私が夢に篭ったとして、誰に迷惑をかけているのだろう
目を閉じるのが怖かった。
電気を消して、部屋を真っ暗にして目を閉じる。そうすると私が今横たわっているベッドがそのまま底なしの沼に変わり、かぶっている布団ともども沈み込んでいってしまうような錯覚がしていた。
この部屋から出なくなってもう何日が経っただろう。今日が何月何日で、何曜日かもわからない。カーテンから漏れる光で、今が日中なのか夜中なのかはわかる。だが正確な時間を知ることは、もはや私にはなんの意味もなかった。
あの日、私は学校に行くことを諦めた。そうするのは負けを認める気がしてとても悩んだが、私は決断したのだ。一日くらいなら、今日だけ私は苦しみから解放されようと。
そして一度あきらめてしまうと、あとは流れに乗るように私は休み続けた。諦めの味を知ってしまった私の意志は弱体化の一途をたどった。また今日だけ、今日一日だけ。そうやってずるずると自室に籠っていた。自分だけ学校に行っていないことに、初めの一週間は劣等感を感じていた。クラスのみんなが自分のことをなんといっているのか。そんなことを考えて気が滅入ったりもした。しかしそのうち何も感じなくなり、むしろ学校に行かないことが普通の生活であると思えるようになった。
学校に行けと毎日がなりたてていた母親も、心配して毎晩部屋に来ていた父親も、やがては顔を見せなくなった。それまでは家族で一緒に食べていたご飯は、私だけ自室で食べるようになった。
そう、私はひきこもりになっていた。一般的なひきこもりは自室でネット、ゲーム、マンガなどを嗜み、それで外に出ないと聞く。しかし、私はそんなものには興味がなかった。
それでは私は布団に閉じこもって何をしていたのか。
私はサクラバ カナ。高校二年生。特に何の特徴もない普通の女の子。顔だって平均……くらいあればいいかなってところ!成績も中の下くらいで、唯一の自慢は友達の多さくらい。嬉しいことに私の周りにはいつも友達がいてくれていて、楽しく毎日学校生活楽しんでいます!
私は小さいころから空想することが好きだった。自分が、今の自分とは別のものになって、こことは違う世界で暮らす。例えば東京タワーから異世界にいってしまった私が、その異世界でどんなことをするのか。考えるだけで楽しかった。
ある時は一国の姫。ある時はアイドル。ある時は女剣士。そんな現実にはありえない自分を妄想した。私はいつもなぜか世界の中心で、私の一挙手一投足で世界が変わっていった。
引きこもってからは毎晩眠る前に、どんな妄想をするかを決めてから眠る。しかし毎日違う妄想をするわけではない。私は、一つのストーリーを追っていく妄想をしている。そして妄想にどっぷり自分がはまっていくといつのまにか眠りに落ちている。この瞬間が、一番気持ちがよいのだ。
ああ、そんなことを言っているうちになんだか眠くなってきた。そろそろ妄想の世界に入る準備をしなければ。
私は布団をすっぽりと被ると、そのままベッドに体を預けた。
こうして今日もまた、私は眠りに落ちていく。妄想の世界とともに。
二学期の中間テストも終わった私達の、現在最大の関心事は文化祭です!毎年色んなクラスが模擬店を出したり、展示をしたりして年に一度のお祭りを盛り上げています。
今日は私たちのクラスでどんな催し物をするか話し合いをすることになりました。
「えー……ではまず、」
学級委員長の中島君が司会をします。クラスのみんなの意見をまとめるのが彼の仕事です。
中島君は成績優秀でバスケ部のレギュラーで、学級委員の他に生徒会長もやっています。かっこよくて面白くて男女問わず友達もたくさんいて、それでそれで……。んー、とにかくとてもすごい人なんです!
