(4)八つ当たりは正当に!?
結局昨日はよく眠れなかった……
あれから暫くして、ヒドラ達は生温かい眼差しと共に帰っていったが、夜の間中色々な魔物が入れ替わり立ち替わり祝福を述べに来て、落ち着いて寝る暇もなかった。お蔭で、朝から隣りの部屋に苦情を言われるし、気分は最悪だ。
まだしっかりと開かない瞼で見上げて、俺は学校へと向かう道の途中で太陽を見つめた。
――ああ、秋の陽でも十分に眩しいな……
「どうしたの? なんか兄さん眠そうだね?」
「おう。生憎俺の体は常識の枠内なんだよ。徹夜をしても眠くない仕様にはできていないんだ」
「えー? 徹夜なんてしていないじゃない? 間に五分、三分って眠れたから、纏めたら二時間ぐらいは眠っているし」
「それは絶対に寝たとはいわん!」
というか、それで平気なのは飛びながら眠る渡り鳥ぐらいだろう。
「えーっ。慣れたら結構平気なのに」
「いや、いくら竜が人間と違っていても、それで平気なのは竜族広しといえどもお前だけだと思うぞ」
「えっ? じゃあ僕だけの特殊能力?」
「…………うん、まあ百歩譲ってその肯定的な見方に賛成しようじゃないか」
軽く溜息をつく。
――まあ、それだけ嬉しくて触れ回ったってことなんだよな……
俺が見つかったことを。
それに相手もアーシャルの襲撃がこれでなくなって、怯えて暮らす必要もなくなると、涙を流して安心していたから、まあ結果的にはいいのだろう。
「さ、学校に行こう。今日は十時から編入の説明だろう?」
本当は今日まで試験期間だから、登校しなければならないわけではないのだが、アーシャルの準備だけは急がないとならない。もう少しすれば、剣術学校は冬と共に新学年に変わるから、それまでには最低でも身の回りの物を整えておかなければならないからだ。
冬に学年が変わるのは、冬至に太陽が生まれ変わるからというこの国の古来からの考えに基づくものらしいが、正直冬物で荷物が膨れるこの時期に引越しを余儀なくされる新入生はいつも大変だ。
――少しでも早く、卒業生のいらない物を獲得しておかないと。
うん。これは俺に限らない新入生の死活問題だ。
特に魔法騎士科となると、卒業生自体が少ないし。
「うん。でも、兄さん。魔法騎士科ってどんなことを学ぶの?」
「そうだな。魔法騎士は、俺たちみたいに戦うだけじゃなくて、基本的には魔法を使って味方の攻撃を助けたり、敵の呪文を防いだりする役目だな。ほら、相手が俺たちみたいな竜とか魔物だと、魔術でも攻撃してくるだろう?」
「あー僕がするみたいな感じだね?」
「そう。人間相手でも敵に魔術師や魔導師がいると、それに対処する戦いが必要だからな。だから戦える騎士と魔術師を合わせたような存在なんだ」
「ふうん。じゃあ、習っておいたら、いざという時に兄さんと一緒に戦えるんだ」
「まあ、お前なら、竜の姿に戻ったら滅多なことはないと思うがな」
ぽんと頭に手を置くと、アーシャルがてへっと笑って、その手に両手をのせてくる。
「うん。でも、人間の姿の兄さんとずっと一緒にいるのなら、僕もこっちの姿で戦えるようになった方がいいもん。急いで強くなるよ!」
ああ、かわいいことを言うなあ。
「そうか、頑張れよ」
思わず俺はアーシャルの髪をくしゃくしゃにしていた。かなり乱暴だが、撫でているとわかったらしい。アーシャルが猫のように目を細めて、嬉しそうにしている。
ぱらぱらと赤黒い髪が散らばる下で、俺の手の動きを気持ちよさそうにしている。
思わず俺が、そのアーシャルの仕草に瞳を細めた時だった。
「アーシャル君」
聞き慣れない声に、ふと俺の手が止まった。
弟の名前を呼ぶ聞き慣れない声に、不審そうに視線を上げると、朝の光の中に銀色の髪を輝かせたひどくすらりとした白い人影が立っている。衣装は見慣れない裾まで続く西方の白いゆったりとしたものだ。
その琥珀色の瞳が、学校の門の側からこちらを見つめているのを、顔を上げたアーシャルが見つけた途端、その顔が輝いた。
「あ!」
そう叫ぶと、顔中に笑顔が広がる。
「ナディリオン!」
それに、俺は眉を寄せた。
「お前の知り合いか?」
「うん! 兄さんにも紹介するよ」
誰だ?
