5.訓練の終わり
大陸の中央部にある山、龍鳴山。
そこでは、いつものように一人の少女がえっちらおっちらと何かを運んでいた。
ロステリーナだ。
ロステリーナの抱える大きな桶に入っているのは、肉の山だった。
何の肉かは、少女にもわからない。
ラプラスが取ってきて、ドラゴンに与えておけと言ったものだ。
家の裏にある洞窟。
そこには、巨大なドラゴンがいた。
ドラゴンは目を閉じ、グルグルと大きな寝息を立てて眠っていた。
「ドラゴンさん、ドラゴンさん、ご飯ですよ!」
ロステリーナが大声を上げてドラゴンに呼びかけると、彼はゆっくりと目を開いた。
そして、大きなあくびをすると、自分の前に置かれた桶へと、首を突っ込み、中にある肉をチビリチビリと食べはじめた。
もっとも、チビリチビリといった所で、その一口はロステリーナの1食分に相当していたが。
ロステリーナはそれを見ていたが、やがて暇になったのか、シュッシュと手を前に出し始めた。
「ドラゴンさん、聞いてください。ご主人様に龍族の戦い方を聞いたんですよ! こうやって戦うんです。こう構えて、こうやって横に回り込んで、貫手で、こうです! こう! それからグーでこうです! えい!」
ロステリーナはそう言うと、華麗とは言い難いたどたどしいステップを踏みつつ、肉を食べるドラゴンの爪先をペチペチと叩き始めた。
ドラゴンはというと、蚊に刺されたほどにも感じないのか、完全に無視である。
しかしながら、じゃれついてくる小さな存在を邪魔に思ったのか、あるいは少しは相手をしてやろうと思ったのか、爪の先をちょんと動かした。
巨大なドラゴンである。
爪の先だけでもロステリーナの胴体ほどはあった。
「あぐっ!」
ロステリーナは爪に弾き飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がった。
「いたた……ひどいじゃないですか……」
ロステリーナに怪我は無かった。
彼女は後頭部をさすりつつ起き上がり、ふと、あることが気になった。
「……ドラゴンさんって、他のドラゴンさんより大きいですね」
ロステリーナはレッドドラゴンを見たことがある。
見たことがあるというか、日常的に見ている。
龍鳴山の高い所にはレッドドラゴンの巣があるため、空を見上げればすぐに見つける事ができる。
家の周囲を旋回することもあるため、間近で見ることもたまにある。
もっとも、家の周囲を旋回したレッドドラゴンは、家の裏にいるドラゴンにすぐに追い払われてしまうが。
そんなレッドドラゴンに較べて、目の前のドラゴンさんはかなり大きかった。
体格だけでも平均的なレッドドラゴンの2倍、翼を広げれば3倍はあるだろう。
「鱗も綺麗な赤色ですし、牙も長いですし、尻尾もしなやかで、瞳にも知性がありますよね」
ロステリーナがそう言うと、ドラゴンはフフンと鼻を鳴らした。
君、わかっているじゃないか、と言わんばかりだ。
「やっぱり、ドラゴンさんはご主人さまと同じく、龍界のドラゴンさんなんですかね?」
そう聞いてみたものの、ドラゴンは答えてはくれなかった。
ただうまそうに肉を食べているだけだ。
そもそも、ドラゴンは喋れないのだ。
ロステリーナの言葉は理解しているようではあるが……。
「あ、そうだ!」
そこでロステリーナは、あることを思い出した。
先日、話の途中で眠ってしまったことだ。
あの話の続きを聞けば、あるいはドラゴンについてもわかるかもしれない。
思い立ったが吉日、ロステリーナは家へと駆け出した。
家の中へと入り、いつもの書斎へと直行する。
すると、今日もまた、ラプラスは机に向かって、一心不乱に何かを書き込んでいた。
