ぽちゃこさんと駅前喫茶店
あのっと不意に声をかけられた。電車の中。あたしは、ああまたかと思う。
「どうぞ」
気の弱そうなかなり地味な女性が、一生懸命席を勧めてくれる。ありがたいんだけど、ちがうのよねぇと思う。なので、立ち上がってしまった彼女に小声でささやく。
「妊婦じゃないですよ」
「え?あ……」
ああ、別にせめてないよ。仕方ないのよ。よく間違われる体型だから。まあ、それだけでもないと知人はいうけれど。
「気にしないで。よく間違われるの」
そうは言ってみても、彼女はひどく縮こまってごめんなさいという。恥ずかしいのと申し訳ないのと混乱してるのが顔から滲んでしまって、こっちが悪いことした気分になっちゃうな。まあ、いつものことだけど。
「気にしないでってのは、無理があるわよね。これから、急ぎ?そうじゃなければ、次の駅でおりませんか」
彼女は、怯えた表情になる。まあ、電車下りろてめぇぐらいに聞こえるんだろうな。どんなに笑顔で優しく言ったところで、人は自分が失敗すると相手に良い印象は持たない。これ、経験。
「いい?時間があれば、よ?あたし、次の駅で降りるの」
「は、はあ……じゃあ、ご一緒します」
なんだかなぁ。覚悟決めましたって顔してるよ。こういうひと、生きづらいだろうなとあたしは思う。気楽に生きればなんて言葉は、この手合いには通じないのだ。だから、この人の罪悪感を取り除いてからでないとあたしとしても寝ざめが悪いわけ。
『まもなく三村駅です。降り口は右側です』
あたしは、彼女を促して降車口にたった。細くて、今にも折れそうな体。もう少し食べて丸みがでれば、そんなにおどおどしなくてもいいような気がするけど。それにしても、素直についてき過ぎよ。あたしが悪徳キャッチなお姉さんだったらどうするのよ。
とりあえず、ふたりで電車を降りる。あたしは次の電車の発車時刻を確認した。四十五分後か。まあ、頃合い。
「じゃ、ちょっと喫茶店にはいりましょう」
あたしはそういって、駅前の喫茶店に入る。
「いらっしゃいませ……ってまたお前は……」
出迎えたのはヤクザもビビる様な強面のひげ面マスター。
「その言い方、ひどいってば……とりあえず、ここでコーヒーを一杯おごってください。それで、お互いちゃらってことでどうですか?」
「あ、すみません。私が間違ったからいけないのに……気を遣わせてしまってすみません」
彼女は必死で頭を下げる。
「いやいや。そうやって、申し訳ないって顔してると笑えなくなっちゃうからさ。コーヒーでチャラ。ね」
「あ、ありがとうございます」
「とりあえず、座ろう」
仕方ないのだ。世の中には【申し訳ない病】とでもいいたいくらいに、自己卑下しちゃう人がいるんだから。あたしたちはカウンターの奥の端っこに二人で隣り合って座った。こういうタイプとは対面でお話するとこじれるのだ。これも経験。
「何飲む?」
「えっとコーヒーを……」
「ブレンド?」
「あ、はい」
「りょうか~い。マスターブレンド二つね~」
おうっとマスターは答えた。いや、そこなおせよ。おっさん。客商売なんだからさ。と、思いつつ左に座っている彼女にあたしは事情を話した。
「よくあることなの。体系が丸い上におなかぽっこりだから。あなたが初めてじゃないんだよ」
そろそろ二桁だなとマスターが余計なことをいう。いや、この場合は正しく客観的意見かな。
「あたしもさぁ、どういうわけか一生懸命席をゆづられちゃって、申し訳なくてさ。でも、こっちが申し訳ないって思ってる以上に、相手がもう恐縮しちゃって。あなたみたいに」
あたしはそこでくすくすと笑う。彼女はそれを聞いて少しほっとした顔をみせた。
「こうやって、コーヒー一杯おごってもらうことで、お互いチャラにってやり方になっちゃうの。おどろかせてごめんね」
