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2.龍魔の誕生

 かつて、一人の神がいた。

 彼を創造神と呼ぼう。

 彼は年老いていた。

 悠久ともいえる長い時を生き、幾多もの世界を作ってきたが、もはや肉体的にも精神的にも限界であった。

 彼は己の死期が近いことを理解していた。


 彼は自分の最後の仕事として、一つの世界を作ることにした。


 だが、彼は長らく世界を作っていなかった。

 長いブランクのせいか、それとも彼が耄碌していたせいか……。

 出来上がった世界はひどく歪で、バランスの悪いものだった。

 彼には、すでに世界を作る力は残されていなかったのだ。


 しかし、彼には幾つもの世界を作ってきた経験があった。


 彼は、もう一つ、別の世界を作った。

 最初に作った世界と同様に、歪な世界だ。

 彼は構わず、次々に世界を作っていった。

 そうして、6つの世界を作った。


 強大な力を持つ種族の住む、天地の反転した龍の世界。

 強靭な肉体を持つ種族の住む、毒と瘴気の渦巻く魔の世界。

 鋭い爪と感覚を持つ種族の住む、鬱蒼とした森と山の世界。

 エラとヒレと鱗を持つ種族の住む、生命の豊富な海の世界。

 翼で空を自在に飛翔する種族の住む、岩塊の浮かぶ空の世界。

 弱い体と優れた頭脳を持つ種族の住む、平地と草原と人の世界。


 どれも歪な世界だ。

 一つだけではバランスが取れず、すぐに崩壊する世界だった。


 そこで彼は世界をくっつけた。

 6つの世界を密接に関係させ、バランスを取ったのだ。


 こうして、一つの世界が出来た。

 だが神はそれで満足しなかった。

 6つの世界は、互いにくっつくことでかろうじてバランスを保っていたが、それが定着し安定させるまで管理する必要があったからだ。

 神は最後の力を振り絞り、己の体を分けた。

 そして、分けられた体から、危ういバランスで保っている世界を管理するための存在を作り、それぞれの世界に配置したのだ。


 そして神は死んだ。

 死んだ後にどうなったのかは、誰もわからない。

 あるいは、最初から創造神などいなかったのかもしれない。

 見た者などいないからね。


 さて、残されたのは各世界と各種族、6人の「存在」だ。

 彼らは神の分身だから、神々と呼ぶことにしよう。

 神々はそれぞれ、己の世界へと降臨した。

 広い世界の中で身を寄せあっていた己の種族を見出し、その種族が繁栄するように努めた。


 だが、どの世界の種族も、順調に繁栄できたわけではなかった。

 特に龍の世界と魔の世界は、長い間、原始的なままだった。

 寿命が長く、強力で強靭な彼らは、文明を発達させずとも、生きていくことができたんだ。


 ただ、龍の世界、魔の世界は同時に過酷な世界であった。

 凶悪なドラゴンや、魔獣が徘徊する世界で覇権を握るのは、そう簡単なことではなかった。

 龍族と魔族は、世界の覇者となりうる力を持ちつつも、くすぶり続けたんだ。


 そんな彼らを不憫に思ったのか、あるいはもどかしく思ったのか……。

 神の一人が、ある提案をしたんだ。


「定期的に集まって、会議をしないかい? お互いの世界の情報を交換して、繁栄に役立てるんだ」


 その神の名は人神。

 人の世界の神だ。


 人族は寿命が最も短く、そして貧弱だった。

 そのほとんどは10年も生きぬ間に、病気や怪我で死んだ。


 しかし人の世界は過酷ではなく、自然豊かで糧に溢れていた。

 ゆえに、人族はどの種族よりも早く繁栄した。

 程よい過酷さが知恵を生み出し、素早い世代交代が知識を豊富にしたのだ。


 そして、繁栄が早ければ早いほど、必要な知識や知恵が蓄積される。

 人神はそれを、他の神々と共有したのだ。


 そのお陰で、龍族や魔族は様々なことを学ぶことができた。