「ご主人様! ご主人様!」
「ん? おお、ロステリーナか。どうしたんだい? 先ほど眠ったばかりじゃないか。怖い夢でも見たのかい?」
「いいえ、今日は空を自由に飛ぶ楽しい夢でした! そんなことよりご主人様!」
「なんだい?」
ロステリーナの様子に、ラプラスはきょとんとした顔で彼女を見た。
「この間の話の続きを聞かせてください!」
「この間の話?」
「ラプラス様が龍界にやってきたお話です! ラプラス様の人生は長いのに、まだぜんぜん聞かせてもらっていません!」
ラプラスはその言葉に、「ああ」と苦い顔をした。
「ああ、この間の話か……といっても、あまり面白いものでもないよ。あの後、一人前になった私は、仕事をもらい、色々と活躍して偉くなっていき、そして全てを失った、というだけだからね」
「それじゃ全然わかりません!」
「そうかい……?」
「あ、じゃあ、ドラゴンさんとの馴れ初めを教えてください。ドラゴンさんとは長いんでしょう?」
それを聞いて、ラプラスはポンと手を打った。
何かを思い出したようだ。
「そういえば、サレヤクトと出会ったのは、最初の仕事を任された時だった。丁度、この前の話の続きになるね」
「ほら、やっぱり!」
「聞きたいのかい?」
「聞きたいです!」
ロステリーナの懇願に、ラプラスはやれやれと首を振った。
そして、仕方ないとばかりにため息をつくと、椅子に座り直した。
「じゃあ、座りなさいロステリーナ。この間の話の続きをしてあげよう」
「はい!」
「さて、とはいえどこから話はじめたものだろうか。うーん……。やはりわかりやすいのは、私の教育期間が終わった日からだろうね。よし、そうしよう」
そうして、ラプラスは語り始めた。
遙かなる神話の時代の物語を。
■ ■ ■
龍神様に拾われ、教育が始まり、何十年かが経過していた。
座学、戦闘、飛行だけを訓練する、日々。
何も変わらない日々だ。
変わった事といえば、ルナリア様のお腹が、ほんの僅かに大きくなっていたぐらいか。
あの日、私は練兵場上空を飛び回っていた。
いつものように、飛行訓練をしていたんだ。
とはいえ、その飛び方は他の龍族とくらべて、明らかに異質だったろうね。
龍族は本来、体を寝かせて飛ぶ。
最初に力場を発生させて空中に浮いた後、風を受けて揚力を発生させ、滑空するように飛ぶんだ。
方向転換する時や、高度を戻す時は再び力場を発生させる。
それが最も効率の良い飛び方だからね。
だが、当時の私は、体を地面に対して垂直に立ったまま飛んでいた。
そのまま、慣性の法則を無視した急加速、急停止、急転回を繰り返す。
龍族の飛び方をしっている者なら、誰もが目を疑う光景だ。
事実、訓練施設の斜面には、私を見上げる者が大勢いた。
子供だけではない。一回りも二回りも大きな体を持つ、龍族の戦士――龍士の姿もあった。
見ているだけではなく、そのうちの何人かは真似をしようとして、動きをコントロール出来ず、落ちていった。
私はそれを気にすることはなかった。
無心で、飛行状態で必要な軌道を、何度も繰り返していたんだ。
急上昇、上昇から直角に急転回、急転回からジグザグに急転回、急停止、急停止からの滞空、滞空からの急加速、急加速からの急下降、急下降からの急停止、そして急上昇で最初に戻る。
そんなことをね。
その飛び方は非常に不安定で、龍気を使いすぎる。
私の真似をして飛ぼうとする者が、ほぼ全員が失敗するほどだ。
龍族の飛び方から見れば、効率も酷く悪かった。
しかしながら、利点はあった。
揚力をほぼ用いないその飛び方は、空中で小回りが利くんだ。
