(4)勘違いのはずなんだが
「くすん……兄さんったら、ひどい」
足の指はそんなに痛くはなかったはずなのに、まだぐずぐずと言っている竜の背中に乗りながら、俺は風が顔の横を流れていくのに髪を押さえた。
「ああ、悪かったな。わざと足が滑ったんだ」
「わざとは滑ったじゃないだろう? もう、そんなのだから女の子竜にもてないんだよ?」
「いや、もてたくないし」
雌竜に囲まれるなんて剣士を目指す俺には、どう考えても竜に襲撃される光景としか思えない。
しかも中身がこいつと同じだとしたら、そんな能天気集団に絡まれるなんて、なにがあろうと恐怖しか感じないだろう。
「で、このまままっすぐ、そのダンジョンに行ったらいいの?」
体の横を流れていく風を気持ちよく受けながら、俺は地面に広がり始めた緑を見つめていた。やっぱり竜のスピードは速い。俺を一瞬で砂漠まで連れていった時にも感じたが、今青い空の下でその赤いルビーのような翼を広げて飛んでいるのを見ると、つくづく伝説は本当だったのだなと感じてしまう。最強生物の名に恥じないものだ。ただ、頭だけは違ったが。
能天気な竜の質問に俺は少しだけ考えて、返事をした。
「いや。先に近くの村で食料と水を補給していこう」
「うん? 水も食料もダンジョンにあるよ? 歩いている魔物を捕まえて食べたら」
「生憎俺の胃袋は人間仕様なんだよ。かよわい俺をお前の最強胃袋と一緒にしないでくれ」
「えー僕が最強なんて。兄さん昔は絶対自分のほうが、僕より強いって譲らなかったのに」
「うん……多分、お前の兄の言う強いとは違うと思うが、胃袋だけは譲ってやるから」
どうやら、純粋に力が強いと認めてもらえたと喜んでいるようだが、まあ喜んでいるのならばわざわざ訂正する必要もないだろう。
――それに、補給の必要性はさっきの砂漠で痛感した!
旅先では常に水と食料は持っておくようにと、長く旅をしてあちこちの依頼をこなしていた基礎剣術のティーラ先生が口をすっぱくして言っていた理由が身にしみてわかった。
いくらこの竜がよく知っているダンジョンでも、備えあれば憂いなしだろう。
「とりあえず、近くの村で乾パンと干し肉と――ああ、あと飴があれば栄養価が高いから食料が足りなくなったときの役に立つな」
「飴!?」
けれど、その言葉を聞いた途端、なぜか竜がそわそわとし始めた。
長い首を俺のほうに向けて、ちょっとだけ細くなった目で妙に照れた感じで振り返っている。
――これって、もしかして……。
「なんだ? お前、ひょっとして飴が好きなのか?」
「うん! 大好き、だってすごく甘いもん」
そんな期待するように目を輝かせている顔を見たら、呆れる気にもなれない。
くすっと笑ってしまう。
「わかった。村に寄ってくれたら、お前にも買ってやるから――たくさんは無理だけどな」
「わーい」
その弾むような声とともに、さらにあがったスピードで、俺と竜は山の中腹に緑の牧草と一緒に点在する湖の側の村へと降りていった。
着いた村は、澄んだ湖の側にあり、遠目からでものどかな雰囲気を湛えていた。湖に青い空が映り、空にも大地にも青が広がっている様は、肺に思い切り空気を吸い込んでしまうぐらい気持ちがいいものだ。
「うーん、いい空気だ」
なにより暑くない。湖面を渡ってくる風はすこしひやりとしていて、さっきまで砂漠で灼熱の炎天下に晒されていた体には、楽園のように心地がよい。
「さてと」
竜の背からぽんと飛び降りると、俺はその湖の側から少し離れたところにある村の入り口を見つめた。
――うん、普通の村だ。
Sクラスダンジョンの近くにあるが、特に魔物に襲われたりしているようには思えない。むしろダンジョンのお宝目当ての客たちのおかげで、村には人里らしい活気が溢れている。
地図を広げて確認したが、ここは多分ダンジョンから一番近いノーム村だろう。山の中腹にあり、いくつか湖があるのも一致している。
