(8)やってやろうじゃないか!
やり場のない怒りを抑えたまま、学長室の重い扉を出ると、そのすぐ先の廊下にサリフォンが立っていた。壁にもたれるようにして立つと、腕を組んで俺を嘲るように見つめている。
「お前――!」
その瞬間、今の今までしていた我慢の口火が切れた。
毛足の長い絨毯が敷かれているのに足がとられそうになるのもかまわずに駆け寄ると、その服を掴みあげる。
「よくもあんなでたらめを!」
――いや、でたらめかどうかは微妙だが! とりあえず悪意は十分に買ってやる!
「ふん」
けれど、薄い笑いを浮かべると、サリフォンはその俺の手を上から握り締める。
「貴様が身分不相応にこの学校に残ろうとなどするからだ」
「なんでそんなに俺を目の敵にする!?」
「さあな。だがこれでお前は留年で約束通り退学だろう?」
「生憎だったな。俺にもアーシャルという証人がいるお蔭で、騎士道にそって決闘で決着をつけろだとよ」
「決闘――?」
答えると、急にサリフォンが俺の手を荒々しく投げ捨てた。
「ふん。学長はお前がお気に入りだからな。媚びるのだけが取り柄では仕方がないか」
「待て!」
言うと、もう足を翻して歩き出しているサリフォンの背に俺は叫んだ。
「約束通り本当に俺の母さんのことは誰にも話していないんだろうな!?」
けれど、それにちらりとだけ視線が返される。
「そうだな。貴様がこの学校を出て行ったら、このまま誰にも話さないでおいてやる」
ありがたく思えと笑っている背中に、俺は殴りかかろうとして、近づいてくる話し声に必死にその手を握り締めた。
歩いていくサリフォンの姿を見送り、俺はやり場のない怒りを抱えたまま階段を下りていった。
それでもまだ煮えたぎっている腸はおさまらない。
それが俺の顔に、はっきりと表れていたのだろう。階段を下りた先にいたアーシャルが俺を見た瞬間その顔を曇らせた。
「兄さん……」
「おい、どうだった? 学長の話?」
その横から心配そうに覗き込んでくるコルギーの姿に、俺はやっとせわしなく動かしていた足を止めると、爪を噛んだ。
うまくない。当たり前だが、そこにしかこの怒りのぶつけようがない!
「サリフォンと決闘することになった……!」
「え!?」
それにアーシャルが瞳を開いて固まっている。
「あいつ! 俺のダンジョンでの行為に騎士道違反の申し立てをしやがった! 言い分が分かれているから決闘して勝った方を正義とするだと!」
「おい、騎士道違反って、お前まさかサリフォンに何かしたのか? いや、そりゃあしたくなるのはわかるが、それなら俺がいる時にしてくれたら証拠ごと抹殺してやったのに」
「しとらんわ! それにさりげなくそそのかすかな!」
だけど、いつもの口調に混ぜてコルギーの瞳がひどく心配そうになっている。それに断定してからかおうとしないところに、心配を感じて、俺はやっと一つ大きな息をついた。
「ただ戦うのに邪魔だったから、敵の剣にかかりそうだったあいつを蹴り飛ばしたそれだけだ」
「なるほど。その状況でも助けようとしたと言わないお前の潔いまでの陰険さを暴露しているのなら、間違いないな」
「おい……お前の中での俺の認識はどうなっているんだ?」
「それはもちろん、剣の達人で誰よりも輝かしい我ら町人出身の期待の星さ。空に輝けるあの陰険さを讃え見習えと、日々後輩を教化しているのさー」
「変な宗教を広めるな!」
――コルギーなら本当にやりそうで怖い。
けれど、その時真っ青な顔でアーシャルが俺の腕を掴んできた。
「兄さん……! 決闘って!」
あ、まずいぐらい真っ青になっている。火竜で赤い鱗なのに。
それに、俺はふうと溜息をつくと、ぽんと頭を撫でてやった。
「大丈夫だ。いくらなんでも、学校でするのに生死までは賭けん」
