(2)化け物とはお近づきになりたくない!
授業が終わって、校舎の外に出ると、俺は首を軽く回した。
――うん。やっぱり座学は苦手だ。
別に嫌いなわけじゃないが、やっぱり体を動かしている方が楽しい。ずっと一箇所に留まり続けていると、体の奥の方がなんか淀んで沈んでいくような気がするのだ。
――これはやっぱり水竜の頃の性なのかなあ。
うーんと首を捻りながら、こきこきという音が止まるまで肩をほぐした。
竜の父さんとかは平気だったのに、やっぱり個体差はあるようだ。
「リトム。この後お願いしていたのは大丈夫か?」
俺があんまり肩をほぐしていたせいだろう。後ろで少し心配そうに訊くラセレトを振り返ると、右手を持ち上げる。
「ああ、むしろ体を動かしたいから歓迎だ」
「うん? 兄さん、寮に帰らないの?」
「ああ。この後、ラセレトの剣術の追試対策に付き合うことになっているんだ」
そうアーシャルを振り返ると、少し悲しそうな顔をしている。
「ふうん。でも、一人で寮に帰っても寂しいしなあ……」
――まあ、そうだよな。
なにしろ、人間の遊びの一つも知らないし、勉強も常識関係以外全て終わってしまったのならやることもない。
「寮で、教養礼儀の自習をしておくとか……」
――さすがに教養常識なんて無茶は言わない。
だけど、それにアーシャルは途端に顔色を変えた。
「ええっ! 無理だよ! だって、あれ偉い人の前に出たら、それだけで身を屈めて手を胸の前におけとか支離滅裂なことが書いてあるんだよ!?」
「それのどこが支離滅裂なのか、その方が俺は謎なんだが……」
「だって、膝をついて顔を伏せたら、誰なのかわからないじゃないか!? 手を胸の前になんて、腰にある剣にいつでも手を伸ばしてくださいって言っているようなもんだし! なんで顔が見えやすいように全員に背伸びをさせて、武器を持っていないのを示すために、万歳で手をひらひらとさせないのかがわからない!」
騎士団全員が国王の前で、背伸び姿勢で両手を挙げてひらひら――――
「そんな騎士団嫌だ」
「え!? 別に騎士団じゃなくても、大臣とか国民でもいいんだけど」
「何が悲しゅうてそんな面白国家にならねばならん!」
やめてくれ。お偉いさんの姿を見つけた途端、みんなして手をひらひらさせて背伸び。それは国家を挙げて、何かの体操に取り組んでいる姿なのか、最早嫌がらせなのか。
「ええっ! 絶対に敵意がないことを表すいい方法なのに!」
「相手に敵意がなくても、確実に敵意が湧くわ!」
俺なら間違いなく、やった相手全員私刑だ。
それなのに、アーシャルと来たらすごく不満そうに唇を尖らせている。
「えーいい方法だと思うのになあ」
「おおっ。攻城戦で敵をおびき出すのにな。ラセレト、この名案を覚えておいてやってくれ」
「わかった。いつか必ず実戦で使おう」
「本当?」
褒められたと思ったらしい。えへっとアーシャルが笑っている。
ああ、やっぱり花が咲いたような笑顔だな。
そう思ったらとんでもないことを言い出した。
「じゃあさ! 一人で寮にいるのも寂しいし、僕も兄さんに実技を教えてもらってもいい?」
それにどきんと俺は自分の左腕を抑えた。
まだずきずきと痛む。ラセレトに教えるだけならともかく、アーシャルの竜の力を相手にするとなると――
「悪い。今日はラセレトが先約だから」
左腕を押さえながら、誤魔化すように言った俺にアーシャルが唇を尖らせている。だけど、その時、コルギーが助け舟を出してくれた。
「一人で寮に帰るのが嫌なら、俺でよかったら槍を教えてやろうか?」
「コルギー」
「いいじゃないか。魔法騎士科でも、戦闘実技も覚えろといわれたんだろう? 俺も槍なら得意だから、教えてやれるし」
「いいの?」
その瞬間、アーシャルの顔に花が咲いている。
「ああ、俺は剣技ではリトムに叶わないが、こう見えても槍術は学年でも一番だ。寮の下級生に怪我をさせないように教えてやるのも慣れているしな」
