1.龍と少女
大陸には、陸地を横断するような山脈が存在している。
そんな山脈の中心部には、ひときわ大きな山が存在した。
名を龍鳴山という。
龍鳴山は、山脈の深い場所にある、世界で最も高い山だ。
岩肌には木々が張り付くように生えているものの、切り立った崖は人の侵入を阻み、その上、山の高い所にはレッドドラゴンが棲息している。
人の住む場所ではないのだ。
高位の冒険者が麓まで訪れることもあるが、山奥まで足を運ぶことはない。
だが、もし力ある冒険者が山を登れば、驚くべき光景を目にするだろう。
家だ。
山の中腹に、一軒の家が存在しているのだ。
それは異様な光景であった。
人の住むべき場所ではない所に、人の住む家があるのだから。
その家に近づいてみれば、冒険者はさらに驚くものを見るだろう。
少女だ。
深い山に似つかわしくない少女がいるのだ。
金髪で、長い耳をもった少女が、桶のようなものを持ちながら、家の前をえっちらおっちらと歩いているのだ。
少女は家の裏まで桶を運び、戻ってきて家の中へと入り、桶を持って出てくる、という行動を繰り返していた。
どうやら、水かなにかを家の裏に運んでいるようだ。
少女を追いかけて家の裏手へと進めば、そこは大きな洞窟となっているのがわかるだろう。
異様な気配が立ち込める洞窟だが、少女は臆することなく洞窟へと入り、さらに奥へと進む。
奥に待ち構えるのは、巨大な体と長い首、赤い鱗、鋭い牙と爪を持つ、爬虫類が棲息していた。
レッドドラゴンだ。
少女はレッドドラゴンの近くに置かれた箱の中へ、桶の中身を流し込んでいた。
レッドドラゴンは、少女を見ても、敵意を示さなかった。
さっさと運び終えろと言わんばかりの視線で、少女の働きっぷりを見ていた。
だが、少女の持てるであろう量と、箱の大きさはあまりにも不釣り合いだった。
箱をいっぱいにするには、何度も何度も往復しなければいけないだろう。
とはいえ、どうやら今回が最後だったらしい。
少女は桶を箱の脇へと置いて、グッと伸びをした。
「ふー、水くみおわりです!」
少女は元気にそう宣言すると、ドラゴンへと一礼。
ドラゴンも「ご苦労」と言わんばかりに鼻を慣らした。
少女は意気揚々と家へと戻っていった。
木造の、何の変哲もない家である。
だが、見る者が見れば、その家には高度な魔術結界による防護が施されていることがわかっただろう。
「ご主人様、ご主人様ー、水くみ終わりましたよー!」
少女が家の中にはいると、そこには生活感あふれる光景が広がっていた。
椅子にテーブル、観葉植物、紙束に、何に使うのかわからないガラクタの数々。
少女はそれらを縫うように歩いた。
声を掛けた相手が返事をしなかったからである。
目的の場所にはすぐにたどり着いた。
家の最奥にある部屋。
この家の主が滞在している、もっとも広い部屋である。
「ご主人様?」
少女は扉を開き、中へと入った。
中には、少女の背丈の数倍はあろうかという高さの本棚が、所狭しと並んでいた。
まるで図書館のような部屋である。
少女は本棚の立ち並ぶ区画の更に奥へと足を運んだ。
図書館という建物は、この世界には数えるほどしか存在していない。
だが、この本だらけの環境は、彼女にとっては、見慣れた光景だった。
そんな本だらけの領域の中に、一人の男がいた。
入り口に背を向け、机に向かって無心に何かを書いていた。
銀色と緑色の入り混じった斑模様の髪。
不気味な髪色であるが、やはり少女にとっては見慣れたものであった。
「ご主人様ったら!」
少女が呼びかけると、男は弾かれたように顔を上げた。
背中の翼をゆっくりと広げ、後ろを振り返る。
少女の姿を認めた。
「おや、ロステリーナ。こんな夜更けに、まだ起きていたのかい? 君の仕事は、明日もたくさんあるんだ。早く寝ないといけないよ」
「何がこんな夜更けですか! もうとっくに日は昇っています! ドラゴンさんの水やりも終えてきました」