龍神様に次いで飛行性能が高いと言われているのは五龍将のマクスウェルだが、私の空中で鋭角に方向を転換する飛行方法は、彼の旋回半径よりも明らかに小さい。
これは空中で戦いになった時に、大きなアドバンテージとなる。
「……!」
さて、そんな飛び方をしていた私に向かって、斜面にいたある人物が飛び上がってきた。
ひときわ大きな翼を持ち、白銀の鱗を持った龍族の女。
そう、ドーラ様だ。
ドーラ様は芸術的とも言える滑らかな急上昇で、いきなり私へと踊りかかってきた。
珍しいことではない。
ドーラ様は私に空中戦を教えこむため、たまにこうして襲いかかってくるんだ。
ドーラ様の飛行速度は速かった。
私と違い、龍族の常識から外れない飛び方だが、その速度と飛行技術は私を遥かに凌駕していた。
彼女は凄まじい速度で上昇し、細かな旋回を繰り返した。
そして鋭利な急転回で逃れようとする私へと追いついた。
本来なら、彼女はそのまま背後へと取り付いただろう。
とはいえ、私の飛び方には、もう一つ利点があった。
相手に対し正面を向いたまま、飛び続けることができるんだ。
「いくぞラプラス!」
「はい!」
ドーラ様が叫び、私が返事をし、空中での格闘戦が始まった。
龍族の戦い方の基礎は、三つの要素からなっている。
己の手にある鋭い爪に龍気をまとわせ、相手を切り裂く爪術。
己の手を握りしめ、拳に龍気をまとわせ、相手を撃ちぬく牙術。
己の翼に龍気をまとわせ、急激な加速と減速、体勢を変える翼術。
翼術で相手の背後を取り、爪術で相手の力を削ぎ、牙術で相手に致命傷を与える。
爪と牙と翼を鍛え、己の体を剛体とせよ。
これが龍族の基礎である『爪牙翼の教え』だ。
もちろん私も、基礎はできていた。
特に得意だったのは、牙術だ。
私の牙術はドーラ様をして「必殺」と言わしめるほどの破壊力を秘めていた。
対するドーラ様は爪術が得意だった。
彼女は決して拳を握らない。
そう言われるほど、爪術に特化した戦い方を得意としていた。
ドーラ様は旋回を繰り返し、爪で私の翼を狙った。
対する私は自分の飛び方を続けつつ、上昇と急降下を繰り返し、牙で彼女にカウンターを狙った。
私は爪にも牙にも翼にも、十全に龍気を宿しつつ、虎視眈々とドーラ様の隙を探した。
いかにドーラ様であっても、うかつに攻め込めば私の牙の餌食となるだろう。
ゆえに、ドーラ様の方も一気に攻めることができず、爪術で少しずつ力を削るほか無い。
え? 当時の私が五龍将と渡り合えるほど強かったのかって?
いや、あくまで訓練だからね、ドーラ様が本気を出せば一瞬でケリは付いたと思うよ。
もっとも、手加減しているとはいえ、ドーラ様は私を落とすつもりで高度な技を仕掛けてきていた。
戦いの内容は一方的だった。
交差する瞬間に放たれる閃光のようなドーラ様の一撃は、私の防御をかいくぐり、体に穴を穿った。
私の爪や牙は防がれ、受け流され、ドーラ様の肌に触れることも叶わない。
ドーラ様と私との間には大きな力の差があった。
私はドーラ様の猛攻をギリギリでしのぎながらも、致命的な一撃だけは入れられないように耐えていた。
一度や二度の攻撃なら、私も耐えられる。
だが、五度、六度と続けば、翼を守り続けるのは不可能だ。
力は削がれれば被弾は増える、墜落も時間の問題だった。
実際、いつもそうやって負けていたからね。
だが、私とていつも為す術もなく負けているわけじゃない。
常に考え、様々な策を試していた。
その日もまた、追い詰められた私は一か八かの賭けに出た。
翼を動かし、上へと逃れる。
当然ながら、ドーラ様は追ってきた。
無言で追いかけてくる彼女からは、今まで感じたことのないような怒気を感じた。
