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01

 雪のなかにいる。

 雪のなかでぼくは、目を瞑っている。

 瞼の裏は温かい。

 このセカイではいくつもの想いが降っては積り、風が吹いては花のように散っていた。

 その際、淡い感情は青くかがやき、滲んだ願いは赤い軌跡を描く。

 希望を表す黄色はいつもちかちかしていて、夏の樹葉のように深い緑は時折セピアへと表情を変える。

 ここには、たくさんの色があふれている。

 その色もいずれはシクルル山の頂で合流し、メパルパ川となって再びこの地に流れ込む。

 くりかえし。

 くりかえし……。

 幼い頃のぼくは、それがずっとずっと続くものだと思っていた。

 降りつもる雪を舐めると、あまったるい味がするみたいに。

 降りそそぐ雪を溶かすと、星屑となって空に還るみたいに。

 それが当たり前で、日常的なことで、永遠のものだと――考えていた。

 そう、考えていた。

 あれは、いつの日のことだったろう?

 ぼくはいつものように錆びたスコップで雪をかき集めてはメパルパ川まで運び、捨てていた。

 そういう仕事をしていた。

 それがぼくの日常であり、人生だった。

 どうしてそんなことをしているのかと聞かれるとすこし困るけれど、おそらくは神様がそういったから。

 命じられたから、そうしていた。

 この仕事にそれ以上の意味はない。

 けど、だれだってそうだろう。

 みんな似たようなものだと思う。

 ちいさな違いはあるだろうけど、つきつめれば同じ。

 あの草も、樹も。

 山だってそうだ。

 大きさは関係ない。

 形だって関係ない。

 すべてが同一。

 みんな、自分の役割を全うしているだけで、

 そこに自我はない。

 だからくりかえすんだ。

 同じことをいつまでも、何度でも。

 何度でも……。

 それがぼくの場合、スコップを握り、雪をかき集めては捨てるというだけ。

 その役割をまっとうするためだけに、ぼくは存在していた。

 仕事をしていた。

 延々と。

 それこそ、永遠とだ。

 そんな折に突然、ぼくの目の前に神様が現れた。

 現れた、というよりは出てきたといったほうがいいかもしれない。

 スコップを雪のなかに突き刺した際に変な感触があって、掘り返したら神様がそこにいた。

 神様は眠っているようだった。

 色の褪せたマフラーを握り締め、

 瞼を閉じて、眠っている。

 それがなんなのか。

 どういう意味なのかを、ぼくは知っている。

 永い眠りだ。

 決して目覚めることのない眠り。

 永久の眠り。

「…………」

 ぼくは焦っていた。

 神様を見たのは初めてのことだったし、こういった事態に直面する機会もいままでなかったから、どうすればいいのか判らなかった。

 小首を傾げ、うんうんと考えてみる。

 それでもやっぱり、どうすればいいのかわからなかった。

 いっそ、見て見ぬふりをしてしまおうか。

 神様なんていなかったことにして、ぼくはぼくの仕事にもどってしまおうか。

 そんなことを考えた。

 けれども、実行はしない。

 考えるだけ。

 自信がなかったから。

 そんなこと、ぼくは、したことがなかったから。

 いつも。

 いつもいつも雪かきばかりしていたから。

 本当に、見なかったことにしていいのか判らなかった。

 だれか、教えて欲しい。

 神の、教えが欲しい。

 しかし、ここにはぼくしかいない。

 縋るべき神も、いやしない。

 ……いや。

 正確にはいるけれど、答えられない。

 眠っているから。

 答えられない。

 熟考した結果、やっぱりぼくは神様をなんとかしようと考えた。

 たしか、嘘をつくことは悪いことだと本に書いてあったから、その言葉に則ることにした。

 じゃあ、と。

 見て見ぬふりをしないとしてぼくは、この神様をどうすべきなんだろうか。

 最初に思い浮かんだことは、神様をかき集めた雪と一緒に川へと捨ててしまうということだった。

 なぜそんなことを思いついたのかは不明。

