(2)なんでこうなった?
――どうしてこんなことになったのだろう。
俺は、全身を包む黒装束の腕を目の前に持ち上げて、じりじりと照りつける太陽の日差しに耐えていた。
汗は間断なく出続けているが、持っている水は腰に下げた水筒だけだ。次の村で補給しようと思っていたのが、甘かった。
――うん。今度からはなにがあろうと、必ず補給することにしよう。
旅に甘い考えはよくない。一つ教訓になった。
「って、なんで俺がこんなところに来なくちゃならねーんだ!?」
あまりの暑さに軽く意識が飛びそうになっていたが、元々の元凶を思い出して大声で叫ぶ。
すると、目の前で楽しそうに砂に首をもぐらせては持ち上げ、全身にあびて遊んでいた自称双子の弟の竜がきょとんと振り向く。
「え? だって冒険でしょう? 人が普通行けないような場所なんじゃないの?」
「おおっ、確かに行けないな! というより行きたくないわ、なんで俺が砂漠のど真ん中で碌に水も食料もなく立ち往生しなきゃいけないんだよ!?」
目の前に広がるのは、見渡す限りの砂漠だ。眩しい太陽に砂が金色に輝いて風紋を描いている様は、幻想的といえば美しいが、限りなく死の世界の美しさだ。
これは絶対に冒険じゃない! 確実に生死をかけたサバイバルだ!
それなのに、この竜はきょとんとした瞳をすると、不思議そうに俺を頭上から見下ろしている。
「え? 食べ物ならいっぱいあるじゃない? ほら、ここにも」
そう言うと、砂の上に屈みこんで、そこに隠れていたものをぱくりと咥える。
「俺には今さそりを食べたようにしか見えなかったが?」
「うん。尻尾に毒があるから、ちょっとピリ辛だよねー。でもこれがやみつきになるんだ」
――そんなおつまみのように言われても。
「いいか? 知らないようだから教えてやるが、生きてるさそりは人間には危険なんだ。刺されたら毒がある」
まさかこの竜、さりげなく俺を殺したいのだろうか?
「知っているよーそれぐらい常識じゃない!」
「ほおおおおおおお! じゃあなんで俺に勧めた!?」
やっぱりこの竜、俺を殺したいだけなんじゃないのか?
「嫌だなあー兄さんは竜じゃない? 食べても死なないって」
殺される。いつかきっとこいつの思い込みのせいで、俺はこの人生とおさらばさせられそうな気がする。
――だめだ。とにかくここから脱出して、こいつと離れる方法を考えないと。
そうでなくても、試験の日数は限られているんだ。今回のを落とせば、間違いなく剣術学校は落第で、留年確定だろう。
「とにかく。俺がお前の兄だという誤解はひとまず置いておくとして――」
今はそれについて説得している暇はない。それに多分、こいつは俺が兄ではないと素直に諦めない予感がしてならない。
「元の場所に帰してくれ。ここでは冒険もなにもないだろう」
あるのは、ただ砂だけだ。いや、そりゃあこの広い砂漠をさそりに刺されないように歩くのや、水なしで歩ききるのはある意味そうかもしれないが、それは絶対に冒険ではなく死の行軍だろう。
そんな地獄はできたら経験したくない。
それなのに、この竜ときたら、またその首をかしげた。
「え? できるよー冒険なら、流砂に呑まれての決死の脱出サバイバルとか、突風で崩れた砂丘から生き埋め脱出サバイバルとか」
「お前今自分でサバイバル認定したな!? もれなく砂で生死をさ迷わせる気だな!」
「ちぇっ。生死をかければ、昔を思い出すかもと思ったのに」
――おい。こいつ実は陰険で意地悪な兄を殺したいから探しているんじゃないだろうな?
だとしたら、とんでもないものに誤解されているような気がする。
――まずい! とにかく一刻も早くこいつから離れないと!