「何かやりたいことの案がある人はいますか?まずは案を集めてから多数決を採りたいと思います」
中島君がみんなの意見を集め始めました。
「はいはい!俺お化け屋敷やりたい!」
そう元気よく一番に発言をしたのは野球部の青山君でした。スポーツ刈りに学ランがよく似合う男の子です。最近は夏の日差しによって顔が真っ黒に日焼けをしていて、健康少年っぷりに拍車がかかっています。
「えー、お化け屋敷ってめんどくなーい?」
気だるそうな声で反論したのは西崎さんでした。彼女はこの学校のマドンナ的存在です。昨年の文化祭で行われたミスコンでは、一年生にも関わらず優勝をしてしまうなど、カリスマ性溢れる存在です。
そのため発言力も段違いにあります。がやがやと、西崎さんの発言に何人かが賛成の反応を示しました。
「ねえねえ、カナ」
ふと隣の席から小さな声が話しかけてきました。
「何?侑子ちゃん」
「カナは何かやりたいの?」
侑子ちゃんは私が特に仲がいい友達の一人です。元気があって活発で、スポーツも万能。私もよく彼女には元気をもらっている、とってもいい友達です。
「それよりー、なんか喫茶店みたいなのやりたーい。男子が料理して、女子がそれを運ぶカンジ?これよくない?」
今度は、西崎さんが提案します。すると、今まで私と話していたはずの侑子ちゃんが、
「あー!私もそれやりたいかも!」
とはじかれたように立ち上がりました。
「メイド喫茶やりたい!私も!」
侑子ちゃん、いきなりすぎるよ!そう思った私の顔をみて侑子ちゃんはさらに続けます。
「カナもメイド服着たいって言ってたよね!今!」
「い、今!?わ、私何も言ってないよー!」
いきなり話に入ってきた私達に、西崎さんが少し驚いていました。でもすぐに、
「私別にメイド喫茶って言ったわけじゃないけど……でも面白そうじゃんメイド喫茶。男どもは調理とか設営とかやって、ね。お願いね。」
男子側からは、えー、という主に青山君の声と、やった!という青山君以外の声が聞こえます。どうやら西崎さんのメイド姿が見たいという人が多いようです。女子側からはいいねいいね、という肯定の声がちらほらと聞こえてきます。
いや、お化け屋敷……とつぶやく青山君を尻目に委員長の中島君は、では多数決を採ろうと言いました。
私は、さんざん悩んだ末にメイド喫茶に手を上げることにしました。何故かといえば、侑子ちゃんが隣からものすごい笑顔で覗いていたからです。
「じゃあ、お化け屋敷がいいって人……はい、青山一人。じゃあメイド喫茶は……はい、青山以外満場一致ね。それではうちのクラスは今年はメイド喫茶で決まりました」
こうして私たちの今年の催し物は、メイド喫茶になりました。でも侑子ちゃんの発言には少し嫌な予感もします。メイド服を着る……。
本当に大丈夫かな……。
私にとって現実の目覚めは、妄想からの目覚めを意味する。妄想をしながら眠りにつき、起きると目が覚める。その間に見ていたはずの夢の記憶は普段はない。
しかしながら今回の夢は少し違った。妄想の世界が夢の中で展開されたのだ。なんだかとてもリアルな夢だった。まるで自分が妄想の世界にいるような……。
こんなことは今までなかった。なんだか少し薄気味が悪い気もした。しかし久しぶりに私は学校に登校していたのだ。それどころか友達もたくさんいた。すこし臆病だったけど、みんなと会話が出来ていた。妄想だから当たり前だけれども……。
次に眠りにつく時もその続きが見られたらいいな。そう思って私は再び妄想を始める。体の感覚が無くなっていく。ふわふわと体は深く沈み、意識は高く遠く飛んでいった。
文化祭前日。
今日は学校からの許可が出たので、みんなで泊まりがけの文化祭準備の日です。
メイド喫茶をやることになった私達ですが、西崎さんの提案通り女子は接客、男子は調理と設営と完全分業制でやることになりました。ということなので前日には男子のみが設営をして、本来女子は必要がないはずなのですが……。
「ちょっと青山!ちゃんとやりなさいよ!」
「いやいや西崎!俺、ちゃんとやってるって!」
「嘘!やってない!さっきから箒であそんでばっか!」
……。
このように男子が全くと言っていいほど仕事をしていないので、私達女子がお目付け役として同じく泊まり込みをすることになりました。
お目付役のため、とはいっても、普段は学校に泊まることなんて滅多にないので、実際のところ女子の皆は、結構楽しみにしていたそうです。かく言う私もその一人です。
……ところで私は装飾のレースやら、メイド服の小物やらを作る係です。
今回のメイド喫茶の目玉はなんといっても西崎さんのメイド姿。あんな美人な人がメイド服を着て「おかえりなさいませ、ご主人様」なんて言ったら、恋に落ちない男子はいない……。そう思った私は、彼女のメイド服を特製のものにするべくいろいろ改造していました。
「カナは本当にお裁縫うまいよねー」