 言葉や文字に始まり、集団生活のノウハウや、秩序の作り方。

 それらは獣とそう変わらぬ暮らしをしていた種族に、文明という光を与えることになった。


 無論、他の種族も与えられただけではない。

 彼らはその強靭な力を、人族へと渡した。


 龍族は、人の体の内にある力の使い方を教えた。

 魔族は、貧弱な体が力に耐えられるよう、体を変質させる方法を教えた。

 獣族は、凶暴な獣を支配下に置き、共に生きる術を教えた。

 海族は、水を濾過し、常にきれいな状態に保つ術を教えた。

 天族は、風を読んだり、天候を操る術を教えた。


 6つの世界は互いに助け合いながら、繁栄を目指した。

 新陳代謝の高い人の世界が最も栄えていたことに変わりは無いが、どの世界も順調だったよ。

 どの神も、これから数千数万年も、ずーっと順調に栄えていくと、信じて疑わなかったはずだ。


 その時は誰も知らなかったんだ。

 六人の神も、そして恐らく創造神も。


 世界の裏側で一つの存在が、ひっそりと生まれてしまっていたことをね……。



 そうやって世界が生まれ、数万年が経過した。

 とはいえ、今から見れば、まだまだ遥か昔のことになる。

 君からすると、神話の時代になるだろう。


 その時代、私は魔界の隅にいた。

 もちろん、名前など無かった。

 生まれたばかりで幼かったはずだが、体の大きさは今とそう変わらない。

 いや、少し小さかったかもしれない。

 頭は一つ、手足は二本ずつ、肌は透けるような白で、背中には翼が生えていた。


 魔界の隅。

 そこは濃い瘴気の立ち込め、凶悪な魔獣が徘徊する、死の大地だった。

 当時の私は知る由も無かったが、魔族たちには世界の果てと呼ばれていたらしい。

 その一角にある洞窟に、私のねぐらはあった。


 私がいつからそこにいたのかは、誰も知らない。

 私自身にもわからない。

 気づいた時には洞窟にいて、魔獣を食って生きていた。


 いきなりそんな所に発生するはずが無いって?

 そうは言っても、憶えていないし、誰も知らないんだから仕方がない。

 もしかすると、魔族の集落で生まれ、捨てられたのかもしれない。

 もしかすると、別の世界で生まれて、転移したのかもしれない。

 当時、六つの世界では色々と変なことが起こり始めていたからね。

 何が原因でも、おかしくはない。


 ともあれ、私が物心付いた時、近くには誰もいなかった。

 私はそのことを、特に疑問に思うことは無かった。

 なぜなら、私は何も知らなかったからだ。

 他に人がいるとか、どうやって生活しているとか、会話とか、研究とか、魔術とか、何もね。

 今は人より少し博識なつもりでいるけど、教える者がいなければ、そんなもんさ。


 私は日が昇れば洞窟から這い出して魔獣を襲い、腹が満ちれば洞窟に戻って眠るという生活を繰り返していた。


 魔獣というのは、凶悪な生物だ。

 一体一体は小山と見間違うほどに大きくて、力は強く、そのくせ俊敏で、さらに群れまで作る。

 魔界の頂点は人間、すなわち魔族だ。

 けど、そんな魔族でも、束になってかからなければ勝てないほど、魔獣は強かった。


 そんな魔獣を、私はいとも簡単に捕食していた。

 静かに忍び寄り、襲いかかり、組み伏せ、食らいつき、食い破って殺したんだ。

 たった一人でね。


 そう、当時から、私には強い力があった。

 魔獣の一匹や二匹を、ねじ伏せるだけの力だ。

 ただ、力だけでは魔獣には勝てない、私には知恵もあったんだ。

 魔獣を欺き、罠にはめるだけの知恵がね。


 ゆえに、魔界の片隅で生きていくのに、何の不自由も無かった。

 私は本能の赴くまま、魔獣を捕食して生き、そして死ぬのだろうと、何の疑いもなく思っていた。


 だが、何事にも転機はあるものだ。

 私はある日、あるものを見つけてしまったんだ。

 なんだと思う?