「あ、そうだ」
それなのに、俺の足が動くよりも先に、竜の尖った爪のついた指が俺の背中をとんと押した。
「じゃあ、これなら」
「うん?」
その動きで、俺の足が数歩前に出る。足裏が砂に埋まりながらだけど、竜の力は強い。こけないように数歩よろめいて、バランスを取ろうとした時、突然足の裏で砂が凄まじい勢いで下に流れ出した。
「うわっ!」
バランスをとっている暇もない。俺の足が踏んだ砂があっという間に渦を描くようにして流れ出し、その中央へと吸い込まれていく。まるですり鉢のようだ。砂のあったところがへこんでいく。
「なんだ!?」
流砂か!? この竜、まさかさっき言ったことを実行したのかと、足の裏で崩れていく砂に立っていることもできなくなり、斜めになった砂の壁に背中を必死で押し付けながらその流れに逆らう。
だけど砂は止まらず、どんどんとくぼんだ中央へ流れ込んでいくではないか。
――まずい! このままでは砂に呑まれる!
なんとかしてここから脱出しないと!
「アホ竜! なにをしてくれたんだ!?」
「えーだって冒険したいんでしょう? それなら、ほら」
そう竜の視線の先を鱗のついた指の動きに促されるまま見つめると、すり鉢状にくぼんだ砂の中央からはぬっと二つの鋭い物体が突き出てくる。
「なんだ!?」
それに向かって流れる砂に抗いながら、じっと目をこらした。
するとそれは巨大な二本の触覚を持ち上げて、砂と同じ色の目でこちらを見上げている。
いや、違う。触覚じゃない。巨大な二本の大顎だ。
それをがちがちとはさみのように鳴らしながら、獲物が自分の懐へと落ちてくるのを、今まさに待ち受けているではないか。
「てめえ! なんてところに落としてくれる!」
これは流砂じゃない。巨大蟻地獄だ。
旅人やらくだを落として、その体に毒を注入して全身をどろどろに溶かして食べてしまうと恐れられている砂漠蟻地獄じゃないか!
「うふふー兄さん頑張らないと食べられちゃうよー」
なんでそんなに楽しそうな応援なんだよ!?
決めた。絶対にここから出られたら、この笑っている竜を一発殴ろう。そうすれば少しは目が覚めるかもしれないし、なによりそうしないと俺の気がすまない。
「とりあえずお前が助ける気がないのはわかった!」
だったら、自分の力しか頼れるものはない。
「俺がそこに戻ったら覚えておけよ!?」
「えー? 素直に僕を弟だと認めて思い出してくれたら助けてあげるよー?」
「誰が!」
絶対に御免こうむる!
そう叫ぶのと同時に、俺は腰に下げた鉄の剣を引き抜いた。
黒鉄の剣はざらっとした刃ざわりで鞘から滑ると、俺が砂の上で走り出すのと同時に太陽の光にぎらりと輝く。
落第寸前とはいえ、少し前まで剣の腕は剣術学校の学年では一、二を争うものだったのだ。最近の多少の不調ぐらいで、ここ一番の命のやり取りで遅れをとることはない。
だっと崩れていく砂の上を走り降りると、中央にいる砂漠蟻地獄の主めがけて剣を振り上げる。
太陽の光に剣がぎらりと輝いた。
「うおおおおおおおっ!」
雄たけびのような声をあげて、どんと砂を蹴る。
その瞬間、体が流れていく砂から離れて、二本の大顎を持つ頭の上へと跳ねる。
そのままその巨大な二つの顎の奥に向かって剣を振り落とした。
ざんと凄まじい音が響き渡り、蟻地獄の主が悶絶するように二本の大顎を持ち上げる。
絶叫のような奇妙な呻きが、その顎の間から迸り出た。
そして大顎がぶるぶると痙攣を起こしたと思うと、やがて俺を乗せたままだんと砂に倒れた。そこで、そのまま二三度震えたが、動かなくなる。
「やったか」
動かなくなった蟻地獄の主を見つめ、俺はふうと息をついて剣についた血を払い、額の汗を手の甲で拭った。
「さすが兄さん!」
「おい」
無邪気に穴の上で笑っている竜を見つめると、急に竜がびくっとしたように俺を見つめる。
「お前ーわざとやったな? どうなるかわかっているんだろうなあ?」
心の底からの殺気をこめて見つめた。すると、さっきまで笑っていた竜が急に、必死で両目に涙を溜めだす。
「ごめんよお、兄さん! だって死ぬ気になれば思い出すかと思って!」
「お前の気持ちはわかった。だからここから上るのを助けてほしいからちょっと降りてこい」
にっこりと笑って優しく手招くと、うるっと瞳を潤ませた竜が、わーいと喜んで俺の側に飛び降りてくる。
その直後、俺がこの竜を殴りつける音が派手に砂漠に響いたのは言うまでもない。