六 それぞれの理由
六
どうしてこんな娘が、必要だと言われるの?
質素だけれど落ち着く家の御厨。食事の仕度をする私の中で同じ疑問がたゆたう。
「瑞花さんは、ポテトのスープ好きですか?」
ここは狭間峰と呼ばれる峰に囲まれた中にある、狭間の地。
目の前にいるのは、この地の精霊に嫁入りしたという、か細い上に別段飛び抜けた容貌でもない、ただの同じ年頃と思われる娘。
私の何が、この娘に劣るって言うの。
こんな、頭の中が花畑になってそうな娘に。
「えっと、嫌いですか? ポテトのスープ」
「…………口にしたことが無いわ」
「じゃあ、食べてみましょう! ふふ。意外に美味しいんですよ」
東域では見慣れない白金の肩くらいまでしかない髪。私達と比べたら色の薄い小麦色の瞳に、膝から下が見える一つなぎの衣。
ワンピースというのだったかしら。それにしても脚を見せるなんて信じられない。
確かに、北域の足袋……靴下は膝まであるけれど、それにしたってはしたないわ。
こんな娘が、神妻なんて。
「……あなた、巫女だったの?」
「え? 違います」
「では何故、ここに居るの」
巫女でもないのに、何故。
リトと呼ばれている目の前にいる娘は、考えるように視線を揺らした。
「私が、ここに居るのは」
その瞳が淡く、溶けるような色を浮かべたのが私には見える。
「樹宝さんに、恋をしたからです」
「人間が精霊に?」
「はい」
幸せそうに微笑んで、リトが言う。
「人間も精霊さんも関係ないですよ。私は、樹宝さんに恋をしていますから」
「恋……」
そんなもの、私は知らない。
必要無かった。そんなあやふやなものを持つだけで、必要だと言われるの?
なら、私の今までは…………。
「……私は、あなたが嫌いだわ」
無意識に口から零れてしまった言葉に、しまった、と思ったけど。
リトは目を丸くした後、少し気まずいようにも窺うようにも見える仕草で、私に目を向け言った。
「私は瑞花さんと、お友達になりたいです」
この子、馬鹿なんじゃないかしら。
私は、嫌いだと言ったのよ?
そんな事に気を取られていたからか、私は一つの気配を見落とした。
「あれ? 樹宝さん達が帰って来たんでしょうか?」
家の戸を微かに叩く音と呼び掛ける声がしたように感じて、リトが止める間もなく戸を開けにいく。
「ちょっと!」
「樹宝さん早かったですね…………え?」
戸を開けると、人が倒れていた。
「ひゃ! ど、どどどどっ」
「落ち着きなさい。一先ずそれから離れて!」
よくわからない奇声を発して動揺するリトをその倒れている者から引き離す。
うつ伏せに倒れているのは、身に付けている衣から察するに白くてか細いけど男性のよう。白……いえ、灰のような短い銀髪。
「大丈夫でしょうか……。とりあえず、運び入れないと」
「何いってるの。こんな怪しい者を家に」
「だ、だって、倒れて。……具合が悪いなら、まずはちゃんと様子を診てからお薬を用意しないと」
やっぱり馬鹿ね。倒れていようが何だろうが、不審者を家にのこのこ上げる馬鹿が何処にいるの。しかも今は私達しか居ないのよ?
私が言葉を続ける前に、倒れている不審者が微かに弱々しく呻き、リトが駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「……どうなっても知らないわよ」
何かあっても私は自分の身しか守らない。そういう思いを込めて言ったけど、多分リトにはわからないわね。
うつ伏せの不審者を仰向けに変えて、何とか二人で家の中に収容する。
「同い年くらいでしょうか……」
リトが不審者の顔を見てそう呟いた。
「同い年って、そう言えばあなた幾つなの」
「十六に先日なりました」
言動からもっと幼いかと思ってたわ。私と同じ歳だったのね。
「顔色が悪いですけど、脈は乱れてないですね」
脈を取り不審者の胸元に耳をつけ鼓動を聴いてから、リトが顔を上げる。
「床にこのままじゃ良くないですから、私ちょっと毛布とか取ってきますね」
そう言って、すぐ隣の部屋へと入っていく。
「お人好し」
どうやら本気でこの不審者を看病する気のよう。
「…………」
呆れるけれど、よく考えてみれば私もこの不審者と大差無いのかもしれない。
あんなお人好しの娘だから、私は追い出されないでここに居られる。
「お待たせしました!」
「別に。待ってないわ」
リトの持ってきた毛布を仰向けの不審者に掛ける。とりあえず、女二人で出来る事はこのくらい。
「…………寝台に運ばなくて良いの?」
「ビオルさんに言われてるんです。病人でも男性は寝室に入れちゃダメって。少なくとも、樹宝さんが居ない時は」
「ああ、そう…………案外、過保護ね」
あの布。
そういえば、あれって女性なのかしら? それとも殿方?
