(3)ものは考えようかもしれない
「ひどいよーひどいよー兄さん。だまし討ちにするなんて!」
「うるさい! こっちはお前のおかげでかけなくていい命を懸けさせられたんだ! たんこぶ一つですんでありがたいと思え!」
「一つって言ったって、三段のお団子になっているんだけれど」
「それでも一つだ!」
「そうかなあ」
なんかぶつぶつと呟いているが、それだけしゃべれる元気があるのなら大丈夫だ。
「とにかく! こっちはお前に付き合っている暇はないんだ! 俺はお前の兄なんかじゃないから、もうついてくるな!」
「あ、待って兄さん! どこに行くの?」
「うるさい!」
後ろから声が追いかけてくるが、もうかまっていられるか。とにかく、この厄病竜と関わると碌なことがないのはわかった。どんどん歩いて、ここから離れるのに限る。
しかし、一刻も早くこの竜と場所から離れようと早足で歩いても、目の前は一面の砂だらけだ。
太陽が天頂より少しだけこちらに傾いているから、多分こちらが西だと思うのだが、どちらに行けばこの砂地獄から脱出できるのかがわからない。
歩き始めてすぐに額から汗が流れ落ち始めた。
――そういえば、水はあとどれぐらいあったっけ?
元々そんなにたくさんは持っていなかったから、今はさらに減ってしまっているだろう。
――本当にこの砂漠を脱出できるまでもつのだろうか?
「うわーん、兄さんごめんってば! 僕兄さんに思い出してほしかっただけなんだって! ほら、昔二人で蟻地獄の主を捕まえて、焼いて食べたことがあったじゃない? だからもう一度食べたら思い出すかなって」
「そんな記憶はないし、作りたくもない」
「えーおいしいって言ってたじゃない!? 忘れられないぐらい珍味だって」
「おう、絶対に忘れられないおいしさだろうな。確実に食中毒で記憶に残るわ」
「だったら試してみてよ! 僕昔よりうまく焼けるようになったからもう生焼けじゃないんだよ」
「やっぱり忘れられないってそっちの意味か!? しかも繰り返そうってどういう了見だ!?」
思わず俺の後ろを飛びながらついてくる竜を振り返ると、その瞬間、竜の顔が嬉しそうにえへっと笑った。
「わーい、兄さんがやっと振り返ってくれた! しかも昔のことを覚えているじゃない?」
まるで頭に花が咲いたような竜の嬉しそうな顔に、どうにも毒気が抜かれてしまいそうになる。
――ああ。きっとこいつの兄貴とかも、この表情に毒気を抜かれて困っていたんだろうな……。
だから、手のかかる弟に黙って家出をしたのかもしれない。
そう考えると可愛そうな気もしてくる。なにしろこれだけ兄に会いたがっているのだ。それなのに、その兄に捨てられたのかもしれないなんて、絶対に考えたくはないのだろう。
だが、下手な仏心は禁物だ。
なにしろ、自分の髪は黒く瞳は青い。容姿も幼い頃はよく女の子みたいでかわいいと言われたが、成長した十六の今は人より多少かっこいいと言われることはあっても、一度も竜のようだと言われたことはない。この赤い竜が火を使う火竜だというのなら、尚更下手な希望は持たせないほうがいいだろう。少なくとも、騙したと思われて焼肉になりたくはない。
「とにかく、俺はこれ以上お前に付き合っている時間はないんだ。お前が本当の兄貴に会えるように祈っていてやるから、元気でな」
そう自分の中で踏ん切りをつけると、もう一度砂の海に足を踏み出そうとした。
「あー待ってよ、兄さん! なんでさっきからそんなに急いでいるの!?」
「生憎だが、俺は今通っている剣術学校の試験の最中なんだよ。試験期間の間に出された課題の冒険をクリアしないと、剣士の称号をもらえないんだ」
だから達者で暮らせよと片手を振ると、その瞬間竜がぐいっと長い首を伸ばして俺の前から覗き込んできた。
「じゃあ、僕がそこまで連れていってあげるよ! ね、だったら一緒に行ってもいいでしょう?」
「一緒に?」
ふむと少し考え込む。
ここがどこの砂漠かはわからないが、試験期間は残り四日。普通に歩いて砂漠越えをしていたのでは、確実に間に合わないだろう。
それにと、腰にさげた水筒に残った水の量を考える。
――ここは、少々不本意だが、この竜の意見に合わせたほうが賢いかもしれない。
それに剣術学校で出された課題は、どれも剣士の称号を得るためなものなだけに、確実に危ない内容ばかりだ。
――アホだが、竜は竜だ。役に立つかもしれない。