私が逃げ出したと思ったのだろう。
背を向けて逃げるという行為は、彼女から教わってはいないからね。
ドーラ様はグングンと私に迫ってきた。
私は背中を向けて逃げているから、彼女からは私の弱点である翼は丸見えだったろう。
一撃で翼を破られ、墜落。
そうなれば、その後に待っているのは、ドーラ様によるお説教だ。
だが、そうはならなかった。
私はドーラ様に追いつかれる寸前、頂点付近で急速反転し、逆にドーラ様に襲いかかったんだ。
上昇するドーラ様と、落下する私。
速度差は言うまでもなく、急激な相対速度の変化に、ドーラ様はほんの一瞬だけ、目測を誤った。
私はドーラ様の背中側を抜けるように、爪を振るった。
手には確かに手応えがあった。
だが、同時に翼の付け根あたりに熱を感じていた。
私は制御を失い、きりもみをしながら斜面へと落ちた。
戦いが終わった。
私は斜面から上を見上げていた。
ドーラ様は空中で弧を描いて飛んでいた。
模擬戦に置ける勝者は、何度か空中で旋回するのが龍族の礼儀だ。
作戦とはいえ、背中を見せたのを、ドーラ様はどう見るだろうか。
叱責されるかもしれない。
だが、甘んじて受け入れようと思っていた。
私は浅はかな考えで、敗北したのだからね。
そう思っていたのだが、降りてきたドーラ様は怒ってはいなかった。
「唐突に逃げ出したがゆえ、何事かと思ったが……最後のは良かったぞ!」
満足気な笑みを浮かべつつそう言ったドーラ様は、額から血を流していた。
私の一撃が、ドーラ様の額を割ったのだ。
翼を狙った一撃だったが、彼女が寸前で体の向きを変えたことで、頭に当たったのだろう。
弱点と言えば翼だが、龍族も人間である以上、頭も守らねばならぬ弱点となる。
偶然の要素もあったとはいえ、私はドーラ様の弱点に一撃を加えたんだ。
「空中戦で私に一撃を加えられる者は、龍神様、及び五龍将を除けば一人も存在しない! 飛行術、戦闘術に関しては、合格と言っていいだろう!」
嬉しかった。
ドーラ様は褒めることは少ないからね。
この言葉は、最大の賛辞といってもいいだろう。
ささやかな喜びにひたる私に、ドーラ様は矢継ぎ早に言い放った。
「さらに、知識に関しても、もはや私が教えられることも無い。貴様の持つ龍界の知識は、そこらの龍族よりも遥かに深い!」
ドーラ様は私を見下ろしつつ、ふっと表情をゆるめた。
いつも厳しい顔をしているドーラ様が、笑ったのだ。
「貴様は一人前の龍族だ。これにて、貴様の教育を終了とする」
ドーラ様は「よくやった」と一言つぶやいて、私に手を差し伸べてくれた。
私はその手を掴んで立ち上がり、ドーラ様を前に拳をクロスさせ、翼を畳んだ。
その時の私には、言い知れぬ達成感と、ほんの僅かな不安があった。
正直、訓練が死ぬまで続くぐらいに思っていたからね。
でも、始まりがあれば、終わりもあるということだろう。
「ドーラ様。これまでありがとうございました」
「私への礼は必要無い。だが龍神様への感謝の言葉は忘れるなよ」
「はっ!」
「では、しばし自宅にて待機せよ! 貴様の進退は龍神様が決めるのだからな!」
こうして私の訓練は終了した。
■
私は自宅に戻り、ルナリア様に訓練終了の報告をした。
すると彼女は、慈愛の笑みを浮かべ、喜んでくれた。
「今日はお祝いをしなければなりませんね」
そう言うと、使用人たちに御馳走を作らせた。
龍族の主食はドラゴンの肉だ。
かつては岩肌に張り付く小さなトカゲや木の実を食べていたようだが、力を手に入れた後は変わってしまった。
レッドドラゴンやブルードラゴン、アースドラゴンあたりを良く食べている。
