(1)どういうことだよ?
「やっと見つけたよ、兄さん」
目の前に聳える黒い影を俺は見上げた。それは俺の頭上をはるかに越え、高い木ほどの高さにある頭から、真下の地上の俺の姿を見下ろしている。
「なんだ、お前……!」
突然郊外の道に現われたその赤黒い鱗を輝かせる竜に、俺は剣を握るのも忘れて声を出した。
俺の言葉に、突然現われた竜はびくっと動くと、ふるふるとその体をゆすり出す。
「ひどいー!! 僕のことを忘れたの!?」
巨体を揺らしながら、号泣する姿に、俺の動揺していた頭は妙に落ち着きを取戻していた。
「何年も行方不明で!? 僕がどれだけ必死で探したと思っているのー!!」
叫びながらぼたぼたと落としてくる大きな涙のおかげで、俺の全身はびしょぬれだ。この状況で動揺を続けられるのなら、むしろそいつのほうが余程適応能力が高いだろう。
俺、リトムには絶対に生まれてから今までこんなに大きな弟はいなかったはずだ。ましてや、竜なんて――身に覚えのあるはずがない。
「ずっとずっと探していたのに! 僕のことを覚えていないの!?」
「いや、まったく」
答えた瞬間、竜の瞳はさらに見開かれて、ふるふると揺れ出した。
あ、やばい。
そう感じるよりも先に、竜の大号泣が響き渡る。
「ひどいー!! ひどいひどいひどい! 元から薄情で陰険だと思っていたけれど、まさかここまで意地悪だなんてー!!」
「おう、そうか。それはよかった、ならそんな薄情で陰険な兄はさっさと忘れろ」
むしろ全身びしょぬれで怒らない俺をほめてもらいたい。
「うわーん、兄さんごめんよお。だってだって、久しぶりに会えたのに、兄さんたらそんな意地悪ばっかり言うから」
俺が背を向けた瞬間、追いかけてこようとした竜の足がドスンとすぐ後ろに下ろされて、大地にめりこんだ。
やばい、この巨体で下手に暴れられたら、本気で踏み潰される。
ここは、やはり理屈で納得してもらって、穏便にお引き取り願おう。そうでないと、こんな竜に踏み潰された日には、俺の夢だけではなく人生そのものが土と同化して終わってしまう。
だから、俺は体を翻して叫んだ。
「よく見ろ。俺のどこがお前の兄だ! 俺は人間でお前の兄のはずがない! お前目が悪いのか!?」
「うん。小さい頃、あまりよく見えなかったんだ」
「ほーう」
目を眇めながら見上げる。
「でも兄さんのその匂いは、忘れるはずがないよ」
「へええ、俺と同じ匂い。一応聞くだけ聞いてやる、どんな匂いだ?」
「えーとね、よく見えなかったけど、僕のとなりでミルクを飲んでおねしょをしていた懐かしい匂いはよく覚えているよ」
「ちょっと待て! それは俺が乳臭いうえにおしっこ臭いと言うのか!?」
待たんか!この竜! 目と頭が弱いだけかと思っていたら、鼻まで悪いなんて、どんな最強生物だ!
「嫌だなあ、兄さん。僕たちまだ子供だもん。小さい頃のお漏らしの一回や二回恥ずかしがらなくても」
違う。絶対に違う。天地がひっくり返っても違うと叫びたい。
というか、今の時点での問題点自体が違う。
「ほかには!? どこが俺と似ているって言うんだ!?」
姿なんて言ったら、乱視確定だ。
「えーとね、風呂が嫌いで近くで見るとよく顔が少し汚れていたとか、いつも僕が泣くのを見て知らんぷりしていたとか」
「ほーう。それが俺に似ていると」
「うん、そっくり! もうそのひどい態度が間違いなく僕の双子の兄さんそのもの!」
こいつ――なんで、そんな兄に会いたいんだ?
「俺は縁を切ったほうが幸せだと思うが?」
「ええっ! そんなあ!」
そんなこと考えもしなかったという顔が謎だ。竜の感覚が俺にはわからない。
「そりゃあ、陰険だけど! 寝ている時に枕にしてくれたけれど! 容赦なく蹴り倒されて朝起きたら顔に痣ができて痛かったけれど! でも逆に枕にしたらとっても温かかったのにー!!」
「枕ぐらい買え! というか、その兄によいところはないのか!?」
「よいところ?」
うーんと竜が首をかしげた。
おい、ないのかよ?
だけど思いついたというように、ぴょんと指を立てる。
「僕より背が高かった」
「おう、完全な人違いだ」
じゃあなと手を振って歩き出す。
「うわーん、兄さん待ってよう!」
「生憎俺は竜の弟を持った覚えはないし、これからの予定にもない。それに俺は今、これから冒険に出て、試験に合格しないと進級できないんだ」
「冒険?」
「ああ。だからお前の相手をしている暇は――」
――ないと言おうとした時だった。
急に羽ばたきが聞こえたかと思うと、俺の体が宙にぐいと浮いていた。
「うわわわわわわわっ!」
足が! 足の下に地面がない!
それどころか、どんどん遠ざかっていく!
「ちょっと! お前なにしてくれるんだ!」
振り返ったら、自分の服の背中をこのアホ竜が咥えて、嬉しそうに空に舞い上がっているではないか。
「冒険でしょ? それなら僕いいところ知っているから」
一緒に行こうって笑っているつもりだろうが、爬虫類の目でにたりと笑われるとか怖すぎてどんな罰ゲームとしか思えない。
「違う! 俺が言う冒険っていうのはー!!」
けれど、まったく聞く様子のない竜に攫われて、俺の体は空高くに舞い上がっていく。
頼む! 言葉が通じるのなら、せめて話も通じてくれ!
けれど、まったく聞く気のない竜に、俺の体はそのまま攫われていく。足の下でどんどんと大地が遠くなり、豆粒のようになっていく木々を見ながら俺は叫んだ。
「離せ、このアホ竜!」
けれど、俺の体は空に舞い上がり、そのまま遥かな上空の風の中へと連れて行かれてしまった。