ちくちくと私が一人で縫っていると、侑子ちゃんが話しかけてきました。
「上手くはないけど……昔からお母さんに教わってたから……」
「私も手伝いたい!ところなんだが、あいにくそういった細かいことは苦手でね。申し訳ない……」
「全然大丈夫だよ。ありがとう、侑子ちゃん」
「うーん、カナはいい娘だなあ。こんな娘をほっとく男どもの気がしれないね」
そういって私に抱きついてきました。こういう風に接してくれるので、私は侑子ちゃんが大好きです。
「ところで今は何作ってるの?」
今はね、と言って私は今繕っていたメイド服を侑子ちゃんに見せます。
「うおお!かわいくなってる!」
侑子ちゃん大声をあげました。
「えへへ。市販のメイド服を買ったんだけど、それだと何だか物足りないと思ったからアレンジしちゃった」
市販で売っているメイド服にレースを新たに付けたり、小物をつけたりするだけでとてもかわいくなりました。これなら西崎さんにぴったりです。
「すごーい!カナすごーい!」
侑子ちゃんがこんな風に少しオーバーに褒めてくれました。メイド服をもってぴょんぴょん跳ねまわっています。
「ねえ、カナちょっとそれ着てみてよ!ほらほら、ちゃんとできてるか調べなきゃ」
「え、私!?いやいや無理無理無理!これ着るのは西崎さんとかそういう細い人たち向けだから、私が着てもしょうがないって……」
それに私なんかが着ても似合わないと思うし……。
「大丈夫だって!カナだってすごく細いし、絶対似合うから。ほらほらほら!」
「ちょ、ちょっと侑子ちゃん!」
強引な侑子ちゃんの手によって私はたちまち服を脱がされメイド服に着替えされられました。周りに男の子がいなかったのが本当に救いです。
「……」
「ど、どう侑子ちゃん?どんな感じ?ちゃんと出来てる……?」
「……」
侑子ちゃんは口をポカンと開けて、私を見つめています。
「ゆ、侑子ちゃん……?」
それに答える代わりに、侑子ちゃんはバッと後ろを振り返りました。そして息を大きく吸い込み、
「みんなー!!集合ー!!!!!」
と大声で叫びました。
「ゆゆゆ侑子ちゃん!?」
「大丈夫だってカナ。落ち着いて」
早速声を聞きつけたクラスの何人かが、なんだなんだと集まってきました。そして私を見るなり、
「わー、かわいい!!」「え、これサクラバさん!?」」「マジ似合うんだけど!」
と代わる代わる声を掛けてくれました。
いつの間にか周りには人だかりができて、私は皆の注目の的でした。
こんな風に人の輪の中心になった経験の無い私は、困惑してしまいました。どうしたらいいんだろうどうしたらいいんだろう。
慌てた私は、結局そのまま教室から外へ駆け出してしまいました。
だって、恥ずかしかったんだもん!
小学校や中学校の頃は学校に行くのが好きだった。学校に行って友達と話したり、給食やお弁当を食べたりするのが楽しかった。自分の中に学校に行かないという選択肢は存在せず、たまに風邪で休む時は、それは心苦しい思いをした。自分以外の皆が学校で何をしているのかが気になってしかたなかった。
今みたいに布団に閉じこもっていることもなく、朝もしっかりと起きることが出来ていた。あの頃は幸せな時間を過ごしていたという実感がなかったが、今になって充分幸せだったことに気がつく。そのことに腹が立つ。
……やめよう。
そんな昔のことを考えても仕方がない。そんなことしたって私が学校に行くことが出来るようになるわけではないのだから。
そう言い聞かせて私は再び妄想を始める。前の夢はなんだか恥ずかしかった。でも私が望むように話は進んでいた……ように思う。
また続きを見られますように。そう願いながら、私は目を瞑った。
飛び出した私は闇雲に走り続け、教室からは離れた、人気のない廊下に立っていました。逃げたのはいいけれど、一体服はどうしようかしら。結局メイド服のまま飛び出してきてしまったので、着替えるにはもう一回教室に帰らなければなりません。
でも流石に今は戻れません。
私が廊下の真ん中でもじもじしていると、
「サクラバ……?」
後ろから声を掛けられました。振り返ると、
「ああ、やっぱりサクラバだ。ちょうど探してたんだ。……ところでどうしたんだ、その格好?」
そこには生徒会長で私のクラスの学級委員長でバスケ部のレギュラーの、中島君が立っていました。
私はさっきまでよりも、もっと恥ずかしくなってしまいました。まさかこんなカッコを中島君に見られてしまうなんて……。火が出てしまいそうに顔が真っ赤になってしまいました。
「あ、あのこの格好は別に……」
「うん。その服、すごい似合ってるよ」
……!
中島君が言った言葉は、さっきまでクラスのみんなに言われていた言葉です。でもなぜだが私の全身に染みこんでいくようでした。
嬉しい。そしてなんだかとっても幸せな気持ちになります。これは一体何故なのでしょうか?