そんな龍族のお祝いというと、やっぱり肉だ。
特殊なドラゴンの肉が出される。
キングドラゴンやブラックドラゴン、ホワイトドラゴンといった、少し珍しいドラゴンの肉だ。
その日も、普段は食べられないような御馳走がたんまりと出てきた。
あの日の味は忘れられない。
だが、料理の味以上に、忘れられないことがある。
使用人たちが、あの日を境に、私を見る目を少し変えたんだ。
具体的に言うと、犬から人間になったんだ。
ドーラ様の訓練を終了した事で、彼らの中でも、私は一人前の龍族となったんだろう。
それを受けて、私の中でも少し変化があったのを憶えている。
ペット感覚が無くなったんだ。
龍神様の犬から、龍神様の忠実な下僕へと変わった……というと、あまり変わっていないか。
ともあれ、より自分の立場というか、自意識的なものを持ち始めた。
それから、私は龍神様の帰りを待った。
龍神様が屋敷に帰ってくるのは、数ヶ月に一度だ。
彼の御方は帰ってくれば、必ずルナリア様を見て、声を掛け、その無事を確かめた。
私のことは放置かというと、もちろんそういうわけではない。
龍神様は必ず、ドーラ様に私の育成状態を聞いた。
ドーラ様は何をどこまで教え、私がどの程度理解できたのかを報告した。
時に一切の成長が認められない時もあったが、ドーラ様は嘘はつかなかった。
龍神様はその答えに対しては特に何もいわず、ただ鷹揚に頷いて継続を命じた。
また、私が言葉を発せられるようになると、私への質問を開始された。
質問といっても、内容は極めて普通のものだ。
主に今日は何をしたのか、何を欲しているのか、何を学んだのか。
私はそれらに正直に答えた。
嘘をつく理由はなかった。
時に成果らしい成果を出せない日が続き、報告も苦々しく、何も学べなかったと言わなければならない時もあったが、私は嘘はつかなかった。
嘘をついたほうが失礼だと、ドーラ様の言動から学んでいたからね。
しかし、嘘を付くつもりが無い私とて、答えられないものはあった。
どこで生まれたのか。
両親はどこのだれか。
なぜ魔界の隅にいたのか……。
これらに私は答えられなかった。
知らなかったからだ。
俯きながら知らないと口にする私に対し、龍神様はそうかと答えるだけだった。
私は肩身が狭かったよ。
自分は何かしら特殊な存在であり、その特殊性は龍神様が欲するものと関係がありそうだ……というのはわかっていたけど、自身がそれを知らなくて、お力になれなかったから。
また、龍神様は時に私の体を調べることもあった。
肌に翼、牙に爪、そして髪。
龍神様は何も説明せず、私も逆らうことなくその身を委ねた。
己の命を救い、龍界に連れてきてもらった恩があったから、仮に危害を加えられたとしても、それを受け入れる準備があった。
無論、龍神様は私に危害など加えなかったがね。
そんな報告や調査も、あの日、終わりとなった。
「ドーラよ。どうだ、ラプラスの様子は」
「訓練は終了致しました。ラプラスは、もはやどこに出しても恥ずかしくない龍士です」
あのドーラ様が龍神様にそう言った時は、嬉しかったな。
思わず、胸の前で握った拳に力が入り、背筋を伸ばしたものさ。
龍神様を前に、恥ずかしくないようにとね。
「そうか。ご苦労だった。どうだ、ラプラスの程は?」
「ハッ! 極めて優秀です! 何か仕事に就かせるのがよろしいかと具申致します!」
「仕事か」
龍神様は、そうつぶやくと、窓の方を向いた。
賢いお方ではあるが、私を仕事につかせるなど、考えてもいなかったのだろう。
当然、私も考えていなかった。
そりゃあそうだ。
訓練を施した犬に、人間の仕事にさせるかい?
