(5)天敵はいりません!
学長室で編入手続きの話を終えて扉を閉めると、外にはコルギーとラセレトが待ち構えていた。
「学長の話は終わったのか?」
「ああ。また必要な物は改めて買いに行くよ」
アーシャルが魔法騎士科で必要になる物は、やはりだいぶ俺達とは違うらしい。
けれど、特待生としてできるだけ学校も援助してくれるという話だったから、寮の卒業生の残していった物とあわせれば何とかなるだろう。
「そっちも準備は整ったのか?」
そう尋ねると、力強く二人から笑みが返される。
「おおっ。西校舎の四階に用意しといたぜ」
「よし、じゃあ行くか」
――今度こそ、あのお化けを退治してやる!
これは間違いなく俺の個人的な恨みだ。
この水竜の尻を濡らしてくれた、おまけに昨夜の寝不足と今朝のいらいらの全てをぶつけてやる!
俺がそう密かな闘志を燃やして、頷いたコルギー達と歩いて行こうとした時だった。
「兄さん……」
俺の服を控えめに引いた感触に振り返ると、アーシャルが俺の上着の端を握っている。
「どうした?」
「――僕も行く……」
――え?
それに思わずまばたきをした。
――いや、だって……
「お前、お化け嫌いなんだろう?」
昨日だって、お化けと聞いた途端震え出して、泣きそうになっていたから、ラセレトに預けて校内を案内してもらっていたのに。
それなのに、今また大きな赤い瞳を震わせながら俺を見上げている。
「できるもん!」
――いや、そりゃあ、そうかもしれんが……
火竜だから本来はお化け退治とかうってつけな筈だ。
――でも……
「無理するなよ? お化けとか嫌いなんだろう?」
そんなに足をがたがた震わせて。絶対にそこまで無理をして退治する必要のあるものじゃないと思うぞ?
ただ、俺がこのいらいらを八つ当たりしたいだけで。
「できるもん! だって……折角、兄さんと久しぶりに一緒にいられるのに……いられる時まで離れているのって嫌なんだ……」
その瞬間、俺の頭から朝のいらいらがぽとっと落ちた。
――まったく……
なんてことを言うんだ。
だから、俺はそのまだ少し震えているアーシャルの頭をわしわしと撫でてやった。
「仕方ないなあ。じゃあ、ラセレト、できるだけお化けに遭遇しなくてすみそうなところをこいつに担当させてやってくれるか?」
「ああ、いいとも」
そう聞くと、アーシャルの顔がぱっと輝いた。
――ああ、やっぱり花が咲いたような笑顔だな。
「よし! じゃあ、行くか!」
「うん!」
その声と共に、俺達は昨日の西校舎に向かって歩き出した。
まだ陽は高いし、そんなに急に出てくるとは思えない。
だから、西校舎の四階に上り、昨日の場所につくと、ラセレトとコルギーが用意してくれた道具を確かめて、準備を整える。
「兄さん、これはどう使うの?」
見慣れない固い糸で作られたそれを手で持上げながら尋ねるアーシャルに、俺は笑った。
「ああ、これでお化けを捕まえるんだ」
「リトムとコルギーの話によると、昨日はどうやらあの壊れた階段から逃げられたようだ。だから今日は、逃げられないように作戦で行こうと思う」
「ふうん?」
首を傾げるアーシャルに、
「だから」
と俺がラセレトの作戦を耳打ちしている時だった。
「面白そうなことをしているね」
突然後ろから聞こえてきた声に、俺の背中がひきつるように跳ねる。
「あ、ナディリオン!」
アーシャルは満面の笑みで迎えているが、俺は全身の肌が一瞬で粟立った。
すごいな、この人。背後に立つだけで、背中に冷気が走るぞ? 夏には引っ張りだこなんじゃないか?
あ、もうすぐ冬だから全員にお払い箱なのか。
「なんで、ここに!?」
ここは学校で俺にとっては安全圏な筈だ!
それなのに、この変態竜ときたら、その銀色の髪を優雅にかきあげてふっと笑う。
「アーシャル君がここに通うと聞いてね。人間の生活は慣れないだろうからと心配になってね」
「え? 人間?」
耳ざといな、コルギー!
「人間の学園生活ね! 学校生活!! うん、通うのが初めてだからな!!」
はははと引きつって笑いながら誤魔化す。何で俺がこんな余計なフォローをいれなきゃならん!
「こんなところで何をしているんだい? 見たところ、ここは今は使われていない所みたいだけど」
「ただの掃除です! 気にしないでください!」
「あのね、兄さんが今からここでお化け退治をするんだ。だから、それを手伝うのー」
おい、アーシャル! 折角俺が追い返そうとしているのに!
「へえーじゃあ私も手伝おうか?」
――最悪の方向に話が行った!
「おい、リトム。あの派手なの誰だ?」
ここはアーシャルの恩人と過去の事実を紹介するべきか、コルギーの未来のために変態と真実を暴露するべきか。
「いやあ、あははははははは」
とても困った二択に俺が引きつった時、けれどなぜか下からの階段を上ってエレヴィ教授が通路をやってくるのが見えた。
「おお、ここにいたね。アーシャル君、リトム君」
「エレヴィ教授?」
アーシャルを推薦した魔法騎士科の先生がなぜここに?
そう視線で問う俺の疑問にエレヴィ教授は、側の扉の一つに鍵を差し込む。
「君達がここにいると聞いてね、ここにしまってある予備の教科書をあげようと思って急いで来たんだ。魔法学の教科書は買えばかなり高価な物ばかりだからね」
「そうなんですか。助かります」
正直、竜の両親に連絡が取れない以上、少しでも安いのにこしたことはない。
いつもなら冬休みに人間の家に帰る費用をアーシャルの準備に回すのにしても、やはり懐が心もとない。
――だけどこんなこと、あんまりアーシャルに言いたくないしなあ……
けれど、鍵を鍵穴に差し込んだところで、エレヴィ教授の動きが止まった。
――うん?