むしろ、止められることなくあいつの息の根を絶てるのなら最高なのに。
「リトム」
けれど、その時、奥の通路から亜麻色の髪の青年が歩いてくると、階段の下にいる俺たちの姿を見て足を速めた。
「サリフォンのせいで進級できないかもしれないと聞いたが」
耳の早い友人に、俺は僅かに唇を噛んだ。元々貴族階級出身のラセレトは、住んでいるのが学校の正式な寮ということもあり、富裕階層への人脈も広い。どこかでもう噂を聞いたのだろう。
「ああ。決闘でどちらの言い分が正しいのか争うことになったよ」
忌々しげに告げると、友人は大きく頷く。
「そうか。どうやらサリフォンの奴、お前と並んで名前を挙げられている白銀騎士団の推薦をとらないと家を継がさないと言われているらしい」
「家を?」
確か、あいつの家は有名な将軍家の家系だったはずだ。父も祖父も歴代王国に仕えて、将軍や騎士団の要職についていると聞いたことがある。
「ああ。サリフォンの家は父親も叔父もここの推薦で白銀騎士団に入っているからな。だかららしい」
「そんなこと俺が知るか!」
そんな家の事情を持ち込まれても困るだけだ! こっちはこっちの事情で手一杯だというのに!
けれど、それにラセレトは大きく頷く。
「うむ。だが、大丈夫だ、リトム。いざとなったら、私が全教科の追試を先生に頼んでやるから、たとえ実技が赤点のままでも座学が満点なら留年はしない。私のように!」
「人の心配する前に、お前はちょっとは剣技を磨け!」
「安心しろ、生憎私は剣術に少しの興味もない」
「お前、なんの為にこの学校に入ったー!!!」
高い学費を出して! どう考えても、剣に興味がなくて普通の中等学校を選ばずに、わざわざここを選択した意味がわからない。
けれど、それにラセレトは心底意外と言うように瞳を見開いている。
「え? そりゃあ、好きな戦略を勉強するのには、この学校が一番だったから」
「ああ、そう――」
――そうだった。軍略オタクだった……
「だから安心しろ。もし決闘で負けても、私が戦術的戦略的に徹底的な追試対策を組んでやるから!」
「おう……嬉しいが、それはこの間の期末試験対策で死にかけたから――」
できるなら御遠慮したい。
「大丈夫だ。前回の失敗を踏まえて、今度は睡眠時間一時間と夕ご飯の時間は確保しよう!」
「だからそれが死の行軍と言っているんだ! 俺の時だけ補給を抜くなよ!」
――こいつら、本当に俺の親友なのだろうか。
ああ。この仲間に囲まれていると、取りあえず命の危険だけは回避させようとしてくるアーシャルがすごく思いやり深く思えてしまう。真実は、自分の望みのためなら、俺に容赦なく生死の危険を迫ってくる弟なのだが――
――あれ? なんで俺の周りってこんな奴ばかり……
類友。一瞬、頭に浮かんだ単語を俺は必死で振り払った。
「まあ、とにかく、頑張ってくるわ――」
決闘は、今日の昼三時から。
さすがに、もうあまり時間もない。
「兄さん……」
「大丈夫だ。俺がお前の前で負けるかよ」
――兄を信じろよ?
「うん……」
その心配そうな頭を軽く叩いて安心させる。その俺を信じているのに、ひどく怯えている瞳は、故郷の街で別れたユリカを彷彿とさせる。
それに俺は、一度小さな苦笑をこぼすと、持って来ていた剣を腰に確かめて歩き出した。
「コルギー、ラセレト、アーシャルを頼むな?」
――大丈夫だ。何があっても負けるわけにはいかない。
だって、遠くではユリカが今も震えながら待っている。父さんと母さんも、あのセニシェの話に聞いた夜のように、響く馬のいななきにさえ怯えて眠れない日々を過ごしているだろう。
――俺は何があっても二度と家族を捨てない!
そして、決してこの学校をやめてあいつの思い通りにもならないと、力強く一歩を踏み出した。