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八 陽に雫



 夕闇に辺りが変わり始める頃、朝餉の時と同じように私達は大樹の下に敷物を広げていた。

「うーん。やっぱりぃ、客間と食堂のスペースを取るべきだねぇん」

 敷物の中央に北域の灯り(ランプという)を置きながら、布の塊がそう言った。

 夕闇に包まれ始めても、まだ今時分は明るく風も優しく頬を撫でる。

「お客さんも増えたしぃ」

 あれから、戻った私にリトはいつもの暢気な笑顔を向けて、妖は未だに気に食わないという顔をしている。

 私がした事に対して誰も何も言わない。銀月と名乗ったあの青年も。

 当たり前よね。誰も私の事なんて何も思わない。

「瑞花さん?」

「……なに」

「具合、悪いですか?」

「関係ないわ」

 夕闇でも目に付く白金の髪、雪の白をした肌、稲穂のような色の瞳。どれもが、今の私には疎ましくて、声もそれを隠せない。

 私の言葉に、リトの顔が少し曇る。

 それですっきりしたら、良いのに。逆に何かが心にのしかかった。

「お前は何が気に入らない。乙女がその可愛げのない態度にも心を砕いているというのに」

「そんな事頼んでないでしょう。余計なお世話なのよ」

 場の空気が張り詰める。

 一つ、溜め息が落ちた。

「あー。リトさんや。樹宝さん達を呼んでこようかぁ」

「え。でも」

「いいからいいからぁ、行くよぉ?」

 半ば強制的に、布の塊がリトを連れて行く。何度もこちらを振り返るリトの顔は、あれだけ言ったのに、まだ心配そうな色を宿していた。

「余計な世話?」

 ナハトが低い声で口を開く。

「そうよ。一々心配しているフリをして。鬱陶しいと言っているの」

「…………」

「優しさを誇示する為に利用しているだけで、本心はどうでも良い。それもわからず駄犬は懐くようだけど」

 沈黙が落ちる。それが少し意外だった。

 馬鹿の一つ覚えのように、反論するかと思ったのに。

 そこに居るのかすらわからないほど静かで、無意識に先ほどまで声のしたそちらを見る。

「…………何よ」

 ナハトはまだそこにいた。けれど、夕闇の瞳は私を見ても違う何を見ているような気がしてならない。

 黙って、私を見ているけれど、見ていない。

「…………」

 それが、気に障る。

「……では、見せ掛けでお前は得体の知れない敵意も露わな獣の手当てが出来るか」

「…………」

 平坦にも近い声音でナハトが問い掛けた。

「牙を剥かれ、触れようとする手を噛み千切られそうになってもか」

 夕闇の瞳が細くなる。

「鼻面を叩けるか」

 くすっと、それまでの声音が思わず緩んだというように笑みがナハトから零れた。

 それはきっと思わず。

 思い出して、自然に出てしまった笑みだったのだろう。

「乙女は、いつでも怪我したもの、病めるものに真剣だ。治療が必要なのに治療させないなら、恐ろしい獣の鼻面を叩いて、如何に治療が必要か説くほどにな」

 愛しい。それは、あの樹宝カミに向ける瞳と酷く似ていた。

 諦めたみたいな事を言っていた。友人として付き合うと昼の席で公言して、あの時はその程度なのだと思っていたけれど。

「……諦めてないのでしょう」

 私の言葉に、ナハトは微苦笑混じりの表情で言う。

「諦めた」

「嘘ね」

「人間と違い、妖も精霊も嘘はつかない」

「嘘よ」

まことだ。それに、諦める他ない」

「何故」

 その問いに、ナハトは改めて私を見た。初めて、見られた気がした。

「それが乙女の幸せだからだ」

 はっきりとその考えには微塵の迷いもない事が表れた声音。

「顔などで言えば、私があの精霊に劣る所はない。むしろ勝っているが」

「……」

「乙女は、それでもあれと共に居る事が一番幸せだと信じている」

 恋など知らない。だから、私にはその感覚は理解できない、けれど。

「そして、それを揺るがす事ができない以上、私は諦めるしかない。最終的に、私は乙女が幸せならばそれで良いからな」

「意味がわからないわ」

「だろうな。―――― 今のお前には恋情どころか他の事もわかるまい」

 どくっと耳の奥で鼓動が響いた気がした。

 何を、と口を開こうとして、喉がカラカラに干上がってしまったみたいに何も言えない。

 じっと見つめてくるその視線から堪らず顔を逸らす。

「耳を塞いでは聴こえまい。目を隠しては見えまい」

「…………」

「ゆるゆると腐るのが望みならば、ここを出ろ。目の前に居ては、乙女は離すまいからな」

 風が止む。置かれた明かりが強くなり、辺りは一層濃くなる夕闇に染められて。

 ナハトはそれ以上何も言わなかった。タイミングを見計らうように、リト達が戻ってきて、夕餉が始まると険悪な空気の出る幕は無く、ただ私だけが笑いもせず食事を口に運んでいた。




