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七 月に花



「びっくりしました……」

 リトが幾分か蒼白な顔色でそう言い、態度の大きな妖も黙ってそれを肯定しているようだった。

 無理もない。

『私は、ここに、死にに来たので』

 あの銀月とかいう愚か者がそう言った次の瞬間、世界が凍った。そう錯覚するくらい冷たく鋭い声が響いて、私達は精霊(カミ)の怒りを目の当たりにした。

「あんなに怒った樹宝さん…………初めて見ました」

「乙女、無理もない。あれは私にもわかる本気の怒りだった」

 ロアと名乗った南域人と布以外、全員がその声音に動きを止める中、あの精霊は銀月に『出ていけ』と命じたけれど……。

『樹宝さんやぁ、ちょおっと短気すぎだよぉん。ほらぁ、リトさんや瑞花さんがぁ、怯えてるじゃあないぃ?』

 私は咄嗟に怯えてないとも返せず、結果としては声音の凍結から解放されて良かったのだけれど、(何故か態度の大きい妖も一緒に)リトの家に揃って押し込められる事になり、今の状況になった。

「瑞花さん、大丈夫ですか?」

「要らない心配だわ」

「は、はい。良かった」

 ホッとするその顔に何となくいらっとする。

 そして私以上に苛立ったらしい妖が口を挟んできた。

「可愛げのない」

「……」

 妖は私を目で指してそう言った。

「乙女が心を配っているのにその態度か」

「余計なお世話よ」

「あ、あの。瑞花さん、ナハトさん。お茶にしませんか?」

 漂い始めた険悪な雰囲気に、リトがそう言って不安げに私と妖を交互に見比べる。

「乙女は優しいな。どこぞの粗野で身の程知らず極まりない小娘とは大違いだ」

「黙りなさい。羽駄犬」

「あ、あああああのっ、お茶! お茶にしましょう! えっと、お湯っ」

 そう叫びながら、リトが温石の上に置かれたポットへ手を伸ばそうとし、私は反射的にその手を払う。

「小娘!」

 駄犬が吠えるけれど、それはどうでも良いわ。

 それよりも、

「何を考えているの。素手で触れたら手がどうなるかわからないのかしら?」

「ご、ごめんなさい」

「…………」

 何でこの()なのかしら。

 何で、この娘は…………。

「瑞花さん?」

「私は、要らないわ」

「え?」

「北域の茶は好きではないの。…………駄犬」

「小娘……いかな温厚な私とて」

「その大事な娘に怪我をさせたくないなら、茶はお前が淹れなさい」

「は?」

 気分が悪い。ここに居たくない。

 喉から胸元まで、濁った霞みが渦巻くような感覚に、私は席を立って外へ繋がる戸へ向かう。

 背後でリトが呼んだような気がしたけれど、聴こえなかったように振り返らず戸を後ろ手に閉めた。

 家の外は木々に囲まれ、木漏れ日がゆらゆら笑うように地面へ光を撒いている。さんざめく梢の音がして、木々の間から空を見上げた。

「…………」

 海というものを見たことはないけれど、深く青いという事だけは聴いた事がある。

 きっと、この空がそのまま水になって地に落ちればそうなるだろう。深く青い色を見上げ、零れたのは溜め息だった。

 空から地上の緑へ目を向ける。

 少し歩いて、先程まで居た古木の丘を見に行く事にした。

 肥沃な土地なのだろう。歩く度に踏みしめた地面から、どこか甘みを感じる土の湿った匂いがする。

 長閑で、恵み溢れるとはこの事だろう。

「まだやってるのね」

 大樹の下に人影が見える。どうやらまだ話をしているらしい。

「……私は、巫女になりに来たのよ」

 人身御供なんかになるためではなく。

 誰も聴いていないのに、声が零れた。

 正確には、巫女になる為に生きてきたと言うしかない。

 巫女としてあることを、ずっと言われて、なるのだと決められて育ってきた。なのに。

 ……ここでも私は、必要ないと言われた。

「…………」

 何故なのかしら?

 何がいけないの?

