(3)絶体絶命って簡単に言えばピンチってことか!?
目の前では、死導屍達が、その乾いた白い肌に包まれた骸骨から歯をかたかたと鳴らしている。
嫌な音だ。
枯野で、まるで野ざらしの骨が風になっているような――
俺は腰の剣を抜くと、目の前に並ぶ死導屍たちの数をざっと目で数えた。
手前に五十――その後ろには多分倍はいる。
――やれるか?
ちゃきっと剣を顔の前に構えながら、俺は咄嗟に目だけで後ろのアーシャルの方を確かめた。
姿は見えないが、梢の奥から楽しそうな声が聞こえてくることを考えると、まだそこにまで死導屍は現われていないらしい。
「くそっ!」
――だったら、ここで食い止めるしかないじゃないか!
わからないことばかりだ。
――なんでこんな奴らが俺の前に出る!?
けれど悩む間もなく、死導屍が、その鋭い白い指を伸ばしてくる。皮膚に包まれているといっても、ほとんど骨の形だ。その先端に申し訳程度に残った爪が、ぎらりと太陽に輝いて、不吉な光の軌道を描く。
それを俺は構えた剣を振り上げると、横薙ぎに払った。
けれど、その間にまた左から次の死導屍が襲いかかってくる。膝を下げて、それを払った剣を返して、そのまま心臓のある胸を一刀両断にした。
「お前ら! 何の目的で俺を襲う!?」
だが、返事があるはずもない。
代わりに、死の腐臭を漂わせる口を開けて、俺の頭に齧りつこうと襲いかかってくる。
「させるか!」
その言葉と共に剣を持上げると、俺は上から来る襲撃の胸を貫いた。
それと同時に心臓を砕かれた死導屍の体は、砂になって風の中に舞って散る。
けれども、息を継ぐ暇もない。すぐに、その後ろから次の死導屍がその口を開けると、俺の腕をもぎ取ろうと全身で襲いかかってくる。
それを腰を断つことで上半身を崩すと、まだ生きているその胸を貫く。
けれども際限がない。
何しろ心臓を砕かない限り、相手は消えないのだ。
次々に襲いかかってくる相手に、俺は剣を振り続けたが、生身の人間とはやはり訳が違う。
その一点の急所を狙わない限り、消えないのでは厄介で仕方がない。切り落としてまだ下で蠢いている腕は無視して、本体だけに的を絞ったとしても、こいつら足を失くしても手を失くしても襲ってくるのをやめようとしない!
それどころか、首さえ落ちても生きている。手足も肌もこそぎ落とされて、醜いまでにただ動くだけの化け物になっても、俺の命を齧りとろうと、赤い血肉をめがけて歯をむいてくる姿に、さすがの俺も苦しい息がもれてしまう。
休む暇もない。
次々に剣を振るい続けても、後ろから後ろから死導屍は、まるで波のように襲いかかってくる。そして俺の体を引き裂いて死の国へ導こうとしている。
「させるかよ……!」
なんでこんな訳のわからんものに襲われて、理由も知らないまま死ななきゃならん。
「絶対にごめんだ!」
そう叫ぶと、俺は襲い掛かってきた三体の死導屍の一つを貫いた。心臓に剣を突き立て、それと同時に襲いかかってくるもう一体を足で蹴り上げる。微かに歯が足のズボンを切り裂いて、その皮膚に血を滲ませたが、それに頓着している暇はない。
その間に崩れた死導屍の胸から剣を抜くと、足元にいる死導屍の足を切り落として動けなくした。続けて振り向きざまに、左腕の肘で後ろから来た一体の目があるところを抉るように殴った。その動きが乱れた一瞬に心臓を貫く。
ずっと鉄が胸に刺さる感触がまるで土に沈み込むようだ。
しかしそれに違和感を感じている間もない。すぐにその塵になっていく胸から剣を引き抜くと、目の前で這うようにしてなお口を開いている死導屍の口から心臓へと剣を突き立てた。
ざらっとその体が崩れていく。
はあ、と俺は大きく息をついた。
――くそっ!
何体倒した!?
それなのに、少しも数が減ったような気がしない。
――大丈夫だ、百人斬りができるように戻ったんだから!
だが、人間は腹や頭も急所なのに、死導屍はその心臓以外では消えない。
――人間より厄介か!
わかっている。ここでなんとしても食い止めなければならない。
――だって、後ろにはアーシャルがいる。
お化けが嫌いで、俺がいないといつも不安そうな顔をする弟が。
――ここでなんとしても止めてみせる!