どうしたんだと見つめていると、急にその瞳が大きく開いてナディリオンに止まると、その手を大きく広げたではないか。
「おお! どなかと思えば、大魔導師のナディリオン殿ではありませんか!」
「大魔導師?」
「私の人間の姿での肩書だよ。まさか人界で竜と名乗るわけにはいかないからね」
眉をよせた俺に、ひそと声が返される。
けれどそれが聞こえなかったように、エレヴィ教授はナディリオンの肩を抱くとそれを軽く叩いて興奮を表している。
「相変わらずお若い! いや、三十年前にお会いした時より、更にお若くなられたように見えますな!?」
「ありがとうございます。これも魔道の修行の賜物です」
――嘘付け! 単に竜だから長生きなだけだろうが!
ぺろりと嘘をつく口に、心の内で悪態をつくが、それはエレヴィ教授には伝わらなかったらしい。
「どうして今日はここに? アルスト二アス国にはいつ来られました?」
それにナディリオンはにっこりと微笑んだ。
「はい。今日は私の昔の患者のアーシャル君がこちらに通うことになったと聞いて伺いました。アーシャル君は、ここで魔法を?」
「おお、そうでしたか! はい、大変才能溢れる人材でしたので魔法騎士科で特待生として迎えることになりました! そうですか、ナディリオン殿のお知り合いでしたか!」
「はい。彼はもう全快していますが、時々心配になってこうして顔を出しています。小さい頃から見ているせいか、どうしても気になってしまうのでね」
「おおっ! では、いっそこの学校で教鞭をとられませんか!? そうすれば、毎日アーシャル君の側で様子を見られますぞ?」
――このくそ教授! 何を言い出すんだ!?
急いで睨みつけたが、エレヴィ教授は自分で言ったことを名案と思ったらしく、自分で自分の考えに興奮している。
「私が、ここで教師を、ですか?」
「そうです! 伝説の大魔導師から直接教えを乞う機会など、そう滅多にあるものではありません! アーシャル君のみならず、ほかの魔法騎士科の生徒にとっても得がたい経験となるでしょう!」
――おい。やめろ! 魔法騎士科全員をこいつの毒牙にかける気か!?
「ふうむ」
――おい、やめろ。なんでそこで俺を振り返る。
しかも、琥珀色の瞳を金色に光らせているのは、竜というよりもまるで蛇が舌なめずりしているようで、気持ち悪いことこの上ない。
「いいでしょう。実は、もう一人気になる症状の患者がいるんです。何度も往復するより、ここで毎日見ていた方が原因も掴みやすい」
――え? それって、俺はあの触診の犠牲者決定?
やめろ! 絶対にやめてくれ!
そう思うのに、もう一度振り返られると、背筋がぞっとして一刻も早くこの場からいなくなって欲しい。
「わーい。ナディリオン、これでずっと一緒にいられるんだね」
「そうだね。私も嬉しいよ」
――俺の弟にその変な手で触るんじゃねえ!
そう心で叫ぶのに、まるで蛇に睨まれた蛙だ。なんで、こんなに汗ばかり出て体が動かないのだろう。
「では、ナディリオン殿。ぜひ私の部屋でそれについて御相談しましょう」
「いいですね。ぜひ授業の先輩として、御教授お願いしますよ」
「ははは、あなたよりずっと年下の私に何を仰るやら」
二人の後姿と共に足音が遠ざかっていくと、俺の背中から汗がどっと噴出した。
やっと緊張から解放されたように、窓によりかかって蹲ってしまう。
なんで、こんなに緊張しないといけないんだ。
「すごいね、今度からずっとナディリオンと一緒にいられるんだよ!」
「なんで、そんなにお前はあいつが好きなんだ……」
恩人ってのはわかるが、それにしてもあいつの変な目つきに対して邪気がなさすぎるだろう。
けれど、俺の質問にアーシャルはこくんと首をかしげた。
「うーん? そりゃあ、兄さんがいない間色々教えてくれたし」
「あっそ」
――やっぱりこいつ、俺がいないと危ないんじゃないか……
「それに、なんかナディリオンって兄さんと一緒にいる感じに似ているんだよね?」
――それこそやめてくれ!
「俺は、そこまで変態じゃない……」
「え? あれ、褒めたのに?」
「今のどこが……」
なんか、余計にぐったりとしてしまった。
けれど、窓から顔を出して下の庭を見つめると、本校舎への通路をエレヴィ教授と一緒にナディリオンが歩いていくのが見える。
「おい、リトム。俺たち予定の場所に行くぞ?」
「りょーかい」
力なくアーシャルを連れたコルギーとラセレトに手を振った。
ふうとため息が出てしまう。
――そうだよな。ずっと放っておいた兄が言える身分じゃないよなあ……
アーシャルがあいつに、俺みたいに甘えるのが面白くないなんて――
わかっているさ。
――俺が勝手にあいつを捨てたんだ。
どんな理由があったとしても、今更その事実は変わらない。
それなのに、今更俺以外に心を許すのが腹立たしいなんて、言えるはずもないじゃないか。
ふうと小さな溜息をついて、俺は黒い前髪をかきあげた。
そうしてもう一度下を見ると、ナリディオンは落ち着いた所作で本校舎の階段を登っていく。その姿が、エレヴィ教授と一緒に本校舎の白い壁の中へ吸い込まれていく時だった。
「出たぞー!」
低い声で叫ばれた声に、俺は素早く後ろを振り返った。
――来たな! お化け!