「あのさ、サクラバ」
中島君がなんだか神妙な顔をして話しかけてきました。さっきまでは目が合っていたのに、今はふらふらと目線を合わせてくれません。
すると中島君は手を差し出してきました。その手には何かのチケットのようなものが二枚握られています。
「えっと……今度の土曜日、暇かな?あの、ら、来週の。実は映画のタダ券を偶然二枚もらってさ。で、青山とか誘ったんだけどダメで……。それで一緒に行ってくれる人を探してるんだけど……」
ドキン。
「どうかな?いや、無理だったらいいんだけど……」
そう言いながら、中島君は顔を真っ赤にして、私を見つめています。
「え。わ、私!?」
「そう、サクラバに」
もちろん私の顔も中島君といい勝負になるくらい真っ赤でしょう。メイド服を見られたときの比ではありません。
映画に誘われるなんて……。
中島君からそんなことを言われると思っていなかった私は、返事をしようとしました。しかし言葉が出ません。
「む、難しいかな?そっか……ごめん……」
中島君はそう言うと、俯いてチケットをしまおうとしました。
「あ……あの……!」
私は喉の奥から絞り出すようにして叫びました。中島君がぱっと顔を上げます。
「わ、私行きます!行きたいです。中島君と……」
中島君の顔がみるみる笑顔になりました。
「あ、ありがとう!」
そうして嬉しそうな声が返ってきました。
「じゃあ、来週の土曜日に駅に十時で!ありがとう!」
そういって中島君は小走りに去って行きました。
私はしばらくの間私は廊下に一人、そのままたたずんで茫然としていました。やっと動けるようになったのは、それから五分後のことです。
今の私にあるのは怒りや悲しみではない。こうなってしまった選択をしたのは自分自身だし、自分で選んだことなら他人に文句を言う筋合いは私にはない。
私にできるのは妄想の世界に浸ることだけ。最近は妄想しながら見る夢が楽しみになってきている。私が望んでいた世界。ささやかだけど、私が認められている世界。
そんな世界を求めていた。
だから現実のことなんて、もうどうでもよくなってきていた。妄想の世界が私の世界。そう思って何がいけない?私の頭の中で起きていることは、私自身の物のはずだ。
居心地が悪い現実を離れるべく、私は布団に、そして妄想の世界へダイブした。
文化祭当日。
「おはよー。……あれ、みんなどうしたの?」
朝私が起きると、なんだかみんなが暗い顔をしていました。
「ああ、カナ」
侑子ちゃんが私を見つけてこちらにきました。
「何かあったの?」
私が尋ねると、侑子ちゃんは苦笑いを浮かべながら、
「あのさ、昨日の夜にカナがメイド服着たのを私がみんなに見せたじゃん?それでみんなが似合うって言っちゃったもんだから、それで西崎さんが怒っちゃって……。今日の文化祭は出ないって言って帰っちゃったんだよね」
クラス一同ため息をつきました。
そうでした!
あのメイド服は、私が西崎さんの為に作ったものでした。それを私が着てしまって西崎さんが気を悪くしないはずがありません。そうしてしまった責任は、私にあります。
……まぁ着せた侑子ちゃんが悪い気もしますが。
「じゃ、じゃあ私、西崎さんに話をしなきゃ……」
「うーん、もうカナがメイドやったら?」
なんと、侑子ちゃんがとんでもないことを提案しました。
「わ、私が?」
「そそ。あのメイド服似合ってたし。カナだったら接客とかも上手そうだし。そうだよね、皆?」
侑子ちゃんが確認するようにクラスに声をかけると、周りから「ああ、たしかに」とか、「いいんじゃない?下手な人がやるより」という声が聞こえてきました。そして
「うん、そうだね」
この声は……中島君でした!どうしても昨晩のことがあったせいで、顔をまともに見ることができません。
「サクラバがメイドなら大丈夫だと思うよ。接客も申し分ないと思う」
まさかの中島君が私を推薦してくれたではありませんか!舞い上がってしまった私は結局、
「じゃあ……私がやるよ!」
「よし、決まり!」
侑子ちゃんが高らかにそう宣言し、今回のメイド喫茶では私がメインのメイドをやることになりました。
西崎さんの代わりが私なんて、大丈夫かな……?