正直、撫でるのを止めていたとはいえ、俺の手をおいてアーシャルがそいつの許に走っていったのが驚きだ。
それどころか、アーシャルはそいつの許に急いで駆け寄ると、まるで子犬が甘えるように、その銀色の長い髪を無邪気に引っ張り出したではないか。
「いつこっちに来たの?」
「今さっき。君から、お兄さんが見つかったと連絡を受けたんでね。人間の街で暮らしていたのかい?」
「うん!」
そこまで言って、やっと後ろに置いてきぼりにした俺を思い出したらしい。
「兄さん。こちら、僕の目を治してくれたナディリオン。風火水土の四竜の力を持つ伝説の竜だよ!」
――ナディリオン。
こいつが。
「あ、ああ。アーシャルの目を治してくれたって聞きました。ありがとうございます」
やはり兄としてここは礼を述べるべきだろう。かなり戸惑っていたが、俺はその前に立つと、手を差し出した。
「やあ。君がお兄さんの水竜だね。アーシャル君から、お話は聞いているよ」
「兄さん! ナディリオンはね、兄さんが行方不明なことを聞いて、ずっと一緒に捜してくれていたんだよ!」
「そうだったんですね。弟共々お世話をかけました」
けれど、控えめに出した手を、その瞬間ぐっと握られた。
――いっ!
そしてぐいと引っ張られる!
ち、近い! いや、そりゃあ男同士だから、近くっても別におかしくもなんともないのだが、それにしても近すぎやしないだろうか!?
なぜか俺の瞳を覗きこむように顔を近づけられているし!
いくら壮絶な美貌でも、俺男とはそんな唇に間違いが起こりそうなほど近寄りたくないんですけど!
けれど、俺の首筋に息がかかるほど近寄ったナディリオンは、じっと俺を観察するように見つめている。
「ふうん。こうして見る限り、外見は人間そのものだね。だけど魂の色は竜――それもアーシャル君に極めて近いものだね」
怖いぞ、この人。いや竜か。
琥珀の瞳が金色に瞬いて、中にいる俺の魂の色を確かめるように覗き込んでいる。それどころか、手を握っている指がまるで肌の中にあるそれを確かめるように、腕を撫でながら這っていく感触に、ぞぞぞと背筋に悪寒が走る。
――気持ち悪い!
何だこの感覚!
あまりの鳥肌に、思わず力任せにその手を振り払ってしまった。
「兄さん!?」
俺の乱暴な仕草に驚いたのだろう。横でアーシャルがその赤い瞳を驚愕に開いている。
けれど、それにナディリオンはふっと笑った。
「いや、悪かったね。あまりに見た目が人間にしか見えなかったから、つい念入りに確かめてしまった」
「世間ではそういう行為は、セクハラというんですよ」
「兄さん! ナディリオンになんてことを!」
「そうなのかい? 前に私が人間の世界に来た時は、痴漢とか変態と呼ばれていたのに人間の言葉も変わっていくんだねえ」
――おい。意味をわかっているじゃねえか。
というか、こいつ確信犯か。
「すみません。兄さんは、竜だった時のことをまだ全部思い出せないみたいで……まだ竜のする行動や感覚を取戻せないんです」
必死に横でアーシャルが言い繕っているが、絶対にその必要はないと思うぞ?
