(1)死導屍?
女将の店に行った二日後、俺は痛む腕を包帯で隠しながら、学校の大教室で授業を受けていた。
一番前の低くなった教壇では、年配の生物の教師が、この世界に住むいわゆる魔物と呼ばれる種族の解説をしている。今日の内容は、形態が蛇に似た種族についてだ。
「珍しいな、この授業にうかない顔をしているなんて」
隣りでラセレトが、俺の浮かない顔に気がついたらしい。いつもはドラゴンスレイヤーになると、魔物の授業には人一倍熱心な俺の今の様子に顔をしかめている。
「ちょっとな。たいしたことじゃないんだが……」
腕が痛い。
あれから、骸骨に噛まれたところを持っていた布で縛って、アーシャルを心配させないように隠して帰ったが、なかなか痛みが引いてくれない。
寮に帰ってから、消毒をして、剣の稽古で怪我をした時と同じように傷薬を塗っておいたのに、まだずきずきと疼く。
――こんなこと、アーシャルに知られたら、また盛大に心配するからな……
そうでなくても、俺がいなくなるといつも不安そうな顔をしているのに。
――突然正体不明のお化けに襲われたなんて、更に怖がらせてしまう。
そう俺は、小さく溜息をついた。
――だけど、本当にあれはなんだったんだろう?
心臓を貫いたら、砂になったところを見ると、おそらくゾンビの一種なのだろう。だけど、今までに見たこともない。
「ラセレト」
俺は、自分が知っている人物の中で一番の物知りである友人の方を振り向いた。
「お前、こんな魔物を知らないか? 白い皮で包まれた骸骨みたいな――」
「骸骨? ゾンビの一種か?」
「だと思う。心臓を貫いたら消えたからな。肉も目もない体に、白く乾いた皮だけを被ったような姿なんだが……」
「お前、そんなのに襲われたの!?」
驚いたようにコルギーが反対側から振り返っているが、頷く事しかできない。
「アーシャルには内緒な。お化けが苦手だから」
「そうか。遂に、ゾンビの新たな一族にまで恨みを買うようなことをしたか。俺に話してみろよ? 力になれるかはわからんが、説得してやるから」
「しとらんわ! なんで俺が恨みを買ったと決めつける!?」
「照れなくてもいい。ゾンビの花嫁に一目惚れして、無慈悲にゾンビの花婿を罠に嵌めたんだろう? そして、花嫁にも逃げられた――まあ、親友の俺にも話しづらいのはわかるけどな」
「だからしとらんって! っていうか、ゾンビの花嫁ってなんだよ!?」
なんで俺がそんなのを奪い合わないとならん!?
「いやいや、隠すな。お前の女日照りを俺だけは笑わないから。ゾンビでも死んだばかりなら、まだ青白くて可愛いもんな。俺はそんなことではお前の親友をやめないからな」
「俺が今すぐやめたくなったわ! なんで俺がゾンビに惚れると思えるんだ!」
「あー、じゃあ、いよいよ金がないから墓泥棒か。腹が立つのはわかるが、花嫁の婚約指輪は返してやれよ? お前がつけても、花婿にはなれないぞ?」
「だから花嫁から離れろって! そんなにお前俺をゾンビと結婚させたいのか!?」
「いやだなあ、そんな筈ないじゃないか」
そう言うと、コルギーは俺の肩にぽんと手を置いてきた。
「俺は今寮の後輩に、女装させたい先輩選手権を開催しているのに。その中で、ダントツのトップを争っているお前を、ほかの女に渡したいと思うはずがないだろう」
「なあ、それ――嘘だよな」
それなのにコルギーの笑顔が怖い。
「安心しろ。このままトップをぶっちぎれば、卒業生送別会のヒロイン役はお前のものだ。先輩に花束を渡すとき、今年は特別に花嫁衣裳を用意してやるからな?」
な、と諭すように手を置いているが、絶対に余計な気遣いだ!
「俺はやらないからな!」
「結果は最終発表をお楽しみにー」
「その投票用紙を貸せ! 俺に投票した奴全員二度と足腰がたたないようにしてやる!」
「選挙は常に公正に、無記名で行われるものですーよって、俺以外の誰がお前に投票したのかは俺も知りません」
「お前も入れたのかよ!?」
「ちなみに推薦人も俺です。お前の入学当時の絵をばらまけば、全員目を丸くしていましたー」
「あの顔をばらしたのか!?」
今のアーシャルにそっくりな女にしか見えない顔を!
「お蔭で、お前の人気は別な意味で急上昇だ。陰険で卑怯を絵に描いた先輩にドレスを着せて、踏まれてみたいという後輩が続出中だ」
「頼むから寮を変態の巣窟にするな!」
――俺の毎日が針のむしろになる!