「兄さん、いい?」
すごくドキドキとした瞳で俺を見上げてくる。さっきまで寮で一人になると思って、しょげていた顔とは対照的だ。
――そういえば、朝からずっと知らない人間ばかりの中で、やっぱり心細かったんだろうな……
そのあまりに素直なアーシャルの笑顔に、俺はくすっと笑った。
「コルギー、助かる」
「なに、いいってことよ」
そう話すと、アーシャルに満面の笑顔が咲いた。
ああ、これだけでも一緒にいてやることにして、よかったな。
「どこでやる?」
「そうだなあ、闘技場は使用許可がいるし、練習場は追試対策の生徒でいっぱいだからな。無難なところで、弓場の近くの演習場とか?」
「ああ、そうだな」
その言葉に俺は、よく騎馬戦や実戦形式の勉強に使われる山野を模した広大な場所を思い出した。授業では、匍匐前進で泥だらけになったり、木々の枝に散々頭を叩かれながら馬を駆ける練習をさせられた場所だが、人が少なくて気軽に使える穴場なのは間違いない。
「そこでいいか、ラセレト?」
けれど声をかけた友人は、返事もせずにどこか違う方向を見つめている。それを不思議に思ってその視線を追いかけると、その先で俺の視線も止まった。
「あれ――」
その視線の先では、離れた所で松葉杖をつきながら、サリフォンが必死に歩いていた。薄い金髪が覗く頭も腕もまだ白い包帯を巻かれて、杖をついて歩くのさえ一苦労のようだ。
その後ろから、数人の灰色の衣装を纏った人影が、慌てて追いかけるように歩いていく。
「サリフォンだ。どうやら、後ろにいるのが例の治療師と魔術師らしいな」
それに俺は頷いた。
すると、その声が聞こえた筈もないのに、サリフォンが離れたところに立っている俺達を睨みつけた。
そして、その体を杖で引きずるようにして、貴族の寮へと向かっていく。
「あんなにひどい怪我だったんだ――」
「おいおい、同情するなんてお前らしくないぞ」
コルギーが茶化して場を紛らわせようとしているが、やはり見てしまうと少し心が重い。
「別に同情なんかしていないさ」
――あいつが仕掛けたことなんだし。
ただ、思っていたのより火傷がひどかったのに驚いただけで。
――俺がアーシャルに受けた時は大したことなかったのに――
それだけだと唇を薄く噛んだ。それに、ラセレトが安心したように手をあげる。
「じゃあ、先に演習場に行っていてくれ。私は教室の私物入れから剣を取ってこよう」
その言葉に思わず振り返った。
「お前、仮にも騎士科なら剣ぐらい持ち歩けよ!」
けれど、全力で叫んだ俺の言葉に、ラセレトは真面目な顔で振り返る。
「何を言う。私が万が一にでも剣を抜けば、血の雨が降ることは知っているだろう、味方に!」
「お前、せめてそれをなんとかしろよ! 味方にまで怪我をさせてどうするんだ!?」
「人間向き不向きがある。諦めが肝心だ」
「頼むから未来の参謀希望者が味方を守るのを諦めるな!」
まったくと思うが、ラセレトは気にした様子もない。とにかく先に行って待っていてくれという姿に呆れたが、俺はアーシャルとコルギーと一緒に先に演習場に行っていることにした。
少し遠いが、校内の一番端にある演習場は、広い野原のような土地だ。そこに自然の山さながらにいくつもの隆起が作られ、複雑な地形に様々な山の木々が植えられている。
「うーん、さすがアルスト二アス王国首都屈指の逢引地。なんで剣術学校の生徒は八割男なのに、そこの敷地が隠れた名所扱いになっているんだろうなー」
そう生い茂る色とりどりの葉を見つめながら、呟いているコルギーの前には、演習で泥まみれにされる静かな佇まいの池と、足を取られて困る泥に勝手に生えた葦の枯れかけた茶色が美しい。
「間違いなく、騎士になってここを出たら、恋人を連れて凱旋して来いという学校の宣戦布告だろう」
――あの学長ならやる!
