を見つける前に、ぱっと笑みに輝いた。
「あ! ナディリオン!」
その声に俺の足が止まった。
――え!?
「やあ、アーシャル君。お招きありがとう」
「待っていたんだよー!」
花が咲くように、無邪気な笑みを灯す弟の姿の前で、俺の足は止まって、そこに現われた銀色の竜の化身に表情が引き攣ったままになった。




