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九 それから



 同じだと思って、やっぱり違うと思ったんです。



 細い肩。

 震えて、堪えて。

 初めて会った時に思ったんです。この人は、私と同じ、と。

「必要です」

 抱きしめた儚いとさえ思える肩。黒檀のような艶のある黒髪が覆う背に頬を、頭を、寄せて。

 零れる嗚咽が治まるまでなら、きっとこうしていても良いですよね。そんな風に思ったので。

 初めて出会った時、同じだと思ったんです。

 どこか縋るような心を映す瞳、その言葉。

 あまりにも覚えがありすぎて。

「瑞花さんは、要らなくなんてないです」

 仄かな甘い香りがするこの人は、今にも壊れてしまいそうに見えて、少しだけ抱きしめる力を強めてしまう。

 同じだけど、違う。

 この人は……。

「瑞花さんは、頑張った人です」

 震えるほど、心をすり減らして、ずっと頑張ってきた人。

 頑張りすぎて、疲れてしまった人。

 ―――― 私とは、正反対。

 まるで、鏡合わせのように、同じだけど違う人。

 ―――― 私は、頑張ってこなかった。大切な人達を喪うまで。

 喪って初めて気づいて。後悔して。

 要らない自分が嫌で、悔しくて。

 ―――― 此処に辿り着いた時の私と、違うけど同じ人。

 あの時、私は受け入れてもらえたから、今の私がここにいる。

 必要だと、言ってもらえたから。

 あの時、もらったものを樹宝さん達に返したくても、きっといくら返しても足りなくて。

 だからせめて、今。

「瑞花さんは、必要です。私のお友達です」

 私がもらったものを。

 少しでも。

 ずっと頑張ってきたこの人に。

「…………」

 声なく涙落とすこの儚い人に。

 私に出来るのは、寄り添うだけだけど。

「帰りましょう。一緒に」

 もう一度。辛くて優しい日向の世界に。




「落ち着いたのか」

 瑞花さんを寝室に寝かせて、明日の朝使う水が少ないと気付いた私が水差しを持って、音を立てないように家の外に出ると樹宝さんが少し先に立っていて。

「あ。はい」

 月の青い光に溶け込むようなその姿を見とめると、勝手に鼓動が一つ大きくなってしまう。

 落ち着かないけれど、傍に行きたくなって私は水差しを抱えて樹宝さんの横まで歩く。

 萌黄色の髪は私が結ってからずっと一本の三つ編みで、それが今は月光で青く染まっている。

「水汲みか?」

「はい。明日の朝、使う分を」

 さっき瑞花さんと家に戻って、安眠のために香茶を淹れたから。

 何故か瑞花さんはお湯を沸かす事だけは「私がやるわ」と頑ななだったけれど、どうしてでしょう……。

「貸せ」

「え」

「唯でさえ夜は足元危ねーだろうが。お前は特に」

 ちょっと呆れるような樹宝さんの視線に居た堪れなくて、私は自分の足元へ視線を落としてからはっとして視線を逸らす。

「おい、何だその視線の動き」

「な、何がですか」

 ひやっとした汗が首筋を流れたような気がします。

「……つーか、待て。既に怪我してんじゃねぇか」

「え」

 ぎくっと思わず身じろぐと、樹宝さんの橙と唐紅花の瞳がスゥッと細くなる。

「マジかよ」

「あ」

 酷い! 樹宝さんカマ掛けた!

「見せろ」

「ひゃ! い、いいです! 大丈夫です!」

「…………」

 恥ずかしさに思わず全力で拒否して距離を取ると、樹宝さんの目が丸くなってポカンとした表情になったので、珍しくて見つめてしまう。

 けど。

「ほぅ」

 後悔してます。樹宝さんの目が据わりました。

「う……」

「俺に口答えか」

 物凄く、意地悪そうに樹宝さんが微笑んでいて。こういう時の樹宝さんは、本当に意地悪だというのは何となく私もわかってきているのですが。

「ちょっと膝を擦りむいただけですから」

 瑞花さんを追いかけた時に、樹宝さんの言うとおり眼が夜に慣れてなくて見事に転びました。

 うう。夜だからわからないと思ったのに……。

「もう一度言う。診せろ」

「い、いや、です」

 恥ずかしくて無理です。倒れます。熱出します。

 断固拒否を全面に押し出してみたものの、何で樹宝さん、さっきからじりじり距離を詰めるんですか!