声が中性的で判断がつきにくいのよね。
まぁ、あの背丈なら男性だと思うけれど。
そんな事を考えていた時、にわかに慌ただしい足音が近付き、戸口で急停止した。
「おい! 何で開いて…………ってこいつは何だっ?」
精霊って、思ったより騒がしいわ。
「あ。樹宝さん。お帰りなさい」
「挨拶より状況を説明しろよ!」
目の前で繰り広げられる、あまりといえばあまりのやり取りに、私は小さく溜め息を零していた。
家の前で倒れていた不審者の名は、銀月と言うらしいようで、何だかんだと言いながら放り出せない辺りこの精霊も甘いと思うわ。
車座になり草の上に腰を下ろして北域風の朝餉をとりつつ、それぞれが名とここに来た訳を口にした。
その中で、一度言われていたけれど、やはりハッキリと言われる。
巫女は要らない。
私は、要らない。
「…………」
溜め息が零れた。
けれど、苦しくない。だから……駄目なのね。
リトを見れば、私と精霊の事を交互に見て青いんだか赤いんだかわからない顔をしている。
仮に、私でなくリトが言われていたら。
きっとあの娘は辛くて堪らなくなっただろう。
私の胸にあるのは悲しみや痛みじゃない。想定されていた結果への諦めと、少しの落胆。
私は、この精霊を慕っているわけではないから。
だから、心に凝るのはただ影のみ。靄のように、晴れないけれど別段痛みはない。
それでもリトの心配するような視線を見たくなくて、私は顔を逸らす。
するとその先に、じっとこちらを見る銀月の顔が見えた。
「殿方がまじまじと女性の顔を見るなんて無礼ではなくて?」
「嗚呼。申し訳ありません。つい」
半分は八つ当たりで言った言葉だ。ここに来てから、私自身でも扇や笠で顔を隠すのを忘れていたから。
それでも銀月はすぐに無礼を詫びるように軽く頭を下げ、視線を外す。
「精霊の巫女になりにいらしていたのですね」
「…………そうね。でも、断られたわ」
我ながら素っ気ない声音と口調だと思ったけど、かと言って愛想よくというのも面倒で、私はそれだけで会話を切ろうとした。
「人身御供になるほど辛い事が?」
刹那。自分でも意外なくらいに顔に血が昇り、手近にあった木の杯その中身を、銀月の顔目掛けてぶちまけていた。
「きゃ! み、瑞花さん?」
「おやおやぁ~? どうしたのかなぁん」
リトの驚いて慌てる声も、布の様子見も、全て遠く感じて。
ただ目の前にいる銀色の濡れ鼠を睨み付ける。
「人身御供になんかに、なりに来るわけないでしょう……。私は、死ぬためにここへ来たわけじゃないわ」
そんな事のために、来たわけじゃない。
ポタポタと、銀色の髪から雫を滴らせながら、赤銅の沈む夕陽色をした瞳が私を静かに見つめ返す。
「それは、失礼しました」
すくっと。夕陽が笑む。それはまるで私を嘲笑うようにも見えて、酷く不快だった。
「てっきり、同じかと」
「何が」
「私は、ここに、死ぬ為に来たので」
ふざけてるわ。
死にに来たという銀月に、私以上に反応したのはリトと樹宝。
それぞれの理由で、それぞれの反応を示したけれど……。
恋歌遊戯 -魔王の求婚- 第七話「月に花」
私は、ここに…………何をしに来たのかしら。