私ならさせないね。
訓練をいくら施しても、犬は犬だ。
とはいえ、私も少し考え方を変えた頃だった。
仕事を貰えるとなれば、謹んで受けなければならないと考えた。
「そうだな……」
どんな仕事が来るのか。
ドキドキと次の言葉を待つ私に対し、龍神様はしばらく考えておられた。
しばらくといっても、ほんの2~3分か。
私には、2~3時間ぐらいに感じられたがね。
「うーむ」
龍神様は考えがまとまらなかったのか、窓の外から視線を外し、私のほうを向いて、聞いた。
「ラプラスよ。どうだ、龍界は?」
仕事とは関係のない質問だったが、私は堂々と答えた。
「楽園です。ここ以上の場所は無いでしょう」
その言葉に、龍神様の頬が緩んだ。
お笑いになられたのだ。
「そうか」
お世辞のつもりは一切なかった。
私にとって、ここはまさに楽園だった。
黙っていても食事は出てくるし、様々なことを教えてもらえる。
ドーラ様は厳しかったが、すべてが私の未来に通じていると思えば、私にとってこれ以上の幸福は無かった。
そんな龍神様の笑みを見て、私の気も緩んだのかもしれない。
気づけば、口を開いていた。
「あの、なぜ俺を助けてくださったのですか?」
龍神様に対して質問をするのは失礼なことだ。
ドーラ様からはそう教わっていたが、私の口は好奇心に負けたのだろう。
あるいは、これから仕事をするにしろ、しないにしろ、何か確固たる答えのようなものが欲しかったのだろう。
何のために働くのか。
……それは龍神様のために決まっているのだが、もう少し細かい部分をね、知りたかったんだ。
「……」
龍神様が私の方を見た時、恐ろしいほどの無表情であった。
ドーラ様の肩に力が入り、翼がゆっくりと開かれた。
私は二人の様子を見て、すぐに自分が失礼なことをしたと悟ったよ。
だから、即座に拳をクロスさせて翼を畳んだ。
聞いたことを忘れてもらうべく、謝罪の言葉を発しようとした。
だが、その前に龍神様は口を開いていた。
「見よ」
龍神様の視線の先は、再度窓の外を向いていた。
窓の外には、ケイオースの町並みが広がっている。
洞窟の中だというのに明るく、広く、そして多くの龍族の飛び交う、賑やかな町だ。
「かつて、ここはレッドドラゴンの巣だった」
「……そうなのですか?」
「そう、レッドドラゴンは龍族と同じく、中腹に住む生物だったのだ。対する龍族は弱く、レッドドラゴンに捕食される側の存在でしかなかった」
龍神様の口から語られたのは、私の知らぬ龍界の過去だ。
龍神様は、まだ言葉も扱えぬ龍族の前へと降臨した。
レッドドラゴンにおびえて暮らす人々の前へと出て、その力を示し、長として彼らを鍛えた。
五龍将を見出し、氏族をまとめ上げ、この世界の何者にも負けぬ存在へと育て上げたのだ。
それはもう、気の遠くなるような時間を使って。
何千、何百という屍を作りながら。
しかし着実に前へと進み、龍族を世界の覇者としたのだ。
「――ゆえに龍族は、全て我が子のようなものだと思っている」
そうして、龍神様は私の方を向いて、目を細めた。
「お前を助けたのは、お前が龍族と魔族の混血であることに尽きる。半分でも龍族の血が流れているのなら、我が子も同然だ」
半分とはいえ、龍族の血が流れていることを、これほど誇らしくおもったことはない。
だが、その答えは私が望んだものではなかった。
私はもっと、役に立つことを知りたかったのだ。
たった半分しか血を持たぬ自分は、一体何の役に立っているのか、あるいは何の役に立ったのかを知りたかったのだ。
もちろん、それを聞くのは、流石に失礼にあたると思い、口をつぐんだ。
……だがな。
龍神様ほどの尊いお方となれば、私の苦悩などお見通しだったのだろう。
「と、それだけであればよかったのだろうがな……最近、龍界を含めた全ての世界で失踪事件が起きている。理由も、どこへ行ったのかもわからん。あるいはその中に魔界へと転移した者がいて、何らかの経緯があり、お前を産んだのであれば、何らかの手がかりになるやもしれん」
「俺の身は、何か、手がかりになれましたか?」
「いや、今のところはわからぬ事ばかりだ」
「……それは」
「良い。どの道、期待していなかった」
話し始めて少し興が乗ったのか、龍神様は窓の外を見たまま、言葉を続けた。
「二つ目は、悪化している魔族との関係の改善だ。かの種族は、ここ数千年、何かと龍族を目の敵にしている。龍神は魔族を滅ぼそうとしている……などという根も葉もない噂まで流れる始末だ」
「……」