「樹、宝さん。なんで近寄ってくるんですか」

「あ? お前が離れるからだろうが。止まれ」

「ち、近寄るの止めてくれたら、止まります」

「…………」

 ぴたりと、樹宝さんの歩みが止まりました。けど。

「うう……」

 物凄く、視線が痛いです。

 ちくちく刺す視線は顔を逸らしてみても改善されなくて、どころかもっとはっきり見られていると意識してしまって。

「……行くぞ」

 不意に素っ気無く言って樹宝さんが踵を返す。

 それが、少し寂しくなって。

 近づかれたらドキドキで落ち着かない。近づかないで下さいって、お願いしたのは私なのに。

 どうすれば良いんでしょう。

「おい。水、汲みに行くんじゃねーのか」

「は、はい」

 振り返って訝しげに樹宝さんがこちらを見て。私は慌てて少しだけ早足でその近くへ。

 何となく遅れてその後に続いて歩く。

「…………」

「…………」

 青く柔らかい草の香りと春よりも深い夜の空気。聴こえるのは風の音と梢のさざめく声。

 空に、散らばった星。

「気が変わったなら、そう言えよ」

「え? 何がですか?」

 周囲の空気と光景に少し気を緩めていた所で、樹宝さんがそう呟くような声音で零す。

 何がですか? と聞いても、樹宝さんはこっちを見てくれない。

 少しだけ距離を詰めて、その横顔を見て。

 それでも、私の視線に気づいている筈なのに、何も言ってくれなくて。

 じっと見つめられたさっきより、胸がちくちくと痛む。

「……樹宝さん?」

「…………」

 声を掛けても、その色違いの瞳が私を見る事は無くて。

「樹宝さん」

 呼んでも応えてもらえない。

 それどころか、一歩。先に樹宝さんは踏み出す。

「待って。樹宝さん、待って!」

 嫌です。おいていかないで。

 何も考えられなくて、片手を伸ばす。

「えっ」

 その手首を、掴まれて強く引き寄せられた。

 あんまり急だったので、足元が崩れてしまう。転ぶ……と思ったけれど。

 ぽすっと両腕で包まれるように受け止められて。

「気が変わったみたいじゃねーか」

 耳元に、目眩がするような笑み声が降ってくる。

 声なのに甘い。耳に届いた瞬間、鼓動が速くなって自分でわかるくらい、顔も耳も赤く染まってしまう。

 どうしよう。死んじゃうかも。

「行くぞ」

「ひ、ひゃっ?」

 不意に浮き上がった身体。背中と膝裏に回された何かが私を支えている。

「お前……何だよその奇声は」

 呆れた樹宝さんの声と、色違いの双眸は『すぐそこ』に。

「う、あ、き、ききき」

「何だよ」

「―――― っ降ろして下さい!」

「却下だ。ザマぁ見ろ」

 勝ち誇った声音で、月も霞む笑顔を浮かべて樹宝さんが言う。

 軽く屈んだから降ろしてくれるのかと思ったけれど。

「さっさと水汲んで帰るぞ」

「降ろして! 降ろしてくださいー!」

「同じ事を言わせるな。却下だっつってんだろ」

 水差しを拾ってそのまま歩き出す。歩調に合わせた振動が伝わって、こんなに密着しているとそれよりも遥かに私の鼓動が速い事がばれそうです。

「降ろして、下さい……」

 恥ずかしくて熱くなった頬を夜風が撫でて。蚊の鳴くような声でそう言うのが精一杯。

「そんなに嫌かよ」

「え」

 いつもよりも少し拗ねたような声音に思わず顔を上げると、てっきりじとっとした視線があるかと思っていたのに。

「俺が近くに居たり、触るのが」

 橙と唐紅花の瞳が、翳る。それは拗ねるよりも、傷ついたような色。

「ごめんなさい!」

 馬鹿です。いくら恥ずかしいからって、樹宝さんを傷つけるって考えなかった。

「違うんです。あの、その、は、恥ずかしくて……ご、ごめんなさいっ」

「はぁ? 恥ずかしいって……」

 胡乱な声で樹宝さんは眉を顰めて私を見る。

「その……えっと、こ、こういう風に、樹宝さんが、傍に居たり、触れられて、いると……私」