 魔獣の家族さ。

 物陰に潜み、襲いかかろうとする私の前で、魔獣たちは身を寄せ合い、互い体を舐め合い、ふざけ、じゃれあっていたんだ。


 それを見た時の心中は、表現しにくいな。

 唐突に世界に自分だけが取り残され、不安と焦りで胸が締め付けられるような感覚だ。

 ま、一言で言い表わせば孤独感だね。


 私はその魔獣を殺して食ったが、孤独感は癒やされなかった。

 ねぐらに戻り、横になっても、孤独感は癒やされなかった。

 むしろ、暗い洞窟の中にいればいるほど、孤独感は強まった。


 私は暗闇の中で自分の手と足を見た。

 魔獣と全く違う、手と足

 私は魔獣とは違う生き物なのだ。

 でも、私は自分と同じような姿をした存在を見たことが無かった。

 それを再確認した時、私の孤独感は限界を超えた。


 私はいてもたってもいられず、外へと飛び出した。

 自分の縄張りからも出て、行く宛もなくさまよった。


 途中、魔獣を何匹も殺した。

 魔獣には色んな奴がいた。

 手足が八本ある奴、顔が三つある奴、小さな虫が寄り集まって一匹になっている奴。

 だが、どれも私とは違った。

 私は魔獣を殺して、さまよい続けた。


 そうして、私は見つけた。

 高い壁に囲まれた、四角い建物の集まりを。

 そう、町だ。

 魔族の町だ。


 その町の中には、私とそっくりの生き物がいた。

 頭が一つで、手が二本、足が二本。

 全てが私と同じというわけではなく、個体ごとに小さな差はあったけど、それまで見てきた魔獣のどれよりも、私とそっくりだった。

 そんな生き物がたくさんいた。

 群れを作って生活していたのだ。


 私は喜んだよ。

 自分にも仲間がいた。

 これでこの底知れぬ孤独感を解消することができる、ってね。


 私はドキドキしながら町へと近づいた。

 しかし、私を最初に発見した人は悲鳴を上げ、叫んだ。


『化物!』


 戸惑う私を前に、人々はすぐに集まった。

 彼らは誰もが手に武器を持っていた。


 なぜ、彼らは私を見て、そんな反応をしたのか。

 当時の私には、何もわからなかった。

 なにせ、私は己の姿を見たことが無かったからね。

 分からなかったんだ。

 私の姿に、町の人々とは、明らかに違うものがあるということにね。


 爪と牙?

 いいや、違う。魔族には爪を持つ者も、牙を持つものも、たくさんいるからね。

 この金色の眼?

 いいや、それも違う。魔族に金の瞳を持つ者はいないけど、それでも色んな瞳を持つ者がいるからね。


 彼らが最も禍々しいと思ったのはね、私の髪さ。


 ほら、みてごらん。

 私の髮は白と緑のまだら模様だ。

 しかも、じっと見ているとまだらが動いて見えるだろう。

 君は見慣れたかもしれないけど、これを見ていると心がかき乱され、不吉で不安な気持ちを掻き立てられるそうだ。

 ただそれだけの事だけど、人々にとっては私を化物と呼ぶのに十分な理由だったのさ。


 人々は武器を手に持ち、私を取り囲んで明確な敵意と殺意をぶつけてきた。

 それに対し、私はなんとかして、自分が無害であることを示そうとした。

 逃げればよかった。

 けど、心のどこかで、襲われても大丈夫だろうと思っていたんだろう。

 囲んで敵意をぶつけるってことは、相手は自分より強いと認めているようなものだからね。

 実際、戦っても彼らには勝てたのではないかな?