 私は要らなくて、あの娘は必要で。

「どうして私は」

 喉まで競り上がって、苦く苦しい感情が溢れそうになる。

「そこの無礼な小娘」

 背後から響いた声に、込み上げていたものが自分でも笑いたくなるほどスッと冷えて消えていく。

 忌々しいけれど、礼を言っても良い。

「どうしたの。駄犬」

 振り返った時にはもう、先程小屋を出た時と変わらない、いつもの私。

「貴様、乙女の頼みが無ければ……」

 剣呑に光る夕暮れの瞳と鴉の羽のような黒髪、妖の主だという見た目はあまり人間と変わらない男。

 あの娘を見る時とは違うその目が、私を見据えた。

「乙女が心配している。戻れ」

「どうして」

「何?」

「どうして戻らなければならないの」

「耳が聞こえないのか。乙女が心配している、と言っているだろう」

「関係ないわ」

 鼻白む男の顔を見てそう言うと、男は小さく唸るような声で呟いた。

「このように可愛くない娘は初めて見る」

「駄犬に可愛いと言われるよりマシね」

「……本当に、乙女の頼みさえなければ貴様のような小娘、どうなったとて関係無いのだが」

 忌々しい。そう呟く男に、私はその時、何故か問い掛けていた。

「どうしてそんなにあの娘が良いの」

 言ってからしまったと思ったけれど、一度口から出た言葉は戻らない。

 男は怪訝な顔つきで私を見て、目を眇める。

「決まっている。乙女は可愛い。貴様は可愛くない」

「……可愛い、ね。そう。確かに、何も考えてなさそうな能天気な子の方が可愛いと言えば可愛いわね」

「貴様、乙女を愚弄するか」

「そのままを言っただけだわ」

 嗚呼、気持ち悪い。

 息をするだけで。

 喉の奥から、何倍も苦くて嫌なものが溢れ出してくる。

「何も考えていない。ただ笑って、ただ護られて、それだけで望むもの全てを手に入れる」

 どうして。

 どうして。

「あんな娘、私は――」

「瑞花さん!」

「っ!」

 聴きたくない。見たくない。

 見られたくない。

「小娘!」

 耳に飛び込んだ声に、身体が勝手に踵を返した。そのまま脚が走り出す。

「わ、きゃ!」

「乙女っ」

 置き去りにする背後で、躓いたような音と悲鳴のようなものが聴こえたけれど、振り返る余裕も気もないかった。

 ただ、そこから離れることだけを考えて私は深い緑の闇へ踏み入った。




 ―――― 姫様はいずれこの国を護る尊い巫女となるお方です。

(この国を……護る?)

 ―――― そうです。姫様にしか、皇族の最も高貴な血を継ぐ貴女様しか出来ないお役目です。

(そう。……私は)

『はい。わたし、きっと、りっぱなみこになって、みなをまもっていきます』

(そう答えたのだったわね)

 木々の落とす陰の中で蹲るように座り込んで、不意に蘇った幼い頃の記憶に苦笑した。

(でも、今は……)

 苦笑がそのまま苦く残る。

 こんな場所に座ったりしたら、敷物も無い。衣はきっと土で汚れているだろう。

(どうでもいいわ)

 どれだけ走ったのか。どこをどう走ったのか。全てもうわからない。

 何のために、自分はここに居るのか。

(寒い)

 もうすぐ夏が来るはずなのに、寒かった。

 寒いから、震えている。

「…………っ」

 震えは止まらない。寒さも。

「馬鹿みたいっ」

 滑稽で、笑い出したくなるのに、何故こんなに口に広がる言葉の味は苦いのだろう?

「どうして! 私はっ」

 真冬の芯から凍てつく川での禊は、いつだって辛かった。

 春に行うのは大祭に舞う神楽を仕上げる猛稽古。素足で何度も行えば、やがて擦れて血を流した事も少なくない。

 真夏、夜通しの祓言葉の奏上は長く、疲れは抜けず意識が霞みそうになる。

 実りの秋、祝いの行事は切れ間なく。唄で喉は掠れ、舞で身体が悲鳴を上げた。

 それでも、投げ出したいとは思わなかった。

「私はっ」

 巫女になる。その事を、誇りに思っていた。

(―――― でも、要らない)

 ここの精霊の巫女になると思っていたわけではなかった。その為に巫女になったわけではなかった。

 だから要らない? ―――― 否。

「わたし、は」

 国の皆を護る巫女になるのだと、そう言われて。

 そうなりたくて。

 でも――――……。

「ああ、ここにいらしたんですね」

「っ!」

 茂みを掻き分ける音と一緒に声が降って来た。

「僕以外にも……リトさんや、ナハトさんが探してましたよ」

「…………」

「戻って来られますか? あと少ししたら」

 どうしたのか、とも訊かずただ銀月と名乗った行き倒れ男性はそう問い掛ける。

 だから、私は、ただ黙って膝を抱えたまま頷く。

「じゃあ、目印を残しておきますね」

 そう言って、膝を抱える私の片手に触れた。

 びくっと、無意識に引こうとした手首を、掴まえられる。

「ごめんなさい。けど、失くさないで」

 そっと握らされたのは小枝のようだった。

 手が離れて、控えめな足音と気配も遠ざかっていく。

「…………」

 のろのろと顔を上げる。握らされていたのは、やっぱり小枝。

 そこに、白銀の糸が結びつけてあった。

 陽も落ちる。燃えるような夕陽が染める森は不思議な金色に染まっていた。

 赤や黄色が混ざって溶けて、白銀の糸はその色に染まって。

 糸を辿れば、あの場所へ帰り着くのだろう。

「…………」

 くるりと、糸を巻き取るように小枝を回す。

 一巻き、また一巻き。

 一歩、また一歩。

 糸を巻き取りながら、歩く。

 あれほどもうわからないと思っていた道筋も、糸を手繰れば然程離れていなくて。

「瑞花さん!」

 小屋の前で、目ざとく私を見つけてあの娘が手を振る。

(馬鹿みたい……)

 嬉しそうに。私の無事を確かめて安堵して、喜んで。

(馬鹿じゃないの)

 嫌いだと、言ったのに。

(底抜けのお人よし)

 子犬のように駆け寄ってくるその姿に、私は小さく呟く。

「嫌いよ……」

 口の中で、崩れて溶けたその言葉は苦く。溜め息が言葉を静かに覆い隠した。

 嫌いよ。

 何も考えてなくて、いつでも幸せって顔して。

 そんなあの娘ばかり、全て手に入れて。


 恋歌遊戯 魔王の求婚 第八話「陽に雫」


 ……わかっているのよ。

 それだけじゃない事は。

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