いや、それより前に、どうやってアーシャルの暴走を止めればいいんだ……
――これ、絶対にアーシャルが怒って、俺に踏まれようとする後輩を丸焼きコースだよな……
頭の中に浮かぶ地獄絵図に、思わず俺が黙ってしまった時だった。
「確かそれは死導屍だ」
横から冷静に返された言葉に、顔を上げると、ラセレトが真面目な顔でじっと俺をみつめている。
「死導屍?」
「グーリエルと呼ばれる。人間を襲い、死の世界に引きずり込む。昔読んだ、魔物の専門書に書いてあったと思う」
「どこにでも出る魔物なのか?」
真面目な声で尋ねる俺に、ラセレトは澄んだ茶色の瞳で見つめ返してくる。
「そんなことはなかったはずだ。ただ、学校でも学ばないほど稀な魔物だったと記憶しているから、必要なら家からその本を取り寄せよう」
「頼む」
――なんで、そんな奴が……
わからない。どうして俺の周囲で、こんなにも奇妙な出来事が相次ぐのか。
――ほんのつい最近までこんなことはなかったのに……
その時、ラセレトの隣りの席に腰掛ける軽い音がした。
うん、珍しいな。こんな授業が始まった途中に堂々と入ってくるなんて。
遅刻したのは誰だろうと見上げると、そこによく見知った顔があって俺は思わず腰を上げた。
「アーシャル!」
なんでお前がここにいるんだ! 昨日から魔法騎士科に通っているはずなのに!
「お前、魔法騎士科の授業はどうしたんだ!?」
まさか、俺がいないのが心配になって、ここに来たとか恐ろしいことは言わないよな!?
兄ちゃん、そこまで弟が心配性だと、どうしたらいいのかわからないぞと焦るが、アーシャルの顔は平静そのものだ。
「先生から、もう一・二年の魔法基礎はいいって」
「え? でも、魔法基礎って昨日から始めたばかりだろう? お前、二年に編入することになったから、取りあえず一年の内容を大急ぎで叩き込まれているんじゃなかったか?」
「うん。だから全部終わった。実際にやっていることを理論で意味づけるとこうなる、っていう内容だけだったし、教科書の内容は全部一度読んだら覚えたし」
俺は開けた口を閉じることができなかった。
「一度読んだらって……」
「うん。まあ、大体の授業の基本は、兄さんが昔読んでくれたたくさんの本に書いてあったしね。兄さんを探すために、ナディリオンから借りた本との内容を合わせれば、歴史や言語、基本魔術の関係は全部頭に入ったから、それなら卒業生対抗戦の在校生枠で出られるように、三年生の授業に暫く参加しなさいって」
「全部――」
いや、そりゃあ小さい頃から賢いと思っていたけれど。妙なところによく気がつくし! 目が見えないのに、俺のたどたどしい説明だけで、本に書いてあった内容を水が砂にしみこむように覚えていったし!
でも、正直ここまで頭がいいとは思わなかった!
「ほう。しゃあ、君はもう座学は全て修了したということかな? だとしたら、これからは私のライバルになるのかな?」
「光栄です。といいたいところですが、生憎まだ教養礼儀と実技、それに教養社会は終わっていないんです。とてもラセレトさんのライバルなんていえませんよ」
「教養社会? 一年でやる一般常識じゃないか。そこまで終わっているのに、なんで」
そうラセレトとコルギーは首をかしげているが、納得してしまう。
――ああ。こいつには致命傷な科目ばかりだな。
よかった。一応、得意不得意があるらしい。特に常識的なところが致命的に。
――これはこいつも普通だったんだなと安心してもいい内容なのだろうか。
「ところで、兄さん。またあの服屋に行くの?」
その言葉に、思わずどきっとした。
アーシャルには、あのグーリエルとかいう死導屍に襲われたことは言っていない。
――知らないはずだ。うん。
「いや、配達を頼んだよ。しょっちゅう寮に出入りしているからな」
本当は死導屍に襲われたあそこに行くのを避けたかっただけなのだが、それにアーシャルは満足したように頷いている。
「よかった。なんか、あの女主人変な感じがしたんだよね」
「変な感じ?」
「うん。よくわからないけれど、何か持っている魔力を隠しているみたいな――」
思わずその言葉にどきりとした。
けれど、その俺の腕を横からコルギーがつんと引っ張る。
「魔力で思い出したんだが、お前もその卒業生対抗戦の在校生枠で出るんだったな?」
「ああ。気に喰わないことにサリフォンと一緒にだがな」
「その奴さん。思ったより、この間の怪我の具合が悪いらしいぞ」
「え?」
俺は思わず手を止めて、囁くコルギーを振り返った。
確か、サリフォンのこの間の怪我といえば、アーシャルにやられたものだったはずだ。
直接焼かれたわけじゃないから大したことないと思っていたが、よく考えたらあれから一度も姿を見ていない。
「よくないって、どんな風に……」
「熱風の火傷で、うまく体を動かせないらしい。だから、今サリフォンの実家から名のある治療師や魔術師を呼び寄せて治療しているそうだ」
「魔術師?」
「ああ。どんな治療をしているのかは知らないが、そんな変なのに襲われたのなら、念の為に十分気をつけておけよ」
俺はその言葉に頷いた。
――俺を恨んでいるサリフォンの魔術師。
そうだな。怪しさでは満点だ。