(19)あれ?まさか
赤い玉がまるで太陽が崩れていくように、竜の手の中で崩壊していく。
その余りの眩しさに、俺は目を開け続けることができなくて目を閉じた。
それなのに、その玉から鋭いオレンジ色にも似た赤い光が伸びてくると、目を閉じている俺の全身を貫いていくのを感じる。
熱い。
光の矢で貫かれた肌が、腕が胸が、頭が、まるで沸騰していくようだ。
頭の中がぐらぐらとして立ち続けていることもできない。
急速に俺の意識は暗い海の中に落ちていった。それなのに、頭の中では、まださっきの光がぐるぐると渦を巻いている。
――何だって言うんだ!
あいつ、よくも最後の最後で好き勝手しやがって! 絶対に起きたら殴ってやる!
俺は、暗い海を漂うような意識の中で、最後に見た顔に罵倒した。
それなのに、目の前の光景は、急にその暗い海のような水のトンネルを抜けると、周りにいくつもの風景を切り取ったような光景を流し出す。
――なんだ、これは!?
俺が何故か見たこともない森の中にいる。
そして高い空を見上げたと思うと、そこに飛び上がっている。肌を触れていく風が涼やかで、すごく気持ちいい。
下に澄んだ湖を見つけて、そこに喜んで飛び込むと波しぶきが木よりも高く上がって楽しい。全身にその白い水しぶきに浴びせて、深い湖の中にもぐっていくと生き返ったような心地だ。
そうかと思うと、今度は雪を抱いた見たこともない山脈の上を飛んでいた。空をつくような峻厳な峰が並び、まるで氷の剣山だ。
それなのに、どうしてだろう? ひどく今来た方角を気にしていて、やっぱり翼を翻して帰っていく。
それだけじゃない。知らない洞窟。寝ているといつも誰かに蹴り飛ばされて、痛くて腹がたって、もう一度派手に蹴り返してやった。
「兄さん?これまずくない?」
「ああ、うまいぞ。喰ってみろ」
この間の砂漠蟻地獄のお返しだと俺は、俺の目の前にいる相手に捕まえてきたうなぎを生きたままおいてやった。
ざまあみろ。
案の定、舌に絡みつかれて取れなくなっていやがる。
それなのに、いつも俺の側にくっついてくる。どんなに蹴っても、意地悪をしても、碌に見えない目で必死に俺を探してついてくる。
あれは――誰だ?
いつも側にいた。あれは――あれは――
そうだ。思い出した。
俺が生まれて卵の殻から出たすぐ後に、不器用そうに殻をどうにか割ってひょこっと頭を出した。同じ時に産まれ、卵から顔を出して、初めて会った俺ににこっと笑いかけた――真紅の鱗を持つ竜の弟。
「兄さん」
ぐるぐると回る渦の中に沈み込んでいた俺の意識は、背中を優しくさする手にこちらへと呼び戻された。
薄く目を開くと、そこは見知らぬ洞窟でも森でも空でもない。さっきまで俺が戦っていた石の床に横たわり、気を失っていたらしい。
「兄さん、大丈夫?」
竜の心配そうな顔に頭を持上げると、近くにサリフォンとおつきの家来も倒れていた。
どうやらあの光を浴びて大丈夫だったのは、竜とマームだけだったらしい。もっとも、その竜も俺を見ている顔色は大丈夫ではなさそうだが。
「びっくりしたよ。突然倒れるから」
その言葉に、問答無用で、俺は竜の頭に拳を落とした。
「なにするの!?」
「やかましい! お前こそ、何を勝手にしていやがる!? 最初からこれが目当てで俺をここに連れてきたな!?」
「えーだって……」
そう竜はたんこぶを押さえながら、涙目で俺を見つめている。
けれど、その顔に、俺の中でもう少しだけ幼かった頃の面影と重なった。
「あれ?」
知っている。この顔。そして、こいつのこの表情。
いや、まさか。だけど。
「お前、アーシャル?」
「やっと思い出したか!? この馬鹿兄貴!」
おおっ、実に十数年ぶりの雷を落とされた。そうだ、本気で怒ると容赦のない奴だった。もっとも、普段も色んな意味で手加減のない性格だったが。
「わ、悪かったって。でも、本当に忘れていたんだ」
だから、あのな。そんなに目を大きく開いて睨み付けないで、どうか勘弁してくれよ?
