10.人の神の助言
そいつが、どんな風貌をしていたのか。
それは思い出せない。
笑みを浮かべていたのは憶えているけど、顔だけは思い出せないんだ。
奴の顔だけは、決して思い出せないんだ……。
だが、確かに、奴はそこにいた。
記憶に残らぬ顔をした男が、そこにいたんだ。
驚いたよ。
気配などまるで感じなかったからね。
サレヤクトも大きな巨体を立ち上がらせ、そいつに対して威嚇をしていた。
部下の二人も、驚いた顔でそいつを見ていた。
「誰だ……?」
「私かい? 私は人神。人の世界の神だ」
奴はそう名乗った。
人の世界の神。
この世界に六人の神がいることは、もちろん私も知っていた。
人神という存在についても、龍神様より聞き及んでいた。
人神が龍界に最初に現れたのは、私にとっても神話と言える時代。
龍神様と龍族たちが、ドラゴンから世界の覇権を奪おうとしている頃だ。
人神は龍界に現れ、龍神様にある提案を持ちかけたのだ。
神々で会議を行い、情報交換をしようとね。
人の世界は、どの世界よりも文明が進んでいた。
人族は6世界の住人の中で、もっとも寿命の短い種族で、それがゆえに文明の発達も早かった。
より優れた個体や、画期的なアイデアを思いつく個体が出現しやすかったんだ。
ゆえに、会議で人神が提示した情報は、各世界にとってとても有意義なものだった。
人界にて行われた最初の会議で、龍神様は『言葉』と『文字』の存在を知った。
言葉も文字も知らぬ龍族に文明らしきものがもたらされたのは、人神のお陰に違いない。
それだけではない。
人神は自分の世界で役だったことを、惜しげもなく教えてくれた。
町の作り方や、大勢の人が集まった時の管理の仕方、群れでの戦い方に、家畜という概念。
どれも龍族だけでは思いつかなかったろう。
ゆえに、龍神様は人神をとても信頼していた。
神々のリーダーとして、敬っていたんだ。
「これは失礼致しました!」
ゆえに私は、即座に居住まいを正した。
立ち上がり、最敬礼をしようとした。
龍神様と同格か、それ以上の相手に、失礼があってはならないと思ってね。
「いやいや、いいんだよ、そのままで」
そんな私を対し、人神は馴れ馴れしくも肩に手を起き、座らせた。
「龍神にちょっとした用事があって寄っただけだからね」
一体この男は、何をしにきたのだろう。
そう思う私に対し、まるで心でも読んでいるかのように、彼は言葉を続けた。
「君、なんでも五龍将を殺した奴を探しているらしいじゃないか」
「なぜそれを!?」
「いま、言っただろう。龍神の所に、ちょっと用事があったって。そこで話題に上がったんだ。彼は君の事をとてもとても心配していてねぇ」
「……」
その言葉は、私の心臓に突き刺さった。
数年間、何も成果を上げられなかったことを、私は気に病んでいたからね。
怒っているでもなく、心配されていると聞いて、私の胸は張り裂けそうになったよ。
なんと私は無力で矮小な存在なのだろう、とね。
泣きそうだった。
「彼とは長い付き合いだし、困っているというのなら、私が力を貸してあげようと思ってね」
「! もしや下手人の居場所をご存知なのですか?」
思わず食いついた私に、人神はクスクスと笑った。
「いいや。龍神がそうであるように、私も全知全能ではない。そこまではわからないよ。でも、私は各世界の神から得た知識がある。例えば、君の持っている力についてだ」
「力……?」
「そう。魔族と龍族のハーフである君は、とある力を持っている」
人神は、もったいぶった様子で私の前に回り込んできた。
その顔は笑っていた。
人を安心させるような笑みだ。
だが、人を安心させるような笑みをしている者が、必ずしも人を安心させようとしているわけではない。
君も憶えておきたまえ。
人を騙す奴もね、人を安心させるような笑みをするものだ。
もっとも、当時の私には、そんなことはわからなかった。
ただただ、安心した。
信用してしまった。
「君は、背後にいる敵の行動を把握したり、その場にいない敵の気配を感じ取った経験は無いかな?」
実をいうと、それには憶えがあった。
サレヤクトに騎乗してドラゴンと戦う時、背後にいる相手の動きが見える時があった。
それだけじゃない。
魔界にいた頃にも、そうした能力の片鱗はあった。