「おや、そうかい?」
男は立ち上がった。
すると、少女は男を見上げるハメになった。
なにせ、男の背丈は2メートルを越えるほどに大きかったからだ。
「そうか、水やりも終わったか。ご苦労様。それにしても、そうか、もう一日が経ったか」
「ご主人様は、ちゃんと眠ってください!」
「ああ、わかっているとも」
少女が叫ぶようにそう言うも、男はどこ吹く風だ。
「わかっていません! 昨日だって一昨日だって、寝てらっしゃいませんでした!」
「……私は、君たちのように毎日眠らなくてもいいのでね」
「そうなのですか?」
「ああ、私は長い時を生きる種族だ。眠るのも、何年かに一度で十分なのだよ」
男の返答に、少女はきょとんとした顔をしていた。
しかし、ふとした瞬間に、頬をぷくっと膨らませた。
「私、ご主人様のことを何も知りません!」
「そうだろうとも、君は何も聞かず、ただ私についてきたのだからね」
「ご主人様のこと、もっと教えてください」
「もちろん構わないとも。ただ、私の今までの人生は長かった。話も少し長くなってしまうよ」
男は目を細めつつ、そう言って周囲を見渡した。
男の高い背丈を持ってしても、なお高いと言える本棚。
そこにギッシリと詰められた本。
これは全て、男が書いたものだった。
男の記録、男の人生だ。
「構いません。むしろ、ご主人様こそ、本当にいいのですか? お忙しいのでは?」
「いいとも、私にのように長い寿命を持つ者にとって、一秒の価値は低いんだ。君に話をするぐらいの暇はあるのさ」
男はそう言うと、近くにあった椅子を少女に勧めた。
自らも椅子に座り、はてと顎に手をやった。
「でも、せっかく話すのなら、私のことより、もっと別の話の方が楽しいと思うがね。
魔界大帝を倒すため、たった一人で旅をした少年の話。
大きな怪物を殺し、姫君を手に入れた英雄の話。
それとも悪い神に操られ、勝てない戦いに身を投じざるをえなかった聖人の話。
……いや、最後のは楽しい話ではなかったかな」
「いいえ! そんなのより、ご主人様のことを知りたいんです!」
あれこれと思い浮かべる男に、少女は口を挟んだ。
放っておけば、なんのかんのと別の話を聞かされてしまいそうに思えたからだ。
「ああ、わかっているとも。しかしそうは言っても、私の何が知りたいんだい?」
「……全部」
「全部?」
「ご主人様が、これまでどうやって生きてきたのか、とか、どうして今の仕事をしているのか、とか」
「なるほど……でも、それはあまり愉快な話ではないよ。面白い所はあるかもしれないが、全て悲しい結末へとつながっているんだ。バッドエンドなのだよ。私の人生は。聞けばきっと、悲しい気持ちになってしまうだろう」
「構いません!」
少女の強い口調に、諦めたように男は顎から手を離した。
そして、天井を見上げた。
まるでそこに、ありし日の自分がいるかのように。
「そうだね。いいだろう。そこまで言うなら、話してあげよう。でもそうだな、どこから話そうか。昔のことを話す機会など無いから、戸惑ってしまうね」
「どうせなら、一番最初からがいいです。ご主人様が生まれて、物心ついた時から」
「一番最初から? うーん……。。上手に話せればいいが……もし面白くないと思ったら、すぐに寝てしまうんだよ。私の話を聞くより、眠っていた方がマシだと思ったらね」
「ご主人様じゃあるまいし、人の話している時に寝たりはしません!」
「ははは、いい子だね、君は。さて、じゃあ話をしよう」
男はスッと目を閉じた。
少女は身を乗り出し、耳を傾けた。
「まずは私が生まれる前、世界がどのように生まれたかという所からだ」
男は語り始めた。
遠い遠い昔、神話の時代の物語を。
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