そう思うのに、流れる汗は滝のようだ。もう冬なのに、額から夥しい量が流れ、それが視界の邪魔をする。
額に張り付いた黒い前髪がうっとおしい。
――くそっ!
それなのに、その間にも減った分の死導屍が、まるで新しく生まれ変わるように土の中からぼこりと指を覗かせてくる。
際限がない。
きっともう百体は倒した。
それなのに、目の前の死導屍は少しもその数を減らしたように見えない。
――まずいな。
そう思いながら、俺はわずかに粗くなった息を必死に呑み込みながら、襲い掛かってきた右の死導屍から身を屈め、左の死導屍の心臓を下から突いた。
左腕が痛い。
どんどん痛みが増してくるような気がする。
――動きすぎたか?
そんなに深い傷ではなかったはずだか――それなのに、痛みは生死をかけた戦いに静まるどころか、ますます強く内にねじ込むように痛くなってくる。
まるで今も濁った牙をそこに突き立てられているかのようだ。
――痛い。
痛すぎて、目の前がかすんでくる。
動きすぎて傷が開いたのかもしれない。ひどくずきずきとした痛みが、まるで体の中で太鼓を鳴らしているように大きくなり、耳の内側でひどく大きく鳴り続けている。
それに伴い、足の速さが少し落ちた。
「くっ!」
それを狙ったように襲ってきた一体を、左腕を庇いながら剣の先で心臓を砕くが、それだけで全身の力を使い果たしてしまった。
――まずいな……
目の前が少しかすんできたような気がする。
その俺の様子が伝わったのだろうか。まるで死導屍達が、一斉に襲いかかろうと身構えるように、膝を着いた俺を包んで動きを止めた。
「まずい……」
――わかっている。立ち上がらないと。
それなのに、左腕の痛みが腕から背中へと走り抜けて、息をするのさえ苦しい。さっき歯を掠められた足もだ。大したことないはずなのに、まるで痺れるように重い。
ぼんやりと霞む視界の奥で、灰色のマントを被った人影が、まるで死導屍たちを操るように遠くで指を動かしているのが見えた。
あれは、誰だ?
――ダメだ! しっかり見ないと!
そう思うのに、痛みに疼く体は、望むように立ち上がることさえしてくれない。
――もうダメか……!
そう俺が強く目を閉じた瞬間だった。
「兄さん!? 危ない!」
その叫びと共に、瞼の裏が真紅に染まる。
聞き慣れた声に驚いて瞳を開くと、俺の前に白に近い凄まじい紅蓮の炎が舞っていた。それが地中から這い出した死導屍を全てのみこみ、その火炎の中で焼き尽くしていっている。
「アーシャル、お前……」
お化け大嫌いなのにと言いたかったのに、死導屍にも恐れずに俺の体を支えたその顔は、信じられないぐらい青かった。
「兄さん、しっかり!」
「大丈夫だ、かすり傷だから」
本当だ。傷自体はたいしたことがない。ただ、無理をして動いたから、ひどく痛むだけで。
「何!? あいつら!? なんで兄さんを襲っているの!?」
「それは俺が訊きたい……」
本当にわからないんだ。
それでも、アーシャルに肩を支えられてほっと息をついた。
「大丈夫か、リトム!?」
どうやら今回は茶化すことなく俺の顔色を見つめているところを見ると、らしくなくコルギーが本気で心配しているらしい。
「ああ、なんとかな――」
――助かったなんて、情けなくて言えやしないが。
「リトム、どうしたんだ?」
そう手で顔を抑えていると、やっと今頃になってラセレトが置いていた剣を持って、校舎からの土の道を歩いてくるのが見えた。
「ラセレト?」
その顔は何があったのか知らないようだ。けれど、その亜麻色の髪を振って、訝しそうに周りを見回している。
「さっき、サリフォンの魔術師があっちに走っていくのを見たけれど、何かあったのか?」
――サリフォン!
その言葉に、俺の脳裏に先ほど見た暗い灰色のマントを被った人影が浮かんだ。
「野郎……」
そういえば、さっき見かけたサリフォンの魔術師の衣装も灰色だった!
そう思うと、俺の足は、痛むのも忘れてそこから駆け出していた。
「兄さん!?」
驚いたアーシャルが呼んでいるが、今は止まることができない。
――あいつ! 復讐なら、こそこそと卑怯な真似をするんじゃねえ!
そっちがそのつもりなら受けてやると、俺は足を引きずるようにして、さっき見たサリフォンのいる寮へと駆け出した。