 根拠のない理由だったけれど、だけど、ぼくにはそれがとても正しい選択肢のように思えた。

 たぶん、天啓なのだろう。

 或いは、ぼくの中で神様は雪と似ていると、そう思ってしまったからかもしれない。

 生きとし生けるものの想いが結晶化された、雪と同じようなものだと……。

 べつに、雪を捨てるだけがぼくに与えられた仕事ではない。

 厳密にいえば、ここに落ちてくるもの、堆積したものはすべて、ボクの判断で捨ててしまってもいいらしい。

 そういうことになっている。

 この狭いセカイでぼくは、小さな神様だった。

 だから、最終的な決定権は、ぼくにある。

「……捨てよう」

 雪と一緒に。

 そういうわけでぼくはさっそく神様を持ち運ぼうとスコップを雪に深く突き刺し、両手で神様を抱きかかえた。

 人を抱えながら雪道を歩くというのは久しぶりのことだったけれど、やっぱりそれは簡単なことではなかった。

 しかし川はすぐ目の前にあるので、その苦労もすぐに終わった。

 ぼくと神様はメパルパ川へとたどり着く。

 メパルパ川はいつもと同じように白く濁っていた。

 そんな牛乳色の川面には、今日もたくさんの色が浮かんでいる。

 夜になるとその色たちはきらきらと瞬き、セカイを幻想的に彩るらしいけど、ここらでは夜になると人を食べる大きな樹の化物があらわれるのだと本で読んだことがあったから、いまだにぼくはその光景を目にしたことがない。

 呼吸を整える。

 ふーと息を吐いて、ぼくは勢いよく神様を川へと放りこんだ。

 どぼん、という間抜けな音がして、神様は水のなかに沈んでいった。

 そのままもう上がってくることはないのかと思ったけれど、しばらくして神様はぷかぷかと浮かび上がった。

 浮かんで見えた神様の表情は、どこか穏やかに見えた。

 眠っているのに、

 笑っているようだと思った。

 寒気がした――。

 どうしてだろう?

 その笑顔を見て、ぼくは突然、怖くなった。

 そして唐突に、このままではいけないと思った。

 気がつけばぼくは、メパルパ川へと飛び込んでいた。

 川の中は光のかけら達が絶えず流れていて、目がちかちかした。

 瞼を閉じても同様に、ちかちかする。

 しゃらしゃらと高い金属音が耳朶を打った。

 ウィンドチャイムのような音色だ。

 澄んだその音色は春風のような爽やかさがあった。

 川面は絶えず流れているけれど、川底は緩慢としていてすこし、温かい。

 魚にでもなった気分だった。

 膝を抱える。

 丸くなる。

 ゆらゆらと揺れる。

 冷えた身体にじわりと熱が帯びていく。

 気持ちいい。

 躰がゆっくりと川に溶けだしていくみたいだった。  

 このまま。

 このまま、ここに住んでしまおうか。

 そんなことをうつらうつらと考える。

 しかしぼくは、ぶんぶんとかぶりを振ってその誘惑を振り払った。

 ぼくの瞼にはまだ、神様の笑顔が焼きついていたからだ。

 神様を、助けなきゃ。

 ぼくは水を掻いて水面へと顔を出した。

 神様はすぐそばにいた。

 すぐそばで、浮かんでいる。

 ぼくは川に漂う様々な想いをかき分けて、神様へと近づき、抱きかかえた。

 表情を確認してみると、やっぱり神様は薄らと笑っている。

 どうして、そんな表情をしているんだろう?

 永い眠りは、とても怖いものなのに。

 悲しいものなのに……。

 そんなことを考えながら、ぼくは神様を抱えて岸へと上がった。

「はあ、はあ」

 ぼくは息を乱しながら大の字になって、雪のうえに寝ころんだ。

 もちろん、神様もぼくの隣で寝ころんでいる。

 ぼくたちはそのまま、仰向けのまま遠い青空を眺め、ゆっくりと動く雲を見つめた。

 冷たい空気を肺のなかにとりこみ、呼吸が落ち着いてくると、次第にぼくは笑った。

 どうして笑ったのかは、よくわからない。

 だけど、隣で眠る神様を眺めていると不思議と楽しい気持ちになった。

 こんな気持ちになったのは、生まれて初めてのことだった。

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