でなければ、凶悪な魔獣の闊歩する魔界でただ一人、生きていくことは難しかったろうからね。
「それは、君の持つ魔眼の力だ。眼の裏側にあるそれを使って、もう一度、よーく現場を見てみるといい。きっと何かが見つかるはずさ。きっとね……フフフ……」
人神は笑いながら、ゆっくりと消えていった。
実際には、洞窟から歩いて出て行ったのだが、なんとなく消えたような感じがしたんだ。
私はその場を動けず、人神がいなくなるのを見届けるしかなかった。
「……」
気づけば、奴はいなくなっていた。
サレヤクトと部下の二人は体を丸くして眠っていた。
まるで何もなかったかのように。
私もまた、夢から覚めたような気分だった。
だが、神々というのは時に不思議な力を使うと知っていた。
こういうこともありうるだろうと思った。
だから私は今の出来事を単なる夢を片付けず、魔眼とやらを試してみようと思ったんだ。
■
半信半疑だったのは間違いない。
恐らく、普段の私ならもっと疑っただろう。
ありもしない力を信じて無駄な時間を浪費することなど、しなかったはずだ。
だが、私は焦っていた。
なんとかしなければならないと思っていた。
藁にもすがる思いだったんだ。
私はゴールドドラゴンの巣へと直行した。
クリスタルが死んでいた場所は、すでに何も残っておらず、ただのゴールドドラゴンの巣へと戻りつつあった。
赤茶けた洞窟で、天井から幾つものシダが垂れ下がっていた。
ゴールドドラゴンは肉食だが、獲物が取れない時はそのシダを食べて飢えを凌ぐんだ。
そんな場所で、私は意識して眼の裏側に力を入れてみた。
「……これは」
すると、確かに人神の言う通りだった。
自分の目の裏側に何かがあるのが、はっきりとわかった。
普段は無意識的に使っているものが、確かに存在しているのがわかったんだ。
この感覚を説明するのは難しい。
まぁ、そうだね。
内臓みたいなものだ。
心臓の鼓動なんて、普段は意識していないけど、意識すればわかるだろう?
ただ、私の魔眼は内臓とは違い、私の意思で扱うことができた。
今までは存在している事すら知らなかったのに、だ。
まるで洞窟で人神に言われたことが、何かのきっかけだったかのように、それまで無意識的に使っていた力が、解放されたんだ。
私の眼の裏には、魔眼が存在していた。
今の世に溢れている魔眼とは、少しだけ毛色の違うものだけど……名称をつけるとするなら、やはりそれは魔眼だろう。
その目には、はっきりと、痕跡が残されていた。
クリスタルの死体のあった場所、ゴールドドラゴンの死体のあった場所。
調査したマクスウェルの気配、その部下たちの気配。
そして、それらとは全く違う、何者かのの気配が、宙に浮かんで見えた。
ハッキリと、見えた。
気のせいではなかった。
私は強い確信をもって、その気配を追いかけた。
サレヤクトに飛び乗り、広い龍界を風を切って飛んだ。
六つの山と、七つの谷を超えた。
気配はまっすぐ続いており、迷うことはなかった。
何の疑問にも思わず、そいつが犯人に違いないと思った。
短絡的と思うかもしれないが、仕方ないだろう。
今までまったくの痕跡すらなかった手がかりが得られたんだ。
人間だれしも、自分が手にしたもの、行き着いた場所は、特別なものだと思いたがるんだ。
私は矢のように飛んだよ。
■
そうして私はある山へとたどり着いた。
名も無き山で、特徴らしい特徴は無い。
標高はそれほど高くは無く、特に何かのドラゴンの棲家となっているわけでもない。中腹にはめぼしい洞窟もない。
龍界によくある山の一つだ。
そんな山の中腹に、洞窟があった。
そう、洞窟があったんだ。
無いはずなのに。
前からあったものなのか、それとも誰かが掘ったものなのか。
恐らく後者だろうと判断した。
なにせ、洞窟の入り口は鋭利な何かでえぐったような痕跡があったからね。
人工的な気配だ。
「……」
私は数秒ほど迷った。
この中に、五龍将殺しの犯人がいるかもしれない。
だが、それは私がどうにか出来る相手なのか。
無理かもしれない。
今すぐ戻って、五龍将の誰かに援護を頼んだ方がいいのではないか。
しかし、私はすぐに首を振った。
すでに今の時点で、私は失態を犯しているつもりだったんだ。
「何の成果も得られていない」という失態をね。