ひそかに、俺はにっと笑った。もちろん、口元は手で隠したが、悪くないとほくそ笑む。
「そうだな。お前が協力してくれるのなら、その間だけ側にいてやってもいいぞ」
「本当?」
うわー嬉しいと顔が輝いている。赤黒い鱗が陽の光にルビーのように透けて笑っている様は、恐ろしい生物のはずなのにひどく綺麗でかわいい。
――まあ、脳みそに花が咲いている竜だからな。
妙なところに連れていかれない限り、一緒にいてもそう危険ではないだろうと俺は納得すると、少しだけ頬をかいた。
「それでどこに行くの? 密林? 深海?」
「待て。常識で考えて、それは猟師か漁師の試験だ」
「じゃあ、どこ?」
「幾つか課題の候補地があるんだ」
そう言うと、俺は持っていた皮袋に入っていた紙切れを取り出した。
そこには、幾つかの地名と課題内容、そして難易度が記されている。
「場所ごとに課題の内容と、認められる剣士としての等級が違うんだ。俺は今残念ながら留年寸前だからな、ここで一つ大きな課題をクリアしておきたいんだが」
「留年って、兄さん成績が悪いの?」
「訊きにくいことをずばりと――剣の腕自体は少し前まで学年でも一、二番だったんだ。それなのに何故か最近うまくいかなくて――」
本当になぜなのかわからない。鍛えれば鍛えるだけ応えてくれる剣が好きだった。だからずっと毎日練習して、剣が折れるまで鍛錬し学年で一番にもなったのに、その直後から謎の不調が続くようになったのだ。
剣が重いわけでもないのに、いざ鞘から抜くと、体がうまく動かない。実技のたびに成績が下がり始め、気がつけば学年でも一番下にまでなっていた。
「だから、俺の夢のためにも、ここで一つ大きな課題をクリアしておきたいんだ」
「ふうーん。兄さんの夢ってなんなの?」
「そりゃあもちろん!」
課題表を見ていた顔を持ち上げて、声を張り上げる。
「伝説のドラゴンスレイヤーだ!」
神話や伝説で、幼い頃散々聞いた英雄。魔物や魔獣の多いこのユグラキア大陸でも、最強と言われる竜を倒したと語り継がれる魔物狩りの最高峰。そんな伝説の戦士になりたいと願うのは、剣士の夢を持つ男なら当たり前だろう?
それなのに、この竜ときたら、引きつった笑いを浮かべている。
「わあー竜なのに竜殺しになりたいなんて、兄さんって天性のマゾ?」
「違う!」
頼むから、妙な誤解で俺の夢を変な趣味に変換しないでほしい!
「ああ、じゃあ人間で言えば殺人鬼願望。僕悲しいよ、兄さんがそんなに竜犯罪者になりたかったなんて」
「頼むから俺が竜という前提をなくして、健全な青少年の夢を壊さないでくれ」
ちらりと、やっぱりこいつここに置いていこうかと考えてしまう。
それなのに、俺の手の中の紙を見つめていたこいつは「あ」と小さく声をあげた。
「僕この場所知っているよー」
「うん? どこか知っているところがあったのか?」
並んでいる地名に目を落とすと、竜の指がその一番下にある綴りを鋭い爪の先で差す。
「うん、ここ。ここならすぐに連れていけるからここにしようよ」
「よりによって一番難しいところを……」
そこは追記でわざわざSランクと書かれているほど難しいダンジョンだ。
「だが、ここなら確かに留年は免れて剣士の称号をもらってもおつりが来るか」
しかしその分危険度ははるかに高い。課題内容は、このダンジョンの奥で主が守るどんな病にも効く回復薬を手に入れてくることだが、わざわざSランクと書かれているほどだ。余程の危険を覚悟しなければならない。
「どんなところか知っているのか?」
「うん。僕そこで兄さんと迷路ごっこしてよく遊んだもん。全部知っているよー」
「あっ、そう」
なんだろう。今の今まで張っていた緊張が、見事にぐしゃっと手の中の紙と一緒に潰れた。
――このアホ竜でもクリアできるダンジョンだって?
それはこの竜が実は強いのか、ダンジョンがまぬけすぎるのか、それをSランク扱いにしている俺たちが馬鹿すぎるのかがわからない。
――まあ、いい。これも運がよかったと思おう。
「じゃあ、念のために近くの村で情報収集を」
「必要ないよー。僕何回もやったから、ここなら半日でクリアできるよ」
「ああそう」
――誰でもいい。今すぐ俺にこいつを殴っていいと言ってくれ。
今の今まで試験に抱いていたなにか神聖な気持ちが、がらがらと崩れていくのを感じながら、俺はやっぱりこらえきれなくて一度竜の足の指を思い切り踏んづけてやった。
本日二回目の竜の叫びが砂漠に響き渡っていった。