その証拠に、この演習場が、王都の逢引手引き書に載って長いのに、一向に削除させないばかりか、「恋人が欲しければ男の戦いに勝て!」とか訳のわからない訓辞を聞かされている。
「うーん、じゃあ、俺とお前のどっちに先に恋人ができるか賭けようぜ?」
「その時点で、お前俺に恋人ができないと思っているな!?」
「大丈夫、昔のお前の顔より美人の子が現われたら、できると思っているさー。可能性は多分、大海に落ちた指輪を見つけるぐらいで」
「その時点でほぼ絶望的といっとるわ!」
「とんでもない。望みを捨てなければ、万が一にでも奇跡が起こると思っているさー」
思わず俺の手が腰の剣に伸びたところだった。
「さっ! アーシャル、じゃあ槍の勉強をしようか?」
「おい、逃げるな」
「これ、覚えたら兄さんに近づく女性を遠去けられるかな?」
「おお。その長い槍で振り回せば、確実にリトムの手が届く前に相手の女性を串刺しにできるぞー」
おい! なんだ、その物騒な授業目標!
「そうか、えへへ。頑張ろうー」
頑張らなくていい!
「おおっ。熱心だな」
どうしよう。俺の親友が、ひょっとしたら俺の一番の敵かもしれない。弟とタッグで。
思わず泣きたくなったが、コルギーから槍の握り方を教えてもらっているアーシャルを見つめて、俺は小さく息をついた。
――まあ、やる気になっているのはいいことか。
それにアーシャルにしても、身を守る術は一つでも多いのに越したことがない。
――あれ? 俺って、こんなに心配症だったっけ?
おかしいな――と思って首を振った。
いや、おかしくない。あんな変態に無防備に懐くようなあどけない弟を持てば当たり前だ。
それにしても、ラセレトが遅い。
いくら教室に一度剣を取りに戻ったといっても、あの大教室から普段の教室まではそんなに離れていない。
――そろそろ来てもいいのに。
ひょっとして、俺達のいる場所がわからないのだろうか。
そう俺が何度も演習で通い慣れた道を歩いて、コルギー達がいる演習場の広場から離れた時だった。
突然、足首が土の中から飛び出してきた手に掴まれたと思うと、その側から骨を浮かび上がらせたもう一つの白い手が俺の首元を狙ってくる!
――グーリエル!
なんで、こんな校内に!?
咄嗟にその手を迫って来た体ごと蹴り倒して自分から剥がしたが、俺の目の前では幾つもの土がぼこっと盛り上がっていく。
それが何十、何百という山を築き、その中から乾いた白い指が骨の形そのままの姿で飛び出してくる!
それに続いて骸骨を包んだような白い体が、かたかたと骨を鳴らしながら俺の前へと歩いてくる。
何体いるのかもわからない。
「なんだよ、これ!?」
なんで、学校にこんなにグーリエルが出るんだ!?
土から飛び出した最早生きていない死導屍達は、とうに光を失った落ち窪んだ眼窩で俺を見つめていた。その開いたままの口からは、息さえしていないのに、死者の腐臭を微かに吐き出す際に歯が鳴るカタカタという音が響く。
絶体絶命――周りを包む死導屍たちの風を鳴らすような歯の音に、俺の頭にその言葉が瞬いた。