聞くところによると私が学校に行かなくなってからそろそろ半年になるらしい。聞くところ、というのは母親と父親が相談しているのを盗み聞きしたからだ。そんな期間なんてどうでもいいのだが。
最近は妄想の世界が現実で起きたことのように思えてきた……と言ったら異常だろうか?どうも最近見る夢はリアルすぎる。さらに言ってしまうと、寝る前にしている妄想の世界がそのまま反映されているためか、妄想の世界が実は現実であるかのような錯覚を覚える。
夢というのは疑似体験の場である、と最近私は思っている。夢で経験したことは現実に経験したこととあまり大差はなく、むしろ特異な経験として残るのではないだろうか?つまりは
……ふふ。
このままいけば何かしらの論文みたいなのが書けそうだ。
だが私は今妄想の夢の世界の続きが気になって仕方がない。
妄想の中へ、夢の中へ。再び私は落ちていった。
終わってみれば一瞬の出来事のようでした。私のクラスのメイド喫茶は大成功。お客さんが途切れること無く来て、私達はてんてこ舞いでした。私もなんとかメインのメイドを務めあげることができたと思います。
「いやー、サクラバさんがメインやってくれたおかげでこんなにお客さんが来てくれたね。ほんとにありがとう」
これは今日私がクラスの人達から何度も言われた言葉。
「サクラバのメイド見た?マジやばいよあれ。写メとってもらおうかな」
こういった男子達の声もちらほら耳にしました。実際に私が接客中に何人ものお客さんから写真を撮らせてくれとお願いされてしまいました。その度に侑子ちゃんや、他の女の子達が断ってくれたので助かりました。一緒に写真を撮るなんて……私、恥ずかしくてできませんから。
「カナ!おつかれ!すごかったじゃん、カナ超大人気!カナのおかげで私達のクラス、優勝できそう!」
一緒にメイドをやった侑子ちゃんが満面の笑みで言いました。ちなみに侑子ちゃんメイドも大人気でした。持ち前の明るさが受けたのでしょう。
優勝……そうなのです。
この学校の文化祭には催し物の順位を校内者と校外者による投票で決め、後夜祭で発表するのです。その名もベスト文化祭賞。
……安易なネーミングです。
どのクラスもそれを狙って頑張って力を入れているのですが、どうやら今年は、私達のクラスが一位になれそうなのです!
「いや……私のおかげじゃないよ。皆が頑張ったからだよ」
私が照れながら言うと、
「いやいや、全校中がうちのクラスのメイドが良かったって言ってるらしいよー。……ということは後夜祭のミスコンも或いは……」
後夜祭で発表されるのはもう一つあります。
それはミスター&ミスコンテストです。去年西崎さんが選ばれたあれです。こちらは校内の投票のみで決まります。そんな賞に私が関わるなんて……去年までの私には縁遠いものだと思っていました。でもあれって立候補制なので、立候補してない私は投票されないんじゃないんでしょうか?
「安心して。私、カナを立候補させといたし、カナに投票しといたから!」
「本当に!?聞いてないよー!」
侑子ちゃんが嬉しそうに言います。いつの間に彼女は私を立候補させていたのでしょう。侮れない人です。でも……ミスに選ばれたらどんな感じなんだろう?想像ができません。一体どうなってしまうのでしょうか?
すこし、ほんの少しだけ、ワクワクしている私がいました。
さて……。
“一体いつまでこうしていようか”
このことについて何度か考えてみた。今すぐやめるという選択肢や、次の学年までという期間限定付きでやめるという選択肢を考察してみた。
結果、私の出した答えは……いつまでも、だった。
なぜ学校にいく必要がある?なぜ家から出る必要がある?なぜ部屋から出る必要がある?
私はいつも部屋の中から外に出ている。家から出ている。学校に行っている。夢の中での体験は必ず私の糧になっているはずだ。私が本来経験できるはずのことを、皆は現実で、私は夢の中で経験しているはずだ。それの何がいけない?
このまま私は三年生になり、大学に進学し、卒業して就職して生きていくんだ。
だから私は、夢の世界に帰ることにした。早く寝てしまおう。
後夜祭。
昼間は催し物をやっていた人達が校庭に設置されたステージに続々集まって来ます。
実はこの後夜祭を一番楽しみにしている人も多いのではないでしょうか?誰しもが今年のミスター&ミスコンテストが気になっていると思われます。かく言う私もその一人です。
侑子ちゃんから優勝候補だよ、と言われてもちろん悪い気はしませんでした。で、でも私が選ばれるなんて考えたこともありません。仮に選ばれたとしても、例えば西崎さんにどんな風に思われるでしょう。西崎さんの気を悪くさせてしまったのは私なのに……。ぜひ選ばれるべき人に選ばれて欲しいと思います。
私はとりあえず侑子ちゃん達と後ろの方に(侑子ちゃんにさんざん前に出やすいところにいた方がいい!と言われましたが)いました。なんと着替える時間がなかったので、服装はメイド服のまんまです。とても恥ずかしいったらありません。
「レディース・アンド・ジェントルメン!みんな盛り上がってるかー!皆様お待ちかね、後夜祭の始まりだー!」
青山君のテンションの高い声が響き渡ります。彼は今日はメイド喫茶の裏でずっと調理をしていて鬱憤が溜まっていたようで、いつもよりもテンションが十倍増しでした。
会場の皆のボルテージは最高潮で、そこかしこから大きな叫び声が聞こえます。
「よーし、それじゃあみんなのお楽しみ!まずはこちらの発表からいきましょう!ベスト文化祭賞!来場者からの投票が一番多かったクラスは、メイド喫茶で圧倒的な得票を獲得した……俺たち、二年三組だー!」
「うおおおおおおおおおおお!」
……!
