(10)はいはい、任せろよ
暗闇の中から現われたゾンビたちは、白濁した眼球で俺を見つけると、ゆっくりと近づいてくる。
ああーとか、ううっと呻き声が腹に響くように聞こえる。
見えているのかもわからない眼をこちらに定めると、死の淵に引きずり込もうと半分骨の見えている手を伸ばしてくるのはさすがにぞっとしないが、俺は敢えて不敵に笑って見せた。
「やっと、剣士試験らしくなってきたじゃねえか」
右にざっと五十。左には六十というところか。
一人ではさすがに楽勝とはいかない数だが、こうでなければSクラスダンジョンらしくない。
「いくぞ、一気に突破する。準備はいいな、竜?」
俺は高潮していく気分のままに剣を持ち直し、それを顔の前で構えた。
その剣は昔からの俺の相棒だ。あまりに鍛錬を重ねすぎて、一度折れてしまったが、昔から町で顔なじみの鍛冶屋が、俺が剣術学校で三年連続前期実技試験で主席をとったお祝いにと破格の価格で新しい刀身にしてくれた。それどころかますます頑張れるようにとウインクして、前より高い強度のものにするという粋な計らいをしてくれたのだから、ここでこんな死者相手に負けるわけにはいかない。
ましてや、死者には天敵の火竜が一緒だ。負けるはずがない。
そう闘志を燃やして剣を見つめたが、けれど声をかけたはずの竜からは何も答えがなかった。
「竜?」
いつもうるさいぐらい賑やかなのに。
奇妙な静寂を不思議に思って後ろを振り返ると、竜は今上って来た階段の影に隠れて、かたかたと震えながらこっちを見つめているではないか。
「何をしているんだ?」
「ごめん、兄さん。僕お化けだめなんだ」
「なにい!!!?」
ちょっと待て! お前火竜だろう!?
「浄化の炎をもっている火竜が何を言っているんだ!? お前がその技を使えばあいつらなんて一発じゃないか!?」
「たとえそうでも、嫌いなものは嫌いなのー!! 生きていないのに動くなんて不気味すぎるー!!!」
うわーんと手で顔を覆うと、その場に蹲ってしまう。
――えーと、これはあれか?
小さい子がお化けを怖がる。あの心境だろうか?
――だとしたら、ここでこいつはまったく役にたたない!
正直、怖がりすぎて竜の姿に戻って暴れられても逆の意味で一苦労だ。
「わかった! じゃあ、お前はそこで待っていろ!」
少々難易度があがってしまったが、元々これは自分の試験だ。それに無理矢理この怯えている竜をここに引っ張り出しても、怖さのあまり最強生物としての本性で暴走されては自分の命を守りきる自信がない。
――死霊と高等レベルの魔法の挟み撃ちなんて冗談じゃねえぞ!?
しかもそれに竜の巨大な手足と尻尾の暴走というおまけつきだ。さすがに生き残れる可能性がない。
それぐらいなら自分だけで戦ったほうが、余程生存の可能性が高いだろう。
そう覚悟を決めると、俺は抜いた剣を、こちらに向かってくるゾンビに向けた。
その間にも、ゾンビたちはそれぞれが腐りかけた体で、口を大きくぱかっと開いて俺に噛み付こうと飛びかかってくる。
――おい! 死霊のくせに栄養摂取なんていらないだろう!?
口の中に白く青ざめた舌と、なぜか奇妙に赤く染まった牙が見える。いや、違う。赤く見えるのは血だ。決して虫歯の出血とかじゃない。
「食べたら歯ぐらい磨きやがれ! 虫歯になるじゃねえか!」
いや、全身腐っているのだから今更いいのか?