 でも、そんな余裕も、ある男が現れるまでだ。

 そいつはひときわ巨大な体を持っていて、黒い肌で、六本の腕を持った男だった。

 そう、魔王だ。


 そいつはいきなり私に襲いかかってきた。

 凄まじく強かったよ。

 私は必死に応戦したが、叩き伏せられ、爪を砕かれ、翼を折られた。

 私は必死に抵抗したが、勝ち目は無かった。

 初めて遭遇した自分より強い相手を前に、ただ逃げるしか無かったんだ。


 傷だらけの体を引きずって、ひたすら逃げた。

 死への恐怖があった。

 殺される、死にたくないと思った。


 だが、それ以上に悲しみがあった。

 自分と同じ姿をした者たちに受け入れてもらえなかったという悲しみだ。

 私はボロボロの体を引きずり、ねぐらへと戻った。


 暗く、静かで、ジメジメとした洞窟には、孤独感が残っていた。

 痛みと、悲しみと、孤独感。

 それが私の全てだった。


 怒りは無かった。

 ただどうしてという疑問だけがあった。

 疑問は膨らみ、何度も自問自答した。

 答えは、出せなかったけどね。


 答えが出なかったからかな。

 傷が癒えると、私はまた集落へと向かっていたんだ。

 私はわかっていたよ。

 きっと同じことの繰り返しになるってね。

 でも、行かずにはいられなかった。

 痛みよりも、孤独の方がずっと辛かったんだ。


 そうして私は集落へと近づき、羨望の目で眺め、やがてこらえきれずに近づいて、追い払われる。

 そんなことを繰り返した。


 当時の私は知らないことだったけど、私は魔族から『人の姿をした魔獣』と恐れられていたらしい。

 魔王ですらトドメをさせない強靭な生命力と、何度追い払ってもやってくる執拗さからくるものだ。


 そうして、私は孤独に苛まれながら、何百年も生きていた。



 だが、何事にも終わりが来るものだ。



 私はある日、致命傷を負った。

 魔王に敗北したからではない。

 魔獣との戦いに敗北したんだ。

 相手は、今までに見たこともない生物だった。

 体は普通の魔獣の三倍はあり、そのくせ動きは普通の魔獣の数倍で、頭が何本も生えており、炎と毒霧を吐いた。力も今までに出遭った魔獣とは比べ物にならないほど強かった。

 今しがた魔獣といったが、実を言うと、これは魔獣(ビースト)ではない。

 魔物(モンスター)さ。


 魔界の魔物は、現在そこらへんに棲息している魔物よりも、遥かに強かった。

 私は焼かれ、貫かれ、打ちのめされ、ほうほうの体で逃げ出した。

 いつもならねぐらに戻り、何かを食べて眠れば傷が癒えたけど。その時は傷が治りきらず、血が流れ続けた。

 魔物の毒のせいだろうね。


 私はねぐらで体を横たえながら、本能的に死を悟った。


 何も知らない私だが、死については、それなりに知識があった。

 これまで、何度も魔獣を殺し、食ってきたからね。

 何千、何万という死を目の当たりにしてきて、死というものがどういうものかは知っていた。

 意識がとぎれとぎれになり、これが完全に途切れた時、自分は死ぬということも、理解していた。

 そして、その瞬間がそう遠くないこともね。


 なんとか生き延びたいと思ったが、もはやどうしようもなかった。

 今なら解毒魔術の一つでも使っていただろうけど、当時は何もしらなかったんだ。


 そんな時さ。

 彼が現れたのは。


「ふむ。人の姿をした魔獣がいると聞いて来てみれば……実に興味深い」


 私にしてみれば、気づいたらねぐらの中の人がいたって感じかな。

 彼は知らない間に、血を流して横たわる私の傍に立って、見下ろしていた。


「魔族と龍族の混血か。どこでどうやって生まれたのやら」


 私は朦朧とした意識で、相手を見上げた。


 彼は私と同じ姿をしていた。