なんと、私たちのクラスが優勝をしました!すごい、すごいです!これまであまり表舞台で関わることが少なかった私ですが、今回の優勝は私がある程度寄与できたと胸を張って言えます。
「ふふふ……このくらいは当たり前だよね、カナ?」
「ど、どゆこと?」
「ミスコンでしょ!たぶんカナが選ばれるよ!あのメイドはやばかったって!実際カナも期待してるんじゃないの~?」
うーん……実は少しだけ期待していたりいなかったり、なのですが……。
「さて!続いての発表は……ミスター&ミスコンテスト!」
ん。
「まずはミスターコンテストから!選ばれたのは……デレデレデレデレ~デン!文句なし!成績優秀スポーツ万能!生徒会長の……中島彰!二年連続の受賞だー!」
きゃああああああ!と周りから黄色い歓声があがりました。これは誰も文句がないでしょう。かく言う私も中島君に票を入れました。文化祭始まる前から予想されていた人選ですが、これ程までに人気があるとは私も予想外でした。
その中島君が私をデートに誘ってくれました……。そう思うと今からドキドキが止まりません。
「では最後のミスコンテストに移りたいと思いますが……今年はなんと意外な人物が一位になっております!ちなみにこの人は昨年はここまでの票は集まっておりませんでした!」
「おおおおお!これ、やっぱりカナじゃない!?」
隣で侑子ちゃんがはしゃいでいます。
「では発表しましょう!今年のミスコンテストは……デレデレデレデレ~デン!」
ドキドキ。
「選ばれたのは、二年三組の……サクラバカナだー!」
「あっ」
選ばれました。
「彼女は今年一位になったうちのクラスのメイド喫茶で、メイドをしておりました!そのメイド姿があまりに美しすぎたので、可愛すぎたので、今回の受賞になったと考えられます!かく言う俺も同感です!写真撮って欲しかったー!」
青山君のマイクの音声をかき消してしまうくらいに、大歓声が響きわたりました。侑子ちゃんを始め周りの皆は私に抱きつき、身動きがとれません。
あれ……私ってこんな娘だっけ……?
至る所からサクラバコールがあがっています。こんな注目のされ方は……経験したことがありません。
いや、これは……私。これが……私なのだ。
「では……ミスター&ミスコンテストに選ばれたお二人!ステージにお越しください!」
「ほら、行きなって!」
ぐずぐずしている私の背中を、侑子ちゃんが押してくれます。その目には涙が浮かんでいました。
ステージへ向かうと、反対側から中島君もやってきました。お互い少し目を伏せていました。それでもちらりと目があった瞬間、お互いに少しだけ微笑みました。私は昨日のことが思い出されて、とても恥ずかしくなりました。
ステージ上から見える景色は私をゾクゾクさせました。みんなが私を見ている。いや、見上げている。私は見下ろしている。なんだかお姫様にでもなった気分です。となると隣にいる中島君は王子様でしょうか。
「お二人にはこの王冠とティアラを贈呈します!みなさん、今一度盛大な拍手をー!」
私の考えを見透かすように、青山君が用意されたティアラを持ってきました。頭に載せてもらった私は、同じく王冠を載せた中島君の方を窺いました。するとちょうど中島君もこちらを向きました。
目があった私たちは、そのままずっと見つめ合っていました。そうして、不意に顔を近づけてきた彼は、私の耳元でこう言いました。
「今日、後夜祭が終わったあと校舎裏に来てくれるかな?王子様からお姫様に、伝えたいことがあるんだ」
ステージから下りた私は、侑子ちゃんやその他の友達からの祝福を受けながら、先ほど中島君から言われた言葉が頭を巡っていました。
後夜祭が終わったあと?伝えたいこと?何なんでしょう?彼から私に伝えることの候補が沢山浮かびます。それらを彼が言った時と場所と状況で可能性を打ち消していくと、最後に残ったのは……。
私の頭の中で一つの答えが浮かび上がりました。
いや、でも、まさか。そう思いますが、でもそれしか思いつかないのです。彼が私に伝えたいこと。王子様からお姫様に。映画に、デートに誘ってくれた彼の心情を考えると、彼は私に……。
ドキドキがさらに高まりました。ミスコンの発表の時のドキドキとは比べものになりません。心臓が口から飛び出しそうになっています。もうすでに喉元まで来ているかもしれません。
そう、これが私。
私は生まれて初めての、大注目を浴びました。今夜のことは一生忘れることはないでしょう。
大盛り上がりの後夜祭のステージが終わり、クラスのみんなは打ち上げへと向かうムードとなりました。
「カナー!打ち上げに行くよー!」
侑子ちゃんがそう声をかけてくれます。しかし私には行かなければならない場所があるのです。
「ごめん、侑子ちゃん!ちょっと忘れ物しちゃって……先に行っててもらえる?」
私はそう嘘をついて、走って校舎裏へと向かいました。
さっきまでの盛り上がりが同じ敷地内の出来事とは思えないほど、校舎裏は静まりかえっていました。木々が鬱蒼と生い茂り、月明かりさえも遮るこの場所は、さながら魔法の森でした。王子様とお姫様が密会するのが魔法の森……悪くありません。
森の中に進んでいくと、辺りが真っ暗でなにも見えません。そう言えば中島君は先に到着しているのでしょうか?