「ふうん。思い出せないって、なんで人間の姿になったのかも?」
「ええ。それは僕も心配しているのですが――」
ふと心配そうに瞳を落とすアーシャルに俺の心臓もずきっとした。
――アーシャル……
しかし、ナディリオンが言い出した言葉に、俺の背中が跳ねてしまう。
「そうか。それは心配だね。じゃあ、私もお兄さんの記憶を取り戻す協力をするよ」
「え!? いいんですか!?」
「ちょっと待て! 勝手に何を約束しているんだ!?」
「もちろん。アーシャル君のお兄さんだからね。任せたまえ、魔法治療は私の得意技だ。異常触診の達人! 二度と触れられたくない名医永久称号と讃えられる私に!」
「さすがナディリオン!」
無邪気にアーシャルは拍手をしているが、ちょっと待て。お前大事な兄をそんな相手に触らせて平気なのかよ?
「俺はそいつの治療なんて受けないぞ!?」
「ええっ!? 何でだよ!? ナディリオンは本当にすごい名医だって! ただちょっと触り方が変質的って言われるだけで」
「それがお断りの最大理由だ! っていうか、お前そんな治療を受けたのか!?」
「安心したまえ、水竜君。いくら私でも守備範囲というものがある。当時まだ子供過ぎたアーシャル君にそんな不純なことはしないさ」
――おい……ますます逃げ場がなくなっているんだが……
まさか、こいつ真性の変態か?
というか、じゃあ当時のアーシャルより見た目が上の俺はどうなんだ?
「好意だけで十分です!それではお世話になりました!」
そういうと、アーシャルを連れて無理矢理学校に歩き出そうとした。
それなのに、アーシャルの奴が動かない。
「もう! 兄さんったら、いくら何でも僕の恩人に失礼だよ!」
それはそうかもしれんが。
だけど、今後ろから俺を見ているあいつの瞳が気持ち悪くてたまらない!
「とにかく! 今日は編入の手続きがあるだろう!?」
それなのに、アーシャルときたら少し肩を竦めて、唇を尖らせた。
「もう、兄さんたら。仕方ないから、先に行ってて。僕はもう少しナディリオンと話したら、昨日教えてもらった兄さんの教室に向かうから!」
それに俺はアーシャルの手を投げるように離した。
「おう」
――面白くない!
俺は小さな呻きだけで、踵を返すと、ずんずんと学校内へと歩き始める。
――面白くない! まさか、アーシャルが俺の言葉よりあいつを優先するなんて!
わかっている。十七年近く放っておいた身勝手な口が言えることじゃない。
きっと、俺が突然行方不明になったことで、アーシャルの心に深い傷をつけてしまった。それは、今でも、俺の姿が見えない時間が長くなると不安な顔を浮かべさせてしまうほどに。
碌に見えない目で、そんな不安の中にいたあいつを支えてくれたのなら、兄としては感謝するべきなのだとわかっている。
それなのに、どうしようもなくいらついてしまう。
――ずっと俺だけの後をついてきていたのに……
「おはよう。朝からすごい顔だな」
校舎の入り口で出会ったラセレトが、瞳をくりんと丸くしながら、しかめている俺の顔を見つめてきた。
「そんなに昨日のお化けには手こずったのか?」
――そうだ! お化け!
最高の八つ当たり先があったじゃないか。
ふっと笑うと、俺は白い華やかな校舎の入り口で足を止めた。
「ラセレト。相談があるんだが、お化け退治を協力してくれ」
「それはかまわないが」
――覚悟しろよ!? お化け!
俺の寝不足とこのむかつきの八つ当たり先になってもらうぜ!
俺はそう決心すると、いつもの悪巧みをする時の笑みで前を見据えた。