 頭は一つで、手足は二本ずつ。

 背中には翼。

 目は金色で。

 牙と爪は長く、鋭かった。


 まさに、私とそっくりだった。

 違うことと言えば、髮が銀色だったことと、そして肌が銀色の鱗で覆われていたことぐらいかな。


「これも、魔物の影響か?」


 私は起き上がる力もなく、彼を見た。

 すると、目が合った。

 彼が私を見る目は鋭かったが、不思議と暖かかったのを憶えているよ。

 私が今までに向けられたことのない目だったからね。


「まあいい。魔神が今まで放置していたというのなら、俺がもらっても文句は言うまい。使い道はいくらでもあるというのに……」


 もちろん、言葉の内容なんて当時の私には憶えていなかった。

 けど、言葉の響きはよく憶えていた。

 忘れられないんだ。

 だから、言葉を憶えた後に、彼がそう言ったって判明した感じだ。


 彼は私の真上で、己の拳をギュっと握りしめた。

 手の平に鋭い爪が突き刺さり、赤い血が流れだした。

 赤い血は水滴となり、私の傷口へと滴り落ちた。

 すると、今まで治る気配のなかった傷がみるみるうちに塞がっていった。


 彼は傷が消えたのを確認すると着ていたマントを脱ぎ、私を包んだ。

 そして傷が消え、痛みも消え去ったことに驚きに目を見開く私を小脇に抱えると、ねぐらから歩み出た。


 ねぐらの入り口には、巨大な何かの死骸があった。

 これまた驚いたよ。

 私はそれに見覚えがあった。

 自分を殺しかけた生物だ。

 それが、無残な死体となって転がっていたのだ。

 恐らく、致命傷を負わせた私を追って、ここまできて……そして彼に倒されたのだ。


「魔物か……我が世界には、それほど出てきていないのが救いだな」


 彼がそう言うと同時に、私の意識は落ちた。





 私が再度目覚めた時、周囲の光景は一変していた。

 見慣れた毒の沼や、瘴気の霧、ひび割れた赤茶色の地面は無かった。


 見えたのは山だ。

 それも、普通の山じゃない。

 逆さだ。

 その山は、天から生えていたんだ。


「!」


 私は一瞬、自分が逆さまに持たれているのだと思った。

 あるいは、自分を持っている存在が逆さで移動しているのだってね。


 でも違った。

 自分に働く重力は、確かに下に向かって働いていた。

 間違いなく、上に山があったんだ。


 では下は、と見ると空があった。

 透き通るような、青い空と、白い雲が、どこまでも続いていたんだ。

 もっとも、私は一瞬、それが空だとはわからなかったのだけど。

 魔界の空は、いつだって灰色だったから。


 そこで私は自分が空を飛んでいることに気がついた。

 いや、自分ではなかった。

 自分を抱えている人物が、だね。

 そう、私をマントに包んで持ち去った、あの男が、私を抱えて飛んでいたんだ。


「気がついたか。暴れるなよ」


 男は、私が目を覚ましたことに気づくと、そう言った。

 言葉など話したことのない私は、その意味がわからなかった。

 だが、眼下に広がる空に恐怖心を抱いたのは憶えている。

 ギュっと身を縮こまらせたよ。

 男はそれに満足し、速度を上げた。


 そうしてしばらく空を飛んでいた。

 山々と空ばかりの代わり映えのしない光景だったが、私には新鮮だった。


 男は何も説明しなかったし、私自身にも知識は無かった。

 でも自分が今まで住んでいた世界とは別の場所に来たのだと、なんとなく悟っていた。

 一人で寂しく、集落にいっても追い払われる世界ではなく、別の世界に。

 おそらく、もう戻れない。

 そう思うと、あの暗くジメジメとしたねぐらが少しだけ懐かしく思えたけど、私はすぐにその思い出を周囲に見える光景で塗りつぶした。

