(2)どうして局地的紛争が起こっているのだろう?
「兄さん? お兄ちゃんが?」
扉を開けたユリカはその前に立ちはだかると、腕組みをしてじっとアーシャルを見上げた。
父さん似の茶色のくせっ毛を、後ろに渦を描きながら流している勝気な顔は自分の妹ながら愛らしいが、今その姿は目の前に立つ見知らぬ訪問者の姿に一歩も引く構えを見せていない。
その視線を見返しながら、アーシャルが俺を見つめた。
「兄さん。この兄さんをお兄ちゃんと呼ぶ身の程知らずのちんくしゃは何?」
――いや、何と言われてもその呼び方でだいたい絞れるだろう?
「ユリカ、こっちは俺の学校の友達で俺の弟同然のアーシャル。アーシャル、これは俺の人間の妹のユリカで、ここで一緒に育ったんだ」
さて、どう伝えるのが刺激が少ないかと悩みながら、それぞれにできるだけ当たり障りのない紹介をする。
けれど、その瞬間、アーシャルと、見上げるユリカの視線にばちっと火花が散った。
「あー弟同然。つまりお友達ね? 私のお兄ちゃんがいつもお世話になっております。血をわけた妹として兄に代わりお礼を申し上げますね?」
おおっ、ユリカ! 客商売で培った挨拶もばっちり、さすが看板娘だ! ただなんで喧嘩腰なのかは訊きたいが。
「兄さん? 一緒にいたぐらいで妹扱いするなんて。違うならきちんと否定してあけないと――」
どうやら絶対に認めたくないらしいアーシャルが俺に顔を向けてくるが、それに完全に嫌味をスルーされたユリカがかちんと来たらしい。
「誰が妹じゃないですって!? 私はお兄ちゃんと同じお父さんとお母さんから生まれて、ずっと一緒に大きくなったわよ!」
「なんだと!? たかが一緒に育って、血が繋がっているかもしれないぐらいで妹面をするな!」
「おい、アーシャル。お前、じゃあ妹ってなんだ?」
というか、それじゃあ弟の定義もどうなるんだ?
けれど、そんな俺の呟きも聞こえないようにユリカが大きな目を吊り上げて声を張り上げる。
「じゃあ、あんたはどうなの!? お兄ちゃんと何が繋がっているというのよ!」
「僕だって!」
「うわあああああああ!」
俺は必死でアーシャルの袖を引っ張った。
「頼む! ユリカが混乱するから、今俺が竜とかそんなことはまだ言うな!」
慌ててひそひそ声でアーシャルの耳に縋ると、その俺の表情にアーシャルが悔しそうに目を歪めた。
そして、一瞬唇を噛む。
その様子にほっとした。よかった。わかってくれたんだな?
けれど、俺の様子に一度瞼を伏せると、アーシャルはきっとユリカを見つめた。
「僕だって――兄さんと。そう、生まれる前からの運命で繋がっている!」
よし、これならどうだと満面の笑顔で言い切るアーシャルに俺は開けた口が閉じられなかった。
――ちょっと! お前何言ってるの!?
「そう、生まれる前から常に一緒! そしてこれからの生涯も! それが僕たちの運命なんだ!」
「待て待て待て待てー!!」
本当にお前に何言ってくれてるんだ!!!
それなのに、なぜか急にユリカは玄関の床に両手をつくとがくっと項垂れている。
「なんてこと……!」
その顔色は悲壮そのものだ。
「お兄ちゃん……いくら小さい頃から女顔で女性にもてないからって……遂に同性でもいいだなんて……!」
「違う誤解だ!」
なんでそうなる!?
「しかも昔のお兄ちゃんそっくりの女顔が相手なんて――これは、やっばりあれなの? ナルシストの極みなのかしら?」
「ちょっと俺の話を聞け!」
「どうしよう、私、来年からのお兄ちゃんの誕生日プレゼントは全部鏡にするべきなのかしら?」
「だから誤解だって言っているだろうが!?」
こいつら何で揃って人の話を訊かないんだ!? それとも弟妹という人種は兄のいうことはスルーという不文律でもあるのか!?
「だから!」
俺が更に声を張り上げようとした時だった。
「リトム」
柔らかい声がすると、店の中からたくさんの切った靴の皮を入れた籠をもった女性が、黒い髪を布でくくりながら微笑んでこちらを見つめている。その瞳は、俺と似た青い色だが、俺よりは淡くユリカに近い。
「お帰りなさい。店の奥まで聞こえてきているわよ?」
「母さん」
「すぐに夕ご飯にするから、お友達におうちに入ってもらいなさいな」
優しい表情でそう笑うと、まだショックを受けているユリカの背中を軽く叩いて台所の手伝いを頼んでいる。
「ああ。まあアーシャル、入れよ」
俺が扉を大きく開けて、たくさんの靴が並んでいる店へと招くと、職人用の机が置いてある更に奥の通路へと案内した。狭いそこを通ると、店の奥には小さな台所と食卓があり、食器棚には黄色や赤のかわいい食器が並んでいる。
「ふうん。ここが兄さんが暮らしていた家なんだね」
何でもない普通の店舗兼住宅だが、質素な木で作られたその壁さえもがアーシャルには珍しいようだ。壁には、俺やユリカが幼い頃描いた絵が小さな画鋲で止められて飾られている。
「ああ。もうすぐご飯だから、そこに座れ。母さん、店からもう一つ椅子を借りてくるな」
「そうね、お友達は何が好きなの?」
「うーん。肉派だけど基本は超甘党かな?」
そんなことを話して支度を手伝っているうちに、すぐに質素な木のテーブルには夕飯に作られていたシチューが並べられた。それにスプーンをアーシャルの前に置いてやっていると、お得意様への納品に出かけていた父の帰る声がして、みんなでテーブルを囲み始める。
「しかし、突然リトムが帰って来るなんて驚いたなあ」
そう陽気に父さんは短い茶色の髪を揺らしながらビールを開けている。
「しかもお友達を連れて。アーシャル君だっけ、君もリトムと同じ学年なのかい?」
「あーえーと……」
――しまった! 細部は打ち合わせしていなかった!