この失態を取り戻すには、犯人の首を取って、持っていくしかない。
そう思ってしまったんだ。
「ゴーラ、スクラヴァ……行くぞ」
「ハッ!」
「背後はおまかせを」
だから、私はサレヤクトを入り口に待たせ、部下二人と共に、中へと飛び込んだ。
今考えると、部下の片方はケイオースへと戻らせ、五龍将の誰かを呼びに行かせた方がよかったかもしれない。
だが、部下の二人も私と同様に考えていたのだろう。
一も二もなく、ついてきた。
洞窟の中は狭く、ジメジメとしていた。
緑色の硬い石が苔に覆われていて、長い間、そこに生物など居ないような錯覚すら受けた。
だが、明らかに、誰かがいたとわかった。
痕跡があったんだ。
いや、痕跡というにもおこがましいな。
木の枝で作った寝床と、小さなトカゲの骨が転がっていたんだ。
「いるな。警戒を怠るなよ」
「ハッ!」
私は犯人はここにいる、と確信した。
寝床から感じられる気配は、ゴールドドラゴンの巣にあったものと同じだったからね。
さて、しかし気配はあれども、姿は見つからない。
今は留守なのか。
それとも……。
「……っ!」
「ぐわっ!」
そう思った瞬間だ、私の後ろから声がした。
とっさに振り返ると、スクラヴァの首がねじ切られ、血反吐を吐きながら倒れていく所だった。
あまりにも唐突だった。
私も油断していたことは否めない、魔眼の力があるから、とね。
「なんだこいつは……!」
そいつは暗がりの中を飛び回り、ゴーラへと襲いかかってきた。
それを見過ごす私ではない。
私は咄嗟にゴーラとそいつの間に体を入れ込むと、そいつの腕を掴んで投げ飛ばし、硬い岩肌へとたたきつけた。
すると、入り口から差し込む光で、そいつの姿が顕になった。
驚いたよ。
黒い肌に、四本の腕。
そして赤い目をしていた。
間違いなく、龍族ではなかった。
魔族だ。
すぐにわかったよ。
なにせ、かつて何度も見て、憧れていた存在だったからね。
ただ、驚いたのは魔族だからじゃない。
そいつが魔眼に映らなかったからだ。
何らかの力によるものか、それとも性質によるものか。
幸いにして、そいつの痕跡……足跡や臭いなどはわかったが、そいつ自体は見ることが出来ないんだ。
『――――!』
そいつは私に対し、何かを叫んだ。
魔神語だ。
だが、その言葉は私には通じない。
魔神語は学んでいなかったからね。
ただ、敵意は感じ取った。
「こいつがクリスタル様とスクラヴァの仇だ! ゴーラ、援護しろ!」
「ハッ!」
私はそいつをクリスタル殺しの下手人と断定した。
爪を伸ばし、龍気を込めて構えを取った。
右手を前に、左手を胸のあたりに。
ドーラ様と同じ構えだ。
『――――!』
その魔族は、何事かと叫んでいたが、私がやる気だとすぐに理解したのだろう。
すぐに体勢を立て直し、私を睨みつけてきた。
私はジリジリと距離を詰め、ゴーラが私の死角をカバーした。
出口は私達の後ろ。
そいつに逃げ場は無い。
『――――!』
魔族は叫び、地を蹴った。
戦いが始まった。
■
凄まじい戦いになった。
そいつは強かった。
私が爪でそいつを切り刻んでも、牙で体をぶちぬいても、そいつは再生し、動き出し、私に襲いかかってきた。
無論、私が圧倒していたわけじゃない。
私は何度も打ち据えられ、何度も血反吐を吐いた。
勝てる気がしなかった。
途中、一度撤退して、五龍将に助けを求めようとすら思った。
そうするのが確実だし、賢い選択肢だ。
背を向けて逃げることはドーラ様には教わっていないが……あくまで任務を完遂するための一時撤退だ。
だが、そんな腰の引けた考えをしたからダメだったのだろうな。
ゴーラがやられた。
彼は心臓をぶち抜かれて死んだ。
ほんの僅かな油断だった。
私が一時撤退を口にしようとする、寸前の出来事だった。
胸を貫かれた時の、あのゴーラの無念そうな顔は忘れられない。
部下を二人とも失い、私は引けなくなった。
私は戦い続けた。
無念があった。
ゴーラとスクラヴァは短い付き合いだが、それでも長旅をし、寝食を共にした間柄だった。
私は二人の仇をうたねばならなかった。
意地もあった。
ここで引いては、何のためにこの数年間飛び回っていたのか、わからなかった。
だが、次第に追いつめられていった。
だってそうだろう?