それなのに、怒っていると思ったアーシャルはそのまま大きな赤い瞳に涙をいっぱいに浮かべると、くしゃくしゃの顔で俺に抱きついてくる。
「この馬鹿兄! 僕がどれだけ兄さんが突然いなくなって心配していたと思ってるんだよ!」
そう叫ぶと、そのまま俺の肩に顔を寄せてわんわんと泣き出している。
「す、すまん。俺にも何がなんだか――」
「何で、いなくなったの? 今までなんで人間として暮らしていたんだよ?」
けれど、いくら尋ねられてもそれはさっぱりだ。
俺は頭の中で思い出せたことをひっくり返して、素直に謝ることに決めた。
「悪い。それがまったく思い出せなくて……俺にもよくわからん……」
なんで俺はこの十六年人間として生きていたのだろう? だいたい、何故アーシャルの前から急にいなくなったのか――
けれど、困った顔で見つめると、アーシャルはそんな俺を見つめてにこっと笑う。相変わらず花が咲いたような笑顔だ。
「いいよ。ゆっくりと思い出したら。だって僕が弟だってことだけは思い出してくれたんだし」
そう言われ、俺は双子の弟の竜が手を引くままに立ち上がった。
「だから今度からは勝手に僕の前からいなくならないこと!」
「相変わらずだな、お前」
本当にそれだけブラコンで、どうやって俺がいない間生きてきたんだよ?
だけど――
「ありがとう。捜してくれていたんだな?」
そうお礼を言いながら、前髪を撫でてやると昔と同じ嬉しそうな顔をしている。
「さて」
立ち上がって、俺が周りを見渡すと、まだサリフォンとその家来の意識は戻らないようだ。その周りには砕けた赤い玉の欠片が、さっき戦ったままばらばらになって飛び散っている。
「とりあえず、この玉の欠片を集めてダンジョンクリアの証拠としておくかー」
「ああ、そうだね。これでも回復の効力はあるから、ちょっと小さくなってしまったけれど、何とかなると思うよ?」
「いいな? マーム?」
思い出した後ろにいるダンジョン主に確認を取ると、マームは拗ねたように口を尖らせた。
「好きにしなさいな!」
けれど、そう言うと背中を翻して歩いていくところを見ると、了承ということなのだろう。
「じゃあ、アーシャル。悪いが、ちよっとそれを集めてくれ」
「うん。いいけど、兄さんは?」
「俺は――」
側に落ちていたアーシャルが改造してくれた剣を拾い上げると、それを持つのと反対の手で、まだ気を失っているサリフォンの頬を叩いた。
「う……」
微かな呻きと共に覚醒して、目をこすっている。
その緑の瞳が開いた瞬間、俺はその首に剣の刃を当ててやった。
「ひっ!」
白い鈍い光が開き始めたばかりのサリフォンの瞳に映り、その体が瞬時に硬直した。それに俺は低い声で囁く。
「いいか! 命が助かりたかったら誓え! 決して俺の母さんの昔の身分のことを口外しないと――! そして、俺の家族の誰も傷つけないと!」
たとえ、竜の記憶を思い出しても、人間の家族は今でも俺の家族だ。二つの家族の関わりがわからなくて、本当は頭はかなり混乱しているが、だからといって十六年一緒に暮らしてきた家族への愛情がなくなるわけではない。
本心から殺意をこめて、俺はサリフォンの喉の当てた剣に力をこめた。あと、少し押せば皮膚が裂けて、血が滲み出るだろう。
俺のその殺気が伝わったのかもしれない。サリフォンの喉がごくりと鳴ると、ひどく乾いた声がこぼれた。
「――――わかった」
それを信用していいのかはわからない。
迷って、けれど俺は剣を引いた。
「兄さん?」
久しぶりに出会えたアーシャルとの記念すべき再会の日に、人殺しなどしたくない。
この辺は、俺は人間なのか、それとも竜なのか――
「行こう」
俺は、剣を腰にしまうと、不思議そうに駆け寄ってきたアーシャルの背中を手で押しながら歩き出した。
そんな俺を見上げながら、アーシャルは昔と同じ笑顔を浮かべている。
「ほら! 見て! 全部集めたら、まだ結構たくさん残っていたよ!」
両手の赤い欠片の向こうに輝くのは、昔と同じ花が咲いたような笑顔だ。それに俺はくすっと笑った。
「よし。じゃあ、これを集めてくれた御褒美に、特別にもう一つ飴を買ってやろう」
一欠けらぐらいこっそり売り払っても、ここまで小さくなっていたら、先ずばれないだろう。
「わーい。だから兄さん大好き!」
久しぶりに会った弟の肩に手を置きながら、俺たちは並んで歩き出した。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
第一話無事完結です。
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第二話もできるだけ早く始めたいと思っておりますので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。