どっちでも同じかと、俺は振りかぶった剣をそのままゾンビの肩を引き裂きながら抜いた。
ずばっと腐りかけの肉がちぎれる感触がして、それが床に落ちる。
けれどまだ動きをとめない。
「さすがに生身の人間とは違うってか」
ならば遠慮する必要はない。
さすがに生きている人間相手に木刀以外で狙ったことはないが、その剣の切っ先を相手の腐りかけた腹に向けると大きく引き裂くようして振りぬく。
床にぼたぼたと臓物がこぼれ、最後にそれで支えを失った心臓がべちゃりと床に滑り落ちると、それと同時に目の前のゾンビの骨がばらばらと糸が切れたように外れていった。
そしてそのまま動かなくなる。
「なるほど、心臓をやればいいわけね」
それが奴らを死の淵で無理矢理この世に留めさせているようだ。おそらく体は死んでいるのに、無理矢理心臓にだけ生の呪いがかけられているのだろう。
もう、通わせる血すらも腐っているというのに。
「そういうことなら」
俺は剣を構えなおすと、次に襲ってきた男のゾンビの心臓に右脇腹から切り込んだ。ぶちぶちと腐乱した内臓を引き裂く手応えが剣から伝わり、その切っ先が容赦なく心臓を砕いていく。
「次!」
仲間が骨となっていく姿を見たはずなのに、ゾンビたちは躊躇している様子もない。
もう理性のかけらも残っていないのか。
それとも、この狂った生から解き放たれるチャンスを狙っているのか、我先にと手を伸ばすと、なだれを打つように襲い掛かってくる。
その一人の左肩から心臓を砕いて左脇腹から抜いた剣で、次に来るゾンビの胸部を薙ぎ払う。そのまま次に襲ってくるゾンビの手を身を屈めながら、足払いでその相手のバランスを崩して心臓を一突きした。
「ぐがが……っ……」
判別もできない言葉をあげると、ゾンビは俺の前で骨となった。
「なるほど。さすが上級剣士称号の試験」
訓練された兵士ほどではないにしても、的確に百人の急所を仕留めないと突破できない場所を選んでいる。これで死ぬのなら、その称号にはふさわしくないということなのだろう。
ざんとまた襲ってきたゾンビに一撃を浴びせながら、俺は薄く微笑んだ。
戦うのは好きだ。
体を動かしていると、不思議と気持ちが高揚してくるような気がする。剣を振るたびに、全身に血が漲り、まるで自分の体が軽くなってこの地に浮いているような気さえしてくる。足を踏み出して剣を流れるように動かすたびに、自分の中のたまっていた流れが解き放たれて大きなうねりを起こしていくような気がするのだ。
その衝動に突き動かされるままに、俺は剣を手に持って大きく歩を踏み出しながら、死霊を仕留めていった。
楽しい。
殺戮がじゃない。
戦う行為に体の中で大きなうねりが起きる。それが自分の体をのせて、更に波のようにせりあがっていく。
もっと。もっと。
高く大きな波にのりたい。
そんな欲求に突き動かされるまま、俺は剣を振るい続けた。
足の側では次々と骨に変わった死霊の死体が積みあがっていく。床に落ちる骨のからからという音が三十も越えたころだろうか。
それなのに、急にがくんと体が重くなるのを感じた。
それと同時に、手の中の剣もひどく重く感じ出す。
――またあの感覚だ。
今まで乗っていた波から落とされて、体が急に動かなくなる。波をつかまえることができなくなるのだ。
それと同時に、目の前に襲ってくるゾンビに振る剣がひどく重く感じられていく。
――くそっ! またか!
心臓を狙って剣先の狙いを定めようとするのに、手がうまく動かない。
だがその間にもゾンビが大きな口を開けて横から俺に抱き着こうとした。
腐った息を顔の前まで近づけて、俺の頭に齧りつこうとしていたそいつに俺は体の向きを急いで変えて、剣を横向きに払うと、どうにか自分の脳髄を引きずり出して食べられるのを寸前で防いだ。
「兄さん!?」
「大丈夫だ!」
俺の様子がおかしいのに気がついたのだろう。けれど、そんな竜の声に強がる間にも、次のゾンビが粗い息をつく俺の肩を掴もうと襲いかかってくる。
「くっ!」
重い剣を持上げてそれの頭を跳ね飛ばしたが、急所をそらした。首のないまま襲いかかってくるそいつの体にもう一度剣をつきたてて、俺はあがってくる息を必死で落ち着けようとした。
――くそっ! 百人切りなんて、何度もやっているのに!
実戦での経験を積む為に、学校で何度もやった一対多数の模擬線で、腕があがっていくに連れて徐々に対峙する人数も増えて、去年からは最初から百人だった。
それなのに、今はこんな三十人倒したほどですぐに体が動かなくなってしまう。
――どこか体が悪いんじゃないか?
そう学校の友人は俺の不調を心配してくれたが、戦闘中に体がひどく重くなってしまうことを除いては、まったくの健康体だ。
――だけど……
額から流れる汗とあがってくる息に、どんどん体が動かなくなっていくのを自分自身でも感じる。手足が淀んだように動きが鈍くなって、冷や汗が額から滴り落ちてくるのを手の甲で拭った。
「まずいな……」
竜に聞こえないほどの声でぽつりと呟く。
どんどん剣を握る手が重くなってきた。
――このままじゃあ、今までと同じようにもうすぐ体が動かなくなる。
そして剣を取り落として負けてしまうのだ。
――くそっ! あれだけ筋トレも増やして体力の補強もしたのに!
どうして最近は剣を握っている時間が長くなると、体が動かなくなるんだ!
いつも現われるのと同じ症状に、俺が唇を噛み締めたとき、急に後ろから白骨の指に肩をつかまれた。
――しまった! いつ背後に回りこまれていたんだ!?
振り向くと同時に腐った息を首にかけられて、にいっと近づくどす黒い血にまみれた牙に俺は死を覚悟した。