不死身と思えるようなそいつを、一体どうやって倒せばいいのか。
私がどれだけ攻撃しても、そいつは再生するんだ。
私はというと、再生しない。
そりゃあ追い詰められる。
私がそいつよりも上の力を持っていたとしても、だ。
無限とも言える体力を持っていたから、すぐに負けることがなかったのは幸いだった。
十日の間、私とそいつの戦いは続いた。
戦いの余波で洞窟は崩れ、山はボロボロに崩れ落ちていったが、それでも決着は付かなかった。
私もそいつも、ギリギリだった。
そう、意外なことに、あいつもギリギリだったんだ。
恐らく、そいつは長いこと満足に食事をしていなかったのだろうね。
まじまじと見てみれば、そいつの体がやせ細っていたことに気づいたはずだ。
そいつの背中には翼があり、空は飛べたものの、龍族ほどの飛行性能を持ってはいなかったのだ。
だから、遠くに獲物を探しに出ることも、できなかったのだろう。
そんな状態で十日間戦い続ければ、いかに強大な存在でも、衰える。
十日目になって、私はそいつの再生能力が衰えていることに気づいた。
そして、それは何よりそいつ自身がよくわかっていたのだろう。
そいつの目には、死にたくないという心そのものが映っていた。
とはいえ、私はもっとボロボロで、傷だらけで、今にも倒れてしまいそうだった。
もう力など、ほとんど残されていなかった。
このまま戦い続ければ、私は敗北するだろうと思った。
ほんの僅かな差だが、私の方が先に力尽きると。
そして、私が負ければ、こいつは私とゴーラとスクラヴァを食い、力を取り戻すだろう。
クリスタルの仇を逃し、それどころか、力すら与えてしまう。
私はそんな任務を受けたわけではなかった。
ドーラ様の無念を晴らさねばならなかった。
五龍将たちの尽力を無駄にするわけにはいかなかった。
龍神様の期待に、応えなければならなかった。
「ウオオオァァァァ!」
だから、私は最後の力を振り絞った。
私の腹の奥底から何かが沸いて出てきた。
腹の奥、心臓のすぐ下のあたりだ。
そこに、グラグラと煮えたぎるマグマの塊のような、圧倒的なエネルギーを秘めた何かがあった。
これも魔眼に開眼したお陰かもしれない。
私はそれを……解き放った。
具体的にどう解き放ったのかは、実のところ、よく憶えていないんだ。
同じことを二度やれと言われても、二度と無理だろう。
ただ、できるという感覚と、負けられないという感覚が混じりあい、私はそれを解き放った。
そして、山が消えた。
■
気づいた時、私と奴は気絶しており、隣の山の岩棚に並んで寝かされていた。
私は龍気を爆発させた。
自爆のような形だ。
だがエネルギーの本流は山を吹き飛ばすだけでなく、奴を打ちのめした。
相打ちとなったのだ。
そして、足場と意識を失い落ちていく私と奴を、サレヤクトが拾い上げたのだろう。
サレヤクトは私の命の恩人だね。
私は目覚めてすぐに、奴の腕と足を、竜骨と革で作った縄で拘束した。
正直、私がそいつより先に目覚めたのは、幸運だったとしか言いようがないが……。
ともあれ、私はクリスタル殺しの下手人を、捕まえた。
任務を達成したんだ。