 夜の帳が下りて、小屋の中。寝室の床に敷布を敷いて私は寝台に背を向ける形で横たわっていた。

 流石に、寝台を要求するほど私もずうずうしくはない。

 リトは最初、客人だからと私に寝台を譲ろうとしたけれど。

「…………」

「瑞花さん」

 寝台に寝ていたリトが声を掛けてくる。寝たふりでやり過ごしてしまおうと思ったけれど、それでもリトは声を掛けてきた。

「瑞花さんは、どうして此処にこようって……樹宝さんの巫女になろうって思ったんですか?」

「…………」

「も、もしかして、一目惚れとか……?」

 それはあの精霊カミにという事だろうけれど……ないわ。

 なのに、リトの声には焦るような色と窺う気配がある。馬鹿馬鹿しい。

「それじゃ、ここに来た理由にはならないでしょう。此処に来るまでにあの精霊を見た事なんてないわ」

「あ。そうですよね」

「それから、はっきり言っておくけれど、私はあの精霊に対して恋い慕う感情はないわ」

「……良かった」

 あからさまに安堵した気配が伝わってくる。本当に、馬鹿なだわ。

「気が済んだの?」

「えっと、はい……ごめんなさい」

「別に、謝ることではないでしょう」

「瑞花さん」

「今度は何?」

「それでも、樹宝さんの巫女になりたかったんですか?」

「…………」

 そんなわけない。関係ない。

 きっと、私はあの精霊でなくても構わなかった。

「樹宝さんの巫女に、今でも、なりたいですか?」

「貴女には、関係の無い事でしょう」

「あります。だって、私は、樹宝さんのお嫁さんになる為に此処に居るから」

 静かな決意を込めた声音。それは揺ぎ無く意志の固さを伝えてくる。

「えっと、だから……旦那様である樹宝さんの巫女さんだったら、私も関係あります」

「本気で言っているの?」

「え?」

「相手は精霊よ。本気で、普通の人間同士のように、添い遂げる気でいるのかと、訊いているのよ」

 種族の違う相手に嫁ぐ事自体は、例がないわけでは無い。

 それこそ、異類婚譚は昔から絶えないものだけれど。

「はい」

 幸せに終わる物語は、一握り。

「馬鹿ね。上手くいくわけないのに」

「どうしてですか?」

「相手は、精霊よ」

 人間と考え方が違う。寿命さえ違う。生きる時間の流れも何もかも、違う。

「はい。でも、樹宝さんは樹宝さんですから」

「…………」

「瑞花さん。私は、それでも樹宝さんの傍に居たいんです」

 顔を見なくても、声音でわかる。きっと今、この娘は微笑んでいる。この上なく、幸せそうに。

「ナハトさんも、瑞花さんも、多分誤解してます」

「何が」

「私、無欲ないい子じゃないですよ。我が儘もいっぱい言いますし、自分の事しか考えてない所も多いです」

「…………別に、良い子なんて思ってないわよ」

 ただ、能天気でいつでも幸せそうで、足りないものなど何もないと笑っているように見えるだけ。

「私、樹宝さんと出会った時、自分の都合だけでお嫁さんにして下さいって言っちゃったんです」

「…………」

「樹宝さんの気持ちも何も関係なくて。その時は、樹宝さんじゃなくても良かったんです」

 どうして、そんな話をするの。

「私、悔しかったんです」

「っ」

「要らないって、言われて」

 心臓が、止まりそうになった。

「悔しくて、誰かに必要として欲しくて」

 やめて。

「無我夢中で走って、此処に辿り着いて」

 やめて。

「誰でも良かったんです。必要としてくれるなら。必要な存在に、なれるなら」

 やめて! そう心が悲鳴を上げる。

 身体が勝手に動いて、掛け布を払い退け私は小屋を飛び出した。

 馬鹿みたいに、衝動的だった所為で、履物もなくて。

 足の裏に青い草の柔らかい感触と夜露の冷たさ。もつれる脚では勢いはあってもすぐに息が切れる。

 走っても、食事を取った大樹の下までが精一杯。

 古木の下に着いた時には、全ての気力も失せて。

 耳を塞ぐように頭を抱えて、蹲る。