「いえ、私のほうこそ……その、さらっと流せればよかったのに……ごめんなさい」
「でしょ。自分でも、そう思うよね。まあ、何か困ったこととか悩んでることがあるとさ、そういう余裕ってどこかにいっちゃうのよ。誰にでも勘違いはあるんだから。流せばいいんだけどね」
「……そうですよね。ちょっと残業続きだったから」
彼女はぽろりとこぼした。なるほど、気が滅入ってたのか。それでも席譲ろうとか、人がいいのかアホなのか。まあ、だいたい前者なんだけど。
「そうなんだ。大変だね。じゃあ、こんなだっさい喫茶店に連れて来ちゃって悪いことしたかな。もう少し先におしゃれなチェーン店あるんだけどね」
「いえ、ここ、なんだか落ち着きます。古民家風っていうんですよね」
「そうそう。もともと呉服屋さんだったんだって。いわゆるリフォームってやつで蘇ったの」
そうなんですねと彼女は感心したように、店内を見渡した。だいぶ、リラックスしたようだ。そのタイミングでマスターが彼女に丁寧にお待たせいたしましたと自慢のバリトンで接近。おっさん、鼻の下のびてるわよ。マスターは空のカップを彼女の前において縦型ティーサーバーでコーヒーを注いだ。
「あの、これコーヒーなんですか?」
「そうですよ。こうやってティーサーバーでいれるとコクと香りがいっそうよくなるんです」
まあ、めしあがれと強面を破顔の笑顔にかえる。あたしの分は、すでにカップに注がれたものを出す。常連に対していい根性だ。彼女は、ゆっくりと香りを吸い込みふんわりと微笑んだ。
「すごい、ブレンドってこんなにいい香りがするんですね」
でしょうとおっさん得意顔。彼女はゆっくりと一口、もう一口と飲む。可愛い飲み方だな。あたしも今度やってみよう。
「……今まで飲んでたブレンドってなんだったんでしょう。すごく濃密な味がします。苦味も甘みも酸味も感じる」
どうやら、彼女はコーヒー好きだったらしい。まあ、あたしを妊婦と勘違いしちゃう人でここに連れてきても難なくドアをくぐったら、コーヒーが嫌いな人ではないだろう。
それから、あたしたちはコーヒーの話をして盛り上がった。そろそろかなぁと時計をみる。あと十分ぐらいで次の電車が来る。これを逃すとまた、一時間くらいまたないとだめなので。
「そろそろ、でないと。次の電車きちゃうよ」
「え?やだ。そんな時間ですか……」
彼女はあたふたした。マスターはブレンド二杯で千円ですとしっかりお勘定。
「あたしは、まだここにいるから。それじゃあ、気を付けてね」
そういうと彼女はありがとうございますといい笑顔で帰って行った。
「これで、彼女も常連さんかな?」
「どうだろうなぁ。一時的なストレスじゃねぇか?非社交的タイプとは違う。最近のコミュ……」
「コミュ障」
「おお、それそれ。そういうタイプじゃないな。気持ちに余裕があれば、詐欺でもするりと避けられるタイプだ」
「だろうねぇ。話を聞くのがうまかったし、しゃべるタイミングも悪くなかった」
「それにしても、お前も難儀な体型だよな」
「まあ、ねぇ。この体型だから人が安心してくれるんであって……痩せると仕事しにくいんだよ」
「カウンセラーってのはそういうもんなのか?」
「ひとによりけり。あたしの場合は現状の体型のおかげで、患者さんの安心度合があがるからいいの」
あたしはそういって残ったコーヒーをのみほした。
「そんで、お前は俺のコーヒーに癒されてるわけだな」
「まあ、そういうことにしておくよ。で、今月のおすすめコーヒーが飲みたいんですけど、マスター」
おうっと彼は答えた。だから、そこはおうじゃないんだけどなぁ。まあ、それもこの喫茶店の味かもしれないとあたしは思った。
【終わり】