隣国のキルリードと国境を接している山脈の一部とはいえ、俺が住んでいるのと同じアルスト二アス王国だ。
山中だと魔物に襲われることが多く、殺伐とした雰囲気の村もあるのに、顔を上げて見たノーム村にはそんな空気はない。
おそらくキルリードと国境を接していることで、騎士団が絶えず見回り、村に近づく魔物退治も積極的に行っているのだろう。
――まあ、魔物の襲撃のふりをして攻撃をしかけるのは、各国の常套手段だからな。
それだけに、魔物が出る国境地帯には、特に騎士団も手厚く配備されている。
――それに最近のキルリードとの小競り合いは、だいたいが、このシャンセリ山脈ではなく、もっと南の平地だったはず。
それなら殺伐とした空気がないのも当然だなと、俺は未来の騎士たちを育てる剣術学校で習ったことを思い出しながら、安心して地図を皮袋にしまった。
――まあ、見たところ、ダンジョン目当ての魔物狩りも多いようだし。
魔物狩りは、個人での請負だが、さすがにこれだけの数が揃えば、魔物もこの村を迂闊に襲撃はできないだろう。
ましてや、魔物狩りのトップには竜さえも倒してドラゴンスレイヤーと称される凄腕の竜狩りがいる。ユグラキア大陸広しといえども、そう称されるのはほんの数人だが、一人でもそんな者が混じっているかもしれないところに、絶対に魔物も近寄りたくないだろう。
――まあ、俺がなりたいのは騎士団とかのお堅いのじゃなくてそっちだけれどな。
騎士を目指している級友たちを思い出しながら、俺は皮袋を背負った。
「さて、じゃあ買い物に行ってくるとして」
「うん、早く行こう」
飴、飴と呟きながら鼻歌を歌っている竜を振り返り、その姿を見上げた。
多分まだ子竜なのだろうが、それでもノーム村に点在する田舎の家の屋根よりも高い。その背と赤黒く透き通る鱗の姿は、目立つことこのうえない。
「お前――ここで待っていろ」
こんなのが人里に現われたら、どんなに間抜けな竜だと言い訳をしても、その瞬間にパニックになって家々の扉を固く閉めてしまわれるだろう。もちろん食料は買えないし、それだけならまだしも、最悪討伐隊を組まれてしまうかもしれない。
――いくら竜でも、槍は痛いよな。
そう竜を見上げながら告げると、明らかに竜の顔にショックがよぎった。
「ええっ! そんなひどい!」
飴が選べないー! と叫んでいるが、飴よりも自分の命だろう?
「ひどくない。そんな姿で村に行ったらどんなことになると思っているんだ。せめて人間に化けるとか小さくなれるとかいうのならまだしも――」
もっと自分のことを考えろと叫んだ瞬間、竜がきょとんと首をかしげた。
「人間に化けたらいいの?」
おい、できるのかよ?
「あ、ああ。それなら、まだ」
「ああ、じゃあ」
答えるのと同時に、目の前でぽんと小さな音がして、大きかった竜の姿がみるみる小さくなっていく。それは胸の前で、術を出す竜の指の動きに合わせて、伸ばされていたゴムが縮むように体が天空から地上へと収束していく。そして細い姿を描くと、俺の前で、二本の手足を持つ少年の姿になった。
肩で短く切りそろえた髪は赤黒い鱗と同じルビーの色で、瞳は赤を濃くしたような黒だ。手足は青年というには細くて、白い肌に、人間の服でいうところの臙脂のチュニックとズボンを纏っている。人ならば、おそろく十四、五歳というところだろう。
「これならいい?」
あれ?
にっこりと笑ってくるその竜の顔を見つめて、俺は内心首をかしげた。
――こいつ。人間になったら、俺の昔の顔になんか似ていないか?
少し前の成長期が始まったばかりの頃。まだよく女の子みたいといわれて唇を尖らせていた頃の顔にどことなく似ている。もちろん、こいつのほうが何倍も凄みのある綺麗さだし、とても人間とは思えないほど整ってもいるのだが――。
「あ、ああ。それなら」
なにか心の中でざわつくものを感じながら、俺は頭一つ分低い自称双子の弟が村の道を走り寄ってくるのを複雑な気分で受け入れた。