生徒会長である彼は、多分何かと忙しいでしょう。ですから、もしかしたら先にいないかもしれません。もしそうならば私はこの真っ暗な森に一人で待っていなければなりません。
魔法の森ならば何が出てきてもおかしくないでしょう。キツネ?オオカミ?いや、クマかもしれません。正直怖いです。
しかし、そんな私の心配は杞憂に終わりました。
遠くの方に一カ所だけ月明かりが差す場所がありました。そこの切り株に誰か腰掛けています。
中島君でした。
優雅に座る彼を見つけた私は、一目散に彼の元へ駆けていきました。
「中島君!」
私が呼ぶのを聞くと彼はこちらを振り向き、柔らかく笑いました。
「やぁ。来てくれたんだね、サクラバ」
彼はすっと立ち上がると私の前に立ちました。
いや……まだ心の準備ができていません。そうすると中島君は私の肩を掴みました。二人の視線が合います。
「サクラバ……僕は君に伝えたいことがあるんだ」
「うん……。知ってる」
中島君が私に何かを伝えようとしてくれています。彼の瞳は私の心を見透かすように澄んでいて、私のがそこに映っているのがわかります。そう、これが私の思い描いてい
「いつまで夢の中に逃げているんだ?」
あれ。
「お前の都合のいい妄想の中の世界に、いつまで逃げているつもりなんだと聞いている」
何を言っているんだ、こいつは。
「夢の中で高校生活を疑似体験する?アホらしい。そんなことできるわけないだろう」
は?
「だいたい本来のお前はこんなミスコンにでられるような人間じゃない。あんな注目を浴びることなんか一生ないような人間だったはずだ?自分で勝手に美化したイメージに逃避して楽しいか?」
だめだ、こいつは。
もう私の思い通りに動かない。消すか。
「加奈」
声のした方を振り返ると、いつの間にか辺りの魔法の森は消えており、いつも通りの校舎裏に戻っていた。そして奥の方に、ぽつりと侑子が立っていた。
「侑子……」
私は安心した。この使い物にならなくなった中島を消したとしても、私には侑子がいる。親友の彼女がいればどんなことだって乗り越えられる。
「あんたと私は友達じゃないよね?」
侑子が冷たく言い放った。
「何を勘違いしてるんだか。あんたとは一言もしゃべったことはないし、多分これからもないだろうね。あ、そもそもあんたには友達はいないか。あはは」
だめだ。おかしい。こいつもおかしい。
「あんた、学校に来てこんなに楽しい思いはしたことなかったでしょ?」
侑子の後ろから別の声が聞こえてきた。……西崎だ。
「そりゃそうだよね。あんたはあたし達にイジメられいてたんだからさ。なぁ、侑子」
「だよね、西崎さん」
こんなはずではない。なぜ私がいじめられなければならないのか。この世界は私の思い通りのはずでは……。
「お前、学校に来るなよ」
目の前の中島が私に言った。
「そうだ、来るな」
「来るな」
侑子と西崎も口を揃える。
「お前は来るなよ」
青山だ。その後ろにはクラスのみんなもいる。さっき私を祝福してくれた彼らは、もういない。
「来るな」
「帰れよ」
「お前は私たちの友達じゃない」
「必要ない」
「来るな」
「来るな」
「来るな」
「来るな」
「来るな」「来るな」「来るな」「来るな」「来るな」「来るな」「来るな」「来るな」
やめろ、やめろ、やめろ。私の現実を否定するな。私の現実は……どこだ?
目と耳を塞ぎ、しゃがみ込んだ私に執拗に彼らは声を浴びせる。
合唱のような彼らの声を聞いていた私は、そのまま意識を失っていった。
そして世界は暗転する。
目を覚ました私は、今自分が一体どこにいるのかを把握しようとした。いや場所、というよりも今ここが現実か夢の中かということについてだが。
さっきまで着ていたメイド服も、載せていたティアラも、目の前にいた中島も、周りにいた侑子も西崎も青山もクラスのみんなも、何もかもが消えていた。
代わりに私はパジャマを着ていた。布団を被り、ベッドに横たわっていた。今私がいるのは、自分の部屋だ。
そこまで確認できて初めて私は、自分が今は妄想の中にいないと認識することができた。それと同時に、自分の体が寒くもないのにガクガクと震えていることに気がついた。
布団から抜け出し、ベッドに腰掛ける。
手の震えがいつまでたってもおさまらない。歯がガチガチと音をたてていた。耳の奥ではさっきのみんなの声が反響している。
彼らは私に「学校に来るな」と言った。私は、現実ではそんなことを彼らに言われていないはずだった。
では何故私の妄想の中の彼らは、そんなことを言ったのだろうか?