 懐古に浸るほど、良い場所ではなかったからね。


 しばらくすると、ひときわ大きな山が見えた。

 頂上(・・)が見えないほどに高い山だ。

 そんな山が視界一杯に広がるぐらいに近づくと、男は翼を音もなく羽ばたかせ、高度を落とした。


 下に何かあるのか。

 そう思って私が下を見ると、中腹に何かがあるのが見えた。

 私の知識では形容できないが、もし私がものを知っていたのなら、『発着場』という言葉を使っただろう。

 山の中腹から石版がせり出しており、大きく口を開けた山の入り口へとつながっているのだ。

 岩と木材で作られた足場は、明らかに人工的なものだった。


 さらに近づいていくと、足場には何人もの人がいるのがわかった。

 彼らは、男とまったく同じ姿をしていた。

 翼と鱗と牙と爪、そして金の瞳を持っている生物だ。


「龍神様だ!」

「龍神様がお戻りになられたぞ!」

「皆! お出迎えの用意を!」


 ……そう、彼の正体は龍神様。

 龍の世界を統べる、龍族の王様だったんだ。


 彼らは龍神の姿を見つけるとにわかに騒ぎ出した。

 そして、あれよあれよという間に中央にあるひときわ大きな足場に整列し、龍神様が降り立つのを待ち始めた。


 大勢の人間。

 その姿に、私はまた身を縮こまらせた。

 魔界において、何度も魔王に追い払われた記憶が蘇ったからね。

 また襲われるんじゃないかと思ったんだ。


「おかえりなさいませ!」


 けど、予想に反して、彼らは襲いかかってはこなかった。

 龍神様が降り立つと、整列した人々は一斉に両拳を胸の前でクロスさせ、翼を小さく畳んだ。

 その表情は誇りと、そして喜びに満ちていた。

 私が見たことのない表情だったけど、敵意が無いことはわかったよ。


「おかえりなさいませ。龍神様」


 そんな人々の奥に、少しだけ毛色の違う男がいた。

 整列する者達よりも若干大きく、まとっている雰囲気も違っていた。

 鱗の色も、若干ながら緑がかっており、落ち着いた印象を受ける。

 だが、雰囲気を象徴するのは、その瞳だ。

 周囲と同じ金色の瞳には、今にも消え去りそうな儚さと、何かを最後まで成し遂げんとする信念が宿っていた。

 私は一目みて、そいつがこの群れのボスであるとわかった。

 だが、もちろんボスはそいつじゃない。龍神様さ。

 そいつは龍神様が近づくと、拳を胸の前でクロスさせ、翼を畳んだ。

 龍族の最敬礼だ。


「此度の会議はいかがでしたか?」

「シラードか。進展は無い。留守中はどうだ?」

「こちらも変わりません。しかし、魔物が2件ほど発生しました」

「何人死んだ?」

「3名です。1度目で2人、2度目で1人。軽微です……それは?」


 シラードと呼ばれた人物は、そこで龍神様が抱えている()に気づいた。


「魔界の端で拾った。魔族と龍族の混血児だ」

「魔界へと渡った龍族の話など聞いていませんが?」

「魔物の発生が関係しているのやもしれん」

「なるほど。いかがなさるのですか?」

「育てる」


 龍神様がそういうと、シラードは私をじっと睨んできた。

 禍々しい髪の色を持つ子供を警戒したのだろうね。

 でも、彼が龍神様の決定に口を出すことは無かった。

 彼は龍族の中でも、特に龍神様を崇拝し、信頼していたからね。その行動にケチなんかつけないのさ。

 彼は了解したとばかりに拳のクロスを解いて、一歩下がった。


 龍神様はそれ以上は何も言わず、発着場から山の内部へと入っていった。

 もちろん、私を抱えたままね。


 薄暗い真四角の通路を歩いていく。

 洞窟の奥は暗く狭い、というのは私も持っている常識だったのだけど、その常識は打ち破られた。

 通路の先には、巨大な空洞があったんだ。