 上手く言えない。けど、気持ちそのままを伝えたくて。

「顔が、熱くて。心臓が……えっと」

 嗚呼どうしよう。言っていてその通りの状態。

 ばくばくと心臓が音を立てて身体中が熱い。茹りそう。

 言わなくちゃ、と思うのに。

 熱すぎて意識が飛びそう。

「おい、大丈夫かよ。マジで顔色がすげー事に」

「ひゃい、だい、じょ」

「いやいやいや、大丈夫じゃねーだろ! わかった! もういい! 良いから落ち着け!」

 樹宝さんが脚を止める。いつの間にか泉の側まで来ていたらしく、そっと私の足が柔らかい草の上に降ろされた。

 無言で、本来の目的を果たすようにというように渡された水差しの冷たさに、少しだけ呼吸が落ち着く。

 水差しを泉へ差し入れ汲んだ時、波紋に揺れて映った自分の顔は、やっぱりどうしようもないくらい真っ赤。

「落ち着いたら、帰るぞ。……自分で歩くなら、水差しは寄越せ」

「……はい」

 もう恥ずかしすぎて樹宝さんの顔が見られない。足元を見つめて、私と樹宝さんは来た道を戻るけど、お互いになんとなく気まずくて会話もなく。

 あんなにあっという間だったはずの同じ道が、迷路のように長く感じてしまう。

 それでも、道も時間もいつか終わるもの。足元の光景がいつもの家の近くになって、家の戸が視界に入る。

「じゃあな」

 水差しが差し出されて、それを受け取ると、視界の隅で白い袖がひらりと揺れた。

 私は気がついたら、その端を握り締めていて。

「おい?」

「あの、樹宝さん」

「何だよ」

 反射的に伸ばした手で掴まえた衣の袖。自分で手を伸ばしておきながら、カタカタと指が震える。

「あの……さっき、の」

「……?」

「傍に、居たいです」

 心臓が、また跳ねる。けど、今度は。

「樹宝さんの傍に。私、ずっと、傍に居たいです」

 じわじわと上がる体温。たった一言を言うだけなのに、どうしてこんなにおかしくなるのかなって思います。

「嫌じゃないです。恥ずかしいのは、私が……樹宝さんを」

 息が止まりそうなくらいのドキドキは、この樹宝ヒトだから。

「好き、だからです」

 ドキドキして苦しいのに、それでもこの一言を口に出来るのが嬉しいと思ってしまう。

「……っとに」

「え? ひゃっ」

 樹宝さんの声に顔を上げようとしたけれど、それは適わない。わしゃわしゃと樹宝さんの手が私の頭を撫でる。

「知ってるに決まってんだろ。つーか、傍に居たくねーって言っても却下するしな」

「あ、あの」

「お前は俺の花嫁なんだろ」

「はい」

「なら、傍に居んのは当たり前だ。それから」

 わしっと一度手を止めて、樹宝さんが言う。

「嫌いだっつっても、無駄だ。―――― 俺が好きだからな」

「え」

「早く寝ろよ」

 ポン、と軽く頭に手を置いて、樹宝さんはくるりと踵を返す。

 掴まえていたはずの手は、頭を撫でられた時に外れていて、私が顔を上げた時にはもう樹宝さんの後姿が先を歩いている。

 私は、というと。

「あ、ら?」

 樹宝さんの後姿から目が離せなくて、しかもおかしいんです。

「な、何で……?」

 自分が息をしているかもわからないぐらい、苦しい。

 湯気でも出ていそうなくらい、頬が熱い。

 それから、それから……。

 ―――― 俺が好きだからな。

 樹宝さんの声が、言葉が、ぐるぐる回ってもうわけがわからなくなって。

 私は、その晩、どうやって家の中に戻って眠ったのか。どうやっても思い出せませんでした。


 いつだって、誰の心だって、曇ったり晴れたり。

 自分でも戸惑うくらい変わる心と、変わらない心。

 誰もがそれぞれ、想うことがあるんですよね。


 恋歌遊戯 魔王の求婚 第十話「終わりと始まり」


 それぞれ幸せの形が違うから、難しいけど面白いんですね。

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