その答えは単純明白だった。私だ。私が勝手にそうやって言い訳をしていたのだ。自分が学校に行かなくなったのは、みんなに来るなと言われたから。本当は、そんなことないのかもしれないのに。
私が、いじめを受けていた。
いや、それも私が勝手に思っていたのかもしれない。具体的に誰に何をされたわけでもないのに、自分を被害者だと思いこんでいたのかもしれない。いやもし仮にいじめられていたとしても、それに対抗することを私は放棄した。いや、逃げた。自分の部屋へ、そして妄想へ、夢へ。
すべてが自分の思い通りになるなんて現実ではあり得ない。そんな些細なことに、どうして気がつかなかったんだろう。私は逃げるべきではなかった、戦うべきだった。
一歩を踏み出す勇気が、足りなかった。
「ああ……でも今からでは遅すぎる」
私はそう呟き、両手で顔を覆ってしまった。もう何も見たくないと言うように。ずっと。
しばらくしてふと顔を上げると目の前に一人の女の子がいた。でも顔はよく見えない。今は夢の中だっけ?いや、現実のはず。
だけど何となくわかった。あれは私だ。だってメイド服を着ている。さっきまでの夢に出てきた私だ。
「何しにきたの?」
私がぶっきらぼうに問いかけた。
「あのね……一つ言っておきたいことがあって……」
目の前の私がおずおずと話し始める。
「私はあなただけど、やっぱり私はあなたじゃないの。私はあなたが望んだあなた。妄想の産物。理想でしかないの」
「そんなことは、分かりきってる」
「でも!あなたが理想を目指して頑張ることはできるはずよ!……何もしなかった人は理想にたどり着けないけど、頑張った人は頑張った分だけ理想に近づくの。これだけは……真実。あなたの妄想では私が成功したところしか見ていないでしょうけど。私、結構頑張ったのよ?努力もしたし、勿論失敗もした。でもそれも乗り越えた」
「……」
「誰だって努力することはできるはず。あなたも努力することができるはず。最初の一歩を踏み出す勇気を持っている。それがどんな難しいことであっても」
何も言えない。
「だってわかるもの……私はあなただから」
そう言うと目の前の私は消えていった。まるでそう……夢であったかのように。
「まったく……自分に説教されるとはね」
そう私は呟いた。今聞いた言葉を反芻するように。
そうしてベッドから立ち上がりカーテンを開けた。
まぶしい……。久しぶりに感じる日光は、体にビリビリと刺すように降り注ぐ。だが拒絶されていない。包み込まれるような暖かさも合わせ持っている。
どうやら……朝のようだ。それも早朝。
最近全く使っていなかったデジタル時計を引っ張り出す。今日は平日。もちろん、学校は平常授業のはず。
善は急げ。思い立ったが吉日。そう心で言い訳をして、私は壁に掛かっている制服に手をかける。サイズは大丈夫だろうか……。うん、大丈夫そうだ。
一回シャワーを浴びてから制服は着よう。まずは荷物の準備を……。
筆箱、教科書、ノート、あと必要なものは……まぁ何とかなるだろう。とりあえずこれでOK。
制服とカバンを持った私は、自分の部屋のドアの前に立った。これを自分から開くのは何日ぶりだろうか。ドアノブにゆっくり手をかける。ワクワクが止まらない。不安が収まらない。自分はこの部屋から出たらどうなるのか。リビングに行ったら、外に出たら、学校に着いたら……。
今の私には何でもできる気がする。だって一人ではないのだから。私と夢の中の私がいる。彼女となら、なんでもできる気がする。
でもまずはこの部屋から出る勇気から。これは私自身の勇気。勢いまかせだけど、自らの力で開けるドア。
ドアノブをゆっくり回し、私は外へと飛び出した。
お読み頂きありがとうございました。
羽栗明日です。
今作は久しぶりに投稿してみました。お気に召していただければ幸いです。
さて、夢の中に逃げ込むのは果たして悪いことなのでしょうか。
誰しもがなりたい自分があると思います。でもそんな自分になることは不可能であり、思い通りに行かないのが人生です。
でも夢の中では可能です。夢の中でなら何にでもなることができます。全てが自分の思い通り。
きっとそんな中に逃げ道を持つのも悪くないのではないでしょうか。
しかし、それが全てではいけないということも覚えていないといけないですね。
そんなことを考えながら書いた作品です。
コメントなど、いただければ幸いです。