「魔族と龍族の混血である貴様を育てれば、それが誤解だという証拠にもなろう」
果たして本当にそれが証拠になるのか。
魔界において魔族に迫害され続けた私には、どうしてもそうは思えなかった。
むしろ、足を引っ張る可能性すらあるとさえ思っていた。
もっとも、さすがにそれを口にする勇気はなかった。
それを言ってここを追い出されたら、私には行き場が無いのだ。
龍神様に、ルナリア様に、使用人に、ドーラ様。
多くの者と知り合い、言葉を交わすようになった今、あの孤独に耐えられそうもなかった。
「三つ目は、もうすぐ生まれてくる、我が子供のためだ」
龍神様はそこで私の方を向いた。
否、正確には私の後ろ。
屋敷の奥にいるであろう、ルナリア様の方を見たのだ。
「我が妻ルナリアは人族だ。となれば、我が子は人族と龍族の混血となる」
「……」
「先ほども言ったが、龍の血が混じっている者は、全て我が子も同然だと思っている。我が龍族も、俺を神と崇め、よく忠誠を誓ってくれている」
私はその言葉に頷いた。
ドーラ様のように顕著なものから、ルナリア様の従者、練兵場の龍士、訓練施設の子供たちに至るまで、龍神様を嫌う者はいない。
誰もが龍神様に対して敬意と尊敬を示し、崇拝していた。
「しかしながら、人族との間に生まれた子供ともなれば、異質な目で見られることもあろう」
私は外に出た時の、自分に向けられる視線を思い出した。
異質な目。
それは龍族であっても変わらなかった。
自分はもはや気にもならないが、生まれたばかりの子供であれば、あるいは気に病むかもしれない。
「そこで、お前で慣らしたかった。魔族との混血であるお前を養子とすれば、龍族の者も少しは慣れよう」
混血である私を町中に闊歩させることで、周囲の目を慣らそうというのだ。
私という前例がいたのだから、混血自体はそう珍しいものでもなければ、恐ろしいものでも、忌避すべきものでもないと。
「また、同じ混血である貴様が良き理解者となってくれることも、期待している」
この三つ目の思惑。
そして最後の言葉。
まさに欲しい答えだった。
私は痛く感激したよ。
孤独で、誰にも必要とされていなかった自分を拾ってきたのは、ただの同情ではなかったのだ。
ちゃんと意味があったのだ。
それどころか、目の前の神が自分に期待してくれているのだ。
自分の子供の理解者となってくれる、と。
これほど嬉しいことはなかった。
「どれも打算的な理由だ。失望したか?」
「いえ、逆です」
私は決意した。
必ずや龍神様の御子のため、役立つ人間にならねばならぬ、と。
混血である御子が何不自由なく暮らせるように、自分が頑張らねばならぬ、と。
龍族社会で暮らし始めてまだ数十年。
私にはわからないことだらけだ。
しかし、もし自分が役立たずに成り下がり、龍族から白い目で見られれば、同じ混血である御子もまた、周囲から白い目で見られかねないのだと理解した。
ドーラ様に教わり力を付け、成果を出す。
それが、私がすべきことなのだ。
「必ずや、龍神様のお力になります!」
「楽しみにしていよう」
その瞬間、私の中にあった『龍神様への恩返し』が、ハッキリと形を持った。
やるべきことが明確になったのだ。
私はより一層頑張ろうと思ったよ。
もちろん、今までだって自分なりに最善を尽くしてきたつもりだったがね。
この日からは、明らかに変わった。
自身の中で明確な目標が決まったことで、より迷わなくなったのだ。
ただ漠然と何かをするより、「このためだ」というのがわかっていた方が工夫や努力の仕方にも、方向性や多様性が出てくるものだしね。
「さて、ドーラよ」
「ハッ!」
ドーラ様は話の最中、ずっと無言で部屋の隅にいた。
「ラプラスの仕事だが……何か案はあるか?」
「愚考しますに、私の配下とするのが最善かと!」
「お前が欲しいだけではないのか?」
「いえ、決してそのような、ただ私は、そのような崇高な目的があられるのでしたら、私の所が比較的――」
この時のやりとりは、今思いだすと、少し笑ってしまうね。
流石の龍神様と言えど、やはり私の仕事については思いつかず、対するドーラ様は、ワガママを見抜かれたことで珍しくしどろもどろで……。
だが、龍神様はあまねく龍族の父だ。
ドーラ様にとってもね。
だから、多少のワガママは聞いてくれるのさ。
「よい、お前にそこまで言わせるほどなら、それもよかろう」
「ハッ! 感謝いたします!」
こうして私は、ドーラ様の配下となった。
ドーラ様の仕事は、前に言ったかな?
ドラゴンの調教だ。