「知ったような事、言わないで」

 喉から苦いもの。

 毒のように、濁った言葉。

「知らないくせに、わかるような事」

 溺れるように、息苦しい。

「知らないくせに。わからないくせに。同じなんかじゃない!」

「はい。だから、教えて下さい」

 背後から、肩口を通って細く白い腕が伸びて、私を抱きしめた。

 暖かい、腕。

「瑞花さんは、どうして、此処に来たんですか?」

「関係ないでしょう。私はあの精霊の巫女にはならない。あの精霊を貴女と取り合う気もない」

 それでも、リトの腕は解かれない。暖かさは離れない。

「私が、知りたいんです」

「いや」

「知りたいです」

「何で」

「私は、瑞花さんとお友達になりたいからです」

 何よ。その理由。

「私は、嫌いよ。貴女の事なんて」

 ごぼりと溺れて空気がなくなるような息苦しさと、苦い感情あじが舌の上で広がった。

「それでも、知りたいです。私は瑞花さん、好きですよ」

 広がった苦味を、溶かすような声で、リトがそう言った。

「傲慢……。あの妖、本当にどこを見ているのかしら。こんなに、自分勝手で、傲慢な娘なのに……」

「そうですね。きっと手当てしたお薬が合わなくって、混乱しちゃったんです」

「酷い毒薬ね」

「そうですね」

 酷い。けれど、どうやら私にもその毒が回ってしまったらしい。

「幼少のみぎりから、巫女になるのだと言われてきたのよ。大切な私の宝物を護るために」

 けれど。

「それが、私の誇りでもあった。……けれど」

 新しい巫女が立てられた。私は……。

「他の内親王が、巫女に立った。私は、要らなくなった」

「…………」

 何の為に、私は今まで生きてきたの?

「護りたくて、ずっと」

 どんなに辛くても、自由など許されなくても、その全てが、国を護る事になると思ったから、ずっと……。

「何の為に……私は、居たの」

 巫女から降ろされて、遠い異国へ送られる。

 私は、

「要らなくなった……」

「…………」

「何で。何で、どうして」

 どうして。

「ずっと、頑張ってきたんですね」

「っ!」

 唇を噛む。そうじゃないと、みっともない声が出てしまいそうだった。

「頑張ったんですね」

 嗚呼でも、声を出さなくても、無駄だ。

「う、るさ、ぃ……」

「瑞花さんは、頑張りました」

 ぎゅっと抱く腕が少しだけ強まった。こつんと首の後ろにくすぐったい感覚と、背に少し掛かる重さ。

「瑞花さんは、頑張ってきた人です。頑張って、頑張りすぎて、疲れて」

 自分の心も身体も、思い通りにならない。

 きつく閉じた瞳からは堪えようとしても熱い雫が零れて頬を伝い落ちる。

 食いしばった口からは、みっともない嗚咽。

 自分以外の体温が、染み入るように全てを満たしていく。

「やっぱり、私、瑞花さん好きです」

「きらい……私は……嫌いよ」

 こんな、みっともなくて、無様で滑稽な自分なんて、大嫌い。

「それでも、私は好きです。だって、大切なお友達ですから。私は、瑞花さんが必要です」

 いつの間に友人になったって言うの。勝手に友人にしないで。

 そう言おうとするのに、声が出ない。

 代わりに零れるのは、涙。

「必要です」

 夜風が濡れた頬を撫でていく。息苦しさはなくならない。

 けれど、寒くない。

 堪えていたものが、溢れる。

 苦い苦い味も、何もかも、溢れたものに押し流されて消えていく。

 全て。

 少しだけ、休みたくなった。

 そうしたら、きっと。

 明日は、いつもの私に戻れる。

 誰だって、疲れちゃうこと、あると思います。

 もう歩きたくないっ! て思う事だって。

 でも、それでも……。


 恋歌遊戯-魔王の求婚- 第九話 「それから」


 ずっと頑張って、少し疲れたら、休むことも必要だと、私は思います。

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