「いえ、違います」
「え?」
しかし、はっきりと言い切ったアーシャルに俺の首は慌てて振り返った。
――頼むよ! 話を合わせてくれ!
「ああ、じゃあ後輩かな。言われてみれば、リトムより少しだけ若そうだし」
うんと父さんは朗らかに笑っている。しかしアーシャルははっきりと言い切る。
「いえ、これから入学するつもりです。だから編入試験についてや、下宿先について色々訊いていました」
「え?」
俺の首がぐりんと音をたてた。人間の首ってこんなに高速で振り向けるもんだったんだな、なんて感心している場合じゃない! アーシャル、なんでそんな至極真面目な顔で答えているんだ!
「ほう、編入。しかしあそこは中途入学は、普通の入学試験より難しいんじゃなかったっけ?」
「それに関しては問題ありません。何しろ僕の実力は、兄さんと認めるリトムも互角だと保障してくれていますし」
「ほう」
「だからこのまま学校まで一緒についていくつもりなんです」
にっこりと笑って父さんたちを納得させているが、おいアーシャル! お前絶対に本気だろう!?
――これは、まさか……
言いたくない。俺は頭に浮かんだ単語を飲み込んだが、その瞬間ユリカがシチューにスプーンをからんと落とした。
「お兄ちゃんに男のストーカーが……」
折角言わないようにしていたのに、どこでそんな言葉を覚えてきたんだ!?
――せめて美女にしてほしかった。
そう腕で涙を拭う。ごめんよ、ユリカ、自分の言葉にショックを受けているようだが、俺にはそれを否定する言葉が見つからないんだ。
だけど男じゃなくて、竜だから! せめて、それだけでも安心してくれ!
「そうか! 貴族やお金持ちが多い学校だと聞いていたから、リトムがうまくやれているか心配だったんだが、そんなお友達ができたんなら安心だな!」
そう父さんは笑っているが、頼む。もし本当に俺が父さんの息子なら、少しでいいから俺の行く末を心配してくれ。
心の中で嘆いたが、笑っている父さんの顔を見つめて、俺はいつもと変わらない両親の姿にほっとした。けれど、それと同時に思い出した帰ってきた理由に小さく息をこぼす。
――やっぱり、言わないとな……
テーブルの上に組んでいる両手を見つめて、俺は視線を一つ落とすと、決意したように顔を持上げた。
「父さん。実は今日は話があって帰ってきたんだ」
「うん?」
そうだ。これを伝えるために、わざわざ竜に、ダンジョンを出てから故郷に寄ってもらったんじゃないか。そう俺は心を決めると、微笑んでいる両親を見つめる。
「俺の学校の同じクラスに、母さんの昔を知っている奴がいるんだ」
瞬間、今まで笑っていた家族から笑顔が消えた。目が見開き、まるで食い入るように俺の顔を見つめている。
「もちろん口止めはした。だけど、そいつが本当に約束を守るのかはまだわからない。だから、俺が学校に戻って、もう一度そいつに確かめて安全とわかるまで、どこかに身を隠していて欲しいんだ」
重たい沈黙がテーブルに落ちた。
母さんが隣りにいる父さんのさっきまで笑っていた強張った顔を見つめ、ユリカも膝で手を握ってぎゅっと唇を噛み締めている。
母とユリカの怯えた顔を見つめ、やがて父さんは大きく頷いた。
「わかった。だが、お前は大丈夫なのか? そんなことを知っている相手のいる学校に戻って――」
「俺は大丈夫。何かあっても、剣の腕で逃げてくることもできるから」
「そうか……だが――」
言いかけて、父さんは口を閉じた。
わかっている。もしこのことが外に知られたら、俺たちは全員牢獄行きだ。その先は、父さんはおそらく奴隷泥棒の重労働。母さんは逃亡奴隷として一生鎖に繋がれ、そして俺とユリカは母さんの負債の分を背負わされて、あの台の上で売られることになるだろう。
その瞬間、今目の前にあるこの光景は二度と戻ってこなくなる。
父さんと母さんが逃げて築いたこの店も。俺たちが育ってきた思い出の食卓も。微笑みあうほんの一瞬の時間さえ、全てがこのシチューからあがる湯気のように消えていってしまうだろう。
重たい沈黙が落ちた。
ひょっとしたら――これが、家族での最後の夕食になるのかもしれない。
そう思うと、どうしても確かめておきたくなった。
「なあ? 俺って、父さんと母さんの子供だよな?」
どうして竜の自分がここにいるのか――。前の竜の体はどうなったのか。わからないことだらけだ。
でも、十六年信じてきたこれだけは本当なのか、それだけは知っておきたい。
俺のその言葉に、一瞬母さんと父さんが目を見交わした。
そしていきなり破顔する。
「何を言っているの? あたりまえじゃない」
「そうだぞ、何を変なことまで心配しているんだ?」
その笑顔にほっとした。
「うん――そうだよな」
ほっとしながら、俺の黒髪をかき回してくる父さんの広い手のひらを味わいながら、アーシャルがその様子をじっと鋭い瞳で見つめているのには気づかなかった。