 その空洞は何本もの太い柱で支えられ、地面と天井、柱には様々な形をした丸い建物がくっついていた。

 しかも柱の中央付近には強い光源があり、洞窟内は昼間のように明るかった。


 そして、丸い建物同士の間を、翼を持つ人々が飛び交っていた。

 そう、町だ。

 山の内部がくり抜かれ、町になっていたんだ。


 龍神様は翼を広げると、飛び上がった。

 町の中では人々が飛び交っていたが、誰もが龍神様を見つけると移動を止め、胸の前で両腕をクロスさせた。

 龍神様はそれに応えることなく、飛び続けた。


 目指している場所はすぐに分かった。

 町の最奥にある、最も大きな建物だ。

 遠目に見ると簡素で丸いだけの建物だったが、近づくと建物の至る所に精緻なレリーフが刻まれているのがわかった。

 龍神様はその建物の中央付近、ややせり出した足場に降り立った。


 そして、無遠慮に中へと歩き出した。


 中は見た目通りに広かった。

 広間に、寝室に、通路。

 どれも、私が見たことのないほど豪華なものだ。


 龍神様は無言で階段を降りた。

 その動きに迷いは無い。

 向かう先は決まっているようだった。


 やがて、ある部屋の前までくると、龍神様の動きが止まった。

 止まったといっても、ほんの数秒。

 何かを思い出すかのように止まったその時間の後、龍神様は扉を叩いた。

 コンコンと軽く二回。

 そして扉を開いた。


「帰ったぞ」

「お帰りなさいませ。旦那様」


 柔らかそうな布のベッドに、木ノテーブル、皮張りの椅子、そして椅子に座っている一人の人間が目に入ってきた。

 女だった。

 今まで発着場や、町を飛び交っていた人々とは、まるで違う容姿の女だ。


 肌は白いがやや赤みがかっていて、鱗は無く、柔らかそうだった。

 翼は無く、尻尾も無い。

 鋭い牙や爪も持っていなかった。

 そして、その腹はほんの少しだが、膨れていた。


 彼女は、私の知らない種族だった。


「あの、その子は?」

「龍族と魔族の間の子だ。魔界の端で死にかけていたのを拾ってきた」

「あら、そうなのですね……お育てになるのですか」

「そうだ」

「では、この子は養子になるのですね」

「何か問題があるか?」

「いいえ、全ては龍神様の御心のままに」


 龍神様は私を部屋に置くと、踵を返した。

 しかし、すぐに女に呼び止められた。


「あの、旦那様、この子の名前は?」


 その言葉に、龍神様は振り返り、難しい顔で首を振った。


「無い」

「ダメですよ。ちゃんとあなたが付けて上げてください。子供の名前は旦那様がつけるものと、決まっております」

「拾ってきたものでもか?」

「はい」


 その言葉に、男は私を見下ろした。

 私は龍神様を見上げ、次の言葉を待った。


「……ラプラス。お前の名前はラプラスだ」


 もちろん、私は言葉など知らない。

 誰かとまともに言葉を交わしたのも、その日が初めてだった。

 だが、今、目の前の男によって、自分にとってとても重要な単語が発せられたのだと理解できた。


「ア、アプ……ラ、プ、ラ、ス」


 だから、必死に繰り返したよ。

 その単語を、自分の名前を、決して忘れないようにね。


 こうして私――ラプラスは誕生したんだ。


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― 新着の感想 ―
おぉ、ここでラプラスの話になるのか
[一言]  オルステッドの話かと読み始めましたが、特徴が違いすぎるし、そうするとバーディガーディとも違うしと思っていたら、ラプラスの話でしたか!  緑色の髪と言えば、そうでしたか!  この後の話が楽し…
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